魚住昭のレビュー一覧
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野中広務は、1925年10月に生まれ、2018年1月に、87歳で亡くなった自民党の政治家。被差別部落出身で、大学教育も受けていない。町議会議員から政治家のキャリアをスタートさせ、最後は国会議員・大臣まで昇りつめた、たたき上げの政治家である。2000年の自民党総裁選挙で、野中の推す橋本龍太郎が、小泉信一郎に大敗を喫し、政治的影響力をなくす。2003年に引退宣言をし、政治の表舞台から姿を消した。
本書は、そのような経歴を持つ野中広務の評伝である。
普通の評伝と異なるのは、筆者が評伝を書くことに対して野中の了解を得ていないことだ。逆に、本作品の月刊誌への連載が始まった頃、筆者は野中から抗議を受けたことを、本書中に記している。
野中広務が、自民党の中枢で仕事を始めた頃から、日本の政治は大きく動き始める。長年続いた自民党政治が終止符をうち、細川連立政権が成立する。羽田首相を挟んで、自民党が巻き返し、自民党と社会党という当時考えられなかった連立が成立し、社会党の村山委員長が首相に就任する。その後、橋本・小渕・森と繋がった後の総裁選挙で、上記の通り、橋本が小泉に敗れ、野中の影響力は急速に衰えるのである。
本書は、色々な読み方が出来る。
自民党、あるいは、広く、日本の政治の歴史、あるいは、日本の政治家の暗闘の歴史の物語として読むことが出来る。京都府の革新府政との闘い・部落解放同盟等の被差別部落関連の政治との関係・田中角栄との関係・公明党との関係、等、野中が関わった政治家や政治団体の物語も知ることが出来る。
また、評伝なので当然であるが、政治家・野中広務の物語としても抜群に面白い。野中が様々な闘いを勝ち抜きながら立身出世していく様子、最後には野中自身の政治家としての限界により挫折してしまう、その様子。
上記した通り、本書を書くことを筆者は対象である野中広務から了解を得ていない。従って、取材は書籍・資料、あるいは、関係者へのインタビューによってなされている。膨大な取材量を、このような物語とした筆者の力量にも驚く。 -
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被差別部落に関する人達への直当たり取材ができていることが素晴らしい。さぞ骨が折れた事と思う。野中氏本人はほとんど語っていないのは致し方ないのか。
解放運動、とざっくり認知していたが、その中にも解放運動と融和、共産党がらみなど、スタンスの違いがあることが知れた。
その中を巧みに泳ぐ政治家としての野中氏の、ゆらぐように見える政治理念の精神的背景が想像できて、とても興味深かった。
自分の信念を体現する手段として政治活動があり、政治理念が一貫することがないのは当然とも言える。それを本人も自覚している所が、彼の懐の深さだと思う。
これらのゆらぎを踏まえても、地力の強さは今の政治家の何人分以上であることは間違いない。
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野間家の講談社、博文館、東京堂、などなど。戦前からの雑誌文化がよくわかる本。講談社に眠っていた社史に載らなかった速記録から色々な挿話が挟まれる。戦争協力、少年部などなど。
とても面白い。
新潮社の「斎藤十一」本、「2016年の文藝春秋」と、3冊合わせて読むとオモロいかも。ついでに、中川さんの「二重らせん」(旺文社について)を読むと日本の出版史がよくわかる。
鈴木庫三少佐の弾圧、紙配給。
日本は雑誌と書籍流通が合体したので、書籍が安く読めた。ということがわかった。大量に売れる雑誌流通に書籍が乗ったとのこと。
あた、野間省一氏がアフリカやアジアに地道な援助を、したことも知った。
とにかく良い本でした -
Posted by ブクログ
ネタバレ10年前に買ったのを、今になって読む気になりました。野中さん、すごい人だった。
