ドストエフスキーは「罪と罰」は小学生の頃、所謂子供向けダイジェスト版で読んだ。「白痴」は高校生の時分に父親の本棚の文学全集から引っ張り出して読んだ。辻原登さんの「東京大学で世界文学を学ぶ」で「白痴」を恐ろしい小説と取り上げていたので40年振りに読もうと思い、反射的に本屋で手に取った。
読み始めて、あれ、ムイシュキン侯爵の話じゃないと気付く。年かな~。白痴にも白夜の情景があったような気がして勘違いしたかな~。う~ん。
さて、「白夜」。孤独な主人公が泣いていた少女と出会う。人付き合い出来ないくせに、彼女に喋りまくる主人公。二人の心が同調しているのは判るけれど、ドストエフスキーってこんなメンドイ人だったのか。面白くないわけじゃないけれどねえ。これを今の作家が書いたら、ボロクソに云われるんじゃないかな。
第3夜でこの話読んだことがあるような気がした。高校の時代に白痴を読んだとき、この小説も読んだんだろうか。白痴に似たエピソードがあったんだろうか。
「おかしな人間の夢」などの短編。ドストエフスキーってやたら深刻な顔をして、難しい大作を書いた人という印象だったから、意外に思う処があった。
「おかしな人間の夢」自殺を考え、ピストルを前に、ふと眠りこけて、見た夢.地球じゃない星で会った敬愛に包まれた人々。アーサー・クラークのSFを思い出したが、読み進める内に、大〇隆〇の理想世界のイメージに似ているなと感じた。キリスト教徒のイメージする理想ってこういうものなのだろうか。共感する部分もあるが、判らない部分も半々。
妻が死んだ後の手記もある、互いに傷つき合う存在だったと解説にあった。詳しくは判らない。
これからドストエフスキーをどれだけ読むかわからないが、その時にきっと本書のことを思い返すだろう。