あらすじ
郊外の書店で働く「僕」といっしょに住む静雄、そして佐知子の悲しい痛みにみちた夏の終わり…世界に押しつぶされないために真摯に生きる若者たちを描く青春小説の名作。読者の支持によって復活した作家・佐藤泰志の本格的な文壇デビュー作であり、芥川賞の候補となった初期の代表作。珠玉の名品「草の響き」併録。
...続きを読む感情タグBEST3
Posted by ブクログ
映画から入ってしまったので、どうしてもイメージが現代に引っ張られちゃったけど、夏の美しさと鬱屈さが妙にリアルで今日このタイミングで読めたことを嬉しく思いました。思ったことはここに他の方が綺麗に感想として残してくれててそれもうれしい。またきっと、何年後かの夏に読むと思う。
Posted by ブクログ
再読。本当に大好きな作品。
ひと夏の幸福な時間を描いているはずなのに、最初からずっと暴力的な予感がある。
「僕は率直な気持ちのいい、空気のような男になれそうな気がした」と言うように、「僕」は意識的に静雄や佐知子に自分の中を通り抜けさせているように思う。これは「僕」の話ではなく、「僕」から見た静雄や佐知子の物語なんじゃないかと思うくらい。
「僕」はバイト先の誰とも関わろうとせず、バーの飲み仲間ともつるまず、自分にも全然興味を持っていないのに、静雄にだけは心を開いている。
オールナイトの映画に連れ出されるシーンや、カンダタのくだりに見られるように、「僕」は生活の中で静雄に引っ張られたり影響を受けているところがかなりある。静雄がどんなに情けなくても、「僕」はずっと静雄に心を寄せ続けている。
そこに佐知子が現れて、2人が近づいていくごとに、「僕」の気持ちも、「僕」から見える静雄も変わっていく。
静雄が佐知子に「もう一度お休みを言ってくれないか」と頼んだときから、「僕」は佐知子を通して新しく静雄を知り続けているんじゃないかな。
静雄が持つ独特の愛嬌やナイーブさはとても魅力的だけど、静雄が主人公だと独り善がりの苦しい物語になっていたと思う。「僕」の目を通して初めて
静雄が憎めないキャラクターとして浮かび上がってくるのではないかなと思う。
そう考えると、「僕」の周りとの距離のとり方はすごく切ない。まるで「僕」自身に実体はなくて、静雄や佐知子やバイト先の人達といった周りの人たちとの関係によってゆらゆらと形作られた陽炎だと思っているみたい。
「空気のような男」になる必要なんてない、あなたの人生の幸福はあなただけのものにしていいのに。最後、悲劇に巻き込まれるのは静雄だけど、本当に悲しみの底にいるのは静雄も佐知子も失った「僕」なんじゃないだろうか。
Posted by ブクログ
走ることを文章にするのは難しい。
まして、それを軸に小説書くのも。
単純化しない。
曖昧なものを曖昧なままに表現する。
因果関係なんてせせこましいことは言わない。
ストーリー は、小説を遅延させる、のであれば、この人の話にももちろん小説はあるけど、この人の描く小説の中の今は遅延なし。
Posted by ブクログ
君の鳥はうたえる、は映画を見て、草の響きは映画を見ずに読んだ。
2017年にオーバーフェンスの映画を見たころに読もうとした時はなんだか読みきれなかったのだけど、今回すらっと読めて良いのやら悪いのやら。
君の鳥はうたえる、は行き場がないわけでないのにどこにも行かない若者や大人のお話。
草の響き はやっぱ運動は大事なのかな、と思った。
ストイックな人の方が辛くなるのよね、とか共感できるのはあんま良くないなあと思ったり、著者の死後にどんどん映画化されてるのも生きにくい人増えてるのかな?と思ったり。
タイトルは静雄の持ってたビートルズのレコードの曲からなのね。
Posted by ブクログ
佐藤泰志の初期の作品。
他の作品に比べて登場人物が若い。
主人公に名前が無い。
「草の響き」は佐藤の職業経験や病気の経験が反映されているらしい。
厳しい生活を送ってきたんだろうな。
若い頃は何があってもやり直せるし、目の前に道はあるよな、と思う。
もっと若い頃に読んでいれば違う感想を抱いたかも知れない。
Posted by ブクログ
きみの鳥はうたえる 60