大物政治家がバンバン出てきて政治史を知る上でも面白いし、被差別部落史としても興味深いし、野中さんかっけー。田中角栄なんて「悪の権化」みたいな印象持たされてたけど、地元の人や民衆にとってはありがたい政策をやってきた人なんだね。金のある時代だからできた政治手腕だろうとは思うけど。
あとがきに「彼の引退は(中略)平和と繁栄を志向してきた戦後の終焉を象徴する出来事だった。新たな時代には平等と平和の四文字はない。」とあり、文庫が出て10年後の今、確かにそんな世の中になっていてゾッとする。 -
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ナベツネと言えばプロ野球チームのオーナー時代、金にあかせた
選手集めを繰り返しプロ野球をつまらなくした張本人との認識しか
なかった。
本書はそんなナベツネの少年時代から読売新聞の社長就任までを
綿密な取材で追っている。
学生時代、共産党の細胞として活動したのはいいが、反乱を起こさ
れて党を追われる。読売新聞入社後は時の自民党の大物代議士・
大野伴睦の番記者になったことから、次々と自民党の中に人脈を作る。
著者とのインタビューでナベツネ本人は否定をしているが、政界裏
工作に積極的に関わり、政治部記者から論説委員になると右偏向の
記事を紙面にあふれさせ、自分の意に沿わないコラムは没にすると
いう職権乱用である。
自分のライバルになりそうな幹部社員や対立する社員がいれば、
策略を巡らせ追い落とし、トップに登りつめればスターリン並みの
恐怖政治でイエスマンを増産する。
「俺は才能のあるやつなんか要らん」
「俺は社長になる。そのためには才能のあるやつなんか邪魔だ。
俺にとっちゃ、何でも俺の言うことに忠実に従うやつだけが優秀な
社員だ。俺の哲学は決まってるんだ」
ナベツネ本人の言葉通り、読売新聞からは次々と名物記者が姿を消して
行った。新聞・テレビ、そしてプロ野球チームまでをも私物化した
権力の怪物は、未だ読売新聞グループの会長である。あの中央公論社が、
読売傘下になってしまったのは残念で堪らぬ。◎な良書だ。 -
Posted by ブクログ
野中広務氏の政治家引退までを描いたノンフィクション。
この本を読んで、野中広務氏の見方が180°変わりました。
究極の叩き上げ人生ですね。
逆に究極の実践力がないと、ここまでのし上がることは出来ない。
鈴木宗男氏が、頭に浮かびました。
もちろん、全く出自が正反対の麻生太郎氏とは所詮水と油。
著者の綿密な取材力には舌を巻きましたが、巻末の佐高信氏の解説を読んで、ジャーナリズムの道徳観というものについて、考えられさせられました。
本人や血縁者の意向に関わらず、結果として暴かれてしまうということの意味を。
そういう意味で、今回は野中広務氏の肩を持ちたいと思います。
でも著者をけして全否定している訳ではないです。
そして、我々読者にも、一定の品位や謙虚な心が必要だという事も改めて感じました。
いろいろな意味で、得ることが大きかった読書でした。 -
Posted by ブクログ
大下英治「専横のカリスマ」からの魚住勉「メディアと権力」。大下本ではナベツネで、魚住本ではワタツネなのですがワタツネの方が禍々しさ増量です。時間は10年以上遡っているのですが。猜疑心、嫉妬、コンプレックス、人心掌握、根回し、恫喝、嘘、密告、怪文書、罠、金…いやいや権力を志向するとはこういうことか。もはやピカレスクロマンとして堪能してしまっていました。でも、これ創作上のキャラクターじゃなくて実在の日本の政治を動かしている人物であるところに気づくと哀しい気持ちになります。母親に志望校入れなかったことをなじられたことを晴らそうとしている、それ市民ケーンのローズバット?あるいは20世紀少年シニア版?なによりも未だ死んでいない権力者を題材に赤裸々なドキュメントを息をも継がせぬエンターティメントみたいに書き切った著者を尊敬してやみません!
