安岡治子のレビュー一覧

  • 貧しき人々

    Posted by ブクログ

    ネタバレ

    子ポクロフスキーとワルワーラの友情(恋?)がめっちゃ素敵でした。ワルワーラのイタズラ(誤解)にポクロフスキー激怒、からの、母を看病するワルワーラを優しく支える……という流れが美しかった。

    ポクロフスキー、最初は自分の本に触られるのめちゃくちゃ大嫌いだったのに、ワルワーラさんと仲よくなってからは自分から本を貸してんじゃんか〜!!!! 愛情表現! いや普通に、人に勝手に触られるのは嫌だけど自分から貸すのはアリってこと? どちらにせよよい。

    ポクロフスキー……。なんでこんなに悲しい最後なんだ……。
    ゴルシコフもワルワーラも最後、最後〜!!

    マカールとワルワーラの親子愛に似た友情関係は好きだった。お互い独善的な気配が強く見せるものの、思いやりあっている感じがあった。
    この後2人はどうなったんじゃろうか。ものすごく破滅の香りがしているが……。

    表紙デザインいいなあ。

    書簡形式だからなんだろうけど、「!」マークが多い気がした。
    ドストエフスキー、「!」をよく使うイメージをめちゃくちゃ勝手に持ったけど、気のせい?

    「!……」という連なりもドストエフスキーの特徴だよね。これすごい好きです。(メリメでもあったから海外文学あるあるだったりする? ドストエフスキーとメリメに何か関連性がある? 気になるぞ!……)

    0
    2026年09月03日
  • 貧しき人々

    Posted by ブクログ

    経済的な貧しさは必ずしも精神的な貧しさと同義ではないのであろう。それすなわち経済的な豊かさと精神的な豊かさが同義ではないという論理でもある。少なくとも自分は本著者同様そう考えていると言ってよいだろう。では精神的な豊かさとは何か。名誉や愛という言葉で短絡的に定義づけられるものではなかろうが、自身にとっての精神的豊かさとはそれら名誉や愛を含むように思う。自身の言動にまずは自身が恥じることなく捉えられるかどうか。そして自身の生きる意味を自分という人間の願望の充足のみで満たせるかどうかに懐疑的視点を持ち始めた今、他人という存在を愛しその他人の存在に自身の生きる意味を見出せるかどうかは精神的豊かさを構成する要素として捉えられているのである。近年の資本主義のあり方は経済的豊かさにかなりの重みを付与しているように思われる一方で、その尺度とは関連しない尺度として精神的な豊かさを自身の内部に有していきたいと思うのである。

    0
    2026年07月18日
  • 貧しき人々

    Posted by ブクログ

    書簡体小説を初めて読みました。
    ふたりの入り切るまでは、マカールきもいなって思ってしまいました。。
    ワルワーラから借りた本を読んだ後の変化が印象的。
    三人称小説では削ぎ落とされそうな余分なセンテンスも、ここではありのままの状態で読むことが出来るのが良いと思いました。
    ドストエフスキーの処女作でありながら、頭角が現れてて素晴らしい・・・!

    0
    2026年06月27日
  • 地下室の手記

    Posted by ブクログ

    自意識の肥大、人からどう見られるかというのをすんごい気にしてしまう人間の成れの果てのお話。
    哀れなのに自分の中にも存在する要素(自分は大した人間ではないとわかりつつも、他人にそう思われたくない、大したことある人間だとどこかで信じ続けていたい気持ち)が確かにあって、複雑な気持ちになった

    0
    2026年04月25日
  • 地下室の手記

    Posted by ブクログ

    ドストエフスキーで笑える作品があるとは・・・そこにまずは驚きました。
    主人公はモノローグという中年の元役人で、コイツが一癖も二癖もある大問題児です。妬み、嫉み、僻みといった人間の鬱屈とした闇の部分を全て兼ね揃えていて、それを惜しみもなく全開放した本当にどうしようもない奴が主人公として物語が展開されていきます。
    そんな彼が、自らの人生論や哲学に関して80ページにもわたり語り出す前半は難解なこともあり、もはや苦痛でした(笑)
    ただ、2部からは学生時代の友人や娼婦との恋に関するエピソードに入り、面白くなります。主人公のどうしようもない屑っぷりが、どんどんとクセになっていって、途中からはもはや愛おしく感じてしまいました。喜劇として展開されていく後半は、第1部の小難しい哲学論からは打って変わって、思わず吹き出してしまう場面も多く出てくるため、前半で投げ出さずにぜひ最後まで読んで欲しいです。
    あと、主人公のモノローグは確かにどうしようもない奴ですが、誰しもが心に闇を抱えていて、それを代弁している存在でもあるのかなとも思います、そのため、時には共感し、時にはその不器用さに切なさを感じてしまったり・・・色々と考えさせられる事も多かったです。モノローグがどういう人間なのかよく分かった上で、前半の哲学語りの部分を読み返すとまた違った発見がありそうです。
    ユーモアもありながら深みもある、そんな魅力が詰まった素晴らしい作品でした。

