あらすじ
復活した悲運の作家の青春小説集
泳いで、酔っ払って、泳いで、酔っ払って…。夏の大学町を舞台に、若い男女たちが織りなす青春劇。プール、ジャズ、ビール、ジン、ラム、恋愛、セックス、諍い、そして暴力。蒸し暑い季節の中で、「僕」とアキ、文子、道雄、慎の4人は、プールで泳ぎ、ジャズバーで酒を飲み、愛し合い、諍いを起こし、他の男たちと暴力沙汰になり、無為でやるせなく、しかし切実な日々を過ごす。タイトルの出典であるガルシア・ロルカの詩の一節「僕らは共に黄金の服を着た」は、「若い人間が、ひとつの希望や目的を共有する」ことの隠喩。僕たちは「黄金の服」を共に着ることができるのだろうか?
他に、職業訓練校での野球の試合をモチーフとした「オーバー・フェンス」、腎臓を患って入院している青年の日々を描く「撃つ夏」を収録。青春の閉塞感と行き場のない欲望や破壊衝動を鮮烈に描いた短篇集。「黄金の服」と「オーバー・フェンス」は芥川賞候補作品。
感情タグBEST3
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オーバー・フェンス 85
過去に傷を負い、故郷に帰り職業訓練校に通ってはいるものの、未来に進めずにいる主人公白岩の苛立ちや不安、人付き合いなどの熱量が絶妙だと思いました。
苛立ちを爆発させる森がこの小説の隠れ主人公かな。
その他訓練生、教官などがおりなす群像劇も面白いです。
撃つ夏 50
入院生活を余儀なくされた淳一。入れ替わる患者達や、訪れる友人、隣室の患者たちを通して不快感をなんとなく消化していく。ちょっと物足りなかった。
黄金の服 75
〜10代憎しみと愛入り混じった目で世間を罵り〜
〜20代悲しみを知って、目を背けたくって町を彷徨い歩き〜
エレファントカシマシの「俺たちの明日」に出てくる歌詞です。
10代の青春と20代の青春の違いは、社会(他人)との関わり方にどう向き合うかが、より具体的に求められることだと思います。
主人公の周りに出てくる他人には、アキ、道雄、慎、文子、大家と姉妹、静岡の友人、友人の妻、アキのフィアンセと出てきますが、その距離感がどれも異なり、その成果か「個」が浮かびあがりそれと同時に「孤独」も浮かびあがってきます。
その「孤独」とどう折り合うか?が20代の青春なのかもしれません。
Posted by ブクログ
輝いて乾いていた夏の思い出。
夏の輝いて乾いた季節に友達と彼女で泳ぐ、酔っ払う、音楽を聴く、本を読む、手紙を書く。誰もが気にも留めない小さい自分の世界を綴る静かでゆっくりと時が過ぎる世界を堪能して下さい。
Posted by ブクログ
この人の作品は主人公の性格を読み手が「この人はどんな人なんだろう」と必死で読み解こう読み解こうとさせる。
現実社会のように、少しずつしか主人公たちの性格を知ることができない。最後にやっと、あぁこんな人だったのかとわかる。
せりふ回しが独特(昭和?)。
言い方に変な遠慮などがないからすがすがしい、けど実際こういう言われ方したら現代っ子は傷つくかもな~なんて。
Posted by ブクログ
このなかの「オーバー・フェンス」が来年2016年の夏に、映画になって公開されるそうです。
そう、それは『海炭市叙景』そして『そこのみにて光輝く』に続いて、佐藤泰志の小説の映画化3作目になるのです。
佐藤泰志は、中学生の頃から小説家を目指して高校時代は青少年文芸賞ほかに入賞して、村上春樹とも同時代作家と評価されながら、でも知名度の高い文学賞には候補どまり続きで、そのためついには精神に異常をきたし失意のうちに自死した不幸な小説家でした。
この、彼が三十六歳のとき書いた作品「オーバー・フェンス」も、都合5回目の芥川賞候補となりましたが、残念ながら受賞しませんでした。
・・・白岩という主人公は、妻と生後間もない赤ちゃんと別離後に東京をあとにして故郷・函館に帰って、職業訓練校に行きながら失業保険暮らしでした。
最小限の人づきあい・物のない部屋・ビールを二缶 毎日買って帰っての読書三昧生活。訓練校での実習にも、もうすぐ始まる学科対抗ソフトボール大会の練習にも、いっこうに身が入らない。
そんなとき仲間の代島から聡(さとし)という名の女性を紹介されたりする。
年も前職も様々に違う訓練校の仲間たちは、大半が一年先の卒業後も建築の仕事をするつもりがない。
全員が流れ流れてなんとか失業保険でやっとの暮らし。
欠損した左手小指を軍手で隠す者・海底トンネル掘りだった男・たった8ヶ月しか自衛隊勤務できなかった者・・・皆がみな、思い描いていた生活やずっと続くと思っていた暮しに、挫折し逃げるようにして、今このときにおなじ場所にいる。・・・
