佐藤泰志のレビュー一覧
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ネタバレ2.5年前に映画を見た。以下感想を引用。
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はらわたが切り裂かれるように痛い映像だ。主人公の達夫は、自罰的にぼんくらな生活を送っている。やんちゃな拓児に出会い、貧困と介護(父のオナニー手伝いまで)に疲労する千夏と出逢う。体を売っている店もばれ、情夫がいることもばれ、それでも互いの傷に惹かれあい。生活を立て直そうとするのにこんなにも身動きがとれない。
浜辺の朝日のシーンなど映像の美しさももちろんだが、脚本の鋭さも。「女の顔して」「もとから女ですけど」とか、発破の作業中に部下をひとり死なせてしまったと告白する達夫に、「だから自分みたいなのと付き合うんだね」と言ってしまう千夏とか。
原作者は春樹と同年代、中上健次の嫉妬被害を受けたとか。春樹の孤独よりも佐藤泰志の孤独に共感をおぼえる。
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以上、引用。ところで生年を調べてみた。佐藤は1949年生まれ。
1900生……足穂。
1909生……太宰。
1925生……三島。
1928生……澁澤。
1934生……筒井。
1935生……大江。
1941生……宮崎駿。
1946生……中上。
1948生……森山良子、笑福亭鶴光、たかの友梨、鈴木宗男、都はるみ、五木ひろし、いしだあゆみ、加藤典洋、沢田研二、大瀧詠一、角野卓造、きたろう、井上陽水、あがた森魚、糸井重里、舛添要一、谷村新司、錦野旦。
1949生……佐藤、春樹、高野悦子、野家啓一、亀山郁夫、加奈崎芳太郎(古井戸!)、市村正親、武田鉄矢、風間杜夫、萩尾望都、岸部四郎、間寛平、川上健一、芦原すなお、矢沢永吉、堀内孝雄、北村薫。
1950生……でんでん、伊集院静、竹宮惠子、友川かずき、志村けん、奥田瑛二、三上寛、舘ひろし、和田アキ子、原田千枝子、いがらしゆみこ、矢代亜紀、大和田獏、佐藤良明、梅沢富美男、由美かおる、遠藤ミチロウ、生島ヒロシ、奈美悦。
1952生……村上龍。中島らも。
1953生……森田童子。
1958生……わが父。
1960生……わが母。
1983生……私。妻。
2016生……娘。
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見比べた結論を言えば、中上に父母を重ねて見ていたのは、随分な間違いだった。
また、中島らもは意外と若手だった。
らもにとっての兄貴が佐藤で、佐藤および春樹にとっての兄貴が中上。
こう考えてみれば、大江がここ5年ほど新作を発表していないのもむべなるかな。
大江および宮崎駿が「ヤメルヤメルサギで作品の価値を保つ」戦略を採るのも、まあ。
私が直接触れる父母は意外と、憧れる作家たちと隔絶しているのだなあ、と驚き。
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いってみればわが父母が成人し独立したころに、主に社会を作っていたのが、戦後数年生まれの人々だ。
僕の父母にとって、中上、沢田研二、春樹、萩尾望都、村上龍、らも、らは兄や姉であり得たのである。
かくして得た世代感覚は、また更新しつつ保ちつつ、していこう。
高野悦子やら森田童子やらの残したアクチュアルな言葉は、忘れがたい。
ところで本作の感想を再度記すが。
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「そこのみにて光輝く」は青春の終わり際の輝き。
《荒れた心が四箇、ひしめきあっている》《どうでもいい、あいつはもう俺の友達だ、そう決めた》《こんな女でいいの》《どんな女だ、今さら遅い》《あたしの家族……。何でもないわ、そのくらい》
端正な言葉づかいが生む抒情に、つい涙腺に来てしまう。
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「滴る陽のしずくにも」は終わった青春への挽歌。
子も産まれ家族を持っても、自分を持て余す(と達夫は拓児を観察するが、実は自分自身のことだ)。
青春を再現するように女と寝たり、自分の数年後のような松本と出会ったり(反復のモチーフ)する中で、続く世代の中間にいる自分を想う。
《本当は、あんたは満たされていないだろう》《まるで取り残されたように感じた》《心はきまった。俺は松本と共に山へ行く。もう、ここへは来ない》《やあ、といって結婚して、じゃあ、といって別れた。それだけだよ》《波打ち際のナオと、今ここにいる達夫とのあいだの距離に、彼ら(拓児も松本も、彼の前の女房も、千夏も義母も、夫の転属先にいる妹も、死んだ両親も)はそれぞれの姿で、確かにいた》
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決して近くはないが、なぜか「ファイブ・イージー・ピーセス」を連想したりもした。
スカした綾野剛と、じりじりぎらぎらなジャック・ニコルソンと、どちらでも脳内再生できる。
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青春にどっぷりではいられない、しかし完全に割り切った大人というわけでもない、こんなに自分の現在にしっくりくる小説だとは。
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ところで中上を引き合いに出して語る人がいて、気持ちはわからなくもない。
確かに中上の初期は似ていなくもない、路地とか部落とかいう文脈も。
しかし本作と較べることで、むしろ中上が意識的に自伝を神話化=文学化していたことがわかった。 -
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海炭市叙景で感じた文体の瑞々しさとは、
また少し違った眩さ溢れる作品。
一文の短さや、
出来事の始まりを回想で蘇らせることで、
特別な瞬間として装飾する方法や、
限りなく内的な移り変わりなはずなのに、
景色で語られるその心情やらが、
すべて抑制的なのに、
夏の光、冬の光、
生々しい底に?
