天童荒太のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
このような作品を読んでいると、人間の心の危うさ、脆さを実感してしまう。多分、どの人も皆生きづらいのだと思う。確かに現代日本は紛争もなく、平和と言えば平和なのかもしれない。しかし、それは人々の鬱屈した気持ち(言いたいことを言えない、誰もわかってくれないなど)の上に成り立っているものであって、かなりの危うさを秘めている。それが少し噴出したものがSNSでの誹謗中傷などなのかもしれない。
誰かが誰かを傷つけ、その傷つけられた人がまた他の誰かを傷つけ、それが永遠と繰り返されているように感じてならない。我々の心は一体何を求め、どこに向かっているのかと、ふと思う。 -
Posted by ブクログ
1996年第9回山本周五郎賞を受賞した「家族狩り」をベースに、新たに書き下ろした全5部の巨編小説。
ジャンルとしてはミステリーということになるのだろうが、本書ではその部分はほんの触りでしかない。どちらかというと、些細なことが引き金となり様々な形で崩壊していく家族、そこに位置する人間模様が中心に描かれている。
恋人はいるが家族を作ることに強い抵抗を感じている高校教師の巣藤、家庭が崩壊した過去を持つ刑事の馬見原、児童虐待に携わる児童相談センターの氷崎、主にこの3人の視点から物語が語られ、ある事件を契機に3人の運命が交錯したところで本書は終わる。
この後の展開がどうなるのか、気になるところである。 -
Posted by ブクログ
震災から4年。立ち入り制限がある地域の海に潜り、遺品を持ち帰ることを被災者の会から依頼されている主人公。
月夜に潜り、そこに住んでいた人たちの生々しい記録が海底に沈殿しているのを見るたびに処理しきれないものを発散したい欲望にかられる。
何故自分はこんなことを引き受けたのか、犠牲になった人もいるのに自分はこんなに幸せで良いのか。
葛藤をしながらも真摯に災害に向き合う。
この作家の特徴だと勝手に思っている、重くて静かな感じ。だが、今回気づいたが、心を描いている分量よりも情景を描写しているほうが多いのではないか?情景描写に心を反映させている面もあるかもしれないが、多少読み飛ばしても差し支えない感じ。 -
Posted by ブクログ
孤独は好き。むしろ、孤独でないと居心地が悪いこともあった。
でも、このことをいうのは勇気がいったものだった。
ほんとうに孤独じゃないから孤独が好きだなんていえるのよ。
誰にも認識されなかったらどうなるの、寂しいんじゃない。
たった一人で宇宙に浮いている。
だあれも知らないのよ。
関係なく世界は続いていってしまう。
『ひとりなのは、よいことだったから。ただ、自分だけひとりぼっちというのは、ときに胸苦しく感じることがあるから、世界のどこかにいる、ほかのひとりたちを感じたくて』
「孤独の歌声」のストーリーはちょっと怖い。けして荒唐無稽ではない。起こりそうな起こって欲しくない事件の中で3人の(犯人と女性警官と19歳の男の子)孤独の歌声、不謹慎だがハーモニーが奏でられる。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ
遺された者の想いを描いた作品。この震災では多くの人が亡くなったが、その遺族は亡くなった人の数倍おり、死者に対する想いも遺族の数だけある。その想いは遺品に現れるが、それを海から取ってくる者にも当然現れる。
実際にこういうことをやってる人はいそうな気がする…月が明るい日の深夜に一回浜通りの海に行ってみたくなった。
地名は全く出てこないが、実際に被災した街が舞台になっていることがはっきりと分かる。舟作が潜っている海は福島第一原発近辺ということは明らか。私の被災地訪問の記憶からの推測だが、文平が住んでいるのは浪江や富岡で有志の会の会合が行われるホテルはいわきと思われる。そして化石掘りの話から舟作の故郷は歌津なのだろう。(違っていたら恥ずかしい)
-
Posted by ブクログ
静人という青年がただひたすら亡くなった人を悼み旅をする。静人に出会い戸惑いと疑問を感じながらもいつしか惹かれていく週刊誌記者と夫を殺した女性、静人の母親の視点を通して物語が進む。
見ず知らずの亡くなった場所へ行き、周辺でその人のことを聞いてただ悼む。それにどんな意味があるのか、何の為にそんなことをするのか周りから批判や疑問を投げかけられる。私も同様に思ったし、読んだ後もその疑問を拭えない。
当たり前だが、死の描写が多くニュースを見ているようで気分が重くなった。
ただ静人以外登場人物が魅力的なのでサクサク入り込んで読めた。主人公にもかかわらず静人だけどんな人間かよくわからない。
わざとそう描かれているのかも。
下巻に続く… -
Posted by ブクログ
心に傷を負った少年少女が、仲間とともに傷つけられた場所に包帯を巻くことで、傷を癒す「包帯クラブ」の物語です。
主人公で、ワラというあだ名の高校生・笑美子が、病院でディノと名乗る少年に出会うところから物語がはじまります。病院の屋上のベンチに包帯を巻いて、「これでええ、血が止まった」というディノのことばによって、ワラはとつぜん風景が変わったように感じます。