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2000年に、魚住昭さんという方が出された本です。
魚住昭さん、1951年生まれですから、2014年現在は63歳くらいですかね。共同通信の社会部系?の記者さんとして、相当に腕っこきの人だったみたいですね。1990年代後半に退社してフリーになられているみたいです。
いわゆるノンフィクション、渡邊恒雄さん、という読売グループの大総裁の方の、まあ評伝と言うか。
渡邊恒雄さん自体は、2014年現在でも、バリバリの現役。読売グループの事実上の独裁者であらせられて。
日本の政治や経済全般にも、恐らくは相当に影響力を持ってらっしゃるんだと思います。88歳。
どうしてこういうヒトが、こういうことになったのかなあ。と、いう不思議があったので、読んでみました。
この本は、まず、大変に面白い本でした。
魚住さんという方の書き方は、まずはいかにもジャーナリスト風に、非常に判りやすい。
その上で、とてもドラマチックに、というか、オモシロイ要点を大切に、読み物としての娯楽性も踏まえて書かれていると思います。
なんていうか…「ワルい男が、熱くて強くて、敵とぶつかりながら、苦しみながら、幸運と能力、執念と欲望でサバイバルして出世していくドラマ」として、ハラハラドキドキ。すごいです。
その上で、当たり前のことなんですけど。
中学生レベルの倫理観で言って、こういう人、こういう人たちが、こういう論理でもって、新聞作ったり政治動かしちゃ、いかんよなあー、という。
そういう平たい思いも、もちろん、読みながら感じてしまいます。
「そうだったんだろうけど、あー、やっぱりそういうことで動いて来た…動いてきた部分も少なくとも多少あったんだよなあ、日本っていう国も…」という。
そのあたりが、実に判りやすく、面白く、書かれています。
中でもやっぱり、ぞっとしたのが。
まあ、渡邊恒雄さんという、この物語の主人公さんは、権力欲に苛まれている人な訳ですけど。
その貪欲さ。
その恥知らずさ。
その欲望と飢え、男性的な支配欲と、「群れて、多数派に君臨する」という無目的な生理行動。
その一方で、笑っちゃうくらい必ず付随する、デリカシーやプライバシーへのがさつさ、個人主義という言葉との無縁さ。
で、大抵が、下ネタやらセクハラやら、自他を汚して一体感と反知性行動を満たす、テレビバラエティ的な宴会系コミュニケーション能力…。
そして、「権力のために、徒党、グループを作る」、という皮膚感覚的な行動っていうか。飲み会好き…。深夜帰り好き…。
そして、いないところで悪口を言って反応を見る、とか。
そして、なんてうか、「手段のためなら目的を問わない」という恐ろしい勤勉性とタフさ。体力。
うーん。
会社員、というか、組織の一員をやっていると、
「ああ・・・こういうタイプの人・・・年上にも、同年代にも、年下にも、いるなあ・・・確かに・・・」
と、思わされました。
そういうコトの、解説と代表を堪能している気分というか…。
そういう人って、そんなに、いっぱいは居ないんですよね。
でも、たまに居ます。
そして、ほぼ絶対、変容しませんね。
できれば、関わらずに時間を過ごせると嬉しいのですが、もし、何かの拍子で相対してしまうことがあったら、局面はともかく総論としては、絶対叶わないだろうなあ、と。この本を読んで。
だって、飢え方が違うし。努力?が違うしなあ…。
ただ、報道機関というものに、僕が求めるモノとしては。
ベタかも知れないけど、やっぱり権力の監視ってことだと思うんですよね。
できれば性善説で生活したいんですけど…権力を持った人、という限定で言うと、性悪説で考えたくなるんですよね。
そういう監視機能を僕は求めます。
で、監視される側は、そりゃ監視されるのは面白くないと思うんです。
でも、僕は権力に関しては「過剰監視」の方が、「過小監視」より、100倍増しだと思っています。
だって、それなかったら、要するに政府広報と一緒だもん。。。
だから、やっぱりジャーナリズム、報道機関は、「権力の犯罪」「権力の私欲」を暴き報道するという、安易でもそういう月光仮面的なヒロイズムって大事だと思うんですよね。
というか、そういうの無かったら、ただ単に権力と名声に近い仕事、っていうだけじゃない…と思ってしまうので…。
で、大事なことは、タダの批判でもなんでもなくって。
なんていうか…主義主張とか、善悪論議とか、実は僕はどうでも良いと思っていまして。そんなのはどうとでも言えるので。
「それで、誰が得をするのか」
「それで、誰が損をするのか」
「なんで、そうなったのか」
「誰が、そうしたかったのか」
「これまでは、どうだったのか」
「どうしてこれまでは、そうだったのか」
「これまでは、誰が得してたのか、損してたのか」
「よその家、国、ではどうなのか」
「それは、どうして、そうなのか」
ということを、必ず、権力は隠したがるので(笑)。
それを、出来るだけ判りやすく、論拠と証拠を揃えて、
読者視聴者の前に並べることだと思うんですよね。
だいたい、権力持ってる人が、「金の流れ」のことを言わずに、大義名分を語るときっていうのは、「金の流れ」のことを言われたくない時ですから。
そういうことが、報道としては大事だと思うんです。
当選落選を数秒早く報道したりすることじゃなくって…
ま、というのは脱線でした。
#####以下、非常に簡単に本書の備忘録#####
渡邊恒雄さんという人は、エリート&資産ありの銀行員の長男。
当然、戦前に生まれ、早くに父を亡くして。
母に、「エリートになれ、受験に勝て」と超圧力を受けて成長。
ガキ大将ではなかったようですが。
受験については、そこそこ負けたりしてコンプレックス。でも最終的に東大に。
で、服従する自我というのは小さかったのか、軍部や権力に反発。
兵隊になって初年くらい、戦場は知らずで終戦。
終戦後もしばらく大学生ですね。えっと、東大行ったのは終戦後だったか?