    0
    2025年06月24日
  • 貧しき人々

    Posted by ブクログ

    ネタバレ

    面白かったし心を動かされた。これがデビュー作とのことだが、もう完全に仕上がっている!という印象だった。
    若い女性と中年男性の文通というだけなのに、飽きることなくふたりのやり取りを楽しめた。慎み深く、多くを望まず、教養を感じさせるワルワーラの文体が好みだ。
    それとは対照的に、刹那に感情的に生きている雰囲気のマカールだが、ページが進むにつれだんだん整った文章になっていく。この変化や成長を見ていると、技巧的に書かれた小説だということがわかってくる。
    長い手紙での交流は、友人の枠を超えたものに感じられた。ワルワーラの結婚が決まってからの文章は、なぜだか胸に迫るものがあり涙してしまった。こんなに別れを悲しんでいるふたりの感情は、手紙でしきりにふたりが言う通りに、愛なのだろう。貧乏で明日もどうなるかわからない中、尊重し合える者同士の唯一の心の支えだったのかな。

    0
    2025年01月14日
  • 地下室の手記

    Posted by ブクログ

    こじらせかまってちゃんな主人公のドタバタな日常は、読んでいて苦笑いさせられてしまいます。
    周りを一切幸せにしない生き方ってあるのですね。
    自分の中にも引きこもりたい願望はありますが、引きこもったとしても、他者への優しさは失いたくないです。
    現実的に将来自分が引きこもった時に、バイブルになるかもしれません。
    主人公自身が気に入っていた、屈辱と憎悪の効用に関する名文句が好きです。でも、リーザのように傷つけられた立場からしたら、加害者の不快な屁理屈にしか聞こえません。
    ひさびさのドストエフスキーは、やはりロシア的で衝撃でした。

    0
    2024年11月27日
  • 白夜/おかしな人間の夢

    Posted by ブクログ

    角川文庫版の『白夜』を読んだが、訳が若干難しかったのでこちらも。
    『罪と罰』からは想像もつかない幻想的な短編集。ドストエフスキーファンはもちろん、初ドストエフスキーにもピッタリ。

    0
    2024年11月15日
  • 地下室の手記

    Posted by ブクログ

    主人公は、なんとまあ面倒くさい人でしょう。リアルでは関わり合いたくない人ですが、意外と共感できる人も多いのではと思ったり。

    第一部『地下室』は、とち狂った男の黒歴史を語る妄言の数々がひたすら書かれていますが、人間の内面に潜む自意識をひたすら省みる内容には、意外にも知見に満ちた珠玉の言葉(一部笑いを誘う言葉)に溢れていて読み応えがあります。なんとまあ、人間の内面の愚かしいこと…。

    第二部『ぼた雪に寄せて』は、第一部で語っていた自意識について、それを実際に言葉や行動として表象されたとき、自らはどのような結末を迎えるのかが書かれています。つまり、一見退屈とも難しくも感じられる第一部を読み切ると、第二部での若かりし頃の主人公が、まるで坂道を転がり落ちていくような敗北感や屈辱などを理解できるつくりになっています。これがある意味、非常に面白くもあり呆れもする内容で、第一部を退屈と思いつつも読み切れた人は、最後まで読み通すことをおすすめします。

    なお、自分は第二部の後半の独白を読んでいて、なんとなく『白痴』と『カラマーゾフの兄弟』を思い出しました。発表は『地下室の手記』が先なので、後の作品の萌芽が感じられるのかもしれない。


    正誤 (第11刷発行)
    P56の11-12行目:
    「…教養ある人間であればことにそうだ。そうなったら、全生涯を三十年先までも…」
    ↓
    「…教養ある人間であれば、なおさらそうだ。そうなったら、全生涯を三十年先までも…」