ワラは親友のタンシオこと丹沢志緒美や、彼女の知り合いのギノこと柳元紳一らと「包帯クラブ」をつくり、ディノと名乗った少年・井出野辰耶や、進路の違いが原因で仲たがいしてしまった中学時代の親友のリスキとテンポに、「包帯クラブ」の輪を広げていこうとします。
テンポが行方不明になるクライマックスに、ディノが過去に負った心の傷が明らかになる場面がクロス・オーバーするようなストーリー構成をねらったのだと思われますが、どちらもやや盛りあがりが中途半端だと感じてしまいました。十代のころのまだみずみずしかった感性には、本作の内容に揺さぶられるところあったのかもしれないという気がするのですが、もう若くはないということなのでしょうか。 -
Posted by ブクログ
やっと折り返し…
一家心中も、何だか他殺の線もありそうで、動物殺しと無関係なのか、どれがどの事件と関わりがあるのかまだまだわからない…。
淑子達、児童相談所は、電話相談をしている山賀に、行政や社会という解決策のない問題の根源かのように捌け口にされ、さらに玲子の親の駒田も現れ、無力感にうちひしがれる。
さらに70を越えた祖父が部屋で女性とセックスしているから注意してくれと大家に頼まれたり、すっかり変わった優しいジージのイメージが崩れる。少なくとも自分の親や祖父母には性的な事から卒業していてほしい、しているはずだと思い込むことで、問題を先送りにしているのではないか…と理性はわかっていても、感情的にわだかまる。
巣藤の勤める教え子が亡くなった事でマスコミ等がやってくる。芳沢亜衣は摂食障害行動や自傷行為をするようになり、テレビの取材で問題発言をし、引きこもるようになる。自分の衝動をコントロールできないが、親は子供の行動が理解できない。
巣藤自身は芳沢の行動と自身の言動から謹慎に。
昔のヤンキー風教え子と話して、自分がピエロと呼ばれていることを知る。やっと自身の問題に目を向けられるようになってきたが、自分が考えているあいだ、周囲は動きを止めてるとでも思ってんの?ひどいこと言われて、味方にもなってくれない、そんな人と一緒に上手くやっていける?と彼女に最後通告を、つきつけられる。
馬見原のところは動物の死骸の問題がさらにエスカレートするし、油井がとうとう綾女親子の元へ現れる。
俺は病気だった、やり直すには家族がいるという。自分の子供の頭かち割っておいて、息子にも俺を許させるチャンスが必要と語る油井も信じられないが、自分の妻子の問題から目を背けて、綾女達に期待を持たせたままの馬見原が反論しても全く説得力がない。
世界の問題には目を向けても、家族の問題にはどうしても感情が先に立って向き合うのが辛くなる。
古代ギリシャから存在する難しいテーマだ。 -
Posted by ブクログ
さらに鬱になる展開に…。
過去の男と対面する淑子。妻が亡くなって淑子にすがろうとした昔の男。その隣にいる子供に優しくママの代わりは誰も出来ない、と再婚の可能性を否定する。自分(親)の幸せと子供の幸せを秤にかけるようだけど、淑子は子供の幸せ一択。
その高潔さと潔癖は何から産まれたんだろう。
と思ったら、バイト先の子から相談されて、その後に自殺未遂をされたから、か。
自分の無力感と向き合い、心理学を専門的に学ぶという克服方法を選んでも、解決とは何かを定義できない家族問題と関わる。
ケースによって達成感と挫折感を味わう両極端なお仕事。頭が下がる。
自分の言いなりだった妻の自立に戸惑い、出所して妻に接触してきた綾女の元旦那、油井に歯噛みし、子供の親殺しに納得できないまま事件を追う馬見原。
子供の親殺しの事件に他者の介入があった可能性が発生し、子供が親を残酷に殺せるはずがないという思いを胸に捜査する。
死体発見の衝撃から、少年グループに暴行され少年グループがトラウマになる巣藤。
自分がケアされる側になって、初めて淑子達のような身近な相談員の重要性と仕事の大変さを想像できるようになる。
摂食障害になる生徒はホームレスを襲う少年らと、それを見て笑う友人の姿に違和感を覚える。
紛争地域の子供達は命の危機にある。日本は衣食住に困ることはないから、自分は不幸だと思ってはいけない…と言われても、経験したことがないものはあくまで想像で、中身が伴わない。
居丈高に叫ぶ教師は、ならなぜ今すぐアフリカの支援団体に所属しないのか。日本という国に生まれながらホームレスになって襲われている人と優先度は何が違うのかという問いに答えることができない。
いずれも、自分の家族に対して直視できないという歪な状態。でも、自分に関係あるからこそ、一番対峙するのがキツい。仕事なら割りきれるからね。
世界の惨状を放送する意味ってなんだろうと考える。
ひどい事件だねぇ、と言うだけで何もしない、気にしない大人達に対して、静かに無力感を募らせている子供がいることについて考えてもいなかったので、少し衝撃だったかも。
何でもすぐに知ることができる分、情報に対して、正しいか、今必要か、自分に本当に必要か、膨大な数の判断をしなければならない。
自分1人で何もできないような壮大な問題に対して、知りたくなくても読まされる。聞かされる。自分に何ができるか考えるよう強要される。興味ないと言えば叱責される。
自分の家族、地域など、幼い頃は自分の世界が狭くて、そこから自分の行動範囲が広がって、交遊関係が広がっていった。
でも今は最初から世界と繋がっているから、幼い頃からどう世界と付き合うのが子供にとって負担にならないのか考えて、媒体を与えた方が良いのかもしれない。