高遠弘美のレビュー一覧
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失われた時を求めて 5~第三篇「ゲルマントのほうI」~ (光文社古典新訳文庫)
by プルースト、高遠 弘美
ある年齢にあっては、「名前」というものは、私たちに現実の場所を指し示すと同時に、私たちが名前のなかに注ぎ込んだ不可知のもののイメージを差し出すことで現実の場所とそのイメージとを無理矢理同一視させ、その結果、私たちはある都市へ、そこに含まれているはずのない魂──といって、そんな魂を名前から追い払う力はもはや私たちにない──を求めて旅立つことになるのだが、かような年代にあるとき、寓意画のように名前が個性を付与するのは町や河だけではないし、名前がさまざまな色で飾り、不可思議なもので満たすのは物質的世界だけというわけではなくて、社交的な世界も同様である。そのとき、森には森の精霊がいて水のあるところにはその神々が存在するように、城のひとつひとつ、名高い館や宮殿のそれぞれが貴婦人や妖精を持つのである。ときどき、名前のかげに隠れていた妖精が、それを育む私たちの想像力の働きに応じて変容することがある。たとえば、私のうちに存在していたゲルマント夫人を包みこむ雰囲気は、何年もの間、幻燈のガラス原板と教会のステンドグラスの反映にすぎなかったが(7)、まったく別の夢の、泡立つ急流のごとき 飛沫 を浴びたとき、その色はしだいに褪せていった。
私はすぐにジュピアンのうちに、稀に見る知性、それも、私が知り得たなかでもっとも文学的な生来の気質を保った知性が備わっていることに気がついた。要するに、おそらくジュピアンに教養はなかったろうが、何冊かの本をざっと走り読みしただけで、言葉のもっとも巧みな表現を身につけ、我がものとすることができたという意味である。この上ない才能に恵まれた人びとは、私の知る限り、ごく若いうちに世を去った。それゆえ、私はジュピアンが早世するだろうと確信していた。彼は善意と 惻隠 の情を兼ね備え、この上なく高潔で寛大な心を持っていた。さりながら、フランソワーズの生活におけるジュピアンの役割はすぐに、不可欠のものではなくなった。彼の代わりになる存在を見つけることを学んだのだ。
それは命を懸けてもいいと思われたほどの観念であり、その中心にあったのは、コンブレーの庭で読書をしていた午後の間に育んだ夢想でもそうだったように、完璧さの観念であった。
ところが、噓と偽善というのは誰の場合でもそうだが私の場合も、切迫した偶発的な状況に押されて身を守るために何か特定の利害によって発せられるので、麗しい理想のみに焦点を合わせている私の精神は、私の性格が蔭に隠れてそうした緊急の下らぬ仕事をやり遂げるのを放置しているばかりか、顔を背けてそちらを見ようともしなかった。
「だめ、だめ。あなたをうんざりさせるだけ。教養なんて皆無の連中だもの。馬のブラシかけ以外には競馬の話しかできない。それに、ぼくのことで言っても、やつらはぼくがずっと待っていたこの貴重な時間を台無しにするだろうしね。ただね、ぼくは仲間たちが如何につまらない連中かとは言うけれど、だからといって、軍に関することすべてが知性を欠いているというわけじゃない。むしろ正反対のこともある。 ぼくたちのところにいるある少佐は、それは素晴らしい人でね。 その人の講義では、戦史がまるで代数か何かのように、数学的な証明を伴って扱われるんだ。美的観点からしても、あるときは 帰納的、あるときは 演繹的に示される美しさがある。あなたもきっと無関心ではいられないと思うね」
バルザックに、あなたは今世紀で最大の作家です、スタンダールとともに、と言うようなものでね。実に的を射ているだろう? というか、途方もない讃辞なんだよ。
「とんでもない。バルベックで一緒に読んだ哲学の本( 242) を覚えているだろう? 現実世界と比べて可能性の世界がどれほど豊かなのかが書かれていたよね。そうなんだよ。戦術も同じことでね。ある一定の状況のなかで必要とされる計画が四つあるとしよう。将軍はそこから選ぶことができる。病気はいろいろな経過を辿るかもしれないのだから、医者はすべての事態を予想していなくてはならないのと似ている。そして、そのときでも、人間の弱さと偉大さが不確実性の新たな原因となる。そのわけはこうだ。偶然の理由によって(附随的な目標を達成しなくてはならないとか時間が切迫しているとか兵員が少なくて補給状況も良くないといった理由だ)、将軍は四つのうちで、決して完璧ではないが、実行するのに必要な金も犠牲も少なく、迅速に事を運べて、しかも、軍の糧食を確保できる豊かな土地で展開するという理由から第一の計画を選んだとしよう。
かの偉大なる数学者ポワンカレ( 245) のことを思い出してごらんよ、彼は、厳密に言って数学が正確なものだとは信じていないんだよ。きみに話した軍の操典だって、結局二次的な重要性しかもっていないし、ときどき変えられてしまうこともある。
かつて沈黙は力だと言われた。それとはまったく違う意味だが、愛されている者が使おうとすれば沈黙は恐ろしいほどの力を発揮する。それは待つものの不安を増大させる。ある人から私たちを引き離そうとするものほどその人に近づきたいという気持ちにさせるものはない。沈黙以上に超えることの叶わぬ障壁がほかにあるだろうか。沈黙はまた、責め苦であって、牢獄でそれを強制されれば発狂するかもしれないとも言われた。だが、愛する者の沈黙に耐えるというのは──自分が沈黙を守ること以上に──何という責め苦なのだろう。ロベールは自分に言い聞かせた、「こんなふうに黙っているなんて、いったい彼女は何をしているのだろう。ほかの連中と示し合わせてぼくを騙しているのか」。またこうも考えた、「こんなふうに黙っているなんて、ぼくはいったい何をしたんだろう。彼女はぼくを嫌っている。それも永遠にだ」。彼は自分を責めた。かくして、沈黙は嫉妬や悔恨を通じて彼を狂わせてしまった。そもそもこういう沈黙は、牢獄の沈黙以上に残酷で、それじたいが牢獄になる。なるほどそれは非物質的な垣根ではあるだろう。
山ってさ、ほとんどなんの得にもならないしさ」。彼女がメゼグリーズへ帰る気になれないのは、あそこでは「みんなほんとに莫迦だし」、市場へ行けば、おしゃべりな女たち、「下品な女ども( 313)」が彼女といとこ同士だなどと今さらのように言い、「おや、死んじまったバジローさんの娘じゃないかい」などと言うからだった。「もうパリ生活の味を知った」今は、そこへ戻って暮らすくらいなら死んでしまったほうがいいと考えただろう。もともと伝統主義者のフランソワーズも、新しく「 パリの女性」になった娘が次のような言葉を口にして革新精神を体現しているのを見ると、満足気ににっこりほほ笑むのだった、「あのね、かあさん。もし外出日がないなら、あたしのとこへ 気送速達( 314) を送ってくれればいいよ」。
桜の花は白い 鞘 さながらにびっしりと枝に密着して咲いているので、遠くから見ると、ほとんど花も葉もつけていない木々の間にあって、日は差してもまだすこぶる寒いこの日、ほかでは融けてしまったのに低い桜の木の枝( 336) に残っている雪のように見えた。他方、大きな梨の木は、もっと広範囲にわたってまばゆいほどの白一色で家々やつましい庭を取り囲んでいたが、そのさまは、村のすべての家や地所が同じ日に、最初の聖体拝領をしている最中であるかのようだった。
彼女は食事のときも手先が不器用で、そんなふうだと、舞台で芝居をしているときもさぞかしぎこちなく見えるだろうと思われた。彼女が器用さを発揮するのは男と寝るときだけで、男の肉体が好きな女に特有の、驚くべき洞察力によって、自分たち女とはまるで違う男の体が一番喜ぶようにするにはどうしたらいいか一目で見抜いてしまうのだ。
プログラムのなかのある出し物が私にはこれ以上ないほど苦痛だった。ラシェルとその女友達の何人もがひどく嫌っている若い女が、昔のシャンソンを歌ってデビューすることになっており、彼女自身抱いている将来への希望や家族の期待がこのデビューにかかっていた。その若い女はほとんど滑稽なくらい尻が突き出ており、きれいだがか細すぎるうえに昂揚するといっそう弱々しくなる声は、たくましい肉づきとはあまりに対照的だった。ラシェルは客席に男女を問わず何人かの友人を送り込んだ。彼らの仕事は、痛烈な野次を飛ばして内気だという評判のこの新人を面食らわせて、彼女が頭に血が上って大失敗を犯し、支配人から契約を断られるように仕向けることだった。
第五巻に収録したのは『失われた時を求めて』( À la recherche du temps perdu) 第三篇「ゲルマントのほう」(Le Côté de Guermantes) を三冊に分けた一冊目である。底本は前巻同様、新版のプレイヤード叢書四巻本の第二巻(「ゲルマントのほう」の本文校訂はティエリ・ラジェ。初版は一九八八年だが、二〇〇九年刊行版による。このように書く理由は最後のほうで述べる) であるが、一九二〇年刊の初版、旧版のプレイヤード叢書、フラマリオン版(ジャン・ミイ監修、エリアーヌ・デゾン・ジョーンズ本文校訂)、フォリオ叢書版(ティエリ・ラジェ&ブライアン・G・ロジャーズ本文校訂)、リーヴル・ド・ポッシュ版(ベルナール・ブラン本文校訂)、ロベール・ラフォン社ブカン叢書版(吉田城本文校訂・以下、人名の敬称は略す)、スコット・モンクリフ&T・キルマーティン共訳D・J・エンライト校訂の英訳も適宜参照した。
第五巻「ソドムとゴモラ Ⅱ 見いだされた時」 とあり、一九二〇年の段階でも依然として五巻構成だったことがわかる。ちなみに、今回の拙訳は、二百七十九頁ある同書の百六十五頁までである。
が、この小説のほんとうに根幹的な部分、人間喜劇的な深刻荘厳な音楽、中心テーマである主人公の《天職》──藝術家的天分への自覚、などの重要な骨格はむしろこれからはじまるといつてさしつかえない。(略) 自己省察にほとんど自己を没してしまうかにみえた作者の目はいまや外の世界にむかつて異様に冴え光ると同時に、あらゆる事象に《一般的なもの》《法則的なもの》を発見することで自己の救済と天職の実現を果しうるという本質的自覚のテーマが執拗にはこばれて行く。
自然描写が素晴らしいのはプルーストの特徴の一つだが、「ゲルマントのほう Ⅰ」には、とくに際立った風の描写が -
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失われた時を求めて 6~第三篇「ゲルマントのほうII」~ (光文社古典新訳文庫)
by プルースト、高遠 弘美
そうなんですよ。本当にそんな必要なかったんです。でも、結局、魅力のない人ではなかったから、あのひとのことを愛する人がいるということはすごくよくわかります。
ロベールがまったくの勘違いをしていたとは思わない。ブロックがしばしば怒り狂ったように他人を中傷するのは、自分は熱烈な好意を抱いているのに相手が応えてくれないからである。彼は他人の生活を想像することができないから、相手が病気だとか旅行に出ているかもしれないなどと考えることすらせず、ただ一週間返事がないだけでたちまち、わざと自分に冷たくしていると感じてしまう。だから、彼が友達として、のちには作家として最低の雑言を吐いたときも、私にはそれが本心からとは思えなかった。それらの言葉に冷やかな威厳を示して応じると激しさはいっそう増すし、卑屈に応えても激越ぶりが倍になって返ってくる。だが、熱のこもった共感を示せば、攻撃の手を緩めてくるといった調子だった。「気遣って、ということだけどね」とサン・ルーは続けた、「きみのためにぼくが気遣ったと言いたいのだろうけど、ぼくは何もしていないよ。叔母は、きみが彼女を避けていると言ってた。ひと言も話しかけてくれなかったとね。自分に何か恨みでもあるんじゃないかって訝っていた」。
病気になると私たちは、自分が一人で生きているのではなく、どこか異なる世界の存在、そう、私たちとは深淵で隔てられ、私たちを知らないし、こちらのことを知らしめることもできない存在に結びつけられていることに気づく、すなわち、私たちの肉体と。街道で追い剝ぎに出会ったとしたら、私たちの不幸に同情させるのは無理でも、何が自分の得になるかを理解させることくらいはできるだろう。
私たちの肉体に同情を請うのは、蛸に向かってだらだらと喋り続けるようなものだ。蛸にとって、私たちの言葉は水の音以上の意味はないだろうし、そんな蛸のような存在とともに生きていかなければならないとしたら私たちは恐怖に震えるしかないだろう。
同時に医者は、あらゆる細菌に比べて千倍も毒性の強い病因を接種することで、健康な人たちのなかから何人もの病人を作り出します。その病因とは自分が病気であるという考えです。こうした思い込みはどんな体質の人にも強い影響を与えますが、とくに神経質な人には格別の結果をもたらします。ためしにそういう人に、本当は閉まっている後ろの窓が開いていると言ってご覧なさい。そうすると、その人は早速 嚔 を始めるでしょう。ポタージュにマグネシア( 312) を入れたと言えば、 腹痛 を起こします。コーヒーをいつもより濃くしましたと言えば、一晩中まんじりともしない。
神経症がなければ、偉大な藝術家は存在しません。さらに言えば」と彼は勿体をつけて人差し指を立てながらつけ加えた、「大学者だって存在しないのです。
私たちはいつもホメロスの時代と比べて進化したわけではない藝術と絶えざる進歩を続けている科学とを区別するが、それは真理なのだろうかと。もしかすると、その点では逆に、藝術は科学と似ているのかもしれない。
ベルゴットはほとんど本を読まなくなっていた。彼の思想の大部分はすでに頭脳から著した書物へと移動していたのだ。彼は書物の分を切除されたかのごとくに瘦せてしまった。自分が考えていることをほとんどすべて外部の世界に出してしまった今となっては、何かを生み出す本能はもはや彼を執筆活動に駆りたてることはなかった。彼は恢復期の病人か出産したばかりの女性のように食べて寝るだけの生活を送っていた。その美しい目は、じっと動かず、少し眩しそうだったが、たとえて言うなら、海辺で横になって、ぼんやりとした夢想を追いながら、ただ小さな波の一つ一つを眺めている男の目のようだった。
