佐藤泰志のレビュー一覧

  • きみの鳥はうたえる

    Posted by ブクログ

    ネタバレ

    『きみの鳥はうたえる』と『草の響き』という話が入っていた。
    きみの鳥はうたえるの作中に流れている雰囲気は好き。限りなく透明に近いブルーかな、雰囲気が近いと思ったのは。たぶんいい場面なんだろうなという場面がおおかった。(傘を差して三人くっつき合って歩くところなど)だがそれをじっくり感じる間もなく次に流れていったところが少なからずあった。
    もう一編の草の響きがとにかく好きだった。これはまた誰かに薦めたいほど。文章もひたすら体のうちに入ってきたし、主人公の思いの馳せかたが好きだ。墓地にいる暴走族とのかかわりが優しく、そして愛おしい。
    それでもなんでこの本の題名がきみの鳥はうたえるなのか読み終わってから考えた。小説として評価されているのが草の響きではないとしたらその理由はなんだろう、と。話の規模の小ささ、大きさみたいなものなのかな。ちょっとこれ以上の説明はできないけれど。


    ----------

    二〇二六年六月十二日

     五年前以来の再読となった。前回は「草の響き」が好きだったが、今回は明確に「きみの鳥はうたえる」への魅力を覚えた。ビートルズを再びよく聴くようになった。「きみの鳥がうたえる」がビートルズの「アンド・ユア・バード・キャン・シング」から題を採ったことをもう知っている。静雄が引っ越してきた日、僕に向かい、レコードの代わりにとふざけてこの歌を歌う。
     読んでいる途中から、しきりに、アルバム『リボルバー』をかけるようになった。「アンド・ユア・バード・キャン・シング」もすでに耳馴染みがあった。六年前ごろ、ほんとうによくビートルズの曲を聴いていた。主にかけていたのは『リボルバー』と『ラバー・ソウル』だった。僕にとってはもう懐かしいものとして聴けるような愛着があった。あのとき、未曾有の流行病のせいで、人や場所への思い出が希薄である。それよりも読んだ本や聴いた音楽が先行して記憶の底に沈澱している。最近、心の一部で絶えず落ち込んでいた。それは仕事のことで、仕事のことは人生の一部に過ぎないことは確かなのだが、確実に落ち込んでいた。そんなときにでもビートルズは聴くことができた。「めちゃくちゃ落ちてるときでもビートルズは聴けるんですよ」と思わず人に話したほどだ。自分にとって大切にすべき何かを一つ取り戻せたようだ。俺は、ビートルズが好きだ!
     あと、作中でアラが浅川マキの歌を歌うくだりがあって目を見張った。初読のときはすっかり読み飛ばしていた。そもそも浅川マキを知らなかったと思われる。浅川マキを知った時期は二〇二一年十月付近でほぼ間違いない。五月に「きみの鳥はうたえる」を読んでいるから、その約五ヶ月後ということになる。ひと月に一度ほど聴くラジオ番組「草野マサムネのロック大陸漫遊記」の、二〇二一年十月十七日の放送「カラオケで歌ってみたいロックナンバー・パート1」のちょっぴりタイムマシンのコーナーで流れた「かもめ」が最初。それを数日遅れで、ラジコのタイムフリーで聴いた。それ以来、僕にとってこの歌はカッコよくてたまらなく最高な一曲としてたましいに刻まれた。「かもめ」ばかり聴いているから、他ももっと聴かなきゃななんて思う。

      誰かがアラにむかって、アラは本当に浅川マキが好きなんだな、といった。僕が、静雄に、だいなしにする気か、今夜は三人で陽気にやるはずだったろう、といったとき、アラが、このあいだなんか店をほっぽって彼女のコンサートをライブ・ハウスまでわざわざ、ききに行ったよ、と話していた。(「きみの鳥はうたえる」九十五頁より)

    0
    2021年05月13日
  • きみの鳥はうたえる

    Posted by ブクログ

    21歳の男女三人を描いた作品。
    こういう純文学の主人公はどうしてもきっちりとした日常生活に耐えられない人になってしまうのか。
    書店でバイトをする主人公・僕。しばしば無断欠勤、刹那的、時に暴力的。
    同居人の静雄に至っては職も無く、人の好意にたかって生きている。
    そして主人公の彼女になった同い年の佐知子は、静雄に惹かれて行く。

