藤田一照のレビュー一覧
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藤田さんの知性と実践知が溢れる回答が良い。
伊藤比呂美の屈託ない質問も良い。
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・坐禅は仏教を「する」こと。Let’s do it.
・宗教は指輪物語と変わらない。ファンタジー文学はお経に似ている。人間はいつも心のどこかに、現実ではない世界を構築したがっている
・人は、わかったつもりになっている現実にヒビを入れたり、全く違う視点からそれを相対化したいのでは?
・自分というバカがいかにバカかを思い知ることで、賢くなる(賢い人になろうとしても、賢くはならない)
・坐禅でも、座って悟ろうとするのではなく、自分が座っている時に何が起きているかを正直に嘘偽りなく冷静に、広く深く、細やかに落ち着いて見る。
・坐禅は排便であるby 鈴木俊隆
・精神に自律性はあまりない。温度、湿度、などの環境と相互作用している身体の働きから立ち上がってきている。
・出家は、一度死ぬこと
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Posted by ブクログ
曹洞宗の僧、藤田一照の本。腹落ち度高し。特に◎
・ブッダは自分自身が悪魔だと知っていた
・現実から学び続ける
・修行は、平安を目指して苦しい道を歩くのではない。道を歩む一歩一歩がすでに平安であるべき。
◎何かを求めている時は必ず緊張が生まれる。リラックスできるのは、起きていることをそのままにしておけるときだけ。そのとき、世界はまったく異なった様相をもって立ち上がる
・微笑みなさい。修行は楽しいものであるべき。
・道元:修行と悟りは不可分一体。力を入れず、心を煩わせたりすることなく、生死の苦しみを離れて、仏となる。
◎ネガティヴ・ケイパビリティ by キーツ =人が不確実さとか不可解さとか疑惑の中にあっても、事実や理由を求めてイライラすることが少しもなくていられる状態
◎心の許容がする力が増して、悩みをそっとそのままおいておけるようになる
・触れてよく見る。人生の真実を抱き上げてよく調べ、真実の生き方を学んでいく
・吾我は常に不満。それをいちいち魔に受けていたら愉快に生きてはいけない。生きていること自体が無条件に愉しいという愉快さは、being モードに属する。 -
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ネタバレ仏教ではそれほど重視されていない、「仏陀の生き様」を、自分の経験や体験をフィルターにして読み解いていくことで、仏教の教えが生まれた背景や理由をより強く「体感」し、腑に落とすことを目指す試み。
著者の藤田一照さんは著名な禅僧であるが、単に座禅を組むだけでなく、ボディワークなどを通じて、より体で座禅「する」アプローチを取られることで有名だ。また、一照さんは合気道をはじめとして、武術にも造詣が深い。武術の稽古も同様に自分の体感を通じて腑に落とすという営みであることから、一照さんが仏陀の生き様を「体感」することが大切だというアプローチを取られるのは納得がいくところだ。私も合気道を稽古する身。このアプローチには親近感を強く覚えた。
…が、しかし、である。
仏陀の生き様といっても、仏伝には象徴的によく知られたエピソードしか書いていない(のだと思われる)。これを「体感」するには、仏伝を読み解く側に相当な人生経験や洞察力、知識が必要とされる。断片的な情報であるエピソードを、読み解く側が肉付けしないと「体感」出来ないからだ。そこを、一照さんは見事にやってのけておられる。仏教だけでなく、キリスト教や哲学、そして一照さんの人生経験など、ありとあらゆる引き出しを開けて、エピソードの背景や解釈を示し、その時の仏陀の思いを生き生きと読者に提示してみせる。読者は、そこで納得し、初めて自分の人生と仏陀の生き様に共通する部分があるのだと思い至る。
…仏伝を「身読」(体感)している一照さんを、読者が「精読」する本、と言えば、ある程度正しく表現出来ているだろうか。
仏陀を介して、一照さんと対話出来た、貴重な本だった。 -
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感想書いたと思ったらすっかり忘れてた。読みました〜〜〜いやーー時間かかった!!!!笑
けど、ほんとに買ってよかった本!!!!!!