プルースト、読んだよ」とか「カラマーゾフ、面白いね」と言いたいのに言えないときの一抹の悔しさのせいと言えばいいかもしれない。さりながら、読書にはとかくスノビズムがつきものだとはいえ、スノビズムを満足させるための読書はやはりどこか 歪 である。読書は根元的に生きる力、生の喜びに結びついていなければつまらない。それゆえ、「挫折」という、逆方向のスノビズムの存在を窺わせる言葉は、率直に言って、プルーストに限らず、中断した読書にふさわしい言葉ではない。
第一、どんな藝術にしても、それを享受する年齢あるいは時期というものがある。
バルザックふうの小説が好きな人なら、一連の人物描写、うわさ話、野心、社交界の話を喜ぶだろうし、嫌みが大好きな人たちは著者の皮肉を面白がるだろう。夢想家や冒険家はパリからヴェネツィア、ヴェネツィアからノルマンディと旅をすることになる。情熱に身を焦がす者たちや嫉妬深い人たちは、自らの心の動きに関する説明を見いだし、自分たちと同じように苦しみ、同じように忘れてゆく者たちがほかにもいることを知って安心するに違いない。幼年時代の失われた楽園を懐かしむ人びとは、語り手の回想に心動かされるとともに、いかにして失われたとばかり思っていた時間を再び見いだすのかを悟って幸福な気分になるだろう。
だが、書翰で軍の幹部を名指しで批判したゾラは軍から名誉毀損で訴えられ、二月二十三日、禁錮一年、罰金三千フランの有罪判決を受けることになる。ゾラは即刻上告するが、七月の再審でも同じ判決を言い渡され、ゾラはその日のうちにベルギー経由で英国に赴いた。八月、アンリの偽書が発覚。半月後、アンリは獄中で自死する。九月二十二日にはピカール中佐が逮捕され収監された。
プルーストの一族に医学の教授が二人いることは知られている。父アドリヤンと息子のロベールである。ここで強調したいのは長男のマルセルを三人目の医学の教授と見なしてもよいということだ。(略) 二十世紀初頭にあって、マルセル・プルーストは医学の大きな変動に寄与していただけでなく、それに身を投じ、その先を行っていた。もちろん包括的な変動という意味である。そのことを私ははっきり言っておきたいと思う。
マネの後にプルーストが評価したのはモネと印象派の画家であった。ガブリエル・フォーレの後は、『ペレアスとメリザンド』に魅了されてドビュッシーを特別扱いした。
教壇に立たない教授マルセル・プルーストは、実際には二つの講座を担当しうる教授というべきである。国際的に知られた文学の教授と、今こそ認めるべき医学の教授、それがプルーストであり、彼は二つの教授職を兼ね備えながら、一つの教育を施したのである。 -
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失われた時を求めて 4~第二篇「花咲く乙女たちのかげにII」~ (光文社古典新訳文庫)
by プルースト、高遠 弘美
花の絵を描くのは心躍る気晴らしであり、もし絵筆の先から生まれる花がつまらぬものだとしても、少なくとも花を描くというのは自然の花々と交流しながら生きることであって、とくにその姿を正確に写すためにごく近くから花を見つめなくてはならないとき、花の美しさに飽きることはないと。だが、バルベックではヴィルパリジ夫人は目を休ませるために画業のほうは中断していた。
あるいは「今の時代の貴族って何なのでしょうね」、「わたくしからすると、働かない人間は何の存在価値もありません」、などということも言っていたけれど、それはこうした言葉も自分の口から出ると、刺戟的で味わい深く、記憶に残るものになると感じていたからにすぎなかっただろう。
私たちは相手の精神に配慮して、細心の注意を払いつつ慎重に公平さを保とうとするから、保守的思想であってもいたずらに論難することは避けるのであるが、そうした相手の一人から進歩的思想──と言って、ヴィルパリジ夫人が 蛇蝎 のごとく嫌っていた社会主義までは行かない──が率直に表明されるのを聞くと、祖母と私は、気持ちのよいこの相手のうちにこそ、ありとあらゆる事柄に関する尺度と手本が内在しているのだとほとんど信じそうになった。
恋愛において個々の好みを導くのは種の利己的本能であり、できる限り正常な形で子どもが作られるために、太った男には 瘦 せた女を、瘦せた男には太った女を求めさせるということらしいが、
哲学について話し始めた。そして、奇妙なことだが、科学のさまざまな新発見がなされたあと、唯物論は滅びたように見えるだけでなく、もっとも確実に思えるのは今もなお、魂の永遠性と魂がいつか再会することだと言ったのである。
恐らく「この世でもっとも広く行きわたっているもの( 204)」は良識ではなくて善意である。あたかも人里離れた谷で、世界のほかのところで咲くのと変わらない一輪の 雛罌粟 がほかの雛罌粟を見たこともなく時折孤独な赤い頭巾を揺らす風しか知らないのにひっそりと咲くように、考えられる限り遠くの 辺鄙 な場所で、善意が花開くのを見て人は驚嘆する。
完全無欠な人間にもある種の欠点はあり、他人にショックを与えたり人を激怒させたりする。すこぶる聡明で、すべてについて高次の視点から考え、決して他人の悪口を言わない人が、ポケットに入れた何よりも重要な手紙のことをすっかり忘れてしまうことがある。それはその人からわざわざ預からせてくださいと頼んで受け取ってきた手紙で、託したほうとしては重要な会合の約束を 反故 にせざるを得なかったにもかかわらず、忘れた本人は謝りもせず、あまつさえほほ笑みすら浮かべている。時間のことを気にしないというのがその人の自慢だからだ。
またほかの人は繊細さや優しさ、洗練された態度に満ちあふれているので、あなたのことを話題にするときはあなたが嬉しくなるようなことしか言わない。しかし、まったく別の思いは口にしないで心に包み隠しているので、心のなかでは却ってその思いが強まっていることをあなたは感じる。あなたに会うのがその人にはすこぶる大切なので、すぐに帰ることはしないでいつまでもぐずぐずと居残っている。あなたの疲労は増すだけだ。
三番目の例として出すのはふつうよりはるかに誠実な人物ではあるのだが、誠実さの度を越して、あなたに何でも知らせたがる人だ。たとえばあなたが体調が悪くてその人に会いに行けなかったことを詫びると、あなたが劇場に行くのを見た人がいましてね、顔色もよかったそうですよなどと言ったり、あなたがその人のためにした奔走を自分は十分に利用できなかったけれど、そもそもほかに三人が同じように手を差し伸べてきていたので、あなたに対する感謝の念はごくわずかなんですよなどと口にしたりする。
人の真の生活、つまり、表面的な世界の下に隠れたほんとうの世界を発見したときの驚きが、見かけは平凡な家のなかに入り、宝物や泥棒が使う 金 梃子 や死骸が山と積まれているのを見つけたときの驚きに 譬えられるとすれば、いままでのようにみんながそれぞれ私たちに言ってくれた言葉から自分自身のイメージを作り上げるのではなくて、私たちに関して私たちのいないところで彼らが用いた言葉を通じて、私たちと私たちの生活について彼らが内心抱いているイメージが従来のイメージと如何に隔絶したものであるかを知ったときの驚きもそれに劣らず大きいと言わねばならない。
従って、自分のことを話せばその都度、当たり障りのない控えめな言葉を使い、表向きは礼儀正しく受け取られ、うわべは賛同されたかに見えても、実際にはもっとも激しい怒りや陽気な哄笑をともなった批判、つまり、どのみち好意的とは正反対の評価を引き起こしたことにほぼ間違いはないということになる。
他人のうちに自分が持っているのとよく似た欠点を探し出すという習慣である。ところで、人が自己を語る遠回しの方法であるかのごとく口にするのは例外なくそうした他人の欠点である。そのとき、自分を赦すという喜びに、告白する喜びが結びつく。それに私たちの注意は、どんなときでも自分を特徴づけるものに惹きつけられるから、他人の場合でも同様に、何にもましてそうした特徴に気づくように見える。近眼の人間はほかの近眼の人間について「でもあの人はほとんど目を開けられないんですよ」と言う。肺病患者はすこぶる頑健な男の肺が健康そのものだということに疑いを挟む。不潔な男はほかの不潔な連中が風呂に入らないということばかり話す。悪臭を放つ人間はみんなも臭いと言い張る。裏切られた夫はいたるところに裏切られた夫を、浮気な妻はどんなところでも浮気な妻を、スノッブはそこら中でスノッブを見いだす。一つ一つの悪徳は、それぞれの職業がそうであるように特別な知識を必要とし、それを発展させるが、その知識を開陳することは却って嬉しいのである。同性愛者は同性愛者を見つけ出すし、社交界に招かれた婦人服デザイナーはまだあなたとおしゃべりする前からあなたの衣裳の生地を値踏みして、指で生地の品質を確かめたくてうずうずしている。そして歯科医のところで少しばかり会話を交わしてから、あなたのことを全体として率直にどう考えているか訊いてみれば、歯科医はあなたの虫歯の数だけを言うだろう。歯科医にとってそれ以上に重要なことは何もないだろうし、その彼自身の虫歯に気がついたあなたにとってそれ以上滑稽なことはないのだ。
時として平和主義は戦争を増加させるし、寛大さは犯罪の数を増大させる。
父親のブロック氏の、人を欺くこうした威光は彼自身の知覚の範囲をいささか超えて広がっていた。まずは子どもたちが父親のことを優れた人間だと考えていた。子どもというものはつねに親をけなすか褒めそやすかするものだ。そしてよき息子にとって父親はいつも、尊敬に値するあらゆる客観的理由を脇へ 措いても、すべてのなかで最高の父親である。ところで、尊敬に値する客観的理由がまったくブロック氏に欠けていたわけではない。彼は教養があり、繊細で、家族に対する愛情もふんだんに持ってい
かつてシャンゼリゼで漠然と理解し、その後もっとはっきりとわかったことがある。それは、一人の女を愛するとき、私たちは単に女のうちに自分自身の魂の状態を投影しているにすぎないということであり、従って、重要なのは女の価値ではなく、魂の状態の深さであること、平凡な娘だとしても彼女が私たちに与える感動は、すぐれた人物と会話したり彼の作品を感心しながらじっくり見つめたりするときに得られる喜び以上に、私たち自身のより奥深い部分、いっそう個人的でまだ遠くにある、より本質的な部分を意識の上に浮かび上がらせることもありうるということだった。
どんなに賢い人でも」と彼は私に言った、「若い頃のある時期に、あとから思い出して不快になって消してしまいたいと思うような言葉を口にしたりそんな生活を送ったりしたことのない人はいません。でも、それを一から十まで後悔する必要はありません。だって、曲がりなりにも賢いと言われる人間になれるかどうかは、そこに最終的に辿り着く前に、滑稽な人間やおぞましい人間になるという化身の段階をすべて通ったか否かにかかっているんですから。
「汽車の旅は順調でした」と彼は書いていた、「車中では駅で買った本を読んでいました。アルヴェード・バリーヌ( 413) の本です(ロシアの作家だと思うのだけれど、外国人にしてはびっくりするくらいよく書けているという気がしました。貴君がどう評価するか聞かせてください。だって貴君は何でも読破している知識の泉のような人だから、当然これを知っているでしょう)。そのあとこの武骨な生活の真っただ中に戻ってきたという次第
私たちはよくブロックの姉妹と会った。その父親の家で夕食をご馳走になってからというもの、私としては彼女たちに挨拶せざるを得ない。私の女友達は彼女たちを知らなかった。「 ユダヤのひと と遊んではいけないことになってるの」とアルベルチーヌが言った。「イズラエリット」と濁らずに「イスラエリット」と発音する言い方だけで( 479)、たとえその言葉の最初を聞き逃したとしても、敬虔な家庭の出身で、ユダヤ人はキリスト教徒の子どもを生け贄として殺すというようなことをいとも簡単に信じてしまうに違いない彼女たち若いブルジョワの娘を突き動かしているのが「選ばれし民」への共感などではないことは十分にわかるだろう。「それにね、あのひとたちは素性が賤しいのよ、あなたのお友達は」と、アンドレはほほ笑みながら私に言ったが、そのほほ笑みには、ブロックの姉妹たちが私の友達ではないことは知っているという意味が含まれていた。「あの種族に関することはみんなそう」とアルベルチーヌが如何にも訳知り顔をして仰々しく返事をした。実を言えば、ブロックの姉妹はこてこてと着すぎているのに半ば肌を露出していて、 窶れたようでいて大胆、贅沢でいながら不潔、というような恰好をしていたから決して素晴らしい印象を与えたわけではなかった。さらに、彼女たちの従姉妹の一人が、せいぜい十五歳になったくらいなのに、レア嬢に対する讃美の念を公然と表明したことでカジノで大騒ぎになっていたということもあった。ブロックの父親は女優としてのレア嬢の才能をきわめて高く評価していたが、彼女の好みはとくに男性には向けられていないという評判だったのだ。
愛するということは、何かを見分けたり区別したりする手助けになる。森のなかでは、鳥を愛する人はふつうの人間なら混同してしまうようなそれぞれの鳥に特有の鳴き声をたちまち聞き分けるものだ。
アンドレは察しがいいからその点は大丈夫。でも、駅に来るほかの子たちは変に思うんじゃないかしら。誰かが叔母に告げ口したらたいへんなことになるしね。とにかく今夜は一緒に過ごせるから。叔母には知られっこない。アンドレにさようならを言ってくる。それじゃあとで。早く来てね。二人だけの時間がたっぷりとれるから」と彼女はにっこりしながらつけ加えた。そんな言葉を聞いて私は、ジルベルトのことを愛していた時期よりも前の時期、そう、恋が単に外部に存在する実体などではなくて、実現可能な実体に思われた頃に遡った。
つけ加えて言えば、ピエール・ルイ・レ( Pierre-Louis Rey) は『花咲く乙女たちのかげに──批評的研究』(スラトキン書店。一九八三年) のなかで、「花咲く」が「夏」を喚起する言葉であることから「夏の小説」を意味するとともに、少女たちの「花の盛り」を示していること、そして、もともと「レスボスの女たち」というタイトルも作者の頭のなかにあったボードレール『悪の華(花)』の「花」と結びついていること、プルースト自身、第三篇「ゲルマントのほう」で言及している、ワグナーの楽劇『パルジファル』第二幕に登場する「花の娘たち」( filles-fleurs/ドイツ語は Blumenmädchen) にも関係していること、プルースト鍾愛の詩人・小説家ジェラール・ド・ネルヴァルの小説集『火の娘たち』( Les filles du feu) の「娘たち」や、ネルヴァルの詩や紀行文に頻出する「花」の比喩や描写も色濃く影響していることを指摘していて、それは十分に説得的である。
