梅棹忠夫のレビュー一覧
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戦後、アフガニスタン、パキスタン、インド、更に東南アジアを歩いて、様々な気づき、経験を得た梅棹忠夫が、初めて歩く日本各地探検の物語 (1959年 日本探検)。冒頭、何も知らない事は良いことだ、自分の足で歩き、自分の目で見て、その経験から、自由に考えを発展させることができるからだ、と書いて始まる日本探検であります。第一回は、広島県福山市にある福山誠之館(幕末の福山藩藩主、江戸幕府老中阿部正弘の遺産のようです)。第二回は、政府から大弾圧を受けた大本教の現在地(1960年時点)。日本発の宗教がエスペラント語を駆使して、世界展開をしているとの記述には吃驚、更に北海道独立論、大分市の高崎山を訪問。高崎山
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名著ということで少し前に買っていた。置いていたが気になってふと読んだ。
知的生産とは、頭を働かせて新しいことを人にわかる形で提出すること。そして、そのやり方を教わらないので、自分なりの技術を持っていない人が多い。それを考えていこうというのが主題。
フィールドワークのごとく日常の発見をカードに書き、それを後で見て複数のカードの関連をみて、自分の関心を理解したり新たな発想を得たりすることが人間らしさをもたらす。仕事ではこの流れは定着していたが、それを日常に広げていくと、視野が広くなり物事の前提から捉えるような視座の高い思考ができるようになりそう。下手な旅なんかより、カードを使った日常の記録とそ -
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> かんたんにいえば、知的生産というのは、頭をはたらかせて、なにかあたらしいことがら─情報─を、ひとにわかるかたちで提出することなのだ...今日おこなわれている読書論のほとんどすべてが、読書の「たのしみ」を中心に展開しているのは、注目してよいことだとおもう。今日、読書はおもに知的消費としてとらえられているのである。(知的生産とは)
> あらゆる現象に対する、あくことなき好奇心、知識欲、包容力。そういうものにあこれていたのである。そのあこがれから、わたしたちはわたしたちなりに、手帳に書くことがらの、内容と形式とを開発していった。私たちの手帳は、単なる実用メモではなかったし、また、日 -
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【全体の主張】
人類の文明の発展には「生態(自然環境)」と「社会構造」の相互作用がある。
特に、ユーラシア大陸を東西に分けて、「東の世界」と「西の世界」の違いを軸に文明の成り立ちを分析します。
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【文明の分類】
梅棹は、ユーラシア大陸を中心に世界を以下の2つに分けて考えます。
1. 第一地域(西ユーラシア)
•中心:ヨーロッパ・中東
•特徴:牧畜を基盤とした移動型の生活文化 → 激しい宗教対立(例:キリスト教 vs イスラム教)
•文明:発展は早かったが、宗教や階級社会に縛られがち
2. 第二地域(東ユーラシア)
•中心:日本・中国・東南アジア
•特徴:稲作を基盤とした定住型文化 -
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実は先に「文明の生態史観はいま」の方を途中まで読んでいたが、これは対談であってやはり先に「文明の生態史観」を読まないと分からないと思った。それでこの本を読み出したのだが、全く今読んでも現在を体現しているように感じる。それは最近読んだ「地球史マップ」というビジュアルな分厚い本と、もう一つ、「小麦の地政学」。その中に先生の言われている楕円形の地図がでている。
「ひずみなき世界の姿を」で全地球的な課題について比較文明論を考えることはできるはずだ、と先生は言われている。
50年経ってこれほど繋がったこの本と地球史マップ はありえない、と感動した。
第1地域と第2地域の知識人における政治的意識と政 -
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屋久島の章良かった
梅棹忠夫も自然科学の基本は自然を愛することって言ってる。まず愛しているから観察するし愛してないものなんて見向きもしないでしょ。愛することが先だと思う。
理系は自然を愛する人々なんだよ。理系は頭が良いとか言ってるお前はバカ!