東大は哲学科なんです。哲学青年だったんですね。
そこで、戦後復活した左翼運動、共産党入党。
そこで、大学生ながら左翼的な権力闘争に入ります。
そもそもは、「言いなり子犬のような活動じゃなくて、自主性、哲学的思考や議論のスタイルを」という主張だったそうで。
ただ、それを主張してある種、小さな社会で天下を取るんですが。
追い落とされます。策謀でもって。
つまり、大学生の共産党的な集まりの中の、権力闘争に敗れる訳です。
それを恨んで、憎んで、反撃攻撃するんですね。
ここから、反共になります。
この恨み具合は凄い。
この頃から自我の逞しい、理性も勉強も弁も論も度胸もある、相当なタマだったことは間違いないようですね。
卒業後、読売新聞入社。
中央公論を落ちてるんですね。読売新聞、という選択、多分、第一希望じゃない。
で、ものすごいプライド高くって。
「三流の方が早くトップになれる」とか周りに言ってたんですね。
恐らく、若い記者として優秀だったんだと思います。相当に。
それで、政治部に呼ばれて。大野伴睦さん、という自民党大物政治家の番記者として、番記者を超える信任を得る。
そこから、もう一気に、まずは大野伴睦さんを通して、自民党政治、利権の世界へ突入していきます。
そこンところは魚住さんも、公平にっていうか、書いていると思うんですけど、
「問題解決能力」みたいなものは、すごかったんだと思います。渡邊恒雄さん。
無論、それは、人脈、つまりは付き合いの広さ、厚さ、タフさ、みたいなものが前提にある訳です。
なんだけど…。
うん。悪事をやるうえで、親分に担ぐなら、最適かもですけど…「公平で、両サイドの意見、そしてこの事件の意味合いや見通しを、庶民の気持ちで報道してくれる人」という意味では、この辺で、もう早々に、ジャーナリスト失格の域に入っている訳ですね。
(その上、どうやら「自分はジャーナリストだ」という割には、まあ、有名なジャーナリストさんたちのように、目立った功績業績はないんですね。そりゃそうです。だって、自民党べったりで生きてたわけですからね…)
で、大野伴睦さんから自民党政治家たち、そして、右翼の大物・児玉誉士夫さんとの付き合い。
このあたり、
「ああ、こういう問題が起こった時に、こういう動き方をして、それでもってこういうお金を貰って、そうやって日本の保守権力って動いているんだあー。へ~」
という、
恐らくそういう業界の方から見れば、子供レベルな納得の仕方というか。中学生的なふむふむ感。この本は例証が豊富で面白いです。
無論、ほんとかどうか知りませんよ。
渡邊恒雄さんみたいに「こんな本は全部デタラメだ!」って叫んだら、それはそれで、ひとつの味わい方でしょう。
でも、僕は結構、「こういうことってあるんだろうなあ」と思いました。
だって、そうじゃなかったら、昔も今も、おかしなことが、僕から見ても多すぎますからね。
そこから、まあ時系列で言うと、
読売新聞内で、政治部の中心人物として、社会部閥との権力闘争をしながらなんでしょうが、
自民党的な政治機能の一部として、主に中曽根康弘さんと共に、浮き沈み。
大野伴睦さんの死後は、恐らく中曽根さんの首相就任で一気に浮き上がったんでしょうね。
で、読売新聞内の権力を握ってからの、社内の恐怖政治の実態。
まあ、ようするに人事をむちゃくちゃに専横して、ヒトを掌握するわけですね。
このあたり、組織なら、いつでも陥る可能性のある罠ですねえ。恐ろしい。
で、最終的に、何がやりたいかって、その空虚さ。
結局、反共なんですね。左翼嫌いなんですね。
その論理は、論として納得できるものじゃ、ぜんぜんないんですけどね。
青春時代からのトラウマ、恨みなんですかねえ。
中央公論に落とされて。
インテリ出版社を買収して乗っ取って、でも潰しちゃって…。
読売で天下取ってから、その中央公論を買収して。
改憲論等、基本的には中曽根さん&自民党にべったりですね。