    P120の6-7行目:
    「…それでもそれにも確信を持てぬまま、…」
    ↓
    「…それでもそれに確信を持てぬまま、…」

    P164の9行目:
    「〈連中が跪(つまず)いて、俺に友情を懇願することなど、…」
    ↓
    「〈連中が跪(ひざまず)いて、俺に友情を懇願することなど、…」

    0
    2024年07月14日
  • 地下室の手記

    Posted by ブクログ

    主人公に、まるで未来の自分が書いたような強い共感を感じた。肥大化したプライドで他者を見下し、同時に自己が矮小で卑劣な存在だと認識していながらも、それを変える為に前向きな、つまり現実と対峙することから逃げ続ける。高すぎる理想で、他人を嘲笑するが、それは自分自身にも適用される。

    自己嫌悪、自意識過剰、低い肯定感と高い自尊心、全て共感できた。
    主人公が語る事柄も、経験があることばかりだった。物語自体、何も解決せず、循環する陰鬱を記して終わる。救いはないし、読み終わった後に何が変わるでもないが、100数十年前に自分と似たような人間がいて、それを描いた小説が古典的名作として世界中で受け入れられている事を、なんだかとても温かく感じる。しかし一方で、他人がこの小説について語っていると傲慢にも不快感に似た感情を持ってしまう。お前になんかに理解できてたまるか!と。

    失礼にも恥ずかしさを覚えるほど、完全に自己投影してしまった。キリスト教や当時のロシア情勢などを関連付けて語ることもできるようだけど、それ以上に現代社会における自己の確立の困難さという普遍的な悩みを扱っているのだから、まずは後者に注目するべきだと思う。

    ただ主人公の、おそらくは理想とする水晶宮については納得できなかった。半理性的で非合理で、より感覚的な愛の世界。それを理想としている前提があるから、あのラストがより際立つのは理解しているけど、思想として納得できなかった。主人公自身、本当にそれを望んでいるとは思えない。ルサンチマンとストーリーの言い訳に聞こえた。文学としてはそれが正しいのだとは思うけど、私個人として好みじゃない。

    0
    2024年04月17日
  • 貧しき人々

    Posted by ブクログ

    ロシアの文豪、ドストエフスキーの処女作。

    その日暮らしで貧乏から抜け出せない初老の小役人と、病弱で幸薄い生い立ちの少女による往復書簡…

    と、話しはこれだけなのですが、手紙という性質を意識しながら読み進めると、会話と違い、文章で語られる熱い言葉の勢いに、自然と引き込まれて行きます。典型的なのは、結びの言葉が内容によって変化するところ。小役人は「〜の友である マカール・ジェーヴシキン」が多く、少女は単にイニシャルで「V.D」が多いのですが、一ヶ所だけお互いに「愛する」と言う言葉とフルネームで書かれているところなど、凝った書き方をしていて驚きました。
    小役人の書く文章も、途中プーシキン『ベールキン物語』とか読書をするようになってから教養がつき、次第に手紙の文章が洗練されてくる様子など、とても処女作とは思えない作品です。

    内容も、お互い貧困で追い詰められた状況でも、他人を思いやる気持ちを持ち続けている会話のやり取りにおける心理描写が上手いなと思わされることが多々あり、著者の弱者に対する愛を感じました。ラストは、2人の置かれた状況からすれば、いいまとめ方だと思います。

    0
    2024年03月14日
  • 地下室の手記

    Posted by ブクログ

    「俺は病んでいる・・・ねじけた根性の男だ」で始まる非常に暗い小説。小説は2部に分かれ、Ⅰ部の「地下室」はモノローグで主人公のねじれた人生観がくどく語られ、Ⅱ部の「ぼた雪に寄せて」では主人公を「ひどく苦し」めている思い出が語られます。
    Ⅰ部は難解で矛盾だらけ(ただ、注意深く読むと論理的一貫性があるのかもしれません)の一見戯言ですが、Ⅱ部で描かれるのは、一転、ほとんどコメディのようなねじれた男の3つの思い出。261ページの中編小説ですが、Ⅱ部に不思議な面白さがあり、一気読みでした。

