佐藤泰志のレビュー一覧
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「とっつきにくい文章だなあ」というのが最初の印象。“文章が重い”とでも言えばいいか。
しかし、読んでいるうち、慣れてくる。
徐々に、心地よい温度に感じられてくる。
決して個性のある文章、文体ではないが、情景描写が徹底されている。いや、風景描写といったほうが相応しいかもしれない。絵を見せるような描写である。
この土地への作者の強い思いが、ここに表れていると思った。
私にとっては、魅力的な人物は出てこなかった。ある程度小説を読んでいる人なら、みたことのあるような登場人物たちである。
しかし、そんな人物同士が出逢ったときに生まれる物語は随一である。
人ではない、人と人の出逢の物語を書いている。
最後に。
松本の元妻は、特に登場させる必要はなかったんじゃないか。何か意図があったのだろうか。ちょっとわからなかった。 -
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ネタバレ自らのための備忘録
2024年令和6年の今より、1980年前後の時代の方が好き!と思わず感じた小説でした。
ここからネタバレします。
表題の「きみの鳥はうたえる」の最後のところを読んで、なぜ、この結末を想像できなかったのかと自分がイヤになりました。もう最初から、伏線はこれでもかっていうほど張られていて、それに気づかない読者なんて、この本を読む資格はないんじゃないかと思ったほど。
文庫本の解説のタイトルにもなっている「三人傘のゆくえ」は何より印象に残りました。
《そのうち、佐知子のむこうに、彼女を通して新しく静雄を感じるだろう》のあと、《そのうち僕は佐知子をとおして新しく静雄を感じるだろう、と思ったことは本当だった(略)今度は僕は、あいつをとおしてもっと新しく佐知子を感じることができるかもしれない》
この解説は、遅れてやってきた佐藤泰志ファンには有難いものでした。「草の響き」の印刷所での主人公の描写のリアリティは本人のものだったのかとわかりました。
《そうやって日を送っているうちに、彼は活字の埋め込み作業をしょっちゅう間違うようになった。単純すぎるほど単純な労働だった。それなのにしまいには、今までたった三本の指で、何十本もの活字をいっぺんに摑むことができたのに、それも不可能になった。活字は指からこぼれて、足元の床板に音をたてて落ちた。彼は仕事ができなくなっている自分を発見した。屈んでこぼした活字を拾いながら、急に眼が涙でふくらんで子供のように泣きだす自分をこらえることができなかった。床に屈んだままの姿勢で、彼はあたり構わず嗚咽する始末だった。そこからやっとのことで立ち上がると字詰めの主任のところまで行って、皆んなは僕を役立たずといっている、党員でもないし、党員になろうともしない僕をくずだといっている、とほとんど喚き声でいった。皆んな? と主任は穏やかな声でいった。確かに中にはそんなことを考えている奴もいるだろう。だがそんなことを現実に誰がお前に話したんだ? 彼は混乱した。みんなが陰でこそこそ話しているように僕が感じている、と彼は訂正して訴えた。馬鹿なことをいうな、と主任はメタルフレームのどの強いメガネを指で押し上げながら、かん高い鳥のような声でいった》
そう。この小説は2024年には書かれることのない時代が書かれていて、それが堪らなく心地よかった。それはケータイのない時代とかそういうことではなくて、友だちが身近にいて、「友情」とかそういう面倒なものではなく、共にいることが生活っていうのがとても心地よかった。
そして、友だちがいるからと言って「孤独」でないわけではなく、友だちがいようといまいとそんなことに関わりなく、人というものは孤独であり、生と死は常に紙一重のところにあるのだという当たり前のことがしっかり書き込まれていて、心からこの作家が好きだと思いました。 -
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『きみの鳥はうたえる』
知らないはずの昭和の夏のにおいがする。(自分とは縁のないような)眩ゆいきらめきに満ちた日々の中に、ときおり恋愛・家族・生きることについての鈍い痛みがはしる。「僕」の捉えどころのなさ、佐知子の軽(やか)さ、静雄のナイーブさ…時に首を傾げる点もあったが、決して広くはない世界で、一見飄々と生きているようでも実は各々抱えたものがあるという物語は、時の流れによって色褪せることのない普遍的な題材だと思う。夏の入り口のこの時期に読んで非常に心がヒリついた一編だった。
『草の響き』
映画のビジュアルを見ていて、てっきり妻が出てくるものだと思っていたから意外だった。走ることを通じて内省する感覚はなんとなくわかる部分がある。
両作ともに主人公に名前がないこと、別の名前をつけられた男性との関係など、共通点もいくつか。作家が自死したという情報をあらかじめ知っていたので、作品自体をどうしても死のイメージから切り離すことができなかった。良いのか悪いのか。
『きみの鳥はうたえる』『草の響き』ともに映画を観ようと思う。 -
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佐藤泰志作品の映像化は欠かさず観てるので未読だった『夜、鳥たちが啼く』の制作が決まってこの文庫購入。
まずこちらから先に読んでしまったけど、収蔵順に読んだほうがよかったかな?
