あらすじ
17年半にわたってアメリカのマサチューセッツ州ヴァレー禅堂で住持をつとめた著者が、道元禅師の言葉を引用しながら、わかりやすくその心を解説。
さらに骨格や身体のしくみから坐禅の方法を詳説し、坐禅に関するあらゆる疑問に明確な答えを与えてくれる。坐禅に興味があるすべての人の必読書。
さらに、各章に付随した 臨済宗僧侶、整体、ヨーガ、気功、身体感覚の指導者との対談が深みを添えている。
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Posted by ブクログ
感想書いたと思ったらすっかり忘れてた。読みました〜〜〜いやーー時間かかった!!!!笑
けど、ほんとに買ってよかった本!!!!!!
あたしもいつか、何事をも(邪念をも)喜んで受け入れて、手放して好きにさせて、でもまどわされることなく堂々としている、大きな樹のような心で生きられたら…と思いつつ、まあどう足掻いてもピヨピヨしちゃうあたしはあたしだしねと、いい意味でのほほんといられて、だからこそ一歩一歩をたのしめるようになったのは、この本のおかげだと思います。
ちゃんと負けて、ちゃんと赦して、自分自身を含めたいのちを尊んで(あ、虫は依然きらいですほんとごめんなさい)、朗らかに生きていきたいな〜と思いまする。やっぱ何事も、力んじゃだめよねえ、、、
Posted by ブクログ
この世の一切は苦しみであると説いたブッダが菩提樹の下で行った結跏趺坐。
そこでは自己へ向かった意識を捨てる行いが行われていた。
人間は狭い部屋でくつろぐことができない生き物だ。自己への意識が、現在の自己、未来や過去の自己への意識が、「人間的な営み」を起こさせるからである。
自己を意識することは、「世界」と「私」に境界線を引くことである。しかし、境界はあるのだろうか。境界を引こうとする意識は人間の小さな意識によって行われているのではないか。人間はもっと広がりや深さのある意識の働きによって生きているのではないか。著者はそんな疑問を坐禅と座禅以外の多角的な視点から究明しようとしている。
普段生きていて苦しくなった時、人へ頼ったり、本で過去の人の考えに触れたりすることで解消されることがある。
宗教は、現世の他に居場所を作ってくれるような働きがある。
人間は今現在の自己の内側だけで生きていくことが出来ない生き物らしい。
座禅(曹洞宗的な)は、「現在の自己」と「世界」の境界をなくすことで、この問題を解決しようと試みている。
自分的には、自己への意識を捨てるという点に惹かれる。自己を巡って見失う、という苦しみが楽になるならば。