天童荒太のレビュー一覧
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ネタバレ人が受けた深い傷に、わたしたちができることは、ほとんどないように思う。でも、相手の沈む心を想いながら包帯を巻くことで、<それは傷だと思うよ>と名前をつけ、<その傷は痛いでしょ>と、いたわりを伝えることはできるかもしれない。(本文より抜粋)
ディノが好きだ。
『永遠の仔』の著者が送る、世界の一欠けらの人たちの物語。テーマはシリアス、内容はなかなかにコミカル。
話自体はそう軽くないのだが、文章や登場人物故か、全然重い感じはなくすんなりと話に入り込める。
同じ傷なんて無い、というところに深く共感を覚えた。
シリアスとコメディが半々と言った感じの話で楽しく読める。
人が受ける傷は様々で、その一つ一つが違っていて同じものなど一つも無い。
ヒトの傷に自分たちが出来ることは何か。
読むのに大して時間もかからず、手軽に読める。
大人に、よりは学生に読んで欲しい。 -
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天童荒太の直木賞受賞作品『悼む人』。
その続編が文庫化され、書店に平積みされていたので、読んでみることにしました。
『悼む人』の主人公、坂築静人。
新聞記事や人との会話を通じて得た情報をもとに、人が亡くなった場所に行き、悼む。
悼む前には、まわりの人に話を聞いて、対象者がどのような人に愛され、感謝されたかを聞く。
”宗教的苦行”のようにも解釈される旅を続ける主人公の、日々の行動と思考を、半年に渡って日記的に綴っているのが、この作品です。
話を聞こうとして、変人扱いされたり、遺族から厳しい反応を示されたりしてしまう主人公。
それでも、人の死を悼まないではいられない彼の、心の葛藤と、死というものや悼むという行為に対する思考の経緯が、一人称で描写されています。
主人公の行為については、作中にも描かれている通り、様々な意見・反応があるかと思います。
でも僕は、この作品を通じて「他者の死に対する」ということがどういうことなのかを考える、貴重な機会を与えてもらえたと、受け取りました。
作中で、静人が様々な辛い目にあいながらも、行動に共感してくれる人にめぐり合うというのも、この作品のポイントの一つかと思います。
人の死とはどういうものなのか、生きるということはどういうことなのか、改めて考えさせてもらった作品でした。 -
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自分の中にある孤独をどう表現していくのか?
「もうひとりぼっちじゃない。」
という孤独にたいするメッセージ。
しかし、理解し合うことではなく、つながることではない。
こういう作品を読むと、心がいたたまれなくなる。
つらいのだ・・
とことん「逃げ場」を失っている。
登場する人物は、3名。
それぞれが「孤独」というものを背負っている。
風希 子供の頃の経験が、自分の中で、深く根ざしている。
誘拐 殺人 そんなことはいつもおこる。
ここでの生きている姿は、りりしく、
そして、まっすぐにいきようとしている。
ある意味では、小学生の体験として、自分の友人が誘拐された。
そのことを背負っている。
そのために、刑事の枠をはみ出している。
「一人でいいんだ・・」
ひとりだって生きていける。
陸上のリレーの選手。
ファーストランナーとアンカー
潤平 歌を表現する・・
自分の中で少しづつ変化している。
心の何かが、変化する。
どのような音色なのか
宮沢賢治が聞いていた音 風、川のせせらぎ、・・・・
自然がなくなっていくことによる音の変化。
川の色が変わる。
タカシ コンピュータシステムエンジニアリング
昼と夜の人格の分裂
イメージとしての家族
ひとりでいること。
家族をつくろうとする。
タカシは、学校の成績は優秀であるが、
まったく目立たない普通の人間である。
未婚の母をもち、その母が、少なくとも、
常識的な範囲内での生活を行えなかった。
それが、深くタカシの人間形成にかかわってくる。
家族をつくろうとするが、家族とはなんであるのかわからない。
「家族」というものを教える人がいないからだ。
家族とは、自分の体験でしかない。
家族への強制。
そこに、若い女性を強制的に連れてくる生活は、異常でしかない。
確か、新潟でそのような事件があった。
小学生を誘拐し、監禁生活を送る。
その家の中には、母親もいた。
しかし、母親は、そのことを知らなかった。
なぜそのようなことが、現実に起こるのか?
その監禁の上に、殺傷行為をおこなう。
母親が、なにか言うことを聞かないと、そのような行為をした。
そのことの影響。
そして、タカシの結婚、その時に母親が自殺する。
結局は、離婚。
どこか壊れたまま、コンビニエンスストアーで、獲物を探す。
昼と夜の生活の分離・・
どこで、狂っていくのか。
何がきっかけで狂っていくのか。
その狂い始めるところが、とても興味がある。 -
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天童荒太氏の長編小説『家族狩り』の第四部。
物語はここで著しく変化する。登場する家族の中で発生した亀裂は、少しずつ大きくなり、その亀裂に気付いていつつも、何もしなかった、見て見ぬふりをした、何とかしようとした者もいた。しかし、どうにもならない。亀裂は大きくなり、やがてそれは大きなうねりとなる。
第三部で、内部に潜む見えない虫のようなものが蠢いているような感じがして、ひどく不愉快な感覚を覚えたが、第四部までになると、それまでが嘘のようにあまり感じず、まるで麻痺してしまっているようにも思えた。毒性の強い劇薬に触れ続けた結果、身体の隅々に至るまで感染してしまったかのような感覚すらも覚える。
第三部でも触れたが、そうすることで、取るに足らないようなほんの僅かな好事に触れただけでも、救いを求めるような気持ちになれるのは、著者の狙ったところの所以だろうか。
そして、これまでほんの一つの伏線に過ぎなかった「害虫駆除」の要素が、ここで大きな意味を持つようになる。少しずつ明らかになる全体像。「害虫駆除」と、一家惨殺との相関関係。そして、ペットの死体の放置。
のめり込めばのめり込むほど、他の要素がおざなりになり、ついにはその他の要素にそっぽを向かれたり別れを告げられるような結末になってしまうのは、本書に登場する人物に似たような境遇で、何とも皮肉なものであろう。
前にも述べたと思うが、本当に思う。世の中は、ここまで荒んでしまったのか、と。あまりにもその荒み様がマジョリティのように綴られており、「こんな世界は変えようがない」と嘆き、半ば諦めに走ってしまうのではないかと心配をもしてしまう。
「どうしようもないと嘆くなかれ」「世界はこんなに素晴らしい」と、メディアがこぞって紹介しても、自分の身の回りの荒み様を目の当たりにすると、そうにも思えてこなくなってしまうのだろう。本書が、所謂そういった心情の『とどめ』になることにならないことを祈るばかりだ。
だからと言って、本書を有害図書に指定するわけにもいかない。フィクションであり、少数ながらも、本書に綴られている内容は、半ば現実として起こっているのも事実だ。
そういったことを目の当たりにして、私たちはどう行動すべきか。世界規模の壮大な問題も、ほんの小さな家族の問題も、その根幹は同じなような気がする。家族の問題を解決してこそ世界の問題にも相対できるし、世界の問題の解決が、ゆくゆくは家族の問題解決につながるかもしれない。やりがいによる優劣をつけず、別個の問題として完全な切り離しを行わず、やはり同時に真摯に立ち向かうべき問題ではないかと思う。