『失われた時を求めて』を筋だけ追って読むのはあまりに近視眼的であり、たとえ筋に注意が向いたとしても、ゆるやかに包み込まれながら、少し遠目に眺めると、意外な細部やエピソードの繫がりが際立ち、複雑精妙に絡み合った伏線が見えてくる。
たとえばスワン夫人のオデット。「スワン家のほうへ」第一部第二章で、パリのアドルフ伯父宅で見かけた「薔薇色の絹のドレスを着た若い女」だったのが、第二部「スワンの恋」では、 高級娼婦 として登場し、スワンを翻弄した挙げ句スワン夫人に収まり、続く章で、語り手が恋するジルベルトの母親として姿を現したかと思うと、「花咲く乙女たちのかげに」第一部ではサロンの中心人物として、さまざまな人々の耳目を集める存在となっている。そのオデットが本巻では、まったく意外な姿で現れる。
(十九世紀後半)貴族たちのあいだでは海水浴に出かけることがブームになるが、一般に普及したのはずっとあとのことである。エリザベート・ドートリッシュは馬をさんざん乗り回したあと、水浴で疲れを癒した。一八七四年、彼女は英仏海峡のワイト島に赴く。娘のマリー・ヴァレリーの健康状態が海水浴を必要としていると判断したからだった。ヴァカンスを海辺ですごすということが生活のなかに入ってきたのは二十世紀の初めである。 -
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失われた時を求めて 3~第二篇「花咲く乙女たちのかげにI」~ (光文社古典新訳文庫)
by プルースト、高遠 弘美
多くのブルジョワが保守的な人たちとだけつきあおうとして重ねる努力、将来意義ある結果を生み出すはずもなく、結局は当たりさわりのない意見だけを口にすることにしかならない努力など、自分に何かをもたらすものではないがゆえに避けて通っていいことを知っているからである。
しかし私として言っておかなくてはならないことがある。それは、ノルポワ氏の会話は、ある種の職業や階級や時代──といっても、その職業や階級に属している人たちからすれば、完全に過去のものとなったわけではない時代かもしれないのだが──に特有の、いまでは時代遅れに感じられる言葉遣いの完璧な目録のようなものだったから、この耳でせっかく聞いた彼の言葉をどうしてただその通りに覚えておかなかったのか時々悔やまれてならないということだ。
というのも、私たちは何か貴重な発見をしたいと思って自然や藝術から何らかの印象を受け取ろうとするのだが、そのとき、そうした印象の代わりに、美の正確な価値について私たちの判断を誤らせるかもしれない低次元の印象を、魂がそのまま受け取りかねないことにいささか不安を感じないではいられないからで
アンドロマック』[ラシーヌ作]『マリアンヌの気まぐれ』[ミュッセ作]『フェードル』のラ・ベルマは、私の想像力がつよく望んでいた特別な存在と言ってよかった。ラ・ベルマが以下のように朗誦するのを聞けば、私は、ゴンドラに乗って、フラリ教会のティツィアーノやサン・ジョルジョ・デッリ・スキアヴォーニ同信会のカルパッチョの作品( 25) の足もとに運ばれてゆく日に感じるような陶酔感を味わうことだろう。
いずれにしても、見ていて不思議なのは、あれだけ社交界、それも超一流の人びととつきあいのあるスヴァンが、せいぜい雑多なとしか言えないような人たちの集団に格別の好意を示していることです。昔の彼を知っている私としては、あれほど育ちがよくて、えり抜きの人びとの間でもてはやされた男が、郵政大臣の官房長が訪ねてきてくれたといっては喜色満面で礼を述べたり、自分の妻が官房長夫人に会いに行ってもよろしいでしょうかと訊いたりしているさまを目の当たりにしてびっくりするやらおかしいやらでしたよ。
そう、モリエールの言葉( 98) をご存じでしょう? あれだということくらい多少は意識しているとは思うのですけれど、それでも、そのことを『 都と世界にあまねく( 99)』知らしめるべしとは誰も求めているわけではない。ただ自分の妻はすばらしいとまで言うと、それは言い過ぎだろうと思うのですね。ところで、それは他人が思うほど間違ってはいないのです。
しかし、結局のところ、ただそれだけです。たいしたものではありません。瘦せこけた彼の作品にはきちんとした骨格というものがあったためしがない。筋立てがない、あるいはあってもごくわずかしかなく、とくに広がりというものに欠けています。ベルゴットの本は根柢となる部分に欠陥がある、というより、そんな根柢がまったくないのです。生活そのものがますます複雑になって読書する時間もほとんどなく、ヨーロッパの地図が根本的な改変を余儀なくされ、さらに大きな改変もおそらく目前に迫り、深刻な問題が新たにこれだけ起こっている今のような時代に生きている私たちは、作家に対して要求してもいいのではないでしょうか。純粋なる形式が如何に優れているかについて暇に飽かせて無意味な議論を繰り返し、内と外から二重に押し寄せる野蛮な連中の波にいまにも侵略されるかもしれない状態を私たちに忘れさせるような、そんな頭でっかちの教養人ではない別の存在であってほしいと。こんな言い方が、そうした方々が『藝術のための藝術』と呼ぶ神聖不可侵の流派に対する 冒瀆 であることは承知しています。
実際、私たち一人一人にとって、自らの言葉や行動を他人がどこまで把握しているものなのかを正確に知るのは難しい。私たちは自分の重要性を過大評価してはいけないと思っているし、他人の全生涯にわたるさまざまな記憶が必然的に占める領域は途方もなく大きくなってゆくものなので、私たちは自らの会話や振る舞いのどうでもいい部分は、おしゃべりをしている相手の意識にほとんど入ってゆくこともなければ、ましてやその記憶に残ることはないと想像する。
父がもはや私を「外交官」にする可能性を考えなくなったことに母はあまり満足してはいないように見えた。母は変調を 来しやすい私の神経が規則正しい生活によって律せられるのではないかということに何より心を砕いていたから、私が外交官の道を諦めることより、私が文学に専念しようとしている姿を見るほうが残念だったのだと思う。「でも、好きなようにさせておやり」と父は大きな声で言った、「自分がすることに楽しみを見出すのが一番だ。それにこの子はもう子どもじゃない。自分が何が好きかわかっている。この先変わることはまずないと思うね。人生で何が自分を幸福にしてくれるのか理解できるんだよ」。
人生における「時間」もそれと似たようなものだ。過ぎゆく時間を感じさせるために小説家は、時計の針の動きを極端に速めて、読者に二分間で十年、二十年、三十年といった時を超えさせる。あるページの冒頭で、希望に満ちた恋人だった青年が姿を消したと思ったら、次のページの最後では八十歳の老人になっていて、養老院の中庭で苦しそうに日課の散歩をし、昔のことを忘れているので何か訊かれてもろくに答えられないというように。
レディは、その甥ほどには 優雅 な人びとと親交がなかったし、スワンのほうも、その叔母のことが好きではなかったので、おそらく自分が遺産相続人になるはずであるのにさほど頻繁に叔母と会うこともなかった。だが、スワンの親戚のうちで、スワンが社交界で占めている地位について認識していたのはこの叔母だけだった。
十二時半になると私は意を決して家のなかへ入る。この家は 降誕祭 の大きな靴と同じで、私に超自然的な喜びをもたらしてくれるに違いないと思われた(スワン夫人とジルベルトは「ノエル」という名称を知らなくて、英語のクリスマスという言い方にしていたので、クリスマスのプディング( 226) とか、クリスマスに頂いたものだとか、クリスマスには留守にするなどとしか言わず、私は苦痛で発狂しそうになったものである。一方、家にいるとき「ノエル」などと口にするのは名誉に関わると考えてもはやクリスマスとしか言わなくなったのだが、父はそんな私をひどく莫迦にしていた)。
たぶん、地平線上のものをすべて一様にとらえてしまうのにも似た錯覚のなかで、以下のように想像するのはたやすいことだろう、すなわち、今まで絵画や音楽の世界で起こったあらゆる革命は、それでもある種の規則は尊重してきたものだが、今私たちの眼前にあるものは、印象主義も不協和音の探求も支那式音階( 234) の単独使用もキュビズムも未来派もみなすべて、旧来のものとは激しく異なっていると。
というのも、今まであったものについて考えるとき、人は長い同化作用の結果、それが私たちにとって確かに多様ではあるけれど結局は同質のもの──そこではユーゴーとモリエールが隣り合わせになっている──に変わってしまったことを考慮しようとしないからである。もし私たちが未来と未来がもたらす変化のことを考慮しないとすれば、十代の青春期に、三十代の分別盛りの年頃になったときの運勢を占ってもらった星占いがどれほど不愉快な食い違いを呈することになるか考えるだけでいい。
真の多様性というものは、現実の思いがけない要素のこうした充実にある。あるいは、すでにぎっしり密生しているかに見えた春の垣根から出るとは誰も予想しなかったのに青い花を咲かせて伸びてゆく枝のうちにある。反面、多様性をただ形だけ模倣したものは(文体の他のすべての美点についても同じことが言えるだろうが)空っぽで画一的である。それは多様性とは正反対のものであり、模倣しているだけなのに、あたかもそこに多様性があるという錯覚を抱いたり多様性を想起したりしているのは、巨匠のうちに存在する多様性を理解できなかった者だけである。
厳しい審美眼、あるいは自分で「穏やかだ」と言えないことは絶対に書かないという意志のようなもの──それゆえに彼は長年、不毛で気取り屋の、些細なことに気を配りすぎる藝術家だと見なされてきたのだが、じつはそれこそが彼の力の秘密だった。というのも、習慣は人間の性格と同時に作家の文体をも作るからである。自らの思考を表現するのに、ある程度魅力的に見えるところまで達したというだけで何度か満足してしまった作家は、かくして才能の限界を永久に定めてしまう。それは、しばしば快楽や怠惰や苦しむことへの不安に負けてきた者が、もはや修正がきかなくなった性格のうえに、自らの悪徳の姿や美徳の限界を浮かび上がらせるのと似ている。
パリに恋人がいて、それはぞっこん惚れていたわけですが、彼は何とか工面して週に二回パリに来ていたんです。二時間、女に会うためだけにね。きわめて知的で、その頃はほんとうに魅力的な女性でした。いまでは遺産で裕福に暮らしている貴婦人( 310) ですよ。
つまり、何年も前から(長い孤独と読書の時間を通じてまさに彼は私自身の最良の部分となっていたから)ベルゴットに対しては誠実さと率直さ、それに信頼をもって向かう習慣ができていたせいだろう、初めて言葉を交わす相手の時ほど臆することがなかったのである。しかし、同じ理由から私は、自分がベルゴットに与えた印象がどうなのかひどく心配になっていた。
知的な人間には愚かな人間とは別の健康法が必要だということも大いに疑問だった。私は必要とあらばいつでも愚かな人間の健康法を採用するつもりでいた。「いい医者が必要な人間はと言えば、私たちの友人、スワンでしょうな」とベルゴットが言う。スワンは病気なんですかと問うと、「うん、そう。あれは娼婦と結婚した男だから、妻を自分の家に招きたくない女たちとかつて妻と寝た男たちから一日に五十回も投げかけられる侮辱をじっと堪え忍んでいますからね( 320)。すぐわかりますよ。
あら、あなた、菊の活け方、ご存じないのね」と帰り際にヴェルデュラン夫人は、玄関まで送ろうとして立ち上がったスワン夫人に言った、「これは日本の花なのだから、日本人がするように活けないとだめです
仕事をするのもこの部屋です(もっともその仕事というのが絵を描くことなのか、あるいは、何かをしたい、役立たずでいたくないと考える女性たちの間で 流行り始めた趣味として、本を書くことを指すのかについて彼女は明言を避けたのだが)」と言っていた部屋のなかで、彼女はマイセン磁器( 382) に囲まれていた(この種の新しい磁器が好きだったので、英語式に発音しながら、どんなものについてもその言葉を使った。たとえば、「まあ、きれい。サクス磁器の花みたいね」というように)。
不幸になると人は道徳的になる。ジルベルトが現在私に対して感じている嫌悪感は、その日私がしたことのせいで、人生から与えられた罰であるかに思われた。道を横切るときに車に注意を払っているからとか、危険なことは避けているからといった理由で、人は罰を免れることができると信じ込む。
モーリス・バレス(一八六二~一九二三年)。作家。右翼の論客として活躍した。一九〇六年、アカデミー会員。
第一次大戦が終わり、フランス文壇の中心も世代交代の時期に入っていた。アナトール・フランスやモーリス・バレスらに代わって、コクトー、ジイド、クローデル、ヴァレリーなどが新しいフランス文学の中心的存在になり始めていた。プルーストも彼らと同じく、ガリマール書店の出版部NRFに拠る一人として、戦後の読者の支持を集めてゆく。
プルーストは最も偉大な巨匠達の一人としてわれわれの知性にも、われわれの感性にもせまる。」アメリカ人達はこの作家の詩的な、そして深い、ユーモアの味を理解する。
プルーストを読まない、あるいは読んでも心惹かれない知識階級のフランス人は確かにいて、彼らはしばしば、バルザックは「人間の社会」( un monde) を描いたのに、プルーストが描いたのは「社交界」( le monde) にすぎなかったなどと異口同音に言う(果ては私に対して、時代も国も文化も違う日本人のあなたがどうして、そんな第三共和政下の社交界を描いた作家であるプルーストをそれほど愛して、かつその翻訳までしようと思うのかと訊いてくることすらある)。そういう「反プルースト派」の人びとに対してモーロワはプルーストの魅力を説いた。これは、「長い」と思いながらも、プルーストを読んでみようと思われた方々(「プルースト派」あるいはこれから「プルースト派」になりうる方々)にも有益だと思われるので、以下、章を変えて、モーロワの主張するところをできる限りモーロワの言葉を用いながら略述してみる。
