河野万里子のレビュー一覧
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ネタバレ他の小説と並走しながらで前半の記憶が薄い。
後半メインの感想
でも後半でポロポロ涙出てきたので、もう一度読み直したい。
「たいせつなことは、目では見えない」
今目前の大事なものややりたいこと、形あるものだけじゃなくて
大事な人を大事にしたり、もうさわれないもの会えないもの、どんなものでも絆を自覚したまま生きていけば一生あたたかい気持ちで過ごせる。
「傷つくくらいなら、はじめから信じない。別れがあるならはじめから近づかない。」
をモットーにしていた自分が、
「裏切られても他の人や物に心を預けたい」
と思えた、自分にとって本当に大切な物語だった。
散々そういう物語を読んでも完全に腑に落ちるとまではいかなかったのに、なんでこんなにも自然に入ってきたんだろう。
最後は別れたままで救世主は現れなかったからかな。
王子様がとても可愛かった。
あとがきを読んで追記
王子様は作者の子供の頃の姿だったんだ…!
あの頃ならわかっていたことを、子供の姿で今の自分に言い聞かせていたのか。
ではどうして作者はたいせつなことに気づけたんだろう。
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Posted by ブクログ
ネタバレ「ものうさと甘さがつきまとって離れないこの見知らぬ感情に、悲しみという重々しいりっぱな名前をつけようか、私は迷う」こんな一文から始まる話。
鮮やかな語彙で彩られる細やかな感情たち。美しいと思う。
狡猾な策士なのに、若々しくて至らなさのある主人公。最後のほうのアンヌへの手紙を書く場面は、青春、失敗という単語をイメージした。痛々しく、印象深い。好きなシーンだった。
読み返すと、案外車に関する描写が多い気がする。気のせいかな。
「車の中ほど人に対して友情を感じる場所はないのだ。/もしかしたら同じ死に身を委せているのだった」「車の中は/眠るために具合よくできている」なんだか車って、家みたいな場所だなぁ。そう思わせる意図が作者にあったかは分からないが。
あとがきにも作者の車の話が。さすがに関係ない気がするが!
何というか……甘いような苦いような。幻想的だが生々しい言葉で書かれている。そんな感じ。うーん。この美しい巧みな文章がどれほどよかったか、私は上手く説明できない。とにかく私はサガンの、鮮やかで瑞々しい文章に魅了された。
サガンの別の作品も読んでみたい。サガンの言葉をもっと見たい。 -
Posted by ブクログ
クリスマスが好きでした。
サンタさんからプレゼントが貰えるからではなく、それも理由の一つかもしれませんが、「クリスマス」というだけでどうしようもなくワクワクしてしまうからです。
同じような理由で、祖母の家も大好きでした。そこで時々会える従姉妹と一緒にするゲームも。
僕はプレゼントやゲーム自体を一番に楽しんでいるわけではありませんでした。サンタさんという不思議な存在、または祖母の家に漂う安心感、従姉妹への頼もしさ、僕はこれらのささやかですが特別な感覚を味わい、大切にしていたのです。
しかし僕は、知らぬ間に、それらを少しずつ手放しています。ただ、それは避けられるものではなく、時には必要でもありました。なので、失われつつあることに対して後悔はありません。だからといって悲しくないわけでもありません。とても辛くなるときもあります。それほど大切なものだったのです。
この本を読むと、以上のような記憶や思いが浮かび上がってきます。作者が込めた思いと重なっているのかは分かりませんが、今の僕は、この本が伝えてくれる「大切なもの」はこのような形をしていると思っています。 -
Posted by ブクログ
どんな感情であっても、きちんとあいさつしよう! (笑)
すこし前に、三島由紀夫さん『午後の曳航』の感想で、「解説」にフランソワーズ・サガンさん『悲しみよこんにちは』について書いてあったと教えていただきました。
『午後の曳航』の解説を確認、久間十義さんでした。
みると久間さんが二十代に初めて読んだときの感想が「古典悲劇的」と感じられたそうで、「・・・、意地悪く言えばサガンの『悲しみよこんにちは』の男女を取り違えた変形バージョンであり、・・・」(p216)、と書かれています。特に比較はされていないようでした。
それでは、わたしが片寄った考えで比べましょう。
主人公を比べます。『午後の曳航』は中学一年生13歳男子「登(のぼる)」、『悲しみよこんにちは』は17歳の女性「セシル」、男女は逆ですね。
同じかな、似ているなと思うものをあげます。
ひとつは、大人の「正しさ」や「考え」を押しつけられることへの反発でしょうか。
二つ目、「計画」かな。セシルの計画はコメディ、ちびまるこちゃん的ですけど。
三つめは、両作品とも家族の物語になっているところです。
『悲しみよこんにちは』は、セシルと父親、そして、父親をとりまく女性たちで「家族」だと思いました。
わたしには、アンヌ隊員も含め、みな「ダメダメ」な気がします。まとめて「ダメダメ一家」です。
次に、『午後の曳航』です。登と母親と航海士で家族です。こっちも、主人公の登からみると「ダメダメ一家」です。
同じ「ダメダメ一家」なのですが、主人公の立ち位置が逆なんです。
『午後の曳航』の登は「ダメダメはダメダメ少年団」の一員です。登やほかの団員は「ダメダメ」を許しません。
一方、『悲しみよこんにちは』のセシルは「ダメダメ上等!」のダメダメ姉さんです。
ということで、似てはいるんだけどちょっと違うように思いました。当たり前ですね。(笑)
出版年数とかも書いておきます。サガンさんのほうが古いんです。
・フランソワーズ・サガン 18歳 『悲しみよこんにちは』1954年
・三島由紀夫 38歳 『午後の曳航』1963年
『悲しみよこんにちは』で、強く印象にのこったのは、「文章のカッコよさ」ですね。マネしたくなる気持ちが高まります。でも、田舎のジジイには永遠にムリかなー。
とにかく、カッコよい文章でダメダメ上等!が書かれているように思いました。
これは「ダメダメ宣言」と言ってよいのではないでしょうか。自分はダメダメで生きていくと力強く語っています。
古い秩序からみればダメダメな自分だけど、そこから自由になって、どんなに傷が残ろうが、ダメダメで生きていくぞ、そんな18歳の宣言だと思いました。
わたしもダメダメなひとなので、とっても共感します。
たぶん、サガンさんの18歳の宣言は、彼女の人生をたどることで、答え合わせできるんじゃないかなと思いました。