もしくは底から?
薄くても差し込むその光が、
闇を浮かび上がらせながらも、
やはりその先の希望を影絵のように映し出す。
日常性と、非日常性。
安定性と、不安定性。
固定と、流動。
光と、闇。
そのなかに漂い続ける、
あなたと、わたし。
出会いに堕ちていくような一瞬が放つ、
潮の香りと波音に、
人間の本質を見る。
ずっと、薄い日差しのもと、
浜辺にいるようなのだ。 -
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文体の、何たる瑞々しさ。
熟した葡萄の皮に、
ぷちっと歯を立ててその果汁と果肉を味わった時の、
酸味、甘み、渋みのコントラストのような、
冷えた視線の中にある瑞々しい文体に、
何度もはっとし、
ひどく安易な言葉であるが、感動した。
その場所で、その時を全力で、
働きながら食べて、町を歩く人々に宿る、
絶望と、密やかな狂気。
いずれもが、私たちであり、
また隣りにいるあなたであるという、
果てない人間への愛が見える。
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BSで特集が組まれた時に、
恥ずかしながら初めて知った作者。
映画が大変素晴らしかったので手にした原作が、
こんなにまでも秀逸な作品だったとは。
翻って、熊切和嘉監督による映像化が、
いかに原作の世界観を守りつつ、
独自の空気と色を染み込ませたのかがよく分かる。
原作、映像化、いずれも大いにオススメ。 -
Posted by ブクログ
このなかの「オーバー・フェンス」が来年2016年の夏に、映画になって公開されるそうです。
そう、それは『海炭市叙景』そして『そこのみにて光輝く』に続いて、佐藤泰志の小説の映画化3作目になるのです。
佐藤泰志は、中学生の頃から小説家を目指して高校時代は青少年文芸賞ほかに入賞して、村上春樹とも同時代作家と評価されながら、でも知名度の高い文学賞には候補どまり続きで、そのためついには精神に異常をきたし失意のうちに自死した不幸な小説家でした。
この、彼が三十六歳のとき書いた作品「オーバー・フェンス」も、都合5回目の芥川賞候補となりましたが、残念ながら受賞しませんでした。
・・・白岩という主人公は、妻と生後間もない赤ちゃんと別離後に東京をあとにして故郷・函館に帰って、職業訓練校に行きながら失業保険暮らしでした。
最小限の人づきあい・物のない部屋・ビールを二缶 毎日買って帰っての読書三昧生活。訓練校での実習にも、もうすぐ始まる学科対抗ソフトボール大会の練習にも、いっこうに身が入らない。
そんなとき仲間の代島から聡(さとし)という名の女性を紹介されたりする。
年も前職も様々に違う訓練校の仲間たちは、大半が一年先の卒業後も建築の仕事をするつもりがない。
全員が流れ流れてなんとか失業保険でやっとの暮らし。
欠損した左手小指を軍手で隠す者・海底トンネル掘りだった男・たった8ヶ月しか自衛隊勤務できなかった者・・・皆がみな、思い描いていた生活やずっと続くと思っていた暮しに、挫折し逃げるようにして、今このときにおなじ場所にいる。・・・
この「オーバー・フェンス」は、あきらかに彼自身が夢を諦めかけて生まれ故郷の函館に戻らざるを得なくなって、いっとき職業訓練学校に通っていた実体験が下敷きにされた作品です。
佐藤泰志が描いてきたものはいったい何だったのか。そう、それは、歴史の濁流にのみ込まれ個を失いかけ、自分はいったいどうなるんだろう、どこへ行くんだろうという喪失感と不安感、でも微かなその先にある希望の光・・・。