いかなる小説家でもすべてを描きつくすことはできない。バルザックにしても、その時代の社会全体を描いたわけではない。どんな天才であっても、書物のなかにひとつの社会の全要素を入れることは不可能である。すぐれた小説家は、たとえ小さくても自らが描き出す社会の深層まで見つめることで、個を超えた普遍に達する(たとえば『源氏物語』が今もなお読まれているのはそれゆえである)。プルーストは貴族社会とそこに生きる貴族や使用人だけでなく、それを囲むさまざまな 階梯 に位置する貴族を含めた人々や、ブルジョワの姿を、彼らの欠点を含めて冷徹に、あるいはユーモアや皮肉を込めてまざまざと描き出す。一方、教会の彫像に写し取られた今も変わらぬ「永遠のフランス人」の姿を、女中のフランソワーズや、食料品屋の青年やアルベルチーヌその他の人物のうちに見いだす。貴族と同様に民衆にも見られる歴史的性格をプルーストは見逃さないからである。
プルーストは、人間性に関する一般的な法則を発見しようと努める。ここからはモーロワの言葉を二つ挟みながら続けよう。 すべての人間は、その根本において同一性をそなえているから、任意の一人を厳密に分析すれば、すべての人間にわたっての最も貴重な文献を得ることになる。《一つの》頭蓋骨、《一つの》皮剝ぎ屍体が、解剖学の指針となるように、《一つの》魂、《一つの》心があれば、愛情や虚栄心、人間の偉大や悲惨を知るに十分である。スワンの味う嫉妬や、ヴェルデュラン家の人々のスノビスムや、母に対する苦痛にみちた 話者 の愛情は、あらゆる空のもとで、同一ではないまでも、似通った形のもとに見出されるものであることを、経験が教えたのだ。
プルーストは、抽象的で 勿体ぶった、中身のないあまたの思想家よりも社会的な作家である。と言ってそれは、プルーストが労働運動や群衆を描こうとしたという意味ではない。プルーストは大袈裟な文学理論や社会参加を叫ぶのではなく、沈黙のうちに確乎たる藝術を完成させようとした。第一、描かれた事件の大小で作品の偉大さが決まるのでは
プルーストはフランスのモラリストの系譜に立って、人間について一般的な真理を追究し、それを作品中に描こうとした。一方、多くの読者が抱える苦悩をともに分け持ち、彼らを藝術による 慰藉 へと導く、というのもプルーストの特徴の一つだと言っていい。
チャプスキはプラハに生まれ、少年時代をベラルーシで過ごし、サンクトペテルブルクで法律を、クラクフで美術を学んだ。一九三九年九月一日、ナチス・ドイツ軍とスロバキア軍がポーランドに侵攻。十七日にはソビエト軍も侵攻。予備役の将校だったチャプスキはクラクフで軍に合流。部隊とともに東に向かった。同月二十七日、ソビエト軍の捕虜となり、コジェルスク(コゼリスク)、オスタシュコフ(オスタシコフ)と並ぶ、スターリン時代の強制収容所の一つスタロビエルスクに送られた。一九四〇年の四月から五月にかけて、同胞が列車で運ばれ、カティンの森事件で知られるように、次々に虐殺されるなか、五月十二日にはチャプスキも列車に乗せられ、最終的にグリャゾヴェツの収容所へ移送される。そこにはソビエトに有用と思われた四百人あまりのポーランド将校と兵士が集められていた(彼ら自身はその理由を知らされてはいなかった)。四千人がいたスタロビエルスクから来たのはわずか七十九名。残りの圧倒的多数の人びとは消息を絶った。
パリに来たチャプスキがプルーストの本をたまたま入手したのは一九二四年のことだった。ラディゲの遺作『ドルジェル伯の舞踏会』が評判を呼び、コクトーやサンドラールやポール・モランが文名を上げ、「電報のように簡潔で乾いた文体」がもてはやされていた。だが、その一方で、レオン・ブロワの忘れられた小説『貧しい女』(一八九七) やシャルル・ペギーの作品集が刊行されている時期でもあった。ペギーやラディゲに魅せられたチャプスキも、最初に手にしたプルースト(「たぶん『ゲルマントのほう』だったか?」と彼は書く)の、何百ページも社交界の話が続く展開と文章に辟易したらしい。だが、プルーストはどこかで彼を捉えて放さなかった。引用する。
プルーストの本は、極度に洗練されていて、あふれんばかりに豊饒で、当時の私たちには時代の精神と思われたものとは対極の位置にあるものだった。そんな精神ははかなく過ぎ去るものだったのに、若い頃の愚かしさのなかでは、いつまでも続くものに違いないと思い込んでいたのである。限りない「脱線」、およそかけ離れたもの同士を意想外に結びつけるさまざまな連想、序列化されない錯綜した主題を扱う不思議な手さばき──そうしたものを伴う、無限とも思われるプルーストの文章。私はプルーストの文体の価値、その極度の正確さと豊かさをかろうじて察することができたくらいだった。
プルーストは朝になって、ベッドで死んでいるのが見つかった。ナイトテーブルの上には、薬の瓶が倒れていて、洩れた薬液が小さな紙片一面に黒く染みこんでいた。その紙片には、神経質そうな彼の筆跡で、夜のうちに記された文字があった。それは、『失われた時を求めて』のさして重要ではない人物、フォルシュヴィルの名前だった。
マルグリット・ジャンヌ・ジャピー(一八六九~一九五四年) は、ドイツとスイス国境にほど近い、フランス東部の町ボークールに生まれた。地方のブルジョワの出身で、ジュリアン・ソレルのような気性を備えた女だった。父はホテルの主人として働いたが、引退後はもっぱら三番目に生まれたマルグリットの養育に力を注いだ。父の意向でマルグリットは、四歳の頃からヴァイオリンを習い、花の摘み方を覚え、礼儀正しい所作を身につけ、階段を優雅に下りたり馬に巧みに乗ったりする術を我がものとしたのである。やがて、ピアノや絵画、数学、宇宙論、美術史、歌曲を習い、モーツァルトやラモーやグルックなどの作品を演奏するようになった。十四歳の頃は芝居に夢中になっていた。
だが、当時、離婚した女性はもっとも軽蔑される対象だった。公式の離婚を避けるとすれば、パリでの評判を高める必要がある。そう考えた彼女は父のつてをたどって、さまざまな藝術家にサロンを開くことを知らせた。十五区の彼女の館はたちまち多くの客が訪れる人気のサロンになった。グノーやマスネ、ゾラやロティも常連客だった。 そのサロンには道徳的に評判のよくない者たちも来れば、いわゆる社交界の人々も通い始める。スノッブにも外国人にも事欠かなかった。金持ちのコレクターや有力な政治家も集まってくる(このあたり、オデットのサロンを思わせる)。
マルグリットに自由をもたらし、社交界への扉を開く助けとなったのである。マルグリットは著名な人物と関係を持つだけでなく、女同士の同性愛をも拒まなかった。 要するに、育ちが決して悪いわけではなく、最初から娼婦だったわけでもない。結婚生活の失敗と二十歳も年上の夫の歪んだ嗜好、サロンを通じての交遊、もともとの性向、性的な自由さ。それでいて、信心深いピューリタン。生来の美貌。優雅な身のこなし。教養。英国への憧れ。押し出しの立派さ。そういうマルグリットを愛する貴族や有力政治家たち。その上で生まれたのが「ココット」マルグリット・ステネーユ夫人だった。
この本には彼女たちの同性愛の例が数多く引かれているだけでなく、リアーヌ・ド・プジーをはじめ、オデットの人物造型に──のみならず、じつはアルベルチーヌの人物造型にも──重要な役割を果たした「ココット」たちの姿が溢れている。「サロン」とともに「ココット」は『失われた時を求めて』の世界を根柢から支えていると言えるだろう。
春、ブーローニュの森への散歩の帰途、最初の喘息の発作に襲われる。喘息は生涯の 宿痾 となる。 一八八二年 -
Posted by ブクログ
516P
失われた時を求めて 2~第一篇「スワン家のほうへII」~ (光文社古典新訳文庫)
by プルースト、高遠 弘美
こうした心の接近は、若いころなら恋愛が必然的に目指す目的であったにしても、いまはその逆に、さまざまな観念連合によって固く恋愛そのものと結びついているので、もしそうした心の接近が恋愛の前に実現していたとすれば十分恋愛の原因となりうる。かつては恋する女の心を実際に自分のものにしたいと願った男たちも、年を取れば、単に女の心を我がものにしていると感じるだけで、女に恋することができるようになる。とりわけ恋愛のなかに人は主観的な快楽を求めるものだから、女の美しさに対する好みが恋愛のもっとも大きな部分を占めているように見える年齢でも、その 根柢 にまだ肉欲が芽生えていないのに恋愛──それも肉体的恋愛が生まれることがありうるだろう。人生のこの時期まで来れば、人は何度も恋愛を経験しているものだ。恋愛はもはや、不意打ちを食らってただ受け身になっている私たちの心を尻目に、未知ではあるが必然的なそれじたいの法則に従って、単独で発展してゆくものではなくなっている。恋愛は私たちの助けを必要とし、私たちは私たちで記憶や暗示によって恋愛を変形させてゆく。恋愛の兆候がひとつでも認められれば、私たちはそれ以外の兆候を思いだして、それらにふたたび命を与える。私たちは恋愛の歌う歌をそっくり一曲、自らのうちに刻みつけて持っているので、女が私たちに最初の出だし──女の美しさがかき立てる称讃の気持ち──を歌ってくれなくても、続きが何かわかる。もし歌の中ほど──二人の心が近づき、いまやお互いが相手のためだけに生きていると口にするころ──から始まったとしても、私たちはその音楽のことはよくわかっているから、相手の女が私たちを待っている 箇所 ですぐに合流できるのである。
もっと学びたいし、知りたいし、教えて頂きたいんです。本を読んだり、昔の文書を読みふけったりするのはきっとすごく楽しいんでしょうね」と附け加えたが、そこには、 優雅 な女性が「自分で生地を手で 捏ねまわして」料理するときのように、 穢い仕事も進んで引き受けて身を 汚すことこそ喜びですと明言するときに見せる自己満足の様子が浮かんでい
フランス語の間違いを犯すのが心配で、わざとぼそぼそと発音したが、それは、もしリエゾンの間違い( 36) をしでかしたとしても、相手がはっきり聞き取れないくらい曖昧に発音していれば何とかごまかせると思っていたからである。したがって、彼女の会話は不明瞭な 咳払いのようなものでしかなく、そこからときどき、これなら正しいはずだと確信を持って発音される単語が浮かび上がってくるにすぎなかった。ヴェルデュラン氏と話しているとき、スワンは少しだけなら彼女のことをからかってもいいだろうと思ったのだが、氏のほうはむしろ気分を害したようだった。
「あら、オデットの悪口は言っちゃだめ」とヴェルデュラン夫人は子どものような口ぶりで言った、「あのひと、魅力的よ」。 「魅力的でないなんて言っていないさ。私たちは悪口を言っているんじゃない。ただ、貞操堅固でも頭がいいわけでもないと言ってるだけだよ。率直に言ってあなた」と氏は画家に顔を向けて言った、「オデットが貞操堅固だなんてこと、そんなに望ましいことだと思います? もし身持ちがよかったら、ずっと魅力的ではなくなりますよ、恐らくね」。
「だめですよ。とにかく話してはだめです。また息が切れてしまう。ジェスチャーで十分わかりますから。でも、本当に厭じゃない? ほら、何かちょっと……、あなたの上に花粉があちこち飛んでしまったんだ、きっと。手で 拭いても構いませんか。力を入れ過ぎていない? 手荒になっていませんか? 少しくすぐったいかな。ドレスのビロードに触りたくないからなんです。 皺 になってはいけないし。でも、わかりますよね。こうして固定しないと、花は落ちてしまいますよ。そう、こうして、ぼくがもう少し奥に挿してやらないと。まじめな話、ぼくのしていること、不愉快ではない? この花が本当に香りがないか 嗅いでみても厭にならない? 今までこの花の匂い、嗅いだことがないんです。嗅いでみても? 正直に言ってくださいね」
オデットの愛情がいくらか物足りなくて、期待を裏切るようなときでも、小楽節がやってきて、その神秘的な本質を彼女の愛情につけ加え、混ぜ合わせてくれる。小楽節を聴いているときのスワンの顔は、呼吸がいっそう楽になる麻酔薬を吸入しているように見えただろう。音楽から与えられる喜び、やがては彼の中で心からの欲求をかき立てることになる喜びは、そんなとき、実際に、いくつも香水を試したり、そもそも成り立ちからして自分と無縁だった世界と接触したりするときに感じる喜びと似ていた。私たちの目に見えないという点からするとその喜びは形を持たず、私たちの知性の手からするりと抜けてしまうことからすればそこに意味というものはなかった。その喜びに到達しうるのは、ただひとつの感覚を通じてでしかない。
オデットの夢想を実現できないことがよくあると感じたスワンは、少なくとも一緒にいるときは楽しく過ごせるように、また、何につけ、彼女がいだくありきたりの考えや悪趣味に正面から反対はしないように努めた。彼女に関わるものは何でもそうだったのだが、そうした 凡庸 な考え方や悪趣味さえも実は愛していて、それに魅力を感じていたのだと言ってもよい。まさにそれこそ彼女の特質だったのであり、この女の本質が現れ、はっきり目に見えるようになるのはそうした特質を通じてのことだった。だから、これから『レーヌ・トパーズ( 98)』に行かなくてはというので嬉しそうにしていたり、花祭りや、マフィンとトーストの出る「テ・ド・ラ・リュ・ロワイヤル( 99)」でのお茶の時間──そこに足繁く通うことが、女にとってエレガントだという評判を確立するには必要不可欠であると彼女は信じていた──に遅れないか心配になって、不安げながら真剣できっぱりとした眼差しになったりするとき、
彼女は私に、心の気高さ、魂の高貴さの証しとなるものを残らずくれたよ。噓じゃない。そして、これはそう言うしかないんだけれど、心や魂の高貴さは、思考も同じレベルまで行っていないととても到達できるものじゃない。たしかに夫人は、藝術について深い理解力を持っている。でもね、彼女が誰よりもすばらしいのは、たぶんそのせいじゃない。みごとなほど、洗練されていてすばらしいというほかない、私のためにしてくれるほんのちょっとした仕草、天才的な気遣い、打ち解けてなお崇高さを感じさせる仕草──こういうものを見れば、夫人がどんな哲学論文も及ばないほど深く人生を理解しているかがわかるんだよ」。
ブリショが示すたぐいの才気は、真の知性と両立するものではあるけれど、スワンが若い頃つきあっていた、価値観を同じくする仲間たちの間では、愚の骨頂と思われたことだろう。強靭で豊かな大学教授の知性は、おそらくスワンがその才気を評価している社交界の人間たちからしても 羨望 の的だったかもしれない。だが、スワンは少なくとも、社交生活に関わる万般、さらには、知性の領域に由来するはずの附随的部分──つまり、会話──について、彼らから徹底的に好悪をたたき込まれたので、ブリショの繰り出すジョークはどうしてもペダンティックで品がなく、胸が悪くなるほど厭らしいとしか思えなかったのである。スワンは上流社会のマナーを習慣として身につけていたから、この軍隊好きな大学教授が個々人に向かって話すときに、わざわざ軍隊式の荒っぽい言い方をすることに不快感を覚えていた。その晩、オデットが何を考えたものか、ともかく晩餐に連れてきたフォルシュヴィルに対して、ヴェルデュラン夫人が惜しみなく愛想をふりまくのを目の当たりにしたせいで、スワンはおそらく寛容さを失っていたのだと思う。オデットは到着するやスワンに対していくらかおどおどしながら、