読売の論理、自分の権力っていう…本質的に「手段」であるべきものだけが、「目的」になっている、という…。
うーん。
実に面白い本でしたし、
「ああ、こういう風にこの人は、今のこの人になったんだなあ」
という、具体的及び、精神的な風景は良く良く見えた気がします。
力作、面白い本です。またこの人の本を読んでみようかな、と思いました。
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政治的に生きるというか…政治を行うっていうのが、もしも、この本に書かれているようなことなのであれば。
せめて、専守防衛でいたいなあ、と思いました。
階層的に上のヒトから身を守るために、必要な政治なり政治力であれば、それは持っていたいなあ、と。
でも、自分より階層的に下のヒトに対して、政治的でありたくないなあ、と。
それは、倫理っていうよりも、その方がシアワセそうだなあ、と思うんですけどね。 -
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1990年代前半、私は永田町界隈が仕事場でした。その間、多くの政治家と接する機会がありました。そうした中で、最も印象に残っている政治家が野中広務氏です。当時、彼は年齢こそ60歳を超えていましたが、当選回数は2-3回。まだ陣笠、その他大勢の1人、というポジションだったのですが、既に永田町周辺居住者の間では一目置かれる存在になっていました。
それは彼の情報収集能力の高さが大きな理由だったように思えます。下手な党幹部、派閥幹部に接触するよりも、彼と話をした方が有益な情報が得られました。彼の情報の扱い方のうまさもあったと思います。
そうやって接する機会が増えるほどに、人間的魅力も感じるようになりました。優しさとか思いやりとか、一面的なものではなく、人間的な深みを感じることがよくありました。
今回、本書を読み、様々な思いが去来しました。著者の魚住氏の分析は正確だと思います。政治家として功利的な面もあり、恫喝的な手法で政局を回していったことも確かです。
また、政策的課題をこなすことは得意でも、長期的ビジョンを構築することはできない、というとらえ方もその通りだと思います。
ただ、私にとっては、やはり非常に魅力的な人物でした。
記述に関して言えば、野中氏を軸に描かれた政界の動きの記述は、非常にわかりやすく、正確でした。(時折、政治家を取り上げた書物でも、書いた本人が正確にわかっていないのか、政策や政局の記述が非常に生硬で分かりにくいものもあります)
私が野中氏に接していたのは3年間ほどでしたが、いまだに印象深い政治家です。その野中氏の出自も含めて、政治家としての行動原理を解き明かし、さらに人としての思いにまで踏み込んで描いた本書は、ノンフィクションとして多くの人に読まれるべき傑作だと思います。 -
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戦後昭和の裏面史とも読める。
かなり重なる時代を生きてきた自分は面白かったが、解説にもあるように、後味の悪が残るのは否めない。
ナベツネよりはだいぶ若い私だが、何故これほどまでに、ナベツネが揶揄されるのか、正直分からなかったが本書を読んで理解できた。
恐ろしいまでの権力欲。そして、 品性の下劣さ。ただ、ここまで徹底してると見事だし、仕事そのものに対する姿勢には頭が下がる。
でもやはりどこか違うし、間違えている。
讀賣のトップに登り詰めてからの、回りの人間のナベツネに対する気の使い方は、どこの会社にもあることだが、周囲の人はそもそもジャーナリストとしての良心はどこに置いてきてしまったのか。
子供の頃にジャーナリストに憧れたこともあったが、所詮はサラリーマンなのね。
