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セシルはもうすぐ18歳。プレイボーイ肌の父レイモン、その恋人エルザと、南仏の海辺の別荘でヴァカンスを過ごすことになる。そこで大学生のシリルとの恋も芽生えるが、父のもうひとりのガールフレンドであるアンヌが合流。父が彼女との再婚に走りはじめたことを察知したセシルは、葛藤の末にある計画を思い立つ……。20世紀仏文学界が生んだ少女小説の聖典、半世紀を経て新訳成る。(解説・小池真理子)
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Posted by ブクログ
どんな感情であっても、きちんとあいさつしよう! (笑) すこし前に、三島由紀夫さん『午後の曳航』の感想で、「解説」にフランソワーズ・サガンさん『悲しみよこんにちは』について書いてあったと教えていただきました。 『午後の曳航』の解説を確認、久間十義さんでした。 みると久間さんが二十代に初めて読...続きを読むんだときの感想が「古典悲劇的」と感じられたそうで、「・・・、意地悪く言えばサガンの『悲しみよこんにちは』の男女を取り違えた変形バージョンであり、・・・」(p216)、と書かれています。特に比較はされていないようでした。 それでは、わたしが片寄った考えで比べましょう。 主人公を比べます。『午後の曳航』は中学一年生13歳男子「登(のぼる)」、『悲しみよこんにちは』は17歳の女性「セシル」、男女は逆ですね。 同じかな、似ているなと思うものをあげます。 ひとつは、大人の「正しさ」や「考え」を押しつけられることへの反発でしょうか。 二つ目、「計画」かな。セシルの計画はコメディ、ちびまるこちゃん的ですけど。 三つめは、両作品とも家族の物語になっているところです。 『悲しみよこんにちは』は、セシルと父親、そして、父親をとりまく女性たちで「家族」だと思いました。 わたしには、アンヌ隊員も含め、みな「ダメダメ」な気がします。まとめて「ダメダメ一家」です。 次に、『午後の曳航』です。登と母親と航海士で家族です。こっちも、主人公の登からみると「ダメダメ一家」です。 同じ「ダメダメ一家」なのですが、主人公の立ち位置が逆なんです。 『午後の曳航』の登は「ダメダメはダメダメ少年団」の一員です。登やほかの団員は「ダメダメ」を許しません。 一方、『悲しみよこんにちは』のセシルは「ダメダメ上等!」のダメダメ姉さんです。 ということで、似てはいるんだけどちょっと違うように思いました。当たり前ですね。(笑) 出版年数とかも書いておきます。サガンさんのほうが古いんです。 ・フランソワーズ・サガン 18歳 『悲しみよこんにちは』1954年 ・三島由紀夫 38歳 『午後の曳航』1963年 『悲しみよこんにちは』で、強く印象にのこったのは、「文章のカッコよさ」ですね。マネしたくなる気持ちが高まります。でも、田舎のジジイには永遠にムリかなー。 とにかく、カッコよい文章でダメダメ上等!が書かれているように思いました。 これは「ダメダメ宣言」と言ってよいのではないでしょうか。自分はダメダメで生きていくと力強く語っています。 古い秩序からみればダメダメな自分だけど、そこから自由になって、どんなに傷が残ろうが、ダメダメで生きていくぞ、そんな18歳の宣言だと思いました。 わたしもダメダメなひとなので、とっても共感します。 たぶん、サガンさんの18歳の宣言は、彼女の人生をたどることで、答え合わせできるんじゃないかなと思いました。
父への近親相姦的な愛から生まれたとある計画。その行く末は……。 若くて生命力にあふれた文章を書けたのは、18歳だったからかもしれないけれど、そのうえ危なげで、自分自身の葛藤もこんなに繊細に書けたなんて、すごいね! この本が古典とされるのは、文章が美しいからだ。 一文一文が短いので、海外文学初心者...続きを読むの人にもおすすめ。
一気読み。五感に残る、読むだけで南フランスを想像できる文章。18歳でこれを書いたの凄過ぎる。 十代で文学に造詣の深さができ過ぎているのを感じた。 彼女は文豪らしい、、麻薬中毒、度重なる再婚、脱税の発覚などもあった。それでも文学作品を作ることへの執念の炎は消えなかった。 所々に吹き出すくらい笑ってし...続きを読むまうセシルの行動もあるが、アンヌの人生の核心をつくような言葉に心が抉られたりもする。 結局若気の至りの恋って全く愛じゃないんだなぁ、、 アンヌみたいな、一途に人を愛せて自分を律する者が結局本能的に生きてる人たちから傷つけられてしまう。死にかたさえも優しかった。 人生本棚入り。さすがの名著。