    作者・佐藤泰志は私より少し上だけど近い世代。
    (私とはかなり違う生き方だけど)若い時はこんなだったよなと振り返らされる。
    閉塞感の中、もがいているのか?流されているのか?
    「自由に生きる」と思いながらも、それを謳歌している訳でもなく、どこか苦しんでいる。
    時代は変わったけど現在もそんなものなのでしょうね。多分、普遍にして不変の青春。

    名文とは思わない。どこかザラリとしたストレートな文体が、突き刺さる。

    併録の「草の響き」は主人公がひたすら走り続ける物語。印象的。

    0
    2020年09月06日
  • そこのみにて光輝く

    Posted by ブクログ

    第一部「そこのみにて光輝く」は息を張りつめたような若さがある。くっきりした登場人物像たちの描写がうまい。特に中心の「達夫」と「千夏」がいいなあ~暗さの中にキラキラしたものがある感じ。

    「千夏」の弟「拓児」に誘われて「達夫」が訪ねた家は、開発に取り残されたようなちいさなバラック小屋だった。両親と姉弟が住んでいるその家は、生活・生きざままでもが壊れてすさんでいるようだった。しかし、そこには家族の強い矜持があったのだ、と思いいたる導入部に惹きつけられる。

    若くてなにものかに飢えている「達夫」が「千夏」とそれからたどる恋の道筋はすごくいい感じだ!!

    けれども、第二部「滴る陽のしずくにも」の二人のその後になると、おや?と思わされる。それは「千夏」があまりにも後ろに下がり過ぎて影薄い。伝法な「千夏」が普通に閉じ込められてしまったようだ、至極残念。

    0
    2020年07月28日
  • きみの鳥はうたえる

    Posted by ブクログ

    若いときを振り返るっていうのは恥ずかしいか、なんとなく盛ってしまうか、飾ってしまうか、照れくさいものだけれど、それも振り返る時期(年齢)にも関係してくるのだろう。
    この『きみの鳥はうたえる』は佐藤泰志氏30代のデビュー作でおとなになりたくもなく、おとなになりきれず、でも、おとなになってしまわないといけない・・・という21歳の青春時代を私小説風に書いている。

    なぜ私小説風と言うのかというと、
    磊落で硬質な書店員の「僕」と書店員仲間の「佐知子」の恋人関係が、「僕」の友人「静雄」のナイーブな優しさにつつまれて、恋人関係が静雄と佐知子に何事もなく移るなんてあり得ないこと。三人の関係が壊れてしまうのかと思いきや漂っているようになるのは、やっぱり僕と静雄は同一人物で、作者の分身だからと思えてしまう。(わたしの「盛った小説」説によると)

    すてきな題名はビートルズの曲「アンド・ユア・バード・キャン・シング」から。
    どうしても青い鳥をさがしてしまう若いときがある、生き生きしたものを求めてあがく時がある。
    平禄されている『草の響き』はもっと作者に近いという、井坂洋子さんの解説がとてもいい。

    0
    2020年07月09日
  • 海炭市叙景

    Posted by ブクログ

    日本のどこにでもありそうな、しかしそれは架空の街。そこに住んでいる人々の暮らしと人生を物語る。一筋縄ではいかぬ人間を見つめる作者の目は張りつめている。(41歳の若さで自殺してしまった作者を想うとなおさら)

    「まだ若い廃坑」「一滴のあこがれ」「夜の中の夜」など、ひとつひとつの短い物語のタイトルからして印象深い。(友人の書いた詩より拝借らしいが)何気ない普通の暮らし、あるいは切羽詰まった物語の淡々とした描写が光っている。

