梅棹忠夫のレビュー一覧

  • 女と文明

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    かつて主婦論争というものがあった。
    本書の著者梅棹氏自身は、当時自らが論争の当事者との意識はなかったようであるが、今から60年以上前に、「妻無用論」、「母という名のきり札」という刺激的なタイトルの論説を次々と発表したのであるから、賛否分かれるものだったことは推察できる。

    家事や育児を外部化するためには一定の収入が必要であり、女性も職を持って社会参加すべきということになるのだろうが、就労環境も一周廻った感もする。フェミニズムを経た現在の時点で、また、家庭の在り方や結婚、子育てを巡る環境が大きく変化した現状を踏まえて本書をどう読むか、興味深く思う。

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    2020年06月29日
  • 日本語と事務革命

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    全集に掲載されていた「日本語と事務革命」は、ちょうど1年前文庫化され再販売された。ただ今の時代に本書を読み何を得るかなかなか難しい。「書く」という「事務」について、前半で検討した商業史的な考察や事務改善の歴史的検討は貴重だろう。またウメサオ節による事務の定義は一度味わって損はない。ただ「カナモジ」「カナヅカイ」の知見や思想を現代の事務に応用することは極めて難しい。

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    2016年12月11日
  • 日本語と事務革命

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    ・梅棹忠夫「日本語と事務革命」(講談社学術文庫)は、 今となつては一種の日本語の機械処理に関する歴史文書とでも言ふべき書であらう。いや、機械処理とはいささか大袈裟か。仮名タイプライターからワープロへと移行し始める頃の出来事である。だからこそ、時代の雰囲気を知ることのできる歴史的文書たりうる。今となつては貴重である。何しろ、例の「知的生産の技術」「文明の生態史観」の梅棹忠夫である。一世を風靡した学者の著作である。その人の日本語処理に関する考へ、時代からして古いのは当然だが、だからこそ 歴史的な資料として読める。しかもそれなりにおもしろい。梅棹といふのはかういふ人だつたのだと改めて思ふ、そんな文書

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    2016年03月06日
  • わたしの生きがい論 人生に目的があるか

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    「生きがい」というテーマについて語った講演などをまとめた本です。

    「創造」を至上の価値として走り続けた明治以降の日本をふり返りつつ、老荘思想をヒントに「無為」の生き方に新しい可能性を見ようとしています。

    少し前に、ひたすら前へ向かって走ることを良しとする勝間和代と、そうしたレースについていくことのできない人びとを救おうとする香山リカとの論争が話題になったことがありましたが、著者の議論は、非常にマクロな文明史的観点から人びとの「生きがい」についての考察をおこなっているところが特徴的です。著者の議論と比較すると、勝間・香山両氏とも「生きがい」を個人の問題に閉じ込めてしまうという視野狭窄に陥って

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    2014年02月21日
  • 夜はまだあけぬか

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    視力を失った著者がみずからの体験を語った本です。

    まだまだやりたい仕事が残っているにも関わらず視力を失ってしまった著者の絶望はどれほど深かったことかと思いますが、文章からはそれほどの暗鬱さは感じられず、むしろ自身の置かれた状況とこれからなしうることを冷静に見つめる姿勢が際立っているように感じました。

    いつも平明な文章で明晰に思想を語ってきた著者の、福沢諭吉の言葉で言えば「カラリとした」精神が、視力の喪失という困難の中にあっても失われないことに感動を覚えます。

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    2014年02月21日
  • 夜はまだあけぬか

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    どちらかというと仕事風景がメインで、視力を失った顕学が何を感じ考えたか、という内容は少ない。
    著者のファンというわけではないので、著作についてつらつらと書かれても…という感じ。

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    2013年10月29日
  • 梅棹忠夫の京都案内

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    書かれたのが古く今更の内容も多い。京都がやっぱり一番どす的トーンにも微笑。しかし爺がバスガイド風に市内を南から北へ順ぐりに案内してくれるくだりには、結構知らないことも多かった。外人を京都案内する機会があれば読み返す。爆弾が落ちたから御池通は広いとか。

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    2013年10月04日
  • 梅棹忠夫の京都案内

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    民族學の泰斗、梅棹忠夫による京都案内。

    文庫化されたのは2004年9月だが、角川撰書として發刊されたのは1987年。
    折にふれて書かれた京都に關するエッセイなどを集めたものであるが、書かれたのはかなり古く、1951年から1965年にかけて書かれたものである。

    大學生活の5年間を京都で過ごした私にとつてはいづれも興味深い内容であつたが、なかでも第4章の「京ことば」は面白く讀めた。
    私は學生時代、關西の丁寧語表現「はる」について自分で氣づいた法則がある。
    すなはち、同じ關西弁でも、京都では「書かはる」と未然形接續で、大阪では「書きはる」と連用形に接續する、といふことである。
    關東出身の私として

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    2009年10月04日