「黄金の服」をある意味での完成形だとすると、本作の立ち位置というか存在が相対的に見えてくるかも。
となると逆に、本作を通してみると「黄金の服」がとても完成度の高い作品にも思えてきます。
自分と他者との距離感の表現がとても興味深いです。
主人公と静雄と佐和子(ソウルメイト)
アラ(他人)
専門書のあいつ、店長(ノイズ)
静雄の兄貴(他人)
手の届く自身のテリトリーの狭い世界の中に、ソウルメイトとノイズが同居しているようすが、21歳の若者のリアリティを浮き上がらせているようです。
草の響き 80
著者自身が統合失調症を患いランニングを始めた経験が基になっているらしいです。
走ることで変化していくもの。それは景色であったり、季節であったりはもちろん、関わり合う人たちや走っている自分自身であったり。
走るたび日ごとに生命力や感受性が強くなっていくものの、振り向くと、そこにある不安や闇が待っている。それでも歩みだす軽い痛みと覚悟が美しいです。
Posted by ブクログ
自らのための備忘録
2024年令和6年の今より、1980年前後の時代の方が好き!と思わず感じた小説でした。
ここからネタバレします。
表題の「きみの鳥はうたえる」の最後のところを読んで、なぜ、この結末を想像できなかったのかと自分がイヤになりました。もう最初から、伏線はこれでもかっていうほど張られていて、それに気づかない読者なんて、この本を読む資格はないんじゃないかと思ったほど。
文庫本の解説のタイトルにもなっている「三人傘のゆくえ」は何より印象に残りました。
《そのうち、佐知子のむこうに、彼女を通して新しく静雄を感じるだろう》のあと、《そのうち僕は佐知子をとおして新しく静雄を感じるだろう、と思ったことは本当だった(略)今度は僕は、あいつをとおしてもっと新しく佐知子を感じることができるかもしれない》
この解説は、遅れてやってきた佐藤泰志ファンには有難いものでした。「草の響き」の印刷所での主人公の描写のリアリティは本人のものだったのかとわかりました。
《そうやって日を送っているうちに、彼は活字の埋め込み作業をしょっちゅう間違うようになった。単純すぎるほど単純な労働だった。それなのにしまいには、今までたった三本の指で、何十本もの活字をいっぺんに摑むことができたのに、それも不可能になった。活字は指からこぼれて、足元の床板に音をたてて落ちた。彼は仕事ができなくなっている自分を発見した。屈んでこぼした活字を拾いながら、急に眼が涙でふくらんで子供のように泣きだす自分をこらえることができなかった。床に屈んだままの姿勢で、彼はあたり構わず嗚咽する始末だった。そこからやっとのことで立ち上がると字詰めの主任のところまで行って、皆んなは僕を役立たずといっている、党員でもないし、党員になろうともしない僕をくずだといっている、とほとんど喚き声でいった。皆んな? と主任は穏やかな声でいった。確かに中にはそんなことを考えている奴もいるだろう。だがそんなことを現実に誰がお前に話したんだ? 彼は混乱した。みんなが陰でこそこそ話しているように僕が感じている、と彼は訂正して訴えた。馬鹿なことをいうな、と主任はメタルフレームのどの強いメガネを指で押し上げながら、かん高い鳥のような声でいった》
そう。この小説は2024年には書かれることのない時代が書かれていて、それが堪らなく心地よかった。それはケータイのない時代とかそういうことではなくて、友だちが身近にいて、「友情」とかそういう面倒なものではなく、共にいることが生活っていうのがとても心地よかった。
そして、友だちがいるからと言って「孤独」でないわけではなく、友だちがいようといまいとそんなことに関わりなく、人というものは孤独であり、生と死は常に紙一重のところにあるのだという当たり前のことがしっかり書き込まれていて、心からこの作家が好きだと思いました。
Posted by ブクログ
『きみの鳥はうたえる』
知らないはずの昭和の夏のにおいがする。(自分とは縁のないような)眩ゆいきらめきに満ちた日々の中に、ときおり恋愛・家族・生きることについての鈍い痛みがはしる。「僕」の捉えどころのなさ、佐知子の軽(やか)さ、静雄のナイーブさ…時に首を傾げる点もあったが、決して広くはない世界で、一見飄々と生きているようでも実は各々抱えたものがあるという物語は、時の流れによって色褪せることのない普遍的な題材だと思う。夏の入り口のこの時期に読んで非常に心がヒリついた一編だった。
