藤田一照のレビュー一覧
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私たちの人生を豊かにしてくれる仏教の『学び方』についての本。仏教の学び方を体得すれば『愉快な人生』(=いつも溌剌で生き生きとした、自分の生きているそのものが快い状態い)を送ることができる。
自分は全く仏教的学びの生き方ができていないのだと思い知らされた。
仏教は生きることそのものから学ぶ。日常が...続きを読むPosted by ブクログ -
とてもおもしろかった。
答えのない学びこそが本来の学びであり、学校等人が教えてくれる答えのある問は学びではないということ。
生きる喜びは、学び続ける面白さを知ってこそはじまるのだ。
アンラーンやネガティブケーパビリティ、いつでも初心を持ち続けること。
入門的だけれど、興味をこれから深めたくなる。
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苦しみ = 痛み × 抵抗
幸せ = 快感 ÷ 執着
ブッダも痛みや快感を感じることはあるが、それをありのままに受け入れる。
座禅をしてみたくなった。Posted by ブクログ -
この世の一切は苦しみであると説いたブッダが菩提樹の下で行った結跏趺坐。
そこでは自己へ向かった意識を捨てる行いが行われていた。
人間は狭い部屋でくつろぐことができない生き物だ。自己への意識が、現在の自己、未来や過去の自己への意識が、「人間的な営み」を起こさせるからであ...続きを読むPosted by ブクログ -
曹洞宗の(おそらく)僧侶で、アメリカでも座禅の指導などに取り組んできた藤田一照による、仏教的生き方を簡潔に紹介する、「学びのきほん」シリーズの一冊。本書の要点は、学びを二つの観点でとらえていることにある。一つの観点は、学びとは目的に向かって何かを学ぶことととすること。もう一つの観点は、明確な目的が無...続きを読むPosted by ブクログ
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ガツガツ勉強して
ゴリゴリ色んなところに行って
色んな人に会ってみなきゃ!
と何かに追い詰められるように
スケジュール埋めていた20代。
転職して、結婚して、子供が産まれて
活動範囲がどんどん狭くなって
会う人もどんどん限定されて
行きたいところも
観光地色々周るとかより
南の島で穏やかに過ごした...続きを読むPosted by ブクログ -
とてもシンプルで分かりやすい。
ブッダ的な「学ぶこと」について、オーガニックラーニングの部分は真新しくて良かったです。
四苦八苦の人生を、愉しく快く生きる。
ドライで合理的でありながら愉快、というブッダの捉え方が新鮮でした。Posted by ブクログ -
仏教やブッダの基本。誰しもわかっている事だけれど、でも勘違いしている事などをブッダのされた事などを例にあげ、優しく解説してくれています。Posted by ブクログ
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仏教が示す物事の捉え方は非常に論理的であり、日常を生きて過ごすための示唆に満ちている
この著書はその入口を非常に平易な表現で記してくれている
しかしながら、一般認知されている宗教というカテゴリの意味合いが理解を阻む壁となっていることは否めない
宗教の説く言葉としてでなく、単なる理論として捉えて読む事...続きを読むPosted by ブクログ -
仏教、特に禅の考え方を引き合いに、人生を豊かにする学ぶ方について説いてくれます。
筆者のいう「オーガニック・ラーニング」の重要性は、自分の子どもを見て感じたことと合致しており、腹に入りました。
また、座禅はやることを最大限減らしていくこと、というのも個人的に好きな考え方です。禅に興味が沸きました。Posted by ブクログ -
仏教を作ったブッダや、著者が仏教に専心した理由が書かれている。
ブッダの素の名前は、シッダールタ。大事に育てられていたが、外に出て、病人や老人を見て人はいつかおいて死ぬのだと言うことを目の当たりする。老・病・死の苦しみから逃れられないと言うことを知る。
心の中で、「いつか出家して、老・病・死の苦...続きを読むPosted by ブクログ -
読みやすく、わかりやすいブッダの教え。
「うんざり」という感受性。
悪魔(煩悩)と出会えること。
学ぶことは、変わること。
ネガティブ ケイパビリティ。しない能力。
「闘う」でも「逃げる」でもない「触れてよく観る」
解像度の高い眼で、内的体験を観測する。
とてもおもしろかったです。
さ...続きを読むPosted by ブクログ -
著者の出羽三山での山伏修行での「受けたもう」の状態について非常に印象的だった。自分の中にある抵抗値が減ってくる。「受けたもう」という開かれた態度を教わったおかげで、きつい修行も愉快になる。
そこから野口晴哉さんの言葉を引用している
【雪の山道を重荷を負うて登ることは苦しいが、その雪の山道を楽しんで...続きを読むPosted by ブクログ -
仏教は、経典に書いてある難解で高邁な哲学だと思えたり、千日回峰行のように苦行通して到達できるものであると考えがちです。しかし、釈迦は29歳で出家し、高名な瞑想の師のもとで高い境地を得ても、6年の苦行難行を経ても、満足するに至りませんでした。35歳で瞑想も苦行も捨て、樹下に静かに座ること7日間、ついに...続きを読むPosted by ブクログ