Ⅰ部の5編は連作で登場人物が繋がってます。
Ⅱ部の2編は書かれた時期、掲載順などは全く関係ないのですが、通しで読むとこの順番の妙がわかりました。編集者ってやはり凄い!
(ちなみに映画は「夜、鳥たちが啼く」の一編からだけでなく、この一冊の中からいくつかのエピソードを入れ込んでいます。ですから一冊丸ごと読んだ方が映画は更に面白くなるのではないかと。)
小説は独特の〝視点〟の取り方に初めは混乱しましたが、そういう事ならそれを思いきり味わおうと、少し意識して読み始めました。が、そのうちそんなことも忘れてノってしまいました。
Ⅰ部における主人公秀雄は、ひどい人なんです。
でも変な色気というか、活き活きとしていないところで逆に生命力を感じるような、そんなダウナー的魅力を感じてしまった。
光恵も同じだったのかな………。
だからといって光恵には共感は出来ないけど。
II部の「鬼ヶ島」は、サラリと書かれているように見えつつ実はかなり重い。そして僕〝高橋君〟は、この先苦しくなるに違いないと思うのだけど、彼がそれを自分の事として捉えられるのか、が気になります。自己中なようで実は視野広め。でも我は強い。文子とは共依存的なのかもしれないな。
「夜、鳥たちが啼く」はこの一冊の最後の締めとして実に良いんです。佐藤泰志にしては珍しく、ある意味前向きな話で。
〝そうだね。でもそう考えただけで素晴らしいんじゃないか〟キーになるこの一文に救われる。
全編通して、何かを背負い込む男は優しいだけじゃないと教えてくれました。
既に何かを抱えてるからそうするんだな。
男に限った話じゃない。
他人に限った話じゃない。
もう一回観たいな、映画。
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『きみの鳥はうたえる』に集録されている「草の響き」を先に読み上げた。
同タイトルの映画を先に観たところ、今の自分の状況と重なるところがあり、原作を読んでみたいと思い購入したもの。
個人的な感覚では、スラスラ読めて情景が目に浮かびやすい、というものではないが、ところどころで立ち止まりながらゆっくり読むと良いように感じた。一度ざっと読んで、今は2周目を、今度はじっくり読んでいる。
また、主人公と同じように、走り、心臓が張り裂けるくらいの体験をすると、また違った感想が持てるかもしれない。
2周目を読み終えたとき、どういう感想が持てるのか、楽しみだ。 -
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ネタバレ20210917
海炭市叙景を読んで
函館の文学館の吉田さんの紹介で佐藤泰志の小説を読みたいと思って入りやすいと紹介された海炭市叙景を買った。
最初の章で出てくる函館山、あまり自分が見た光景が舞台になっている様子を見た事がなかったのでそれだけで感動した。不思議な感じだった。
吉田さんが佐藤ひさしの中高の1つ下という話も他の小説と比べて特別な感じがした。筆者が近いというか。
そんな特別な小説として読み始めて、1~18章を読んだ。
吉田さんは最初の話が暗くて辛いといったことを仰っていたが、私はそんなに暗く感じなかった。
何でだろう。
救いようがない兄妹であることは確かだけれど、その前に思いやりや幸せを感じていたからだろうか。
その他の人の事故の評価から私の中でも事故が風化したのだろうか。
淡々と書かれるそれぞれの主人公はありのままを描かれている。時にはひとつの物語の中で複数の視点が入ってより客観的になっていることもある。
ありのまま、客観的であるが故に救いようがないように感じる部分、自分が見ている自分と周りから見た自分のギャップが感じられて、痛々しく思う部分もある。
しかし不思議と納得できるというか、そういう人もいるよな、私もこうかもなみたいな考え方もできた。
2番目のあとがきの人が言っているように「職と人」を描かれているので、働くとは生きるとは何か、来年から社会人になる自分にとってはそういった設計プランも考えさせられた。