梅棹忠夫(うめさお・ただお)
1920年生まれ。京都大学理学部卒業。理学博士。京都大学教授、国立民族学博物館の初代館長を経て、1993年から同館顧問。専攻は民族学、比較文明学。世界各地の探検や調査をもとに、幅ひろく文明論を展開する。文化勲章受章。主著に『文明の生態史観』(中央公論社、1967年)、『狩猟と遊牧の世界』(講談社、1976年) -
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梅棹先生、万歳!
時代は妻不要というより、夫不要の流れ。
なぜかと言えば、これだけ簡略化された家事すらもできない男が多いから。
そして、伝統と専業主婦たちによって無駄に高度化された家事を、男は引き継げないから。(例えば、ハロウィーン・クリスマス・おせち料理の段取りとか、きちんとやれる&やろうとする男なんか、ほとんどいないだろうなぁ。。)
女性たちは、知的産業の中で女性活躍の追い風の中で働き安定収入を得つつ、こまごまとした暮らしの機微を楽しむ。
タイトルこそ過激ではあるけれど、文体は実際のとげはなく、批判的でもなく、どこまでも世界の家庭を見てきた学者視点と、商家で育った経験からの、ニュートラ -
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梅棹集中読破第三弾!日曜日の山歩きに向かう電車で半分、帰る電車で残りの半分。文明の生態史観も日本探検も面白かったけど本書では梅棹忠夫がなぜ梅棹忠夫なのかの基本を感じることが出来ました。彼の学問のオリジナリティとスケールはクライマーじゃなくてマウンテニーア、つまりオールラウンダーとして山全体を包み込むようなアプローチに由来するもの。垂直志向と水平志向、学術とスポーツ、文系と理系、狭いジャンル分けを超えて統合することを求め続けていきます。「山は高さだけが問題ではない。いちばん大切なのは、未知なるもの、ということ。デジデリアム・インコグニチ(未知への探求)、これが一番大切なことなんや。学問やってても
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突然の梅棹忠夫マイブームで。カラコラムや東南アジア、モンゴル探検を通して「文明の生態史観序説」というダイナミックな文明論を展開した著者が海外と同じように国内を歩いて考えた論考集。 「なんにもしらないことはよいことだ。自分の足であるき、自分の目でみて、その経験から、自由にかんがえを発展させることができるからだ。知識はあるきながらえられる。歩きながら本をよみ、よみながらかんがえ、かんがえながらあるく。これは、いちばんよい勉強の方法だと、わたしはかんがえている」この宣言がかっこいい!1964年のオリンピック前に変わりゆく日本を現場から感じています。自分としてはバックツトゥーザフューチャーみたいに現在
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著者は、知的生産とは、「頭を働かせて何か新しい情報を人にわかる形で明らかにすることである」と定義している。
知的生産は一般的には、個性的・個人的営みであり、普遍性がなく公開不可能なものであると受け止められがちであるが、実際はその反対で、皆同じような工夫や失敗をしており、技術と呼ぶに足る客観性・普遍性をもっている。
具体的には、著者が独自に開発したカードを活用することによって、「読む」という行為(日常の発見、新聞記事、ファイリング、読書など)から、いかに新たな情報を生産するか、ということを紹介し、一方でまた、「書く」という行為(日記や文章の書き方など)では、いかにわかりやすく自分の考えをまと -
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知的生産のハウツーのきっかけ、問題提起を狙った本とのことだったが、読書の仕方など取り入れたい方法がいくつもあり参考になった。1969年の本ということで、パソコンのない(普及してない?)時代で、書く手段についての問題は今はほとんど考えなくてよいかもしれない。
全体的にとてもひらがなが多い文章だなと思っていたら、タイプライターの話からローマ字運動や新字論など知らなかった流れが影響していたようで興味深かった。また、カタカナの用語をひらがなで書くのには「かなりの心臓を必要とする」といったように、ところどころにユーモアを感じて楽しめたのも良かった。