再読シリーズその五。
大学院卒業後、東京の電子機器メーカーで半導体研究を行っていた長嶺亨が一転、亡き父が経営していた奥秩父の山小屋を継ぐことにする。
バリバリの理系青年だった彼がなぜ亡き父と同じ山小屋のオヤジとなったのか…というその転機については本作を読んで確かめていただくとして、五年経った冒頭で
...続きを読むは百キロ超えのボッカ(歩荷)もこなしているし、薪割も調理も小屋の修理もスタッフであるゴロさんや美由紀の協力を得て行い、それだけでなく客も増えているという営業努力もしているところを見れば半端な覚悟ではなかったことが分かる。
物語は山で起こる様々な事件(冬場は麓でも起こる)を通して、登山客や亨周辺の人々の人生に触れる内容になっている。
自殺を考えるほどに追いつめられていた美由紀はすっかり元気になり、サラリーマンを辞めて『敵がいなくなって味方が増えた』と分かったり、ゴロさんからは『自然体で生きるということ』を学んだり、山での暮らしは良いこと尽くしのように見える。
が、一方で大抵のことは自分たちでやらなければならないし、自然の中で暮らすからには自然の厳しさも思い知ることもある。
登山客たちが死と隣り合わせの場面に出くわすこともあるし、『野晒し』になったご遺体を発見することも。
この作品での一番の魅力的人物はゴロさんだろう。
彼の人生こそ波乱万丈。笹本さんなら彼を主人公に据えたいところだろうが、そうなるとサスペンス物になってしまうから敢えて亨を主人公にしたのだろうか。
後半でゴロさんが脳梗塞の発作で緊急手術となる話がある。その時のゴロさんの迷い、亨の決断は急に現実生活に引き戻される感じで辛かった。この話ではハッピーエンドになっているが、ゴロさんや亨が心配する最悪の事態になることだってあったのだ。私もゴロさんの立場なら迷惑を掛けたくないと思ってしまう。
それから登山客の中では大下恭二郎老人がなかなかのインパクトあるキャラクターだった。
どういう状況でも慌てず落ち着いて、こんな大変な事態に遭ってもまだまだ登山を続けるとは。周囲に迷惑を掛けない程度に頑張って欲しい。
ファンタジー要素が多かったような気もするが、それを生死の境目にいる人たちの幻覚と切り捨ててしまうのも違うような、こうした大自然の究極の状況だからこそ見られた特別なものと受け入れるのも良いように思える。
笹本さんの他の作品にも言えることだが、この作品も登場人物たちの語り口や口調が何となく似ていて、もう少し個性を出しても良かったのではないかなと思ってしまった。
麓で民宿を経営する亨の母親と亡き父親の夫婦関係は一見矛盾しているようだが分かるような気がする。