『草の響き』
映画のビジュアルを見ていて、てっきり妻が出てくるものだと思っていたから意外だった。走ることを通じて内省する感覚はなんとなくわかる部分がある。
両作ともに主人公に名前がないこと、別の名前をつけられた男性との関係など、共通点もいくつか。作家が自死したという情報をあらかじめ知っていたので、作品自体をどうしても死のイメージから切り離すことができなかった。良いのか悪いのか。
『きみの鳥はうたえる』『草の響き』ともに映画を観ようと思う。
Posted by ブクログ
原作が小説とは知らず先に映像を見てしまった(あまりやらないようにしてる)
こんなに古い原作だったとは
これからあの映画を作ったって考えるとあの映画は成功してる気がする(映画好きだった)
Posted by ブクログ
草の響きの映画をみるかDVDを買うか迷って、まずは原作から入った。きみの鳥は〜は、正直、よくわからない。若いとはいえ、古い時代とはいえ、ずいぶんいい加減で行き当たりばったりの男女だなと思っていたら、予想外の展開。そこを突き詰めればテーマは重いものになるのだろうけど、突き詰めることもなく。不思議。映画見てもよくわからなかった。
草の響きは逆にわかった。もちろんノッポの自殺の理由も明確にはわからないけど、主人公の感じる心の動きは理解できた。
Posted by ブクログ
映画「草の響き」を観て、「きみの鳥はうたえる」を鑑賞後に小説を読んだ。普段はあまり読まない小説も、映画にのめり込んでしまったので、のめり込んで読み終わることができた。映画とストーリーがちょっと違うけど、きみの鳥はうたえるは今この年齢で読んで良かったと思う。
Posted by ブクログ
『きみの鳥はうたえる』に集録されている「草の響き」を先に読み上げた。
同タイトルの映画を先に観たところ、今の自分の状況と重なるところがあり、原作を読んでみたいと思い購入したもの。
個人的な感覚では、スラスラ読めて情景が目に浮かびやすい、というものではないが、ところどころで立ち止まりながらゆっくり読むと良いように感じた。一度ざっと読んで、今は2周目を、今度はじっくり読んでいる。
また、主人公と同じように、走り、心臓が張り裂けるくらいの体験をすると、また違った感想が持てるかもしれない。
2周目を読み終えたとき、どういう感想が持てるのか、楽しみだ。
Posted by ブクログ
『きみの鳥はうたえる』と『草の響き』という話が入っていた。
きみの鳥はうたえるの作中に流れている雰囲気は好き。限りなく透明に近いブルーかな、雰囲気が近いと思ったのは。たぶんいい場面なんだろうなという場面がおおかった。(傘を差して三人くっつき合って歩くところなど)だがそれをじっくり感じる間もなく次に流れていったところが少なからずあった。
もう一編の草の響きがとにかく好きだった。これはまた誰かに薦めたいほど。文章もひたすら体のうちに入ってきたし、主人公の思いの馳せかたが好きだ。墓地にいる暴走族とのかかわりが優しく、そして愛おしい。
それでもなんでこの本の題名がきみの鳥はうたえるなのか読み終わってから考えた。小説として評価されているのが草の響きではないとしたらその理由はなんだろう、と。話の規模の小ささ、大きさみたいなものなのかな。ちょっとこれ以上の説明はできないけれど。
Posted by ブクログ
21歳の男女三人を描いた作品。
こういう純文学の主人公はどうしてもきっちりとした日常生活に耐えられない人になってしまうのか。
書店でバイトをする主人公・僕。しばしば無断欠勤、刹那的、時に暴力的。
同居人の静雄に至っては職も無く、人の好意にたかって生きている。
そして主人公の彼女になった同い年の佐知子は、静雄に惹かれて行く。
作者・佐藤泰志は私より少し上だけど近い世代。
(私とはかなり違う生き方だけど)若い時はこんなだったよなと振り返らされる。
閉塞感の中、もがいているのか?流されているのか?