いま評判になっているデュマの新作への、控え目ながら明快な言及をさりげなく口にした当意即妙の才と大胆さに我ながら恥じ入りながらも大きな喜びを感じたコタール夫人は、思わず笑いだした。天真爛漫な人に特有の、魅力的で耳にも障らないその笑いを抑えるのは難しくて、彼女はしばし、笑い声を立てていた。「あのご婦人はどなたなんです? 才気がありますね」とフォルシュヴィルが言った。 「いいえ、サラッド・ジャポネーズではありません。でも、皆さん、金曜日の晩餐会にお越し頂ければ、お出ししますわ」
「あの方はじつに弁舌の才がありますね。記憶力もすばらしい」、画家が話し終わるや、フォルシュヴィルはヴェルデュラン夫人に言った、「あそこまで弁にたけた方には滅多にお目にかかりません。いや、すごいものです。私もあれくらい話すことができればと思います。きっと優秀な説教師にもなれるでしょうね。ブレショさんと並んで、甲乙つけがたい才人がここにいるということです。弁舌という点からすると、あの方はもう教授を追い越していると言っていいかもしれません。先生より自然ですし、さほど凝った表現を使いませんから。もちろん、言葉の端々に少々現実主義的に流れる言葉がないわけではありませんが、まあ、いまの時代の好尚ですから( 118)。軍隊用語を借用すれば、『痰壺をあれほどたくみに抱えることのできる( 119)』人に、私はそれほど多く会ったことはありません。軍隊で一緒だった仲間に、あの方とちょっぴり似ている男がおりました。奥さまがどう仰言るかは存じませんが、どんなことについても、たとえば、このグラスについて、何時間でもおしゃべりをすることができる男でした。いや、グラスの譬えはやめましょう。私の言うことが莫迦に見えますから。彼はワーテルローの戦いをはじめ、奥さまのご希望通り、どんなことでも語ることができるんです。しかも、話の中で彼は、聞いている私たちが考えもしなかったことを次々に話してくれるんですよ。スワンも同じ連隊にいましたから、その男のこと、知っていると思います」。
「気に入りましたとも。奥さん。すっかり魅了されました。私の好みで申し上げれば、まあ、少し断定的で、いささか陽気すぎる感は 否めませんけれど。あれでときには、もう少し躊躇したり優しかったりするところがあってもいいかなとは思いますが、じつに博学ですし、実直な人物に見えますよ」
「もう我慢できない。わかるでしょ? あん畜生ったら」。おそらく自己を正当化したいという模糊とした要求に従って、自分でもよくわからないままに使ったこの言葉は──なかなか死なない若鶏を相手にしたときのフランソワーズのように( 144) ──断末魔の苦しみを味わいつつ最後のあがきをみせる無抵抗な動物を絞め殺そうとしている農民が思わず洩らすものでもあった。
ピアニストはショパンを二曲弾くことになっていて、前奏曲が終わるとすぐに二曲目のポロネーズを弾きはじめた。だが、従姉のガラルドン夫人からスワンがいると聞いてから、レ・ローム大公夫人はそれが気になって仕方なかった。たとえショパンが蘇って、その場に登場し、作曲した曲を残らず演奏したとしても、大公夫人はそちらに注意を向けることはしなかっただろう。人類の半分が自分の知らない存在に好奇心を抱くとすれば、あとの半分は自分の知っている人びとに関心を寄せるものであり、彼女はそちらに属していた。フォーブール・サン・ジェルマンの多くの女性がそうであるように、彼女も自分がいまいる場所で、仲間内と言える親しい誰かがいると、とくに話すことはなくても、ほかのことはどうでもよくなって、もっぱらそちらに注意が向いてしまう。そのときから大公夫人は、スワンが気づいてくれることを期待しながら、あたかも、目の前に出された砂糖の塊を引っ込められてしまった、実験用に飼育された白い 二十日鼠 のように、ショパンのポロネーズが与える印象とは無縁の、スワンにしかわからないサインを数え切れないほど浮かべた顔をスワンのいる方向に向けることしかしなかった。スワンが場所を変えれば、それに合わせるかのように、抗しがたい魅力を湛えた微笑を移動させていたのである。
スワンは断った。サン・トゥーヴェルト夫人宅を辞したらまっすぐ家に帰るとシャルリュス氏には言ってあったし、夜会の間ずっと、従僕の誰かが渡してくれるのではないかと期待していた伝言、あるいは夜会の後でも、たぶん家に帰ったら門番のところに届いているかもしれない伝言をみすみす無にする気にはなれなかったのだ。「かわいそうなシャルル」と、その晩、レ・ローム大公夫人は大公に言った、「相変わらず気持ちがいいひと。でも、とても辛そうにしているんです。あなたもおわかりになるわ。近いうちに夕食にいらっしゃるって約束してくれましたから。それにしても、あれほど頭のいい人があんな種類の女の人のことで苦しむなんて、どうかしていますわ。ずいぶん頭の悪い、つまらない女だっていうじゃありませんか」と彼女は、恋をしていない人間の思慮分別を発揮してつけ加えた。恋をしていない人たちは、才気煥発なる男が苦しんでも仕方がないのは、相手の女がその価値がある場合に限られると考える。それはほとんど、人間ともあろうものがコレラ菌のような微生物のせいでコレラに 罹患 するということに驚くのと似ているだろうか。
そうとわかると憐憫の情は消えたが、今度はオデットが愛したもう一人の自分に嫉妬を覚えた。そして、実のところ恋のかけらも含まれていない、愛するという漠然とした観念を棄てて、菊の花びらやメゾン・ドール[メゾン・ドレと同一]のレターヘッドには恋する思いがあふれていると考えるようになった今だからこそ、「彼女はおそらく彼らを愛している」としばしば考えてもさほど苦にならなかった男たちに嫉妬を感じたのである。苦しみがひどくなったので、スワンは手を額に当て、 片眼鏡 を外してレンズを拭った。この瞬間の自分の姿を見ることができたとしたら、彼は、煩わしい考えを取り除くように外した 片眼鏡、曇った表面に附着した心配をハンカチで消し去ろうとした 片眼鏡 を、今まで分類してきた 片眼鏡 のコレクションに加えたことだろう。
相手が黙っていることは相手が 喋ったことを頼りにして推測する。スワンの傍にいて、二人で、他人の無神経な行為や、誰かの野卑な感情について話しているとき、オデットは、スワンが両親の口からいつも聞いていて、彼も忠実に守ってきたのと同じ原則に従って、そうした行為や感情を非難した。それから彼女は、花を活けたり、紅茶を飲んだり、スワンの仕事を気づかったりした。それゆえスワンは、こうした習慣が、オデットの残りの生活でもなされていると考え、オデットが遠くにいる時間を想像するときは、そうした彼女の仕草を一つ一つなぞって思い浮かべてみることにした。
アルジェからチュニス、そしてイタリア、ギリシア、コンスタンチノープル、小アジアと旅をしたことがあった。旅行はほぼ一年続いた。スワンは完全に心が平静になり、ほとんど幸福だとすら感じた。ヴェルデュラン夫人はピアニストとコタール医師に対して、叔母にしても患者にしてもそれぞれ二人を必要としていないし、夫が今は革命のさなかだと確言しているパリにコタール夫人をむざむざ帰すのは思慮に欠けると説得しようとしたのだが、結局、コンスタンチノープルで船を下りたいというピアニストとコタール夫妻の願いを受け入れないわけには行かなかった。
譬えれば、ヴェネツィアを発ちフランスに戻ることになって、すっかり陰鬱な気分になっていたパリジャンにとって、最後まで残った一匹の蚊が、イタリアと夏はまだ遠くへ去ったわけではないことを証明するようなものだったろうか。しかし、スワンが今そこから抜け出そうとしている人生の特別な時期は、そこにまだ留まろうというのではないにしても、せめても可能なうちに、それがどういう時期だったのかを明確に把握しようとすると、たいていの場合、もはやそんなことはできないということにスワン自身、気がつくこととなった。
もしゴシック藝術がそれらの土地や人びとに、今までなかったある種の限定をもたらしたとすれば、ゴシック藝術のほうも、その土地や人びとからある限定を受けずにはいないだろう。私は思い描こうとした。そうした漁師たちはどのように暮らしていたのか。死の断崖の下、地獄の海岸の一点に寄り集まった彼らが、中世という時代にあって、恐る恐る、思いもかけぬ形で構築しようとした社会的関係とはどのようなものだったのか。かつてゴシック藝術は都市と切り離せないと考えていた私にも、それはいまや都市から離れていっそう生き生きと感じられた。ある特殊な状況下では、荒涼とした岩塊の上に、ゴシック藝術はどのようにして、美しい鐘塔という形で芽ばえ、花開くのかがわかったような気がした。私はバルベックでもっとも有名な、縮れ髪で鼻の低い使徒たちや 正面 入り口 の聖母の彫像の複製写真を見せてもらった。潮気を含む永遠の霧に合わせて浮かび上がるそれらの彫像を実際に見られるのだと思うと、息が止まるくらいの喜びが胸いっぱいに広がった。嵐になりそうな、されど暖かい二月の夜、風は私の部屋の煖爐の炎を小刻みに揺らめかせるくらい強く吹いて私の心までも同じように震わせ、バルベックへの旅の計画を吹き込み、私のうちでゴシック建築への欲望と海上の嵐に対する欲望を混ぜ合わせるのだった。
春ではあっても、本の中にバルベックの名前を見つけただけで、嵐やノルマン式ゴシック藝術への欲望が目覚める。たとえ嵐の日であっても、フィレンツェやヴェネツィアの名前は、太陽と百合の花[フィレンツェのシンボル]と 総督宮[ヴェネツィア総督の公邸]やサンタ・マリア・デル・フィオーレ( 9) に対する私の欲望をかき立てることになった。
シャンゼリゼにゆくのは私には耐えがたかった。せめてベルゴットが一冊でも著書の中で描いていたら、私もシャンゼリゼをもっと知りたいと思っただろう、これまでもまずは私の想像力の中に「複製」が持ち込まれてすべてが始まったのだから。想像力がそれらを温め、命を与え、個性をもたらす。そうなれば私としても現実の世界でそれらに再会したくなる。されど、この公園には私の夢想と関係しているものは何ひとつなかった。
恋をすれば人はたちまち、誰のことも愛さなくなってしまうものだから)ではあるけれど、ジルベルトの傍らにいられる時間、前の晩から待ち遠しくてたまらなかった時間、その時間のために打ち震え、そのためにほかのすべてを犠牲にしてもいいと思える時間は、少しも幸福な時間ではなかったのだ。私にはそれがよくわかっていた。というのも、その時間は、私が細心の注意を粘り強く集中させる、人生でも珍しい時間だったのに、どれほど注意を払っても、そこにほんのわずかな愉しみも見いだすことができなかったからである。
あるいは、女が私たちに抱く愛情をより 確乎 たるものにするために、日本の庭師がたった一本の花を美しく咲かせようとして他の何本もの花を犠牲にするのと同じように、女に対する愛を告白するという喜びを諦めることもありうるのである。
会いたいと思えばこそ、何ヶ月も前から、ジルベルトがパリを離れる時期や行き先のことしか知りたいと思わなかったし、こうも考えたのである──もしジルベルトがいないのなら、世界で一番気持ちのいい土地も流刑地にすぎない、シャンゼリゼで彼女に会えるならいつまでもパリにいたいものだと。その観点が容易に私に示してくれたことをもうひとつあげれば、ジルベルトの行動のうちには、私が心を砕いた気遣いや会いたいという欲求が見当たらないということになるだろうか。ジルベルトは家庭教師を高く評価していたが、私がその家庭教師をどう考えているかはまったく 斟酌 しなかった。 先生 と買い物に行くならシャンゼリゼに来ないのは当然と考えていたし、母親と外出するならシャンゼリゼへ来なくても楽しいと感じていたのだ。もし私に自分と同じ場所に行ってヴァカンスを過ごすことを許してくれたとしても、少なくとも行き先を決めるのは、両親の意向と人から聞いたあまたの楽しみをジルベルト自身、どう思うかにかかっていたのであり、私の家族が私をどこに行かせたいと思っているかなどはまったく問題にされなかった。
「それなら誰のことかわかったわ」と母は思わず声を上げ、私は恥ずかしさで赤くなった、「用心、用心、と、亡くなったお 祖父 さまならおっしゃるところよ。あんな人を美しいだなんて。ひどく不器量な人よ、昔からそうだけど。あれは 執達吏( 65) だった人の未亡人でね。覚えていないかしら。あなたがまだ子どものころのことだけど、体操教室( 66) へゆくたびに、あの人を避けるのにわたしがどれだけ苦労したか。わたしのこと、知らないくせに、話しかけてこようとしたのよ。それも、男の子とは思えないほどかわいいお子さんですね、なんて言って。いろんな人たちと知り合うことにいつもすごい情熱を燃やしていたわ。前からずっと思っていたんだけれど、もしほんとうにスワンの奥さんを知っているとすれば、頭がどうかしちゃったというほかないわ。だってね、平凡な家の出身ではあっても、少なくともわたしにとやかく言われるようなことだけはなかったんだから。まあ、ずっとつきあいの輪を広げる必要があったということね。ほんとうにいやな人だし、おそろしく下品で、しかも気取り屋なんだから」。
スワンについて言えば、私は自分を彼に似せたくて、食卓ではずっと鼻をきゅっとつまんだり、目をこすったりしていた。父は「この子は 莫迦 だねえ。そのうち、みっともない顔になるよ」と言った。とりわけ私はスワンと同じくらい、 禿げ上がった頭になりたいと思った。スワンは私の目には並外れた人物に見えたので、私がふだん会っている人たちがスワンの知り合いだったり、たまたま何らかの偶然が働いてスワンとばったり出会ったりするというのは、奇蹟のようにも思われた。ある日のこと、いつものように夕食の席での会話で、母が午後の買い物のことを話していたとき、「そういえば、今日、トロワ・カルチエ( 67) の傘売り場で誰と会ったと思う? スワンさんよ」と言っただけで、話のほかの部分は死ぬほど退屈だと思っていたのが、そこだけ神秘的な花が咲いた気がした。その日の午後、ごった返す買い物客の中にとても現実とは思われない姿を浮かび上がらせながら、スワンが傘を買うためにその場にいたことを知るのは、何ともの悲しい喜びであったろう。