    バブルもはじてけない時代1980年代に書かれたので、予言的だと解説にもある。つまりうまくいかない人生模様や人間の心は、すっかり現代にも通じるのだということ。

    いえいえ、その前も後も世界情勢や景気や災害や疫病や、何もない時代なんてありはしない。

    そんなに突き詰めて苦しまなくてもいいじゃないか、人生いろいろあるけれど前向きに考えよう、いつかは・・・。

    0
    2020年06月29日
  • 海炭市叙景

    Posted by ブクログ

    著者と私は同年生まれ。同じ國學院大學卒。ただし著者は3年遅れて大学入学(哲学科だからただの浪人とは違う?)なので実際に大学生として被っているのは1年間。学科も違うので接触はなかったはず。まあ私はその後職員として勤めていたので学内ですれ違ったことぐらいはあったかも。芥川賞候補の小説家としても残念ながら知らなかった。名前を知ったのは再評価されて映画がつくられた10年前ぐらい。
    この本は昨年末に所沢に行ったときに古本まつりで購入したもの。どうも最近は「純文学」系を読む気がしないのでしばらく放置(^^;)。今回巣ごもり期間でようやく読む気になったもの。連作短編集ということで何とか読み切った。発表時に読んでいればまた違ったのだろうが、古稀に読むにはどうなのだろう。それでも叙景として切り取られた人々の姿は乾いた抒情とでも言ったものを感じさせる。
    この作品が書かれた1980年代後半(あるいは90年代はじめだったか?)には当時函館市に住んでいた知り合いを訪ねて家族で一週間ほど滞在したことがある。そんな思い出もちょっと懐かしい。とはいえこちらは観光メインだったけど。
    もし著者が41歳で自殺していなければ、院友会などで会う機会もあったかもしれない。古稀の著者はこの作品にどういう思いを持っただろうか?

    0
    2020年06月08日
  • そこのみにて光輝く

    Posted by ブクログ

    ネタバレ

    函館のサムライ部落で、格差社会の底辺で暮らしながらも、女千夏には、芯の強い輝きを見出し、男が引かれていく。映画版の拓児役の菅田将暉が好演。ねっとりとした筆致で、通い合うものを描く。6たび芥川賞の候補になった。小林信彦も宇江佐真理も村上春樹も賞に縁がなく終わった。

    0
    2020年02月22日
  • きみの鳥はうたえる

    Posted by ブクログ

    映画が良かったので、原作があるというので購入
    初めて佐藤泰志という小説家を知った。

    表題作は、時代背景が80年代始め?と古いのだけれど、
    20代の刹那的考えと、未来への不安とで揺れ動く不安定さ、僕と静雄それぞれのうだつのあがらなさ、等の若者が漂わせてる雰囲気の書き方が良い。
    怠惰感や、閉塞感、それらを隠すかのような表面上はサラっと見せよう感。が今読んでも古臭くない。
    むしろ佐藤泰志は早すぎたのかもしれない。

    ひと夏の物語で、夏の夜のように濃い日々が描かれてるけど、文章が暑苦しくないので、サラリと読める。
    映画よりも、最後は重苦しい展開。

    もう一つの短編は、作者の実体験からなのかな?ってぐらいしか、記憶に残せず....

    0
    2019年09月17日
  • そこのみにて光輝く

    Posted by ブクログ

    男と男、男と女。
    ふとした出会いがかけがえのないものになる。
    うらぶれた海辺の町で、流されるように生きていたおとこがえ、生を掴むまで。
    しょっぱい風の中に、まばゆい光が満ちる。

    0
    2019年07月24日
  • 海炭市叙景

    Posted by ブクログ

    (01)
    現在形で描かれた現代の物語たちで、舞台は比較的大きな地方都市に一定している。18の物語たちには、それぞれ数人の人物が登場し、なぜいまこの舞台にいるのかという背景や、あるいは、この場所にどのように流れ着いたのかという履歴を自ら語るものたちでもあるが、彼女ら彼らへに対する作者の位置は、揺れ動いている。登場人物を通じて語ることもあり、人物を離れて語ることもある。
    18の物語は正月から初夏までの連続的な約半年に設定されている。物語たちの間には10日間ほどの開きが予想される。作者は登場する物語の主体間を揺動しながら(*02)、時間をじわじわと、それでも次々と進めている。
    起こることがあり、起こらないことがある。起こりそうで、起こらないことがある。
    例えば、第1話の兄妹は、もしかすると18編の短編の中で最も印象的かもしれない。読者が冒頭から素直に読み進めれば、最後まで彼女と彼の姿に引きずられる。妹は、彼女の小さな物語の中では、結局、兄の死を知ることはなく、「知る」ことは起こらずに締めくくられる。死の予感だけが残されて最初の短編は終わる。読者が兄の死を知るのは、次の物語が語られる船上であって、そこにはある婚約者たちという別の人物たちが別の事象を物語っている。そして、最初の短編の妹が主体としてまた語りはじめることは2度とない。
    例えば、物語の中ではコンテナはいつまでも届かない、ありったけを注ぎ込んだ最後の馬券が当たることもはずれることもない、プラネタリウムの職員が妻を殴り倒すこともない。起こらない事ばかりの中で起こっていることもある。爪は裂けた、酒を飲み暴走した男は捕まった、朝野球チームの二人は少しだけ仲直りをした。
    ここに予感されるのは、この海炭市(*03)に起こり、起こりつつあり、起ころうとしている、膨大な事象たちである。舞台の「市」がどのような経緯でそのような現在の風景を現わしているかについても作者は描いている。「市」は、これらの事象が起こったことの痕跡が積み重なった舞台でもあり、これから起ころうとすることの舞台ともなっている。この「市」にあるサービスや産業を組み立てている、個別の事象のありようが、この作品では、問題的に、そして寸止めでもあるように、叙景として現されている。