この「オーバー・フェンス」は、あきらかに彼自身が夢を諦めかけて生まれ故郷の函館に戻らざるを得なくなって、いっとき職業訓練学校に通っていた実体験が下敷きにされた作品です。
佐藤泰志が描いてきたものはいったい何だったのか。そう、それは、歴史の濁流にのみ込まれ個を失いかけ、自分はいったいどうなるんだろう、どこへ行くんだろうという喪失感と不安感、でも微かなその先にある希望の光・・・。
登場人物はみな一様に何かに挫折し、こころの底にあきらめに似た気持ちを持っている。けれども、そのどうしようもなくぱっとしない冴えない日常の内にも、一瞬どきどきするようなきらめきの瞬間がいつもある。暗く広い大海に漂流するようなときには、海面のキラッと光るその瞬間はとてつもなくせつなくまぶしく感じられるもの・・・。
主人公の白岩は、いつか忘れていくだろうと願いながらも、何をしてもどこにいても・・・かの日に妻と産院で浮き浮きしながら子どもの名前を考えたこと、迷路になった彼女の心を解きほぐすのなら何でもするつもりだったこと、他人の目なんかどうでもいいから早く妻が自分を取り戻して、二人は実際若いが堅実で明るい家族になることができると信じていたことを・・・思い出してしまうのでした。
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初めて佐藤泰志の作品を読んだが、久々に良い読書だった。その上、夏の終わりに読むには。
村上春樹だ、大江だ、中上だ、と言われているみたいだけれど(まぁ、確かに雰囲気は似ているところもあるけどさ)、彼の作品はそれ自身でググッとくる。全部好きだったが、表題作が一番好き。
今とってもビールが飲みたい。
Posted by ブクログ
読んでいるときの感覚は「黄金の服」がいちばん好きなのだけれど、たぶん「オーバー・フェンス」のほうが書こうとしていることの確固さはあるのだろうなと思う。佐藤泰志の描く北方の街はそれだけ人物の思いが反映されやすい場所のようだ。
「黄金の服」の舞台は東京で、そこにいる若者たちはふわふわとどこか浮ついている。
「泳いで、酔っ払って、泳いで、酔っ払って、そして、と僕は思っていた。木曜日にはサーカスへ行く。日曜日までには本を一冊読み終る。」
主人公はこう語る。24歳の時間の流れ方としてはあまりにも緩やかで、こんな生活をしていいのかと彼はすこし思っている。彼と関わる幾人かの若者のその後はというと、道雄は大学をやめるというし、アキはフィアンセと結婚するから仕事を辞めるという。プールで泳いで、そのあと酒を飲むという瞬間が終わることが暗示されながら物語は終わる。最後には僕と文子だけが残っている。
とこんなふうに書いてはみるものの、やはり何か大切なものが欠落しているようなそんな印象をどこか持っているのかもしれない。
けれども読めてほんとうによかった。佐藤泰志はとりあえず片っ端から読んでいく。
Posted by ブクログ
収録作「オーバー・フェンス」「撃つ夏」「黄金の服」いずれも魅力的な作品であるが、特に「黄金の服」が好きだ。
葛藤と衝動の10代の余韻を残しつつ人生の方向性めいたものが見えながら必死で抵抗を試みる20代前半。それぞれの人生の澱と日々の刹那の間のある若者の姿を描く。佐藤氏はそうした若者の姿が秋の夕暮れ時の稲穂と同じように黄金色に映ったのかもしれない。
佐藤氏の描く世界は閉塞感漂い決して明るいものではないが不思議と前向きさを感じさせてくれる。
Posted by ブクログ
若者の閉塞感やもどかしさ、息苦しさを描く場合において、他人の目を意識しすぎると村上春樹になり、自分に正直であろうとし過ぎると佐藤泰志になる、という極論。
外部を意識しすぎた若者の年輪の行く末は、1Q84に表わされるようなファンタジーとなるが、佐藤さんが描く未来はどうだったんだろうと思わされる。ただ、あんまドラマにはならんだろうなー。良くも悪くも。
Posted by ブクログ
今までに読んだ佐藤泰志の著作の中で、頁をめくる手の動きを最も忘れ去って読むことができた。
特に表題作。
正直、著者の他の作品では、仕事の描写、作業の描写が淡々と連なるあたり、読みが失速してしまうことがよくあった。
たぶん、これは私自身、作中の仕事に対して特にこれといって予備知識も思い入れも持てていないことと、そもそも書かれた当時の時代の空気が全くわからないことに原因があると思う。
一方、表題作は、汗水流して体を動かすといういつもの佐藤泰志らしさの一つが影を潜めているぶん、わたしにとってこれまでとは喉越しの違う一作だった。
僕と修治、アキと文子、プールと海、海水浴場のブイ。
対比と越境というモチーフがふんだんに盛り込まれていた。
解説もじっくり読めたので、解説者のことも知りたくなった。