あたしもいつか、何事をも(邪念をも)喜んで受け入れて、手放して好きにさせて、でも惑わされることなく堂々としている、大きな樹のような心で生きられたら…と思いつつ、まあどう足掻いてもピヨピヨしちゃうあたしはあたしだしねと、いい意味でのほほんといられて、だからこそ一歩一歩をたのしめるようになったのは、この本のおかげだと思います。
ちゃんと負けて、ちゃんと赦して、自分自身を含めたいのちを尊んで(あ、虫は依然きらいですほんとごめんなさい)、朗らかに生きていきたいな〜と思いまする。やっぱ何事も、力んじゃだめよねえ、、、 -
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鈴木大拙氏の「禅と日本文化」を読み感銘を受けたので、もう1人の鈴木さんと言われている鈴木俊隆氏の本書も購入してみました。正直に言うと「禅と日本文化」の方が武道での例えなどもあり、わかりやすかった印象がありますが、本書にもハッとさせられる記述や表現があり、そこに出会っただけでも本書を購入した価値はあったと感じています。
本書を通じて伝わってくるメッセージとしてはタイトルにもあるように「初心忘れるべからず」ということと、座禅を通じて「大きな心」を持つと言うことでしょうか。また大事なのは頭で理解するのではなく体験せよ、ということです。
会社で仕事をしていると「考え抜け」というようなことをよく言われますが、果たしてそれだけでいいのか、それだけではなく考えずに「感じ取る力」も大事ではないかと本書を読んで思いました。下手に知識や経験が身につくことで、逆にわからなくなっていることが多々ある、つまり初心忘れるべからず、ということがやはり大事ということですね。ちゃんとした座禅ではないですが、自宅で座禅する時間をとるようにしました。 -
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ネタバレアメリカで17年に渡り禅を指導している禅僧が説く禅のアレコレ。
アメリカの人向けに解釈され直しているせいか、アプローチの仕方が他の人と違っていて、腑に落ちる表現もいくつかあった。
個人的には、なるほど!と思う点が多く、とても良かった。
本書の主眼は、個人が孤立した点として存在する「分離の様式」からすべての物が繋がりあっている「繋がりの様式」への転換を勧めているのかなと思う。
以下、いいと思ったメモ
・地獄にだけは行きたくないと思っている人には、逆に地獄が現れる。
・『貪(pull)』
今ある状態は好ましいけど、まだ何か足りず、その何かを欲しがること。
・『瞋 (push)』
今の状態に何か気に入らないものがあり、腹が立つので、取り除きたいと思う。
・『痴(ignorance)』
今起きていることに自覚がない。
・幸せなのが当たり前、普通の状態になるような生き方に育てていく
・回避したいもの、否認したいものがあるとパーティーが楽しめなくなる
・「死」をわからないままでそれを受け入れる
・生は生ぎり、死は死ぎり
・心配しなくても、必ずどうにかなるよという応援が諸行無常
・自己の向上とは、裏を返せば、自己満足の追求で、自分や他者との競争である。周りの人は脇役になってしまう
・主観の自由が否定されるところに、自然の道理に従うという主体の自由が成り立つ
・分離した自己防衛のバリアが自分を孤立させ、孤独感を生む。そして孤独感を忘れるために他人とつながると、共依存や馴れ合いになり、相手を搾取する
・分離した状態のときに、求めたものが満たされても、いずれまた孤独感と欠乏感がやってくる
・homeとは一人ひとりが安らかに、はっきりと現れる事ができる場所。そのhomeのようなものが欲しくて、人は外にhomeの代替を探してしまう
・「してはいけない」が「してもいい」へ
「しなければいけない」が「しなくてもいい」へ
・自信とは自分の外側にあるものに寄りかかって「つくる」のでなく、自分で「いる」こと
・四摂法
「布施」貪らずに、力を差し出すこと
「愛護」温かな心遣いの言葉をかける事
「利行」他人が利益を被ることを考え、実行する
「同時」相手に好感し、寄り添う事
・「慈」与楽「悲」抜苦「喜」共に喜ぶ「捨」平静な心 ⇔ 「執着」「絶望」「嫉妬」「無関心」
・周りが喜んでくれるからでなく、私がやりたいからやる
・「苦しみ=痛み×抵抗」「幸せ=快感÷執着」
・BELLA (座禅中に見つけた煩悩との向き合い方)
Be, Examine, Lessen , Let go , Appliciate
・RAIN (煩悩に限らず、知るということについて)
Recognize, Allow, Investigate ,Non Identify
⇔
DROP (主観でしか見れない無明)
Delude, Resist , Oblivious , Persophication -
Posted by ブクログ
ネタバレ禅入門、である以前に禅僧による仏教入門としてもそうとうわかりやすい。
で、ちょっとした符牒だの専門用語が出てくるたびに話を止めて確認する伊藤比呂美さんが非常に読者にとって頼もしい存在に思えてくる。
座禅は「本当の自分探し」だの「潜在意識の覚醒」だののためにあるんじゃなくて、ただそこに座っていることで身のまわりとのつながりを確認し己を調えるものなのだ、という辺りが本書の肝で、修行は苦しいものでも特別なものでもない、というところにこの先の未来での布教のヒントがあるのではないかしらん。
とまれ、仏教とはナニか、を説明するために手元に置いといてもいい本なんじゃないかしら。