    (02)
    作者は、人物たちの間を漂流する一方で、ある定まった視点から「市」を観察している人物たちもいる。「週末」に登場する路面電車の運転手は、移動しつつであるが、およそ定まった路線を走る電車の運転席から「市」を観測し続けている。彼の現在の観測は、過去の事象や事情をも見透かしている。あるいは墓を観測する女性事務員が「ここにある半島」に登場し、「ネコを抱いた婆さん」は、立ちのきを拒否した豚屋から産業道路を見続け、「昂った夜」では空港のレストランから旅客を眺める女性が、そして「衛生的生活」では職業安定所のカウンターごしに職業が不安な人々と接し続けた男が描かれる。
    彼女ら彼らの定点は、移動する人物たちとの対比として、また、作者の定まらない視点との比較として、興味深い。あまり動かないもの、留まろうとするもの、いつも同じところを動いているものたちは、「動くもの」とひとくちにいっても、それらの運動が描く風景が様々であることを告げている。動く動機も様々で、貧しさや豊かさなどの経済、出会いや別れなどの感情、老いや若げなどの経年など、いろいろであるが、それらの留まりを含めた動きの総体が「市」であり、また動きの過去と未来の軌跡も「市」を構成していることは、先の叙景においても述べたことであるが、ことのほかこの作品では重視されている。

    (03)
    それにしても「首都」は本作のなかで、独特な地位にある。海炭市という「市」との関係として、牽引力や排斥力をもって登場人物たちを動かしている。国家は解消され、ただ「首都」だけが「市」を動かしているようでもある。

    0
    2019年07月20日
  • きみの鳥はうたえる

    Posted by ブクログ

    畳みかけるように短い文を連続させ、風景描写と重要描写を同列に並べ、独特な緊張感を生み出している。しかし静謐で柔らかくどこか優しい。

    『きみの鳥はうたえる』は、『そこのみにて光輝く』の原型のような作品で、主人公「僕」と佐和子と静雄三人の素直で不器用な生き様が初々しい。刹那な彼らが僅かに未来を描き始めた矢先、静雄の事件が起こる。静雄が「僕」や佐和子と接することで捨てようとした自分の原型を揺り戻し、アイデンティティや拗れた愛情の結果だったのであろう。またそれも青春で感じる永遠であり刹那であったのかもしれない。

    『草の響き』は著者自身の経験を基にしたものと思われる。生きることは脆く生き永らえることは本来的に無意味かもしれない。ノッポは人生を降りたが、しかし「僕」は10㎞超えを目指し走ることを目標とし日々を熟す。そうして一日一日を過ごすことが、ある側面では人生の意味なのかもしれない。

    0
    2019年01月03日
  • きみの鳥はうたえる

    Posted by ブクログ

    「きみの鳥はうたえる」

    映画との比較もたのしみながら読んだ。
    21歳というどうでもいいようでいて実に繊細な年齢を、よく描いている。

    全体として「不在」が物語の転換の鍵を握る。
    「僕」がバイトをサボる→佐知子と関係もつ、
    「僕」が海水浴をやすむ→佐知子と静雄がくっつく、
    母の代わりに叔母の手紙→母の病気と死、など。

    「僕」ははじめて佐知子とまともに話したときからセックスの感触を想像したり、殴ったり殴られたり、そういう身体の触れ合いが大切で、それ以外には無関心。
    他者との接触を通じて自分を知るので、名前はいらないし、空気のような存在でいい(と信じている)。