灰色の空や 凍てついた空気や裸木を前にして、生き生きと青い花を咲かせている菫は、季節や天気を単なる額縁としてしか考えず、人間的な空気、この女性の空気に包まれて生きてゆこうという花々──そのサロンの、燃える煖爐の火のそばに置かれた花瓶や 装飾花台 の中で、絹を張ったソファーを前にして、閉ざされた窓の向こうに降る雪を眺めている花々──と同じ魅力を放っていたのだ。
文学はどこまでも人間的なものである。文明に対するさまざまな脅威に抗し、あまたの悲劇を乗り越えて連綿と書かれてきた。悪や退廃を描こうと、そこに連ねられた言葉はどこか祈りに似ている。『失われた時を求めて』も例外ではない。一見遠い国の、私たちとは無縁の社会や人々を描いたかに見えて、じつは深く関わりうる作品なのだ。
結局、人は自身の能力に見合ったことでしか社会貢献はできない。いささか口幅ったいことを言うようだが、どんなかたちであれ、文学に携わっている者たちは今後とも、人間精神の探究に努め、精神の自由をめざし、世の不条理にあらがって、いっそう豊かな生の時間を取り戻すべく、一つ一つ丁寧に言葉を紡いでゆかなければならない。こたびの震災で、そのことを私ごとき者でも肝に銘じた。
「スワンの恋」には他の巻では見られない特徴がある。 それはこの第一篇第二部だけ三人称で書かれているということで、これ以外は第三部もふくめてすべてが「私」という一人称によって語られている。
ただ、それはプルーストの小説の欠点ではなくて、それが『失われた時を求めて』という小説の、あえて言うなら、大きな魅力なのである。私たちが読んでいるのは、作者が机の前の壁に張り出した登場人物たちの年代記を絶えず見ながら書いた作品ではないし、ましてや、歴史小説でもない。『失われた時を求めて』はあくまで虚構であり、必要以上に現実世界の出来事や「年代記」と照らし合わせることはないので、どうか一つ一つの挿話を読み進めることで 確乎 たる小説的現実が時のゆらぎを伴って私たちの脳裡に形作られる経験を大事にして頂きたいと思う。
私は決して 愚昧 主義を標榜しているわけではない。ただ、過度の情報に振り回されると、それだけでプルーストの世界が「わかった」気になってしまう恐れがあると言いたいのだ。『失われた時を求めて』は「わかった」という言葉とは無縁の読書の時間を私たちに与えてくれる稀有な書物のひとつである。プルーストは再読してこそ、その世界のもつ豊饒さを私たちに惜しげもなく差し出してくれる。その点でも、まずは 虚心坦懐 にプルーストの言葉の世界に浸ること。
オスカー・ワイルドとプルーストは、一八九四年四月、アルマン・ド・カイヤヴェ夫人宅で晩餐をともにした。P–E・ロベール『英国文学の読み手マルセル・プルースト』( P-E Robert: Marcel Proust, lecteur des Anglo-Saxons)(一九七六)はプルーストと英国文学の関係について詳しく調べ上げた労作だが、そこでも、プルーストがワイルドの『ドリアン・グレイの肖像』や『 意向集』などをかなり読み込んだことが記されている。一方、作者の意図とは別に、一九一三年の読者で、ワイルドの「幸福な王子」を読んだことのある人びとは、バルベックという地名に、現実には達し得ない遥かな夢の都市をどこかで重ねたかもしれない。
プルーストは再読してこそ愉しいと第一巻の「読書ガイド」でも記した。この「再読」ということについて触れておきたい。 これは私の持論の一つなのだが、再読とは一冊の本を最初から最後まで読み通すことだけを意味するのではない。気に入った箇所があれば、そこを何度も 繙読 するのも再読のひとつである。 -
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読むのに7日間かかった。
『失われた時を求めて』読み終わった!2年4ヶ月かかった。
私は集英社の鈴木道彦訳で13巻の『失なわれた時を求めて』を読み終えるのに、5年もかかった。
岩波文庫、全14巻、本文のみ6632ページ(誤差あるかも)を、1日50ページを目安に読んで、127日かかった。
『失われた時を求めて』は他の本を並行して読みながら半年くらいかかった。
『失われた時を求めて』は非常に長大な小説で、翻訳や版によってページ数が異なります。具体的な例を挙げると以下のようになります:
1. 光文社古典新訳文庫
•光文社版は全訳であり、全14巻に分冊されています。
•1冊あたりのページ数は約300〜500ページ程度。
•全巻を合わせると約6,000ページ前後になると考えられます。
2. ちくま文庫版(鈴木道彦訳)
•こちらも全訳版で、全13巻(+別巻1巻)構成。
•1冊あたりのページ数は400〜500ページ程度。
•合計で約6,500ページ以上。
3. フランス語原文
•原文(Gallimard版、La Pléiade叢書)の場合、全7巻で約4,300ページ。
(原文は日本語訳より簡潔な表現が多い)
参考:読むペースの目安
1日50ページ読んだとしても、全巻を読むには3〜4ヶ月ほどかかる計算です。
もし特定の版の詳細や、どの版が読みやすいかについて知りたい場合は教えてください!
『失われた時を求めて』は「世界最長の小説」としてギネス認定されており、その量は日本語訳では400字詰め原稿用紙10,000枚、9,609,000文字数
失われた時を求めて 1~第一篇「スワン家のほうへI」~ (光文社古典新訳文庫)
by プルースト、高遠 弘美
その部屋は、読書や夢想、涙や官能といった、絶対的な孤独を必要とする私の行動すべてにわたって隠れ家のような役割を果たしていたと言っていい。ああ、当時の私はどうしてわからなかったのか。午後や夕方の絶え間ないそぞろ歩きの最中も、私の意志の弱さや虚弱体質、さらにそれらが示す先々の不安といったものが、祖父がいくらか不摂生になることなどよりはるかに、祖母の心に暗い 翳 を落としていたということが。
眠りについたあと、激しい歯痛に襲われても、それがまだ歯痛とは感じられず、あたかも二百回も続けて助けようとしている 溺れかかった少女や、繰り返してばかりいるモリエールの詩句のようなものだとしか認識されていないとき、目が覚めて、英雄的行為だのリズムがいいだのといった仮の姿が、知性によって歯が痛いという感覚から取り除かれるとすれば、だれでもほっとするだろう。
包みのなかから出てきたのは、『魔の沼』『フランソワ・ル・シャンピ』『愛の妖精』『笛師の群れ( 53)』だった。あとで知ったのだが、祖母が最初に選んだのは、ミュッセの詩集とルソー一冊、それにサンドの『アンディアナ』だった( 54)。祖母はくだらない読書はボンボンやケーキと同じくらい健康に悪いと考える一方で、相手がたとえ子どもであっても、天才の偉大な息吹が精神に及ぼす影響は、戸外の空気や沖から吹いてくる風が肉体に与える影響以上に危険だったり、生命力を 殺いだりするようなものではないと思っていた。
以前の私は、この小神殿をかこむ聖なる森のなかでぐずぐずしていることはなかった。それは、二階に行って読書をする前に、私の祖父の弟で、少佐で退役になった元軍人のアドルフ叔父[本来は「大叔父」]が一階で専用に使っていた休憩室に入ることにしていたからである。休憩室は、開け放たれた窓から、日光はまず届かないとしても、外の熱気は自由に入ってくるような日でさえ、その、森のなかのような、あるいはアンシャンレジーム( 100) のごとく過ぎ去った遠い日々を思わせる、薄暗い、ひんやりとした香り──うち捨てられた狩猟小屋に入ったときに長い時間、鼻孔を夢心地にさせるあの香りをいつまでも放っていた。しかし、もう何年もの間、叔父のアドルフのこの部屋に入ることはなかった。私の過失がもとで、私の家族と叔父との間に 諍いが生じて、叔父はそれ以来、コンブレーに来なくなったからである。そのいきさつはこうだった。
本を人に貸すのが大嫌いだった叔父は、黙ったまま、私を控えの間まで送ってきた。薔薇色の婦人に対する恋心に狂ったようになっていた私は、 嗅ぎ煙草の粉だらけになった年老いた叔父の頰に、夢中でキスを繰り返していたのだが、叔父はかなり困惑したふうを見せながら、さすがにあけすけに言うのはためらわれたものか、今日、私が叔父の家に来たことを両親に言わないでほしいと 仄めかした。私は目に涙を浮かべて、叔父の親切はこの先絶対忘れないし、いつか必ず恩返しをしたいと思っていると伝えた。事実、叔父から親切にしてもらったという気持ちはあまりに強かったので、二時間後、両親を前にして、最初はわけのわからない言葉を並べたあと、それでは今日あらたに高まった私の価値をきちんと両親に理解してもらえないように思った私は、今日の訪問について細大漏らさず話したほうが曖昧でなくていいだろうと考えたのである。私はそうして話すことが叔父を困らせることになるとは思っていなかった。叔父を困らせる気持ちなどひとかけらもない以上、どうしてそんなことがありえよう。また、私が悪いと思っていない訪問を、なぜ両親はいけないことだと考えるのか、私には想像もつかなかった。しかし、友達から、手紙を書けないから相手の女に、自分の代わりに謝っておいてくれと頼まれたのに、黙っていてもたいしたことはないとこちらが考えるだけでなく、女もそんなことを気にしていないと勝手に判断して、友達の頼みを反故にする、といったことは毎日起こっているのではないか。誰でもそうだろうが、私も、他人の頭など自分の意志で動くことのない従順な貯水タンクのようなものにすぎず、何かが入ってきても特別な反応はしないと思い込んでいた。だから、私は、叔父の仲立ちでさる女性と知り合ったというニュース…
読書している間、内から外へ、真理の発見へと絶え間ない運動を続けている、私の中心をなす如上の確信に続いて、本の筋立て(私もそこに参加している)が与えてくれる感動が押し寄せてくる。こうした午後の時間は、しばしば人間の一生がそうである以上に、劇的な事件に充ち満ちていた。それらは私が読んでいる最中の本のなかで突発的に起こる事件だった。
純粋に内的な状態というのはすべてそうなのだが、あらゆる情動が十倍になり、読んでいる本が夢のように、それも睡眠中に見る夢よりもはっきりした夢、その記憶がさらに長続きする夢のかたちをとって私たちの心をかき乱す、そんな状態に小説家によってひとたび投げ込まれると、私たちのなかには、ほんの一時間くらいのうちに、ありとあらゆる幸福や不幸が一気に解き放たれる。実人生であれば、そのうちのいくつかを知るだけでも何年もの時間が必要だろうし、最も強烈な幸福や不幸などは、あまりにゆっくり形成されるために私たちには知覚することすらできず、結局明かされぬままで終わるしかないだろう(かように私たちの心は実人生にあっては変化する。それはこれ以上ないほどの苦しみである。ただ、そうした苦しみを私たちが経験するのは読書の時間に想像力を通してでしかない。現実にはたしかに心は変わってゆくけれど、それはある種の自然現象がそうであるように、きわめてゆっくりとした変化なので、変化したさまざまな状態をあとから確認することはできるとしても、変化の感覚そのものは私たちにはない)。
そして最後に、私は意識のなかで同時に並んでいるすべての精神状態を内部から外部へと順にたどり続けながら、そうした状態を包み込む現実の領域まで到達しないうちに、別の種類の愉しみを見いだすことになる。それは、ゆったりと腰を下ろして、大気に満ちる芳香を感じる愉しみ、客に煩わされないという愉しみであり、サン・ティレール教会の鐘が時を鳴らすときであれば、すでに消費された午後の時間がひとひらずつ舞い降りてくるのを見る愉しみでもあって、それは鐘が鳴り終わるまで続く。最後の鐘が鳴ると、私は全部でいくつ鳴ったかを考える。そのあとには長い静寂が続いて、さらに読書の時間に充てることのできる夕食までの時間がそっくり、青い空のなかで始まるような気がする。フランソワーズが用意する美味しい夕食は、本を読みながら主人公を追いかけて疲れ果てた私を元気にしてくれるだろう。
そんな日を別にすれば、ふだんの私はむしろ静かに読書をすることができた。だが、それまで読んだことのなかったベルゴットという作家の本を読んでいるときスワンが訪ねてきて、こちらの読書をさえぎって註釈を加えたことがあって、それ以後、長い間にわたって、それまでのように紡錘型をした紫色の花模様の壁の上ではなくて、まったく別の背景、たとえば、ゴシックの大聖堂の 正面扉口 の前に、私が夢見る女たちのうちのある女の姿が浮かび上がることになった。
実際、驚くべきことではあるのだが、人は、自分が性的関係を結んでいる相手の両親の心のうちに、みずからの精神的美点に対する称讃の念を大いにかき立てるものだ。肉体的愛は、すこぶる不当な扱いを受けているが、どんな人間もその愛を通じて、善意や自己犠牲をとことん表にあらわすので、ごく身近にいる人びとの目にもそれらの美点が輝いて映るのである。ペルスピエ医師は野太い声と太い眉毛のせいで、好きなだけ裏切り者の役を演じても本当に裏切り者とは思われなかったし、気難しいが親切な人という、本来はそぐわない、しかし揺るぎない評判が傷つけられることはなかったのだが、荒っぽい口調で以下のような言葉を連ねて、司祭をはじめ、聞いている者たちすべてを涙が出るほど笑い転げさせるすべも心得てい
この年の秋の散歩は、長い間読書に耽ったあとだっただけに心地よかった。午前中ずっと、居間で本を読んで疲れがたまると、 旅行用コート を肩に羽織って出かけるが、長い時間、不動の姿勢を保たざるを得なかった体は活力とスピードを即座に 充 塡 され、四方八方にそれらを発散させる必要に駆られる(手から離れた 独楽 のように、と言えばいいか)。家々の壁、タンソンヴィルの生け垣、ルーサンヴィルの森の樹木、モンジューヴァンの家の背面部の茂みは、私から傘かステッキ代わりの棒で叩かれ、歓喜に満ちた私の叫び声を耳にすることになったが、そうした行動に導いたのはいずれも、私を亢奮させる渾沌とした想念──時間をかけて何かを解明するという困難な道よりも、もっと容易な直接的なはけ口のほうに向かうことを選び、光のなかでゆっくり休息するすべを知らない想念にほかならなかった。私たちが感じたことの解釈なるものはたいていの場合、私たちにははっきりと認識できない形でそれを外に出し、結局は私たちから追い払ってしまう 体 のものにすぎない。