    主人公は40歳の元小役人。遠い親戚から6,000ルーブルの遺産が入ったため、退職して地下室に引き篭もっています。
    「自尊心」が非常に高く、19世紀の知性が高度に発達したと自己評価している主人公は、何物にも、虫けらにさえもなりえなかったと考えています。主人公が批判するのは屈託なく率直で実際に行動を起こす「やり手タイプ」。そして、「やり手タイプ」も自然法則には勝てず、合理主義一点張りである点を猛烈に批判し「愚か者」と断定します。
    自己については「冷ややかなおぞましい絶望と希望が相半ばした状態や、心痛のあまりやけを起こして我が身を地下室に40年間も生きながら埋葬してしまうことやこうした懸命に創り上げた、それでいてどこか疑わしい己の絶体絶命状態や、内面に流れ込んだまま満たされぬ願望のあらゆる毒素。激しく動揺したかと思うと永遠に揺るぎない決心をし、その一分後には再び後悔の念に苛まれるという、こうした熱病状態の中にこそ、さっき俺が言ったあの奇妙な快楽の核心があるのだ」と難解な分析を行います。
    このあたりで挫折しそうになりましたが、訳者の安岡治子さんの解説は良きガイドになりました。特に7章以降に展開される「水晶宮」の理論の意味は解説がなければ読み取れなかったと思います。

    16年前の苦痛の思い出を描くII部は、ほとんどコメディで3つのエピソードからなります。
    ①将校との個人的な心理戦争
    ②裕福な同窓生たちとの空回りの闘争
    ③娼婦リーザに挑んだ戦い(?)と敗北
    上記のエピソードは主人公のくどいほどの心理描写とともに描かれます。時間をおいてもう一度Ⅰ部を読むと、Ⅰ部の意味がある程度は理解できるような気もします。

    以上、難解であると同時に面白い小説。ただ、ドストエフスキーの世界を未経験だと辛いかもしれません。また、大昔に読んだ『人間失格』を思い出し、また読んでみたくなりました。

    0
    2024年01月25日
  • 地下室の手記

    Posted by ブクログ

    ネタバレ

    マゾヒスト、と呼べば良いのだろうか。氏曰く、自意識自尊心が極めて強い、人並外れて賢い人たちは、 それ故に悩み苦しむ機会が多く、気づくとそこから快楽を感じるようになってしまうらしい。 氏は冒頭でそういう人間がp0「我々の社会に存在する可能性は大いにある」と述べているが、 私自身がこういう感情に一定の覚えがあるから、それはそういうことなのだろう。

    氏が若い時分の愚かな行動を振り返った、2章ぼた雪に寄せてでは時折、マゾヒズム(私)の深淵が描かれる。 それらは深淵と言うだけあって、現実フィクション問わず他では見ることのできない描写が続く。 具体的にはまずズヴェルコフの晩餐会への参加に氏が名乗りを上げる場面である。ここでは氏の目の前で氏抜きの晩餐会の計画がなされている。 氏はこれに対して自分が晩餐会に参加することを望まれていないことを理解していながら晩餐会への参加を表明してしまう。 追い込まれた時に(我々のような人種は自尊心が高く、恥をかくことを最も忌避しているので、今回のような場面では 追い込まれているも同然なのである)突発的に悪手を選択してしまうというのが、ある種のマゾヒズムである。※1

    深淵は更に深い。氏は先述した、晩餐会への参加表明に対する後悔の弁を述べた直後、p131「しかし、俺がこう憤怒に駆られていたのも、 俺は必ず行くだろう、わざと行くに違いないということが、おそらくは自分でもわかっていたからだ」と狂気の弁を展開している。 その理由もし行かなかった場合、p139「俺はその後一生、自身を嘲り続けるに違いない。『なんで臆病風を吹かせて、 現実に怖気づいたんだ、臆病者!』むしろ逆に、俺としてはあの屑がらくたの連中に、俺が自分で思うような臆病者では、 さらさらないところを証明してやりたいと熱望していたのだ。それどころか...連中を圧倒し、打ち負かし、魅了し、せめて思想の高邁さ、 疑いのようない機知という点だけでも連中に俺を愛してもらいたい、という夢を抱いていたのである」とどうしようもない具合である。 絶対に恥をかきたくないという異次元の自尊心、何時も他人の目を気にして過剰に想像する自意識、 その一方無根拠に自分の能力と評判を見積もり、ひたすらに都合の良い展開を想像する自信過剰。 これらが組み合わさることで、自ら進んで悪手を選択するというマゾヒスト的行動に至るという訳だ。

