佐藤泰志のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
ネタバレ2.5年前に映画を見た。以下感想を引用。
@
はらわたが切り裂かれるように痛い映像だ。主人公の達夫は、自罰的にぼんくらな生活を送っている。やんちゃな拓児に出会い、貧困と介護(父のオナニー手伝いまで)に疲労する千夏と出逢う。体を売っている店もばれ、情夫がいることもばれ、それでも互いの傷に惹かれあい。生活を立て直そうとするのにこんなにも身動きがとれない。
浜辺の朝日のシーンなど映像の美しさももちろんだが、脚本の鋭さも。「女の顔して」「もとから女ですけど」とか、発破の作業中に部下をひとり死なせてしまったと告白する達夫に、「だから自分みたいなのと付き合うんだね」と言ってしまう千夏とか。
原作者は春樹 -
Posted by ブクログ
海炭市叙景で感じた文体の瑞々しさとは、
また少し違った眩さ溢れる作品。
一文の短さや、
出来事の始まりを回想で蘇らせることで、
特別な瞬間として装飾する方法や、
限りなく内的な移り変わりなはずなのに、
景色で語られるその心情やらが、
すべて抑制的なのに、
夏の光、冬の光、
生々しい底に?
もしくは底から?
薄くても差し込むその光が、
闇を浮かび上がらせながらも、
やはりその先の希望を影絵のように映し出す。
日常性と、非日常性。
安定性と、不安定性。
固定と、流動。
光と、闇。
そのなかに漂い続ける、
あなたと、わたし。
出会いに堕ちていくような一瞬が放つ、
潮の香りと波音に、
人間の本質 -
Posted by ブクログ
文体の、何たる瑞々しさ。
熟した葡萄の皮に、
ぷちっと歯を立ててその果汁と果肉を味わった時の、
酸味、甘み、渋みのコントラストのような、
冷えた視線の中にある瑞々しい文体に、
何度もはっとし、
ひどく安易な言葉であるが、感動した。
その場所で、その時を全力で、
働きながら食べて、町を歩く人々に宿る、
絶望と、密やかな狂気。
いずれもが、私たちであり、
また隣りにいるあなたであるという、
果てない人間への愛が見える。
*
BSで特集が組まれた時に、
恥ずかしながら初めて知った作者。
映画が大変素晴らしかったので手にした原作が、
こんなにまでも秀逸な作品だったとは。
翻って、熊切和嘉監督に -
Posted by ブクログ
このなかの「オーバー・フェンス」が来年2016年の夏に、映画になって公開されるそうです。
そう、それは『海炭市叙景』そして『そこのみにて光輝く』に続いて、佐藤泰志の小説の映画化3作目になるのです。
佐藤泰志は、中学生の頃から小説家を目指して高校時代は青少年文芸賞ほかに入賞して、村上春樹とも同時代作家と評価されながら、でも知名度の高い文学賞には候補どまり続きで、そのためついには精神に異常をきたし失意のうちに自死した不幸な小説家でした。
この、彼が三十六歳のとき書いた作品「オーバー・フェンス」も、都合5回目の芥川賞候補となりましたが、残念ながら受賞しませんでした。
・・・白岩という主人 -
Posted by ブクログ
君の鳥はうたえる、は映画を見て、草の響きは映画を見ずに読んだ。
2017年にオーバーフェンスの映画を見たころに読もうとした時はなんだか読みきれなかったのだけど、今回すらっと読めて良いのやら悪いのやら。
君の鳥はうたえる、は行き場がないわけでないのにどこにも行かない若者や大人のお話。
草の響き はやっぱ運動は大事なのかな、と思った。
ストイックな人の方が辛くなるのよね、とか共感できるのはあんま良くないなあと思ったり、著者の死後にどんどん映画化されてるのも生きにくい人増えてるのかな?と思ったり。
タイトルは静雄の持ってたビートルズのレコードの曲からなのね。
-
Posted by ブクログ
きみの鳥はうたえる 60
「黄金の服」をある意味での完成形だとすると、本作の立ち位置というか存在が相対的に見えてくるかも。
となると逆に、本作を通してみると「黄金の服」がとても完成度の高い作品にも思えてきます。
自分と他者との距離感の表現がとても興味深いです。
主人公と静雄と佐和子(ソウルメイト)
アラ(他人)
専門書のあいつ、店長(ノイズ)
静雄の兄貴(他人)
手の届く自身のテリトリーの狭い世界の中に、ソウルメイトとノイズが同居しているようすが、21歳の若者のリアリティを浮き上がらせているようです。
草の響き 80
著者自身が統合失調症を患いランニングを始めた経験が基になってい -
Posted by ブクログ
海と炭鉱のある地方都市に暮らすさまざまな人びとの人生の断片を切りとって活写している連作短編集です。
本作の舞台になっている海炭市は、著者の出身地である函館をモデルにしているようですが、日本のどこにでもある地方都市といえるように思います。えがかれているのは、人びとがいまだパソコンも携帯電話ももたない1980年代の後半で、いわゆるバブル経済に日本がわいていたころですが、本書の登場人物の多くはそうした時代の最前線からとりのこされた人びとです。炭鉱の閉鎖によって失業者が現われ、翳りを見せはじめた地方都市で、すこしずつ人生をすり減らすようにして日々の暮らしを送っている彼らのすがたがていねいに叙述されて -
Posted by ブクログ
「とっつきにくい文章だなあ」というのが最初の印象。“文章が重い”とでも言えばいいか。
しかし、読んでいるうち、慣れてくる。
徐々に、心地よい温度に感じられてくる。
決して個性のある文章、文体ではないが、情景描写が徹底されている。いや、風景描写といったほうが相応しいかもしれない。絵を見せるような描写である。
この土地への作者の強い思いが、ここに表れていると思った。
私にとっては、魅力的な人物は出てこなかった。ある程度小説を読んでいる人なら、みたことのあるような登場人物たちである。
しかし、そんな人物同士が出逢ったときに生まれる物語は随一である。
人ではない、人と人の出逢の物語を書いている。
-
Posted by ブクログ
ネタバレ自らのための備忘録
2024年令和6年の今より、1980年前後の時代の方が好き!と思わず感じた小説でした。
ここからネタバレします。
表題の「きみの鳥はうたえる」の最後のところを読んで、なぜ、この結末を想像できなかったのかと自分がイヤになりました。もう最初から、伏線はこれでもかっていうほど張られていて、それに気づかない読者なんて、この本を読む資格はないんじゃないかと思ったほど。
文庫本の解説のタイトルにもなっている「三人傘のゆくえ」は何より印象に残りました。
《そのうち、佐知子のむこうに、彼女を通して新しく静雄を感じるだろう》のあと、《そのうち僕は佐知子をとおして新しく静雄を感