讀賣は、サッカーに対する姿勢や、野球での巨人のやりたい放題、また、右傾化が顕著になった頃から購読するのをやめてしまったが、裏では、こういうことだったのねと、妙に納得してしまった。 -
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ネタバレ本書を読むと、現在のメディアを巡る問題状況-いやメディア自身だけに留まらず、それが関わる森羅万象を巡る問題状況と言ったほうがより適切か-が一つの揺ぎ無い構造の上に成立していることがいやが上にも痛感させられる。メディアが文字通り「媒介者」でしかない以上、その入力を掌握するもの=公権力がいかようにも動かすことができるというのは、あまりにも自明な、そして磐石な構図である。逆にそのような構図にも関わらずメディアが反権力であるという妄想が許された時代が牧歌的であったという気さえするほどだ。哀しいかな、権力の世襲を批判しようにも、今や政治記者の身分が三代に渡って世襲されるご時世なのだ。
言論統制といえば今だに北朝鮮が例に挙がることが多いが、かの国のように「言論統制する事」を半ば公とするような仕組みは、メディアへの入力としての「情報」は統制できても、言論の基盤となる人々の意識を制御することはできない。比較してわが国は言論の自由がタテマエとなっているために、情報を統制することが意識=言論を制御することに直結する。 何でも言えるはずのメディアが黙っているということは、そこに何か言うべき事実が存在しないと見なされる。少なくとも国民はそう見るように馴らされている。
魚住氏は元記者であり、かつての同僚たちの一片の良心に期待しているようだが、その点については異議がある。大企業の広告と公的機関の発表情報に牛耳られたメディア空間で、高額所得を保障された記者が垂れ流す記事が真実を伝えると考える方がどうかしているのだ。この簡単な事実に全ての人が気付くことからしか、突破口は開けない。 -
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大手メディアに幻想抱くようなことは無くなる。特に読売社会部の放逐劇を見ていると、政治中枢に喰いこもうとしている渡部氏の野望によってホトホトマスコミというものが嫌になる、そんな本ですね。一方で、権力者たちの実際の権力闘争と敵対する勢力の追い落とし方、誰がどのような立場を誇示し情報がどのようなルートで流れるのかまでをも徹底的に調べ上げる。一種の「恐怖、猜疑、嫉妬、打算、そして憎悪…。」(佐野真「あとがき」)あるいは「戦後の日本人で渡邊恒雄氏ほどマキャベリズムを理解し、忠実に実践してきたものはない」(同上)人物をノンフィクション化したものが本書だろう。
ACTAの報道が無風状態な事もマスコミがメディア情報をネット情報者に先取りされたくないからではという指摘にもある通り、権力から独立したメディアの役割をマスコミ自らが放棄しているからではないだろうか?社会正義を標榜しながらも政治家と同様の私利私欲によって、それを放棄した瞬間でもある。
ナベツネ流に限らないが、権力者たちの怖さは、権力闘争の末に、彼になり変わって検閲する者や追い落とそうとする機構と化してしまうミニ・ナベツネの存在である。そうならないためには、集団の力ではなく、その力を理解した個人の登場が求められるのではないか、とも思うのですが。 -
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渡邊恒雄は現在巨人軍の人事問題及び清武元GMとの確執裁判で話題の人物。
スポーツ好きにはジャイアンツ有利にプロ野球界を扇動する悪しき象徴。
ジャイアンツファンにとっては必要悪的な存在。
その傲慢な発言と読売新聞のトップで各界への多大なる影響力の持ち主として何か不気味な存在として映っているだろう。
しかし、実際にどれだけの人がこの人物のことを把握しているだろう?