「自由に生きる」と思いながらも、それを謳歌している訳でもなく、どこか苦しんでいる。
時代は変わったけど現在もそんなものなのでしょうね。多分、普遍にして不変の青春。
名文とは思わない。どこかザラリとしたストレートな文体が、突き刺さる。
併録の「草の響き」は主人公がひたすら走り続ける物語。印象的。
Posted by ブクログ
若いときを振り返るっていうのは恥ずかしいか、なんとなく盛ってしまうか、飾ってしまうか、照れくさいものだけれど、それも振り返る時期(年齢)にも関係してくるのだろう。
この『きみの鳥はうたえる』は佐藤泰志氏30代のデビュー作でおとなになりたくもなく、おとなになりきれず、でも、おとなになってしまわないといけない・・・という21歳の青春時代を私小説風に書いている。
なぜ私小説風と言うのかというと、
磊落で硬質な書店員の「僕」と書店員仲間の「佐知子」の恋人関係が、「僕」の友人「静雄」のナイーブな優しさにつつまれて、恋人関係が静雄と佐知子に何事もなく移るなんてあり得ないこと。三人の関係が壊れてしまうのかと思いきや漂っているようになるのは、やっぱり僕と静雄は同一人物で、作者の分身だからと思えてしまう。(わたしの「盛った小説」説によると)
すてきな題名はビートルズの曲「アンド・ユア・バード・キャン・シング」から。
どうしても青い鳥をさがしてしまう若いときがある、生き生きしたものを求めてあがく時がある。
平禄されている『草の響き』はもっと作者に近いという、井坂洋子さんの解説がとてもいい。
Posted by ブクログ
映画が良かったので、原作があるというので購入
初めて佐藤泰志という小説家を知った。
表題作は、時代背景が80年代始め?と古いのだけれど、
20代の刹那的考えと、未来への不安とで揺れ動く不安定さ、僕と静雄それぞれのうだつのあがらなさ、等の若者が漂わせてる雰囲気の書き方が良い。
怠惰感や、閉塞感、それらを隠すかのような表面上はサラっと見せよう感。が今読んでも古臭くない。
むしろ佐藤泰志は早すぎたのかもしれない。
ひと夏の物語で、夏の夜のように濃い日々が描かれてるけど、文章が暑苦しくないので、サラリと読める。
映画よりも、最後は重苦しい展開。
もう一つの短編は、作者の実体験からなのかな?ってぐらいしか、記憶に残せず....
Posted by ブクログ
畳みかけるように短い文を連続させ、風景描写と重要描写を同列に並べ、独特な緊張感を生み出している。しかし静謐で柔らかくどこか優しい。
『きみの鳥はうたえる』は、『そこのみにて光輝く』の原型のような作品で、主人公「僕」と佐和子と静雄三人の素直で不器用な生き様が初々しい。刹那な彼らが僅かに未来を描き始めた矢先、静雄の事件が起こる。静雄が「僕」や佐和子と接することで捨てようとした自分の原型を揺り戻し、アイデンティティや拗れた愛情の結果だったのであろう。またそれも青春で感じる永遠であり刹那であったのかもしれない。
『草の響き』は著者自身の経験を基にしたものと思われる。生きることは脆く生き永らえることは本来的に無意味かもしれない。ノッポは人生を降りたが、しかし「僕」は10㎞超えを目指し走ることを目標とし日々を熟す。そうして一日一日を過ごすことが、ある側面では人生の意味なのかもしれない。
Posted by ブクログ
「きみの鳥はうたえる」
映画との比較もたのしみながら読んだ。
21歳というどうでもいいようでいて実に繊細な年齢を、よく描いている。
全体として「不在」が物語の転換の鍵を握る。
「僕」がバイトをサボる→佐知子と関係もつ、
「僕」が海水浴をやすむ→佐知子と静雄がくっつく、
母の代わりに叔母の手紙→母の病気と死、など。
「僕」ははじめて佐知子とまともに話したときからセックスの感触を想像したり、殴ったり殴られたり、そういう身体の触れ合いが大切で、それ以外には無関心。
他者との接触を通じて自分を知るので、名前はいらないし、空気のような存在でいい(と信じている)。
しかし佐知子と静雄が「海」に出かけているときに、ふたり組に襲われて「魚」になった気分に陥るのだ。
この不器用さが、いい。
「草の響き」
はじめて「彼」に少年たちがついてくるシーンがめちゃくちゃいい。文学的なヤンキー。
Posted by ブクログ
佐藤泰志の作品は、「そこのみて光輝く」以来。 僕と静雄と佐知子が過ごした夏。 僕と静雄の距離感。 僕と佐知子の温度感。 身体の関係からか、気持ちの繋がりか。 佐知子に出会った時から、彼女に好意を抱く静雄を見守る僕。 僕を通して静雄の考えは読み手に伝えられる。それなのに、なんとなく彼が何を考え、感じていたのか不思議とわかる。 夏の暑さや、汗の湿り気など、文章からにおいと湿度が伝わってくる。 「草の響き」は、そのまま作者が見えてくるようだった。