    最後に、以下のとおり。 p150「俺は連中全員を、朦朧とした目で無遠慮に見回した。ところが連中は、俺のことなどまるきり忘れてしまっていた。」 p155「ただ、なるべく連中の誰も見ないようにしていた。一人、できるだけ孤高の姿勢を貫いていたのだが、実は、連中のほうから 先に話しかけてくれないかと、それをじりじりしながら待っていたのだ。」 p157「俺は...壁沿いに、食卓から暖炉へ、また暖炉から食卓へと歩いていた。俺は、お前たちなんぞなしでも、やって行けるんだ、 というところを全身全霊で見せつけてやろうとしていたのだ。...俺はじっと我慢しながら、連中の目の前を8時から11時まで...歩き通しに 歩いた。...この3時間のうちに、三度大汗をかいては、三度その汗が引いた。」 これらの行動を想像だにせず面白おかしく読むことができるなら、それはなんと幸せなことか。少なくとも私は、自らの苦い思い出が 蘇りとてもいい気分で読むことはできなかった。周囲から浮いてしまった我々がどれだけ自尊心と自意識を高まらせても、 周囲は我々に何らの注意も向けていない。それに気づかず、一人大汗をかくのがマゾヒストなのである。

    マゾヒズムの深淵から浮かび上がるのは、先述した自尊心、自意識、自信過剰というキーワードだ。氏は、これについて、 p15「意識しすぎることーこれは病気だ」p20「例えば俺は、やけに自尊心が強い。」「そもそも俺は周りの誰よりも賢いのだから、悪い。」 と述べている。 氏によれば、怒ることのできるタイプ(馬鹿)の人間というのが存在し、彼らは、p22「ひとたび復讐心に取り憑かれたら、もはやしばらくは その全存在には、この感情のほかには何一つなくなる」タイプの人間である。その一方で、p23「正反対の強烈な自意識を持つ人間」がおり、 彼らはp24「強烈な自意識ゆえに、この際正義などというものは否定する」という行動をとる。自意識の人間は発散できない怒りを溜め込み、 それらを馬鹿に笑われ、やがてp25「自分の受けた屈辱をその最も些細な恥ずべき細部に至るまで一つ一つ思い出しては...自分でわざわざ いっそう恥ずかしいディティールを付け加え、自分で作り上げたその虚構で、意地悪く己をからかい苛立たせる」ようになる。 これにやがて快楽を感じるようになるとマゾヒストが完成する。

    本書で特筆すべきことは、マゾヒズムの深淵だけでは決してない。 p50「あんた方はこう言うだろう 『自然法則を発見しさえすれば...人間のすべての行動は、ひとりでにこれらの法則にしたがって計算に基づく対数表のように配分され... 行事日程表に記入されることになる。...そうなったら数学的正確さで算出され、完全に準備の整った新しい経済関係が確立され...ありと あらゆる問題はたちどころに消え失せることになる。』 」当然この発言はドストエフスキーのそれではなく、むしろ氏はこのロシア流ロマン主義的主張(まさにロマンとしか言いようがない)を わざわざ用いこれに反論する形でp53「人間はいついかなる時も、いかなる人間であっても、決して理性や利益が彼に命じるようにではなく、 自分の望みどおりに行動することを好んできたのである。...人間に必要なものは、ただ一つ、自発的な欲求のみである。」と述べている。 この問答はコロナ禍初期に浮上したcocoaなる接触確認アプリに端を発する議論を想起させる。cocoaの理論は、コロナ感染者がアプリを 通してスマートフォンに記録された自身の移動履歴を提供することで感染者と接触した者に通知が届くという代物である。なるほど、 理論としては正しい。数学的にはこの理論でコロナ禍という未曾有の危機を解決できるはずだったというわけである。しかし、 蓋を開けてみれば「バッテリーを余計に食う」「政府のやることは信用ならない」「面倒臭い、知らない」など数多の理由を作って 人間は自然法則に従わず、ものの見事に試みは頓挫した。