今とは少し違う時代の彼らがどのように人生を考えて生きていたのか、人間らしくて憎めない。一生懸命生きている。
折り返し地点、残り、続き、繋がりが気になる
しかしこれでいいのだとのこと
佐藤ひさしが大学進学と同時に上京し、後に1度故郷の函館に帰った期間があった。生まれ育った故郷と、1度離れてもう一度見た故郷で何か見え方に違いはあったろうか。
私は離れて故郷の良さに気がついた部分もある。自分が生きたい姿、本当に心躍るものは何かを感じられる場所。
海炭市はかつて栄えたものの、炭鉱の廃止、漁港の衰退により、かつての賑わいを失っている。
そういった経済的に暗い部分があるのは確かだ。
そんな中でも生きている人がいる。
私が故郷に感じる思いとも似ているのかもしれない。 -
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ネタバレ海炭市という北方の架空の街を舞台にした群像劇、となっている。
語り手は次々と変わっていき、それぞれの視線で街とそこに住む自分という存在が語られていくのだが、ぜんぶを読み終えてふと誰にも寄り添えきれなかったような気がしている。街という絶対的な共通項はあるのだけれど、転々ばらばらな感情であり、街を統合するひとつの感情としてこの登場人物たちをまとめることができなかった。
第一章の話にとても好きなのがいくつもある。ひとつひとつの掌編のクオリティがめちゃめちゃ高いなと思う。思えば先生に薦められたのもこの小説のいちばんはじめに書かれている「まだ若い廃墟」だった。前半の話のほうが、廃れていく街がすぐそこにあるという感じがする。この物語の形式上、話が進むにつれて街の発展もすすんでいってしまうからある意味自然な成り行きといえるのかもしれない。しかし今の僕はそれを良さとしてまだ捉えきれなかった。 -
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ネタバレ読んでいるときの感覚は「黄金の服」がいちばん好きなのだけれど、たぶん「オーバー・フェンス」のほうが書こうとしていることの確固さはあるのだろうなと思う。佐藤泰志の描く北方の街はそれだけ人物の思いが反映されやすい場所のようだ。
「黄金の服」の舞台は東京で、そこにいる若者たちはふわふわとどこか浮ついている。
「泳いで、酔っ払って、泳いで、酔っ払って、そして、と僕は思っていた。木曜日にはサーカスへ行く。日曜日までには本を一冊読み終る。」
主人公はこう語る。24歳の時間の流れ方としてはあまりにも緩やかで、こんな生活をしていいのかと彼はすこし思っている。彼と関わる幾人かの若者のその後はというと、道雄は大学をやめるというし、アキはフィアンセと結婚するから仕事を辞めるという。プールで泳いで、そのあと酒を飲むという瞬間が終わることが暗示されながら物語は終わる。最後には僕と文子だけが残っている。
とこんなふうに書いてはみるものの、やはり何か大切なものが欠落しているようなそんな印象をどこか持っているのかもしれない。
けれども読めてほんとうによかった。佐藤泰志はとりあえず片っ端から読んでいく。 -
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ずっと読みたかった佐藤泰志作品。終始暗鬱としているけど、ねばついていない独特な雰囲気。結末がまったく読めず、読み進めたい気持ちと読み進めるのが怖い気持ちがずっと介在していた。
達夫も拓児も千夏も、妹も松本も、全員が人に愛される要素がある人柄なのに、どうしてこうも一筋縄ではいかない世の中なんだろう。血の繋がりがなくても、家族、友人というのは一生をかけて大切にしたい、すべき存在だと改めて教わりました。
作中で、若さに対するこだわりみたいなのがちょくちょく垣間見れた気がするけど、著者の思想なのかな。年老いたこの家族の姿というはどうなるのか、想像したい。