あらすじ
復活した悲運の作家、幻のデビュー作。
『海炭市叙景』で奇跡的な復活を果たした悲運の作家、佐藤泰志のデビュー作の文庫版を電子化。山羊、栗鼠、兎、アヒル、モルモット…。バスに動物たちを乗せ、幼稚園を巡回する「移動動物園」。スタッフは中年の園長、二十歳の達夫、達夫の三つ上の道子。「恋ヶ窪」の暑い夏の中で、達夫は動物たちに囲まれて働き、乾き、欲望する。青春の熱さと虚無感をみずみずしく描く短篇。他に、マンション管理人の青年と、そこに住むエジプト人家族の交流を描く「空の青み」、機械梱包工場に働く青年の労働と恋愛を描写した「水晶の腕」を収録。作者が最も得意とした「青春労働小説」集。
感情タグBEST3
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表題作「移動動物園」他「空の青み」「水晶の腕」二篇。
数少ない労働を題材に描かれる青春小説。
いずれも主人公は20代前半から半ばほどと思われる。三者三様の仕事(動物の飼育と動物のお披露目、マンションの雇われ管理人、大きな工場での手作業)と、仕事を通しての人との繋がり、瞬間が息づいている。暑い夏の空の色や茂った雑草の匂いとか滴る汗の流れ方まで、描写が精緻。文学のテーマに暴力がブームの時代があった当時の残滓が香る。
解説では、作者と同じ時代に育った村上春樹との対比が記されており、なかなかに面白かった。彼は、主人公を汚さない、お洒落な描き方をしているのに対し、作者は、泥臭く、どこか陰気な、静観したところがある、といった様な内容だった。
「水晶の腕」が好み。
自衛隊やあんちゃんと呼ばれる男はじめ、他の仕事仲間とのやり取り、最後のピンク映画を見る場面なんかはそこに発せられる空気が物憂げしくもあり惰性的な生き方が描かれており、個人的には印象深い場面で、とても良い。
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久しぶりの純文学。
重い話はどうかな、と思いましたが、意外にのめりこんでしまいました。
しかし、何で純文学と言うやつは、閉塞感があってどこか虚無的なのだろう。この本を読みながら、そんな事を考えていたのですが、逆ですね。私が勝手に閉塞的で虚無的な作品を純文学に分類してるだけのようです。
純文学の本当の定義ってなんでしょうね。おそらく「作者がやむに止まれぬ衝動に突き動かされて書かれる作品」なのでしょう。確かにこの作品にはその雰囲気があります。
ちなみにこの本、3つの短編で出来てます。
表題の「移動動物園」はかなり閉塞的ですが、最後の「水晶の腕」は先に灯りが見えるようで気持ち良い作品でした。
Posted by ブクログ
好みの問題だけれど、わたしはすべてをリアルに表現することがほんとうのリアリズムとは思えず。
汚いことや人間の醜さや裏の部分をちゃんと見なくちゃダメなことはわかるけど、押しつけがましいのは嫌い。
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短編三作品を収録しています。
「移動動物園」は、幼稚園をバスでめぐり、動物との触れあいを子どもたちに体験させる動物園で働く青年の物語。「空の青み」は、マンションの管理人を務める青年が、トイレが詰まったというエジプト人の住人を相手に苦闘する話。「水晶の腕」は、機械梱包工場で働く青年と、個性的な同僚たちの物語です。
わたくしは、いまでは著者の代表作となった『海炭市叙景』を先に読んでおり、そちらの作品のような静謐な世界観の物語を予想していたために、「移動動物園」で皮膚病になってしまったリスなどの動物を殺す描写に出会ったときには驚いてしまいました。「空の青み」には、トイレのなかに腕を突っ込みシーンがあり、やや衝撃度は落ちますが「水晶の腕」の結末では登場人物たちがブルー・フィルムの鑑賞会をおこなうなど、読者はあまり向きあいたくないような現実を突きつけることになります。
元来著者は私小説作家としてデヴューし、その後しだいに作品内でとりあげる対象の範囲をひろげ、『海炭市叙景』への道をあゆんでいったとのことで、「解説」を担当している岡崎武志は、本書に収録されている三作品を通してそのような推移の過程を読みとることができると指摘しています。
Posted by ブクログ
ひりひりするなー。そこ書きますか…という汚さもふくめ、不器用な若者たちの、仕事をし、生きていく様子が胸に響く。自分はもう若くないわという実感とともに。
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生前は目立つ評価を受けずに夭折したものの、近年の再評価が著しい佐藤泰志のデビュー作。
表題作をはじめとしてここに収められた3つの短編は、いずれも寄る辺なき労働者の生活をビビッドに描きだす。この時点で、独特の言語感覚に基づく風景や心理描写のテクニックが荒削りながらもみられ、その後の傑作に繋がる片鱗をうかがわせる。
Posted by ブクログ
1977年発表の表題作と1982年、83年発表の2作品を収めた短篇集。
普段は芥川賞の候補になるような作家の作品は読まないのであまり比べることは出来ないが、このように内面を掘り下げる作家はやはり、2015年近辺の現代にはそう居ないだろうなと思う。