    しかし佐知子と静雄が「海」に出かけているときに、ふたり組に襲われて「魚」になった気分に陥るのだ。
    この不器用さが、いい。

    「草の響き」

    はじめて「彼」に少年たちがついてくるシーンがめちゃくちゃいい。文学的なヤンキー。

    0
    2018年10月15日
  • きみの鳥はうたえる

    Posted by ブクログ

    佐藤泰志の作品は、「そこのみて光輝く」以来。 僕と静雄と佐知子が過ごした夏。 僕と静雄の距離感。 僕と佐知子の温度感。 身体の関係からか、気持ちの繋がりか。 佐知子に出会った時から、彼女に好意を抱く静雄を見守る僕。 僕を通して静雄の考えは読み手に伝えられる。それなのに、なんとなく彼が何を考え、感じていたのか不思議とわかる。 夏の暑さや、汗の湿り気など、文章からにおいと湿度が伝わってくる。 「草の響き」は、そのまま作者が見えてくるようだった。

    0
    2018年10月01日
  • きみの鳥はうたえる

    Posted by ブクログ

    佐藤泰志作品、実は初めてで、すごく硬い文章の人だと勝手に思っていたのだけど穏やかで澄み渡った、けれどすぐ足元に生の気だるさを置いた文章だった。映画版は時代も街も変わっているのにたしかにこの小説から出てきたものだと思った。終わらないようでゆっくり死んでいく時間、常に破滅がちらついている、何か、確かな予感を秘めた時間。

    気だるさはふと訪れる死の予感にとても敏感、だから未来を生きられず今の時間だけをさまよっている。破滅はふと、天気が変わるだけのこと。原作を読むと、映画版があれでもかなり「青春」に舵を切ったのだなあと思う、けど映画版もまごうことなくこの『きみの鳥はうたえる』だと思った。

    映画版では時代設定が現代になってたけど原作は佐藤泰志が生きた80年代で、スマホもなく、静雄と僕が置き手紙でやり取りするのとても良いなあと思った。「水曜日さ」っていうたった一行の返信が、これ以上なく美しいものに思えた。佐知子が笑い飛ばすのもわかるなあと思った。いちばん好きな一節。

    もし、映画にも静雄のAnd Your Bird Can Singをアカペラで歌うシーンがあったならどうなってたんだろうなあと思う。染谷将太がきっとあの遠くを見てる目で、間接照明に横から赤く照らされながら、曖昧なところは鼻歌も挟んで静かに愉快にうたう、彼の声以外には音のない夜だっただろう。

    0
    2018年09月29日
  • きみの鳥はうたえる

    Posted by ブクログ


    映画を先に。

    3人の世界。
    いつまでも、誰にも、おかされず。
    居心地のいい場所はしだいに冷えていく。

    美味しいものは美味しいうちに。
    今のこのぬくもりを忘れないで。

    遠くにいても誰かを思います。
    自分のことではない誰かを。
    それもひとつあたたまる術。

    0
    2018年09月24日
  • 黄金の服

    Posted by ブクログ

    収録作「オーバー・フェンス」「撃つ夏」「黄金の服」いずれも魅力的な作品であるが、特に「黄金の服」が好きだ。

    葛藤と衝動の10代の余韻を残しつつ人生の方向性めいたものが見えながら必死で抵抗を試みる20代前半。それぞれの人生の澱と日々の刹那の間のある若者の姿を描く。佐藤氏はそうした若者の姿が秋の夕暮れ時の稲穂と同じように黄金色に映ったのかもしれない。

    佐藤氏の描く世界は閉塞感漂い決して明るいものではないが不思議と前向きさを感じさせてくれる。

    0
    2018年05月14日
  • そこのみにて光輝く

    Posted by ブクログ

    我が故郷函館出身の、不遇の小説家。
    正直、映画化などで再度脚光を浴びるまでその存在を知りませんでした。

    小説の方では、映画でのエンディングのその先も描かれていますが、私は映画のほうがいい終わり方だったと思っています。二人の「光(未来への希望)」のピークで終わっているから。

    0
    2018年01月07日
  • 海炭市叙景

    Posted by ブクログ

    「海炭市」という架空の地方都市を舞台とした18の短編集。好景気に沸く「首都」の狂乱とは対象的に、主産業であった炭鉱と漁業が斜陽となった海炭市の叙情を18つの人間模様を添えて描く。閉塞感漂う街で人々が哀切を抱えながら日々を営む姿が印象的だ。各々の話に際立ったドラマめいたものも結論めいたものもない。息苦しさと諦めと縋る微かな希望がそこにある。端的に、詩的に、多少の粘度を含みつつ、ただただ淡々と時間が流れる。