    また、cocoaの土台となったAI信仰、シンギュラリティの物語と関連して、 やがてAIに仕事を奪われることとなる大多数の人間は、AIの開発や上手い利用を行う超少数派の勝組にパンとサーカスの如く娯楽を与えられて 生きていくだけの存在となるなどという真に悪夢のような言説も存在する。これを否定する論としてドストエフスキーが述べているのが、 p62「人間にありとあらゆるこの世の恵みを浴びせかけ、ただぶくぶくと泡が幸福の水面に浮かび上がるほど、幸福の中に頭までどっぷりと 浸からせてみるがいい。...まさにそんな状況のなかでさえも、人間は...最も悪質なナンセンスを、最も非経済的なでたらめをやりたがる。 それもただ...次のことを確認したいためである。それはつまり、人間は依然として人間なのであり、決してピアノのキーなどではないと いうことだ。...いや、それだけではない。実際に人間がピアノのキーであることが判明したとしても...人間は決して納得せず... わざとなにかしらその証明に反することをしでかすに違いない。何の手段もない場合は破壊と混乱、ありとあらゆる苦しみを考え出してでも、 自分の主張を押し通すだろう!」 ということである。 このドストエフスキーの、客観的に見ると本当に愚かとしか言いようのない人間観はしかし、言い過ぎとも言えないくらいに人間の本性を ぴたりと言い当てているふうに思えてならない。 あなたの考えていることは全てわかるから、私の最良の指示に従いなさい、と言われたらカチンと来るし、あなたは何もせずただ気の 向くままにゴロゴロしていればいいのよ、と天国のような条件を提示されれば途端に物足りなくなるのが人間なのではなかろうか。 そういう、人間の愚かな本質を指摘する立場とそれを乗り越えられるとする立場の対立が100年以上前から現在に至るまで 意味を持っていることが本当に面白い。

    ※1 ここでは追い込まれているという点がポイントで、もしも追い込まれていなかった場合、つまり冷静に判断できていれば悪手を 選択していなかった可能性がある。実際、氏はその後p131「一体なんの魔が差して、あんなところへ出しゃばって行っちまったんだ!」と 語っている。しかし、実はこの論理はあまり意味がないのかもしれない。何故なら、追い込まれたその瞬間に選択を促すのは深層心理で あるはずで、つまりそれが本質なのではないかと思われるからである。まあ、この話はこれ以上広げようがないのでここら辺にしておく。

    「どこか仕切り壁の向こうのほうで、何かにぎゅっと押し潰されるか、さもなければ、誰かに絞め殺されてでもいるように、 時計がジーッとしゃがれ声を出しはじめた。不自然なほど長くそのしゃがれ声は続き、その後か細い不快な、思いがけず忙しない時 を打つ音が響いたーまるで誰かが不意に前方へ跳び出したかのようだった。」 押し潰され、絞め殺されるというおよそ時計の描写には似つかわしくないワードの選択。「不自然」「不意」「不快」と良くないイメージの 形容詞の多様。誰かが前方へ跳び出したかのようだ、で終わることによってこちら側への関与を匂わす(本当に誰かが時計から飛び出してきた のなら、時計の前にいる我々との接触は不可避であるから)という、ひたすらに暗く静かで不穏な印象を抱かせる本作第2章ぼた雪・・・の悲しき 6幕の開幕にふさわしい名分だ。

    第2章ぼた雪・・・6幕以降、クライマックスにかけて情婦リーザとのやりとりが展開される。 氏は自分より間抜けそうな若い女を前に、氏曰く燃え上がり、自らの願望とも理想ともつかない状態について力説を始める。 いかんせん弁の立つこの男はベラベラとそれっぽく調子のいい文句を垂れ流すのだが、本性を知っている我々はその姿に比喩ではなく 吐き気を感じ得ない。その後なんやかんやあってリーザと抱き合った後、ソファにうつ伏せになって号泣を始めるのだが、 ここでふと我に帰って気まずさを感じたり、最後にはリーザを追い出してすぐに後悔して追いかけるも無理やり自分を納得させて 引き返したりとマゾヒスト節(というか、それにとどまらない屑?)全開で物語は幕を閉じる。

    氏が屑であるのは別としても、マゾヒストが自らがマゾヒストであることにさえもある種の快楽を感じ、 自身のどんな悪行もそれを原因にして片付けてしまうことは重大な問題である。彼らのそれはハッキリ言おう、 自身にとって損失でしかない。これを自覚し、自身の身の振り方を考えるべきであろう、マゾヒストの諸君!!

    0
    2024年01月21日
  • 貧しき人々

    Posted by ブクログ

    この本は、文豪ドフトエフスキーの処女作ということで読んでみましたが、とても情熱的で、引き込まれる作品でした。
    終り方も余韻があって、、とても良かったです。
    ぜひぜひ読んでみて下さい!