むしろ、人はそうした快楽こそ彼女固有の魅力だと考える。なぜなら、そういうとき人は自分自身のことを考えるのではなく、自分の外へ出てゆくことしか考えないからである。私たちがひそかに待ち望む、内在的な隠れた快楽は、まさにそれが成し遂げられる瞬間に、私たちの傍らにいる女の優しい眼差しや口づけによって 惹起 される他の快楽のほうを絶頂に持ってゆくだけなので、とりわけ私たちの目には、女が私たちにもたらしてくれる数々の恩恵や幸福感から推察しうる女の親切心、私たちだけを愛してくれる感動的な態度に対する熱烈な感謝のあらわれのようなものとしか映らないのである。
小説を小説たらしめているのは細部の輝きである。細部にこそ神は宿るのであり、それゆえに、バルザックは、細部の真実に支えられた壮大なる虚構こそ小説だと言ったのだ。どれほど器用にあらすじをまとめたところで、それはブロンテのあの切迫した自然描写も、スタンダールの躍動感あふれる文体も彷彿させはしないだろう。
あらすじは砂金すくいと似ている。掌に残った砂(あらすじ)は、こぼれ落ちた貴重な砂金(言葉で織りなされる細部そのもの)とはついに無縁だからだ。 まだ読まぬうちからプルーストのあらすじを知ることは、そうした細部の輝きに目をつぶることになりかねない。私たちはあらかじめ知った筋を確認するために、プルーストの言葉をひとつひとつたどってゆくのではない。どうか、あらすじのことなど考えず、また、この読書を何かの役に立たせようなどと思わずに、ゆっくりプルーストを読む時間を作って頂きたい。
プルーストは一九〇七年頃から書き溜めた文章を、一九〇九年頃から小説として構想される作品に取り込んでゆき、一九一三年に第一巻目を刊行。その後、作品世界を圧倒的な筆力で拡大深化させ、一九二二年十一月、七篇まで膨らんだ作品の第五篇の校正途中で息を引き取った。周囲の人びとの献身的な努力によって、草稿その他から作品が編まれ、とりあえずの完成を見たのは一九二七年になってからのことである。初版の不備を正した第一回プレイヤード版が三巻で出たのが、一九五四年。現行のプレイヤード版四巻は何と一九八七年から二年かかってようやく纏められた。
プルーストがかくも時間をかけて、というより、自らの後半生をすべて注ぎこんで書き上げた『失われた時を求めて』に向かうとき、私たちに求められているのは、斜め読みせずに、一行一行を丁寧に読んでゆくことである。というより、私たち読者の義務はそこにしかない。その代わり、プルーストを読む行為が私たちに与えてくれるものはすこぶる豊饒である。
生彩あふれる自然描写、皮肉でいながら深みと立体感に満ちた人物造型、増殖する譬喩の連鎖、豊富な語彙……こうしたすべてがプルーストの美質として私たちの眼前に次々と現れてくる。プルーストを読む時間は、必然的に私たち読者ひとりひとりの過去の時間と結びつく。この感覚を味わうことができる小説はじつはあまり多くない。プルーストは中でもそれが際立つ小説家であった。
ここはやはり私がもっとも敬愛する文筆家(エクリヴァン)のひとり、吉田秀和の名著『ヨーロッパの響、ヨーロッパの姿』(一九七二年)の言葉を引いておきたい(「失われし時をめぐって」。のち、『吉田秀和全集』第八巻に再録)。音楽批評家、吉田秀和ほど的確にプルーストを読むことの本質について書いている文学者はほとんどいないだろう。ヨーロッパに滞在中、ある友人の家の書架にプルーストを見つけた吉田はその 開巻 劈頭 を読んで衝撃を受ける。
プルーストの最初のページは、私がずっと昔に経験し、そのあと忘れて暮らしてきたあるもの、ときに、思い出したかもしれないのだが、それをはっきり考えることができないあるもの、私の知らない私の中で根深く生きているあるものを呼び起こした。 私は、その翌日、さっそく街に出かけていって、『失われし時を求めて』の第一巻を買ってきた。例のプレイヤード版の大冊である。たいして早くは読めない。読めないばかりか、少し読み進むと、また、最初に戻って確かめるというふうにしか読めなかった。何を確かめるのか、はっきり自分にわかっていたわけではない。何かが生きかえってくる。それは確かな手応えのある感じだし、それが私には少年のころの母の匂…
私は、この小説を読んでいて、何かを知るというのではなくて、何かを思い出し、何かに気がつくのだが、それはこの本を読まなければ気がつかず、思い出さないことでもある。だが、それは、私がすでに生きたことのあるもの、たとえ実際の生活の場ではないにしろ、心のどこかでいつか出会ったか、小波のようにかすめていったかしたことがなかったら、気もつかず、思い出せるはずのないものでもあるのだ。私は『失われし時を求めて』の中で、自分の生きてきた時間を溯り、溯る間にはじめて時間の流れを自覚的に捉える。私は自分に再会し、自分を意識する。この本に出てくる事件は空間的拡がりももっており、それはまた私を拡げもするのだけれども、私がここで本当に知るのは、この《時間》の中であり、そこで私は《自分になる》のである。こういう《時》がなければ──時が流れ、私が私でないものに流れこみ、私でないものが私の中に流れこんでくるのでなければ、私は永久に私に再会することはなく、自分になることもないだろう。
吉田秀和のこの言葉につけ加えることは何もない。プルーストを読むときは耳を澄ませ、行きつ戻りつしながら、ゆっくりと自分自身の時間を反芻し、自分を取りもどしつつ、譬喩をはじめとするプルーストの文章そのものによって幸福感を得る。これが重要だろう。 だが、そのためにはしかるべき翻訳が求められることになる。
植物名や譬喩、教会建築その他、既訳と大きく異なる場合が少なくない。浅学菲才の私なりに、より正確で、かつ明快な訳を目指した結果そうなった。また、動植物は漢字かひらがなで表記するのを原則としたが、言葉そのものにことのほか敏感だったプルーストの翻訳である以上、姿やかたち、響きやリズムにも細心の注意を配りたいと考えたからである。同様に、漢字も常用漢字には縛られず、これがふさわしいと私が考える表記にしたことを合わせてお断りしておきたい(例。藝術、刺戟など)。一度読んでそれでおしまいではなく、いつでも手にとって、どこからでも再読可能な翻訳に仕上げるというのが本巻だけでなく、今後続く私の翻訳作業すべてに通底する基本方針である。
失われた時を求めて』にはコミック版もある。第七篇「見出された時」を中心に作られたラウル・ルイス監督の映画もある。また、既訳では表紙にヴァン・ドンゲンの描く挿絵を用いたものもある。そのいずれにも共通するのは「私」が作者プルーストそっくりに表現されていることだ。だがそれは、『失われた時を求めて』の読書にはむしろ不必要な前提ではなかろうか。突飛な例かもしれないが、 村上春樹の一人称小説を読むとき、「ぼく」に作者自身のイメージを私たちは当てはめているだろうか。カミュの『異邦人』の「私」を、アルベール・カミュだと考えているだろうか。『失われた時を求めて』はあくまで虚構であり、それゆえに、時代も国も言語も違う私たちの魂の底にまで届くのである。どうか「私」を、作者の顔と切り離して自由に想像して頂きたい。
一八七一年 七月十日、マルセル・ヴァランタン・ルイ・ウジェーヌ・ジョルジュ・プルースト、パリ郊外オートゥイユのラ・フォンテーヌ街九十六番地にあった、母親の叔父方で生まれる。当時のオートゥイユは村と呼ぶのがふさわしいところで、大叔父の家は石造り四階建てであった。父アドリヤンは三十七歳の医学博士。母はユダヤ人の資産家の娘ジャンヌ・クレマンス。アドリヤン・プルースト博士の十五歳年下の聡明で美しい女性だった。折しもドイツ軍のパリ入城とパリ・コミューンの年である。ジャンヌが叔父のルイ・ヴェイユのもとに身を寄せて出産したのは、パリ市内が動乱状態で危険だったからである。
一八八二年 十一歳 十月、フォンターヌ(翌年コンドルセと改称)高等中学校入学。マルセルは病弱で、しばしば長期欠席をする。成績は優秀。十代後半から芝居に通う。著名な文学者とも相知るようになる。
十月、オランダ旅行。これ以前の保養に加えて、オランダ行き以後、プルーストはヴェネツィア、カブール、ブリュージュをはじめ、各地に旅行をする。プルーストが現実に旅をした 数多 の土地が、小説家の想像力というプリズムを通して作品中によみがえることになる。
一九〇二年 三十一歳 十月、ベルギーとオランダに旅行する。フェルメール「デルフト眺望」などに深い感銘を覚える。
一九二二年 四月、『ソドムとゴモラ Ⅱ』刊行。 十一月はじめ、気管支炎から肺炎を併発。弟ロベールは入院加療を薦めるがプルーストは拒む。ここから死去までは新プレイヤード版の年譜にしたがうが、十八日の明け方、うわごとを言いはじめ、「黒衣の大女」を見たという。午後三時、プルーストはロベールに話しかける。四時半、息を引き取る。二十一日、サン・ピエトロ・ド・シャイヨ教会で葬儀。プルーストが愛したラヴェル「亡き王女のためのパヴァーヌ」が演奏される。二十二日、埋葬。 * プルーストの墓はパリのペール・ラシェーズ墓地にある。父母、弟夫婦と同じ墓所で、いまも訪れる人は絶えない。 -
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「私」は、バルベックでアルベルチーヌと「花咲く乙女たち」に出会う。
この物語を読んでいると、走馬灯のように人生の様々な出来事が思い出される。
そして、読むほどに自分の姿が露わになってくる。
もちろん、思い出すのは楽しい思い出ばかりではない、それどころか、むしろ「苦しきことのみ多かりき」なのだが、僕にとってはこの物語自体が紅茶に浸したマドレーヌの働きをしている様なのだ。/
加えて、言うまでもなくプルーストの見事なまでに精緻な恋愛心理の分析を辿っていくことには、無類の楽しさがある。
呆れるほど息の長い彼の文体にしても、一度慣れてしまえば心地良い旋律となって、ハンモックの様にそれに身を委ねることができるのではないだろうか。
いやむしろ、この物語を読み込むほどに僕が感じるのは、冬場に車を運転していて曇ってしまったフロントガラスに、デフロスター(霜取り装置)をかけた途端にみるみる視界が開けていくときの爽快感なのだ。/
まず、シャルリュスの言葉を引こう。
《「(略)まあ、いずれにしても彼女は娘のそばに行きました。ラ・ブリュイエールはこれが一番大切なことだと言っていますね、『愛する人のそばにいること。何か話そうが話すまいが、それはどうでもよい』。その言葉は正しいでしょう。それがただひとつの幸福ですよ」。》/
《というのも、私たちが作品を作り出すのを可能にするのは有名になりたいという欲求ではなくて、たゆまず努力を続ける習慣であり、私たちが未来を守ろうとするとき助けとなるのは、現在の瞬間に味わう歓喜ではなく、過去に関する賢明な反省だからである。》/
《さらに、果たしてその日に彼女たちに会えるのか会えないのかという最初の不安に、この先いつか会えるのだろうかというもっと深刻な不安がつけ加わる。彼女たちがアメリカに出立するのかパリへ帰るのか、結局のところ私にはわからないからだ。彼女たちを愛し始めるにはそれだけで足りた。(略)しかし、恋愛の前段階となるあの悲しみや、取り返しがつかないという気持ちや苦悩を誘発するためには、不可能という危険がーーおそらくこの危険こそ相手の人間以上に、情熱が不安のなかで抱きしめようとする対象そのものなのだろうーー欠かせない。》 -
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マドレーヌを浸した紅茶の一口から、忘れていた少年時代の日々が色鮮やかによみがえる。あまりに有名なこの作品の醍醐味は、書き手の脳裏に次々浮かび上がる記憶の断片、全体として「コンブレーで過ごした私の少年時代」とでも題して時系列に出来事を並べることも可能かもしれないある時期の記憶を、あえて断片のままよみがえるに任せ、その、時空や地理の縛りを超えてひらひらと漂う「記憶」のよみがえる様それ自体を言語化しているという、他の作品では味わったことのない体験にあると思う。
旅先のホテルでふと目を覚ました時に感じる、自分の居場所が分からなくなる一瞬の戸惑い。寝室でひとり母の「おやすみのキス」を待つ、子供の頃の切ない寂しさ。コンブレーでの生活の大半を共に過ごした家族たち、時折現れる隣人たちのエピソード。春の輝きに満ちた散歩、山査子の生垣越しに出会った少女の記憶。高貴なるゲルマントの血筋へのあこがれ。
それらは、「私」の体験であり、記憶であるけれど、読んでいる私にとっても「知っている」感覚であったり、「思い出せる」感情だったりして、プルーストの筆がいざなうこの「未知の過去を思い出す」感覚に、不思議な感動を呼び起こされる。過去のいつか、何かの折に感じたはずの感覚、胸をよぎったはずの感情が、この本によって言語化され、強い共感と共に沁み込んでくる。それは読書体験の中でも特別な、「あちら/物語世界」に没入するのでも、「こちら/現実世界」を解明するのでもない、「あちらとこちら」の境界が限りなく曖昧な、不思議な浮遊感と現実感を同時に伴う体験で、読書というものの一つの究極の愉悦を教えてくれる。
長い物語全体の導入部とも言える、第一篇「スワン家の方へ」の冒頭、眠りをめぐる描写は、『失われた時を求めて』全体の中でも、個人的に特に好きな箇所。誰もが体験している眠りと目覚めという行為について、こんなにもくっきりと言葉で表現できる作家がいるとは!というのが、初めて『失われた時を求めて』を読み始めた時の、何よりの衝撃だった。戸惑い、寂しさ、あこがれ、凡人にはそんな言葉で丸めるしかない感覚、感情を、プルーストはどこまでも細分化して掘り下げ、言語化していく。『失われた時を求めて』を読むとき、そうしたプルーストの言語化能力、そのベースにある感受性と表現力、それらの豊かさ繊細さを堪能しながら、読者は自身の言語化されてこなかった感覚や感情を改めて味わうことができる。急いで読んではもったいない、時間をかけ、飴をなめるように言葉を味わいながら読み進めたい作品である。
ちくま文庫の井上究三郎訳(全10巻)で9巻まで読み進めていたけれど、この度、光文社の高遠訳で再読開始。香り高い井上訳の重厚さも好きだが、高遠訳では繊細なプルーストの表現を丁寧になぞりつつ、文章全体の流れが明確にされていて、とても読みやすい。プルーストならではの一つ一つの表現の的確さだけでなく、「私」がたどる記憶の旅、大きな物語としての流れがきちんと頭に入ってくるので、読みながら「…それで、今どういう場面なんだっけ」と立地点を見失うことがなく、一冊を読み切るために要する体力もだいぶ少なくて済む。高遠訳はまだ完結していないが、既刊分をゆっくり読み進めていきたい。 -