    本作品は秋冬をメインとした18編であるが、本当は春夏の季節を描いたものを含む全36編になるはずであった。次作を描く前に、著者の佐藤氏は自らの命を断ってしまった。本書を読むと非常に惜しい才能を亡くしたんだなと哀惜の念に耐えない。

    0
    2017年05月04日
  • 海炭市叙景

    Posted by ブクログ

    芥川賞の候補に5度選出されるもことごとく落選、三島由紀夫賞の候補に挙がるもこれまた受賞には至らず。20代の頃から自律神経失調症に悩まされ、1990年に41歳の若さで自ら命を絶った佐藤泰志。没後20年経ってから見直されるようになった不遇の作家。

    「海炭市」は架空の町ですが、著者の故郷・函館市がモデル。やはり函館市をモデルにした『そこのみにて光輝く』と『黄金の服』に収載されている「オーバー・フェンス」、そしてこの『海炭市叙景』はそれぞれ映画化され、函館三部作と呼ばれるように。『海炭市叙景』は著者の遺作となった短編小説集です。第1章「物語のはじまった崖」、第2章「物語はなにも語らず」にそれぞれ9編ずつの合計18編。

    第1章の最初の話に登場するのは、正月を前にして職を失った20代の兄妹。家の中をふたりして探し回って出てきたお金は2,600円。その全額を持って明るさを装い、初日の出を見に。ロープウェイで上ったはいいけれど、下りの分の金が足りず、兄は妹だけを乗せて、自分は歩いて下るという。待てども待てども戻らない兄をひたすら待つ妹。

    こんな悲しすぎる話から始まり、第1章では海炭市で暮らす人びとの冬を綴ります。2つめ以降の話にも冒頭の兄妹や前話の人の影が見え隠れします。2つめの話では、崖に引っかかった兄の遺体を回収するという小さな新聞記事を目にしてから、そのことが頭から離れない男性が主人公で、以降も同じ町に暮らす者のつながりを感じずにはいられません。第1章だけなら個人的には★4.5。

    ところが、春が描かれる第2章は、1話ずつが独立していて、それぞれのつながりを感じることができません。第1章と異なる趣にとまどってしまうほど。第2章は★3。

    あとがきを読んで納得。もともとは全部で36編となる予定だった本作。夏9編、秋9編で完成だったはずが、著者の自殺により未完に。どこででも終われるように、途中で自分が死んでもかまわないように書かれた第2章だったのかと思うと胸が痛みます。冬から春へ、そして初夏の匂いも漂いはじめ、光が見受けられる文章だったのに、ここで命を絶ってしまったなんて。もっと読みたい作家です。

    0
    2017年05月15日
  • 海炭市叙景

    Posted by ブクログ

    時々この人の、逃げ場がないような胸が苦しくなるような作品を読みたくなる。

    佐藤泰志の遺作にして、途中で途切れてしまっている短編集。
    本来なら春夏秋冬4つの季節の作品群が出来上がる予定だったけれど、冬から始まって春を終えたところで途切れている。

    舞台は“海炭市”という北海道にあるとされる架空の街。それが函館市なのだということは、この著者の作品をいくつか読んでいればすぐに分かる。
    首都や都会とは違い、仕事も少なくどこか寂れている地方都市。海があり、雪が降り、冬は寒い。
    文章を読んでいるだけなのにイメージはモノクロで、そこに住む様々な人間たちのリアルな生活が、痛々しいほどに描かれている。
    首都から家族を連れて海炭市に戻ってきた男や、揃って仕事をなくした正月に初日の出を見るために登山する兄妹、前科持ちという過去を隠して偽名を使いながらも真面目に仕事をする男…男女の物語というより、泥臭い人間たちの物語。

    希望が見えないわけではないけれど、出来すぎた嘘臭い希望ではない。普通に地道に生きた先にあるもの。
    その途中で道を踏み外したり失敗することもあるけれど、そこで人生が簡単に終わるわけではないということ。

    この物語を描いている途中で自死してしまった著者は、一体どんなことを考えていたのだろうと思う。
    プロフィールを見たら父親と同い年だった、というのも、そう思ってしまう一因だったりする。

    0
    2016年05月19日