    0
    2023年03月30日
  • 貧しき人々

    Posted by ブクログ

    九等官とは行き止まりの等級。清書係がそれ以上出世することはない。お相手は20歳前後の孤独な少女。書簡が往復する舞台は19世紀前半の帝政ロシア。ソ連となる半世紀以上も前。「うだつが上がらぬ中年下級官吏と薄幸の若い娘の恋物語」…そんな構図だけで語れぬ何かがある。迎える結末はそれしかないだろうという運命。”貧しさ”とはそういうものかと諦観する。1845年発表の処女作。グイグイ引き込まれるのは、後期長編に同じ。隠し秘めたる普遍の機微を突く。心の奥底にある闇深きもの。気づかされたその存在にふと魅了されている。

    0
    2022年09月01日
  • 貧しき人々

    Posted by ブクログ

    手紙は嘘をつく。意図的じゃなくても、相手に伝えたい想いを文章にのせるとき、真実以上の何かを加えたり、逆に落としたりしてしまう。それが書かれている内容よりずっと多くの真実を、読み手の心に浮かび上がらせて、胸が詰まるほどの感情でいっぱいにしてしまう。ドストエフスキーは読者の行間を読む力と共感力を信じているからこそ、この小説を書けたのだろう。

    0
    2021年12月31日
  • 地下室の手記

    購入済み

    娼婦を感動させたのに...

    娼婦に気持ちが伝わったのは感動だ。
    でも、主人公は分裂した感情を持つ。
    単純でないのはつらいことだ。
    だが、読者が
    アンビバレンツを直視するなら
    何かが見えるかもしれない。
    娼婦ではないが汚れた状況下の女性である
    『ブギーポップは笑わない』の織機綺、
    『青春の門・筑豊篇』の牧織江、
    また、同時期の作家トルストイの描く、
    厳しい状況下にいた
    『戦争と平和』のナターシャ
    たちには、理解ある彼が現れて、
    筋が単純だが、この手記では
    誰も救われなくてつらい。
    でも、矛盾や苦悩の中で
    とにかく生きていると思う。
    出世とかの土俵違いのところで
    戦っている役人には
    知識や思考を生かす場を与えてあげたい。


    #切ない #深い #タメになる

    0
    2021年08月26日
  • 貧しき人々

    Posted by ブクログ

    初めてドストエフスキー作品を読むにあたって、とりあえずページ数も少ないデビュー作を選びました。

    正直、度肝を抜かれました。
    デビュー作にして、人生のあらゆる智慧と苦悩が散りばめられています。

    登場人物による往復書簡のやり取りは見ていて微笑ましいものから悲痛なものまで実に多彩でした。


    この150年で人類の生活は劇的に豊かになったのでしょうが、それは量的な意味であって質的にはどうなのかと問いかけられている気がします。


    強い自意識が心の渇きを生み出す。
    死刑宣告を受ける前の若きドストエフスキーのデビュー作。
    本当の豊かさとは何か
    忘れそうになった時に読みたい1冊です。 

    0
    2021年03月21日
  • 白夜/おかしな人間の夢

    Posted by ブクログ

    白夜: とある内気で空想家な青年が、橋で泣いている少女に出会う。彼はすぐに彼女を愛するが、彼女には一年前に別れ、再開を誓った人がいて、その人が現れないがために泣いていたのであった。
    恋の初々しさを感じるストーリー。

    おかしな人間の夢: 自殺をしようとしていた男が、夢で別世界へ行き、互いに愛し合い真の幸福で満たされている人々に出会う。しかし、彼が地球から堕落を持ち込み、その世界は変わり、地球上と同じ状態になっていく。
    彼は夢から醒めたとき、自分は真実を発見したと確信し、伝道を始める。己を愛するように他者を愛せよ、と。

    幸福状態の描写が美しい。が、堕落を人々は喜んで受け入れていく。
    「生を意識することは、生そのものよりも高尚なのだ」「幸福の法則を知ることは、幸福よりも高尚なのだ」
    というのが、堕落した世界での価値観であるが、まさにそのような考えは身の回りでよく見かける。

    0
    2020年09月20日
  • 地下室の手記

    Posted by ブクログ

    暗く、ジメジメした穴ぐらから溢れ出る呪詛。
    ポジティブを全て向こうに回し、己の駄目さ加減を棚に上げて捏ねくり回される自己肯定。
    でもなんか途中から、なんか自分のこと言われてる‥と感じたり。
    妙にハマった。

    1
    2020年02月04日