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「私」は、バルベックでアルベルチーヌと「花咲く乙女たち」に出会う。
この物語を読んでいると、走馬灯のように人生の様々な出来事が思い出される。
そして、読むほどに自分の姿が露わになってくる。
もちろん、思い出すのは楽しい思い出ばかりではない、それどころか、むしろ「苦しきことのみ多かりき」なのだが、僕にとってはこの物語自体が紅茶に浸したマドレーヌの働きをしている様なのだ。/
加えて、言うまでもなくプルーストの見事なまでに精緻な恋愛心理の分析を辿っていくことには、無類の楽しさがある。
呆れるほど息の長い彼の文体にしても、一度慣れてしまえば心地良い旋律となって、ハンモックの様にそれに身を委ねることができるのではないだろうか。
いやむしろ、この物語を読み込むほどに僕が感じるのは、冬場に車を運転していて曇ってしまったフロントガラスに、デフロスター(霜取り装置)をかけた途端にみるみる視界が開けていくときの爽快感なのだ。/
《私が彼女のことをこれほど美しいと思うのは、彼女の姿をちらりと見たにすぎないからだろうか。恐らくそうであろう。まず第一に女の傍らで足を止めることができず、別の日にはもう会えないかもしれないとすれば、女は俄然魅力的になる。
ー中略ー
もし馬車から降りて娘に話しかけることができたとしても、きっと私は馬車からは気がつかなかった娘の肌の何らかの欠点を見つけて幻滅したことだろう(略)。
だが、一人の娘が私の目の前をまた通りかかった、
ー中略ー
私の思うに、このような出会いは世界をもっと美しく感じさせてくれるものであり、その世界ではあらゆる田舎道に、ほかとは異なっていながら同じでもある花々ーーその日だけで消えてゆくはかない宝であって散歩で出会う望外の贈り物というべき花々、(略)ーーが咲き誇り、人生に新たな魅力を与えているのである。》/
この部分を読んで、ある映画のセリフを思い出した。
《「あなたにとって、生き甲斐とは何でしょうか?」》
と聞かれた寅さんが答える。
《「そうさなあ、旅先でふるいつきたくなるような、いい女とめぐり合う事さ」》
(山田洋次監督『男はつらいよ 寅次郎心の旅路』より。)/
♫〜岬めぐりの〜バスは〜走る〜♫
そういえば、僕の出先めぐりの職業人生も、そんなものだったかも知れない。/
まず、シャルリュスの言葉を引こう。
《「(略)まあ、いずれにしても彼女は娘のそばに行きました。ラ・ブリュイエールはこれが一番大切なことだと言っていますね、『愛する人のそばにいること。何か話そうが話すまいが、それはどうでもよい』。その言葉は正しいでしょう。それがただひとつの幸福ですよ」。》/
《というのも、私たちが作品を作り出すのを可能にするのは有名になりたいという欲求ではなくて、たゆまず努力を続ける習慣であり、私たちが未来を守ろうとするとき助けとなるのは、現在の瞬間に味わう歓喜ではなく、過去に関する賢明な反省だからである。》/
《さらに、果たしてその日に彼女たちに会えるのか会えないのかという最初の不安に、この先いつか会えるのだろうかというもっと深刻な不安がつけ加わる。彼女たちがアメリカに出立するのかパリへ帰るのか、結局のところ私にはわからないからだ。彼女たちを愛し始めるにはそれだけで足りた。(略)しかし、恋愛の前段階となるあの悲しみや、取り返しがつかないという気持ちや苦悩を誘発するためには、不可能という危険がーーおそらくこの危険こそ相手の人間以上に、情熱が不安のなかで抱きしめようとする対象そのものなのだろうーー欠かせない。》 -
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「ときどき、せっかちな時鐘が前の鐘より二つ多く鳴ることがある。間の鐘をひとつ聞き逃したのか。現実にあった何かが私のなかで起こらなかった。深い眠りにも似た、魔術的な読書に対する関心が、幻覚にとらわれたかのような私の耳をはぐらかし、静寂に満ちた紺碧の空に刻まれた黄金の鐘の印を消し去ったのだ。」(213頁)
「眠っている人間は身のまわりに糸にも似た時の流れを、そして、長い歳月やさまざまな世界が持つ一定の秩序を輪のように巻きつけている。目覚めたとき、人は本能的にそれらを探って、自分が現在いる地点や目覚めまでに流れた時間を即座に読みとろうとする。だが、時の流れやそうした秩序はもつれて渾沌としているかもしれないし、切れたり壊れたりしている可能性もある。」(28頁)
(私にとって)プルーストを読むことは、後者の引用が示唆するように、突如過去と現在が解れたり、結びついたりする時の糸を手繰り寄せながら、自らの経験と擦り合わせては愉しむ贅沢な時間であり、前者の引用が語るように、現実を束の間ながらも消失させてくれる至高の体験である。本書の明晰このうえない高遠弘美氏の訳文に出会って私は、その想いを強くしている。続編が楽しみでならない。 -
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何度目かのプルースト。冒頭、夢と現実の境を彷徨いつつ子ども時代の記憶を思い出すシーンを読むといつも忘れていた大切な思い出が浮かび上がってくる気がします。
この第1巻、一度最後まで読んでから再読するとよく分かるのですが、一見散漫でとりとめのないエピソードの羅列に思えるものが物語全体では重要な伏線になっています。名前すら出てこないふと見かけただけの人物が後に準主役になったり、会話の中で名前が出てきただけの祖母の友人が主人公を上流階級に導くきっかけを作ったり。
ただ、ヒロインであるアルベルチーヌの名前だけは一度も出てきません。というのもアルベルチーヌは当初の構想にはなかった人物だから。この辺りの緻密な構成と構想にないエピソードが大きく膨れ上がるダイナミズムが不思議に同居しているのもプルーストの魅力のひとつでもあります。
さて、高遠氏の訳ですが、平易で読みやすく(あくまでプルーストにしてはの話!)、不要な解説や訳注を最小限にとどめているのも好印象です。ところどころ写真が掲載されているのも読書の助けになります。初めてのプルーストにおすすめできる翻訳だと思います。 -
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三十八歳年上のゲルマント公爵夫人に対する恋心というのがどうしても理解できず、今ひとつ物語に入っていけなかった。
終盤の祖母との電話のエピソードに救われた。/
サン・ルーの計らいで、「私」は祖母と電話で話すこととなる。
【そしてこちらの呼び出し音が鳴り響くやいなや、私たちの耳だけが開かれている、幻に満ちた夜のなかで、微かな音ーー具体性を離れた音ーー距離が消え去った音ーーが聞こえ、愛しい人の声が私たちに届けられるのだ。
その人だ。その人の声がそこにいて、私たちに話しかけている。それにしても、何と遠いのだろう。
ー中略ー
そして、手を伸ばしさえすれば愛する人を捕まえられると思えるときでも、実際は私たちとその人は途轍もなく離れているということを。これほど近く聞こえる声を聞けば現実にそこにいるとしか思えないーー実際には離ればなれなのに。だがこれは、永遠の別離の前触れではないか。】/
◯五十キロ 延々伸びたる へその緒で 小さき母の 心音を聴く/
母は施設に入るのを嫌がった。
だが、入れざるを得なかった。
母の部屋には電話を引いた。
施設に送って行ってものの三十分もすると、電話がかかって来た。
「帰りたい」「いつ帰れる」「これから帰る」
焼けた鋼鉄のような母の意志に、施設も僕も手を焼いた。
今思えば、懐かしい思い出だ。/
『ユリシーズ』百年目の年は、また、プルースト没後百年の年でもあった。
記念の年に、高遠先生の手による『失われた時を求めて』の新たなる輪廻転生に立ち会えることは最高の喜びだ。 -
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スワンは、オデットに恋心を抱き頻繁に逢うようになる。
やがて、スワンは、オデットの言動に疑いを持ち、強い嫉妬に駆られる。
だが、幸福な時は短い。
スワンの中にもう一つの疑念が生まれ、追うほどに彼の前にオデットの新たな相貌が現れる。
この辺りのプルーストのメスさばきは、氷のようだ。/
スワンの孤独な横顔に惹かれる。
彼は、田舎娘を貴婦人と見間違うドン・キホーテのようだ。
彼がオデットの中に見ていたボッティチェリのチッポラは、跡形もなく打ち砕かれる。
やがて、スワンにも結晶解体の時が訪れる。/
彼はまた、自らの意見を昂然と口にするがゆえに、ヴェルデュラン夫人の不興を買い、サロンから追われる。
だが、住み慣れた社交界も、彼にとっては、もはや異邦の地なのだ。/
『しかし、スワンのことが気にくわないと発言したヴェルデュラン氏はそのとき、自分の意見を表明しただけではなく、妻の考えも見抜いていたのだ。
—中略—
だが、もっと深い理由がほかにあった。スワンのうちには他人が入っていけない固有の空間があることに夫妻はすぐに気がついたのである、そこではスワンは相変わらず、口に出さないまでも、内心では、たとえばサガン大公夫人は粗野ではないし、コタールのジョークは面白くないと言い続けていることに。
そして、
—中略—
そんなスワンに教義を押しつけたり、全面的に改宗させたりするのが不可能だということにー
—中略ー
されど異端抛棄の誓いをスワンから引き出すことはできない。それを夫妻は理解していた。』(第二部「スワンの恋」)
空気を読まないスワンには、孤立への道しか残されていない。/
『スワンの想念は初めて、かのヴァントゥイユー同じように大いに苦しんだに違いない、卓越した能力に恵まれた未知の同志へと向かってゆき、深甚なる同情と愛情が澎湃として湧き上がるのを感じた。彼はどんな人生を送ったのだろう。どんな苦悩の底からこの神のごとき力、限りない創造力を汲み取ったのだろうか。
ー中略—
小楽節が模倣し、再創造しようとしたのは、内面の悲しみが放つ魅力だった。』/
『吉田秀和がいみじくも指摘しているように、(略)プルーストを読むとは、畢竟、私たち自身の経験や過去を読み直すことでもある。』(「読書ガイド」)/
確かに、プルーストを読んでいると、自分の人生のいろいろな場面が走馬灯のように甦ってくる。
怖ろしいほどに。
この物語が何回もの再読に耐える所以だろう。 -
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たいした読書家でもない僕が、なぜ、先日やっと吉川一義訳の岩波文庫版を読み終えたばかりの、この作品を読もうと思ったのか?
ひとつには、高遠先生が「文学こそ最高の教養である」の中で引用していた
『プルーストによって開かれた感受性と知性とを使って、自分たちが生きている世界、自分たちの人生を見直しなさい』
(アラン・ド・ボトン『プルーストによる人生改善法』)
という言葉に、蒙を開かれたような気がしたからだ。
この言葉を胸において、もう一度全巻を読んでみたい。とりわけ、「見出された時」を、と思ったのだ。
もうひとつの理由は、最近気になっているプルーストとヌーヴォー・ロマンの関係について、少し探ってみたいと思ったからだ。
僕ごときの半端な読者に何が分かるというものでもないだろうが、それでも自分の中に湧いた疑問を、自分なりに追いかけてみたいのだ。
今回は、本作と併せて、ナタリー・サロートやクロード・シモンなどの作品を読んでみたい。
夏休みは終わった。そろそろ宿題に取りかかるべき時だ。
とにかく読み心地が良い。
吉川訳と比べて傍注を減らして、割注で対応しているためかと思ったが、傍注の数はほぼ同じだった。
だとすると、図版の数だろうか?
吉川訳:29 、高遠訳:12。
どうやらこれのようだ。
吉川訳では、聞き慣れない固有名詞や絵画などを具体的にイメージするのに図版が大いに役立っていたが、その反面、視線の運動が中断されてしまっていたのかも知れない。
マドレーヌが引き起こす無意志的記憶のくだりや、輝かしきジルベルトの登場シーン、その数十ページ後には、おぞましいヴァントゥイユ嬢の愛欲シーン、マルタンヴィルの鐘塔の美しい描写など、この巻には読みどころが多い。
最初は、それらの文章を引用したいと思っていたのだが、読み終えて一番気になったのは、亡きヴァントゥイユ氏に想いを寄せた次の文章だった。
『母は、老人となったヴァントゥイユ氏の晩年ずっと変わらなかった苦悶に満ちた顔を思い浮かべた。ヴァントゥイユ氏が晩年の全作品(年老いたピアノ教師にして村の以前のオルガン奏者の残した哀れな楽曲—想像するに、それ自体はたいして価値がないとはいえ、娘のためにそれらを犠牲にする前はそれこそが彼の生き甲斐であり、すこぶる大きな意味を持っていた作品だったのに、大部分はメモすら取られずただ彼の頭のなかにだけ存在していたに過ぎず、いくつかは、ばらばらの紙に記されたもののほとんど判読不能で、世に知られないままになってしまうであろう楽曲)の清書を永久に諦めたことを母は知っていた。』
芸術に人生を賭けることの栄光と悲惨。この部分を書いたとき、プルーストは、
自らの選択の裏側を覗いていたのではないだろうか?
そして、浮き世(憂世)に咲く金、愛、権力などへの欲望の花々、それらがすべて萎れ、色褪せたとき、再び彼は書くことを見出したのだろうか?
いや、そうではあるまい。彼は知っていたのだ。すべての花々がいつかは萎れてしまうことを。
今回は、読友さんにならって、巻末の読書ガイドを読む前に感想を書いてみた。
確かにこの方が、潔い感じもするし、誤読の羽根を好きなだけ伸ばすことができるような気がする。
一方で、読書ガイドを読んではじめて、高遠先生が翻訳で心を砕かれた点や先生の翻訳の心構えを知り、自らの不明を恥じる思いだ。
やはり、この本の読み心地の良さは、先生のご苦心の賜物であったのだ。
読書ガイドからも引用しておきたい。
『しかし、(略)重要なのは(略)、なるべく多くの読者にプルーストに親しんで頂くことであり、可能な限り正確で、的確な表現に支えられたプルーストを日本語で織り上げることである。
—中略—
私は覚悟を決めた、先達への敬意を失わず、しかも、プルーストだけを見据え、プルーストだけに誠実でありつつ、この全訳を続けていこうと。』