登場人物はみな一様に何かに挫折し、こころの底にあきらめに似た気持ちを持っている。けれども、そのどうしようもなくぱっとしない冴えない日常の内にも、一瞬どきどきするようなきらめきの瞬間がいつもある。暗く広い大海に漂流するようなときには、海面のキラッと光るその瞬間はとてつもなくせつなくまぶしく感じられるもの・・・。
主人公の白岩は、いつか忘れていくだろうと願いながらも、何をしてもどこにいても・・・かの日に妻と産院で浮き浮きしながら子どもの名前を考えたこと、迷路になった彼女の心を解きほぐすのなら何でもするつもりだったこと、他人の目なんかどうでもいいから早く妻が自分を取り戻して、二人は実際若いが堅実で明るい家族になることができると信じていたことを・・・思い出してしまうのでした。 -
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君の鳥はうたえる、は映画を見て、草の響きは映画を見ずに読んだ。
2017年にオーバーフェンスの映画を見たころに読もうとした時はなんだか読みきれなかったのだけど、今回すらっと読めて良いのやら悪いのやら。
君の鳥はうたえる、は行き場がないわけでないのにどこにも行かない若者や大人のお話。
草の響き はやっぱ運動は大事なのかな、と思った。
ストイックな人の方が辛くなるのよね、とか共感できるのはあんま良くないなあと思ったり、著者の死後にどんどん映画化されてるのも生きにくい人増えてるのかな?と思ったり。
タイトルは静雄の持ってたビートルズのレコードの曲からなのね。
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Posted by ブクログ
きみの鳥はうたえる 60
「黄金の服」をある意味での完成形だとすると、本作の立ち位置というか存在が相対的に見えてくるかも。
となると逆に、本作を通してみると「黄金の服」がとても完成度の高い作品にも思えてきます。
自分と他者との距離感の表現がとても興味深いです。
主人公と静雄と佐和子(ソウルメイト)
アラ(他人)
専門書のあいつ、店長(ノイズ)
静雄の兄貴(他人)
手の届く自身のテリトリーの狭い世界の中に、ソウルメイトとノイズが同居しているようすが、21歳の若者のリアリティを浮き上がらせているようです。
草の響き 80
著者自身が統合失調症を患いランニングを始めた経験が基になっているらしいです。
走ることで変化していくもの。それは景色であったり、季節であったりはもちろん、関わり合う人たちや走っている自分自身であったり。
走るたび日ごとに生命力や感受性が強くなっていくものの、振り向くと、そこにある不安や闇が待っている。それでも歩みだす軽い痛みと覚悟が美しいです。 -
Posted by ブクログ
海と炭鉱のある地方都市に暮らすさまざまな人びとの人生の断片を切りとって活写している連作短編集です。
本作の舞台になっている海炭市は、著者の出身地である函館をモデルにしているようですが、日本のどこにでもある地方都市といえるように思います。えがかれているのは、人びとがいまだパソコンも携帯電話ももたない1980年代の後半で、いわゆるバブル経済に日本がわいていたころですが、本書の登場人物の多くはそうした時代の最前線からとりのこされた人びとです。炭鉱の閉鎖によって失業者が現われ、翳りを見せはじめた地方都市で、すこしずつ人生をすり減らすようにして日々の暮らしを送っている彼らのすがたがていねいに叙述されています。
そのことが、かえって現代の日本に暮らす人びとにも慣れ親しんだ日々の光景として受けとられたことが、本作が支持を得ることになった理由なのかもしれません。われわれもまた、おなじことのくり返しのような日々を送りながらも、ゆっくりと、けれども確実に活気をうしないつつある世界で、やがては終わりを迎える人生を一歩ずつあゆんでいるのだということを感じさせられます。