もるげんちゃんの動画で紹介されていて読みました。 この本を読めば夏の暑さも乗り切れる。 夏の暑さってやっぱり危険だなって思いました。
主人公の家に台風がやってくるところからはじまります。台風はパリの海でバカンスをしていた「わたし」と父の夕食の時間を襲います。台風によって別荘の窓は割られ、そこから吹き込んできた暴風雨がサラダやコーヒーの容器を壁に叩きつけ割ったりと大惨事で、「わたし」はもうバカンスは中止になるだろうといらいらを募ら...続きを読むせました。そこで「わたし」はこの一夏の海で起こったさまざまな思い出に再会します。「わたし」の身に起こったさまざまな思い出に彼女は胸を詰まらせ、名状しがたいさまざまな感情の渦にのまれてしまうのです。ユニークな書き方で笑ったり、深刻になったり、とても感情を揺さぶられました。最後の「わたし」が感情を抑えきれずに涙を流し続け、熱帯低気圧の中心で世界中に「わたし」の涙の雨を降らせるシーンは神秘的で笑えました。 ポール・エリュアールの詩の一節にある「悲しみよこんにちは」というのがタイトルになっています。当時、この詩からインスピレーションを受けて小説を書いたという作家は沢山いたのではないかと推測します。こんなに創作の意欲がかき立てられるような含意を持った詩は数少ないですから。「悲しみよこんにちは」の悲しみの描き方が沢山あったとしてもサガンの描いた悲しみは複雑でかつ、フランス文学の王道の物語を用いて組み立てられています。 僕も同じく悲しみについて書きたくなり冒頭の物語をつくりました。
これを18歳が書いたのか!と最初は驚いたけれど、18歳だから書けたのかもしれない。 恋愛は人をどうさせるのか、自由を求める気持ち、全編がなんだか哀しくて愛しい。 舞台は南仏の夏、退廃的で虚無的な雰囲気にはいい大人きなってもやっぱり憧れます。 新訳の新潮文庫の装丁も素敵。
きびしいアンヌの視線が、重くのしかかってくるようだ。誰でもいいからどうにかして、この時間を終わらせてと私は必死で願った。アンヌの両手が、私の顔を上向ける。わたしは視線を合わせるのが怖くて、きつくまぶたを閉じる。そこから涙があふれ出すのを、私は感じていた。衰弱の涙、不手際の涙、快楽の涙。するとアンヌは...続きを読む、あらゆる質問をあきらめたかのように、なにも知ろうとしない静かな動作で両手をおろし、わたしをはなしたのである。
読んでいる最中も、読み終わった後も、心の奥に仕舞われた感情にそっと触れてくるような小説だった。 作家に秀才と天才がいるなら、サガンは間違いなく後者だと思う。 主人公の17歳の女性シリルの心理描写をメインに話は進んでいく。 彼女の考え一つひとつがユニークであり、瑞々しく、活力に満ち溢れているが、その一...続きを読む方で、親しみやすくもあり、そして、寂しくもある。 若い欲望の中で本能に従いながらも理性を残している彼女の思考を追うことは、自分の中の本能と理性の対立に目を向けることになり、深い没入へと至る。 フランス文学らしい恋愛を主軸とした心理小説だったが、他の作品との特筆すべき差異は、寂しさや孤独感、空虚感が薄いことかもしれない。だが、それは表面的な感覚で、実際には一貫して主人公シリルには逃れようのない悲しみに苛まれているようにも感じた。 最後の最後に、その悲しみが、自らの理性の本能のバランスの取り方の結果として現れる。 その時、彼女も、読者である私も、その存在に目を向けなければならなくなる。悲しみの存在に。
考える自由、常識はずれなことを考える自由、少なく考えることの自由、自分の人生を選ぶ自由、自分自身を選ぶ自由。私は「自分自身で在る」と言うことはできない。なぜなら私はこねることのできる粘土でしかなかったが、鋳型を拒否する粘土だった。
普段の自分ならあまり好きではないであろう話にも関わらず和訳が読みやすかったのもあり不快にならなかった。 若さ故の過ちの計画でまさかアンヌが死ぬとも思わず結局その後の2人は各々奔放に暮らしているのでもっとアンヌに男を見る目があれば等考え楽しめた。
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悲しみよ こんにちは(新潮文庫)
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フランソワーズ・サガン
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