8歳で父親を亡くし、学生時代にエリート的挫折を味わい、反逆児的な気性の激しさを持ちつつも成長し、大学に入ってからは共産党員として活動。
しかしそこでも追い出される挫折を味わい、その劣等感と攻撃性は彼を運命的な方向へと導いて行く。
当時2流の新聞社、読売新聞にしか就職できなかったことが、運命のいたずらだったのかもしれない。
社会部が幅を利かせていた時代にまずは読売ウィークリーの記者からスタートし、政治部に異動してからは出世街道を切り開くどころか、とんでもないキャリアを積むことになる。
大野伴睦(後の副総理)の番記者となり、自民党政治に思い切り食い込み、韓国国交正常化に一役買い、その影響で各新聞社の政治部記者を牛耳り、ついでは親交のあった中曽根康雄を総理にまで導くキーマンとして活躍。
途中出版社経営にも首を突っ込み、あえなく失敗しているからいかに働いていたかが伺われる。
その他読売新聞社の現在の本社がある土地の払い下げを当時の政府から読売にまわすよう交渉したり、大物右翼児玉誉志雄と関係を持ち、政治の裏舞台を仕切ったり、そしてロッキード事件でも彼の名前は取沙汰された。
つまり、大物中の大物なのだ。
日本の近代昭和史の黒幕と言っても過言ではない。
途中ワシントン支局長として3年半アメリカで暮らしているが、そこではいない間でも出世コースから外れないよう昼夜時差関係なく日本とも連絡を取りながら働いたようだ。
その結果、アメリカでスポーツと触れた形跡はほとんどない。
野球で言えば、セカンドとショートの違いもおぼつかないようだし、ルールもとんちんかんのようなだ。
江川の空白の一日事件でも仲介役として登場し、阪神にトレードされる小林氏を説得しに登場したが、顔さえわからず、途中まで後見人を一生懸命説得していたようだ。
こんな人生を送ってきた「巨魁」が、まともに球団経営に興味を持つはずがない。
彼は現在裸の王様といえるかもしれないが、その圧倒的な権力で周りを怯ませて行くその迫力は健在だ。
それはスポーツのもたらすものと相反するものだ。
その究極の例が、Jリーグに彼の論理が勝てなかったことだろう。
別リーグという脅しがJリーグには通用しない。
何故なら世界的な規模の権力者、FIFAがその先の道につながって存在しているから。
ワールドカップという世界の祭典がその先にはあるのだ。
したがってそのグローバルな大規模な大会、夢、目標は、読売新聞と自分の地位を守る保身では崩せない牙城なのだ。
しかし一方で日本の政治の裏フィクサーをしていた、巨大メディアのトップに地域密着やら球蹴りの興奮を理解してもらうのは苦しいだろう。
スポーツファンはその部分を理解して、彼の言動を見て行くと妙に納得するだろう。
この人物像を理解する上で、すばらしい一冊 -
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イマドキ、野中さんですか?という感じだけれど
これがどうして、とても面白い。野中さん自体は過去の人でもあるが、
今、議会で跳梁跋扈している人の名前も多数。
(特に小沢一郎の動きは中盤の見どころですね)
(あと、小渕が想像以上にかわゆい)
今読んでも、日本議会の流れ、についていくらかの視野を与えてくれる。
時局上の問題だけでなく、
この本はあるタイプの政治家についての示唆も行っており、
野中のような媒介タイプの政治家の威力と限界を検証しているものとなっている。
(とはいえ、そのような道筋でしか、彼は出自の問題故に政治家たりえなかっただろう)
総じて、ネタとして面白く、かつ時期を過ぎても
政治についての思考材料として十分耐用に足るものだと言える。
ただ、正直に言えば最後の対談で
「野中がこの本を不快に思いつつ、訴えれば勝てるだろうに訴えないことが、この本の内容を保証し、彼が一流であることを証だてる」
という内容のことを言っているがこの内容は文章にして書くのは厭らしすぎる。
この佐藤という男はおそらく魚住君より下品である。
そして、最後に佐高君という先輩的な人物が
解説という名前の要約を書いているが、しがらみというしがらみは
議院などとは関係なく、社会のすみずみにあるということを証明している。 -
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政治家人生の後期(晩年?)しか知らなかったし、テレビを通しての印象としては権力を笠に着たたぬきジジイという印象だったのが、少し変わった。
出自への同情ではなく、上り詰めるというあくなき執着は一般の社会人に置き換えれば「向上心」とも言えると思う。ただし、その手段が何でもあり、ポリシーも一貫してない、というところにやはりずるさ、汚さを感じてしまう。
政治家としては基盤をもたない中フィクサー的役割を演じられたすごさと最終的にはよりどころがない故に足元ををすくわれて賞味期限が来てしまったというわかりやすい話だった。
手法、目的の是非はあれば野中とか亀井とか古賀とかが暗躍しながら「推進力」と「実現力」があった時代の政治だったらいまの原発対応はどうなったのかはちょっと興味がある。
そして、著者の魚住さんはノンフィクション作家としてはやはりピカイチだと思う。