Posted by ブクログ
佐藤泰志作品、実は初めてで、すごく硬い文章の人だと勝手に思っていたのだけど穏やかで澄み渡った、けれどすぐ足元に生の気だるさを置いた文章だった。映画版は時代も街も変わっているのにたしかにこの小説から出てきたものだと思った。終わらないようでゆっくり死んでいく時間、常に破滅がちらついている、何か、確かな予感を秘めた時間。
気だるさはふと訪れる死の予感にとても敏感、だから未来を生きられず今の時間だけをさまよっている。破滅はふと、天気が変わるだけのこと。原作を読むと、映画版があれでもかなり「青春」に舵を切ったのだなあと思う、けど映画版もまごうことなくこの『きみの鳥はうたえる』だと思った。
映画版では時代設定が現代になってたけど原作は佐藤泰志が生きた80年代で、スマホもなく、静雄と僕が置き手紙でやり取りするのとても良いなあと思った。「水曜日さ」っていうたった一行の返信が、これ以上なく美しいものに思えた。佐知子が笑い飛ばすのもわかるなあと思った。いちばん好きな一節。
もし、映画にも静雄のAnd Your Bird Can Singをアカペラで歌うシーンがあったならどうなってたんだろうなあと思う。染谷将太がきっとあの遠くを見てる目で、間接照明に横から赤く照らされながら、曖昧なところは鼻歌も挟んで静かに愉快にうたう、彼の声以外には音のない夜だっただろう。
Posted by ブクログ
映画を先に。
3人の世界。
いつまでも、誰にも、おかされず。
居心地のいい場所はしだいに冷えていく。
美味しいものは美味しいうちに。
今のこのぬくもりを忘れないで。
遠くにいても誰かを思います。
自分のことではない誰かを。
それもひとつあたたまる術。
Posted by ブクログ
2作とも、
主人公の心情と、
その説明が最小限でありながら、
主人公の行動の描写と、
とりまく人物たちの独特な魅力の対比によって、
浮かび上がる生命への問い。
名前がないことによって明確になる、
空気のように意味の無いようになることを目指しながら、
限りない実感を求める物語たちに、
愛着を拭いきれないのである。
無いことを知り、あることを悟る。
あることを捨て、無いことを理解することによって、
その先の、あることを見出す。
Posted by ブクログ
映画海炭市叙景を見て、気になって作者を調べたら「きみの鳥は歌える(and your bird can sing)」、タイトルにグッときて読んでみた。最後まで読んでも、僕のことも静雄のことも佐知子のこともよく知らないままで。大人が若者を羨ましがって書いた小説かと。でもすごく分かる。
Posted by ブクログ
きみの鳥はうたえる
少し難しい。次々と男を乗り換える佐知子という女性の心の動きも、よくわからない。
草の響き
こちらの方がわかりやすい。走りたくなる。
ストーリーは静かだが、主人公が聞く音楽がロカビリーで、それを想像するとまた違った印象になる。
Posted by ブクログ
青春を感じる。
ずっとどこかに暗い影があって、それが作品の味になっているような気がする。
草の響きもよかった。
気持ちと季節の移り変わりの描写も美しい。
その中に人としての葛藤を感じる。
Posted by ブクログ
映画が評判で気になっていたら、原作があるというので読んでみた。
まさか今から40年近くも前の小説だとは。
読んでみて思ったのはノルウェイの森みたいだなぁということ。細部が似てるとかそういうのではなく、流れている空気感が。でも佐知子はどちらかといえば直子じゃなくて緑かな。私も夜遊びした雨の日の帰り道、ひとつの傘のなか二人の男にはさまれて歩いてみたい。
そして実写映画のキャスト、柄本佑はてっきり静雄だと思いながら読んでたら、「僕」役なんですね。なんか意外。映画も早く観てみよう。
併録されていた短編「草の響き」の方が好きだった。自律神経失調症と診断され仕事を辞め、医者にすすめられるがままストイックにランニングに夢中になっていく青年の話。ぬるい夜風を切りながら走っていく心地よさと草いきれが肌で感じられる。走っているときに知り合い、次第に親しくなっていくヤンキーたちとの絡みも微笑ましい。一緒に走り始めたノッポ。彼はなぜ自殺したのだろう?
ユー・キャント・キャッチ・ミー。ゴールなんか、いらない。
Posted by ブクログ
青春時代の爽快感
平凡だけど疾走するような毎日
恋愛と友情
こころを思わせるような、
若い頃の、ドキドキとなんとも言葉に出せない感情がうかがえる
彼らの心情とか、本音ははっきりと分からず、情景だけがつらつらと流れていくのだけど
なんとも夏の暑い日のような雰囲気を感じた