古宮昇のレビュー一覧

  • ぶり返す! 「怒り」「さびしさ」「悲しみ」は捨てられる!

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    怒り、さびしさ、悲しみといったぶり返す感情の根には、子供時代に負った「愛情飢餓」があることを指摘し、その傷を認め、抱きしめ、癒やすことで感情が止められることをカウンセリングの事例や自分でできるセラピーの方法などが紹介されている。
    本当に辛くなったときには心理カウンセラーに頼ることもいいんだなと感じた。
    悩みを書き出し、12の不幸せ思考パターンをチェックするだけでもとても有効だと思う。
    1.全か無かの法則、2.極端な一般化、3.マイナス・フィルター、4.良いことの価値下げ、5.マイナス読心術、6.べき、7.マイナスの拡大、8.マイナス未来予知、9.感情による決めつけ、10.マイナスのラベル、11.個人的な責め、12.他人を変えられる、という信念
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    2018年09月08日
  • マンガでやさしくわかる傾聴

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    相手が苦しんでいるときは、自分の意見を押し付けるのでなく、相手のつらさに共感してあげることの大切さがわかった。

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    2018年08月25日
  • 一緒にいてラクな人、疲れる人 人と会うのが楽しみになる心理学

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    2018.05

    つい、人の目や評価が気になって息苦しく感じたり、自分といて楽しいと思ってもらえているのかな、と不安になることが重なったタイミングで、タイトルに惹かれて購入。
    結論、読んでよかった。

    結局、人との関わり方と言っても、他人とどううまく接するかなんて小手先のテクニックを磨くんじゃなく、まずはありのままの自分自身を認めてあげて、無意識に縮こまっている心を癒してあげて、愛してあげることが大切なんだと気付かされた。
    自分をちゃんと愛して、ありのままでいいんだと思えれば、心に余裕が生まれて自然と周りの人のことを思う余裕ができて、リラックスした良い関係を作っていけるのではないかな。

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    2018年03月26日
  • マンガでやさしくわかる傾聴

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    仕事をする上で使えそうだと思った。でも同じようにやっても相手がどう感じるかは人によって難しいので、やはり実践あるのみだと思う。カウンセリングの資格をいつか取りたい。

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    2017年10月24日
  • やさしいカウンセリング講義 もっと自分らしくなれる、純粋な癒しの関係を育むために

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    傾聴ということをよく言われる。
    しかしそれはただ聴くのではなく、共感的に相手の感情を味わいながら聴くということだと、本書を読んでつくづく思い知った。
    カウンセリングに興味のある人、またはすでに関わっている人も、もう一度見つめ直すために読むといいのではないかと思う

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    2016年03月08日
  • ぶり返す! 「怒り」「さびしさ」「悲しみ」は捨てられる!

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    感情的に「怒り」「さびしさ」「悲しみ」にとらわれていた自分から少し離れて、理知的に客観的にとらえなおすことができるようになる。
    大切な人を失った人や、親から理解されずに育った人の理解にもつながる。
    著者自身のつらい出来事も書いてあり、著者の誠実さがわかる。

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    2015年12月29日
  • 一緒にいてラクな人、疲れる人 人と会うのが楽しみになる心理学

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    自分の中の傷が「一緒にいて疲れる人」にしてしまう、ということに確かにそうだなあと思った。カウンセラーの著書だけに「聴き方」の部分ははっとさせられることが多かった。

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    2017年01月06日
  • プロカウンセラーが教える 場面別 傾聴術レッスン

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    ネタバレ

    カウンセラーが行う傾聴術なので、単に寄り添って共感するだけではなく、相手をクライアントとし、その課題の解消に向かわせるところは、傾聴ボランティアとは違うところだと感じた。といっても、相手を変えようとすることや答えを提示してやるものではなく、あくまでも答えを出すのは本人でしかない。
    傾聴とはどのようなもので、どんな能力・スキルが求められるのか、また、傾聴場面で現れやすい問題となるような心理や対応が難しい状況での望ましいアプローチなどの考え方が示されており参考になる。
    もう少し実際の対話の流れがあると分かりやすいとは思うが、ケースも対応も様々であるのが実際だと思うので、これはこれで仕方ないか。
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    2015年08月29日
  • やさしいカウンセリング講義 もっと自分らしくなれる、純粋な癒しの関係を育むために

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    ☆4(付箋20枚/P277→割合7.22%)

    カウンセリングの時に一番大切な心構えを「純粋(genuine)」であること、と言われることがあります。
    日本語で表現するのが中々難しい言葉なのですけれど、「相手にこう思われかも」「自分はこうでなくちゃ」という感情を、それがあることも含めて受け入れて、何故それが自分に湧き上がるのかを問いかけながら、自然体であるということなのです。
    古宮さんの本はとても自分の内面に素直に切り込んでいて、その自然体の感覚をとてもつかみやすく感じます。

    来談者中心療法で高名なロジャースのカウンセリングテープから、一部のカウンセリングシーンを抜き出して、それに注釈している場面があります。共感した言葉を返すことができて、カウンセリングが進む、進まないとはどういうことなのか、とてもよく分かります。


    ・人間関係はこれほど大切なものなのに、どうすればうまくいくのかについて、両親も学校の先生たちも、誰も教えてはくれません。ですからわたし自身は親や友達や先生の言動から学んだり、さらに自分なりに試行錯誤を繰り返しながら今日までやってきました。わたしたちはまた、テレビ・雑誌・本などのメディアからも、気づかないうちにさまざまなことを学んでいるものです。でも、親も先生も友達もメディアの人たちもみんな等しく悩み、傷つき、それぞれが試行錯誤を続けているのであって、けっして正しい方法を知っているわけではありません。ですからわたしの学んだ答えも間違いや歪みや制限だらけでした。そんな学びしか得られなかったわたしは、やっぱり社会のほと んどの人たちと同じように人間関係でたくさんの失敗をし、衝突し、孤立しながら生きてきました。

    ・素人の悩み相談は問題を解決しようとする。カウンセリングは変化を助ける。 ―中島勇一

    ・カウンセラーに話をすると、自分についてあれこれと考えあぐねることが少なくなります。自分が自然に本来の自分自身でいることが増え、自分がどう思われているかとか、自分らしくいようなどと考えることが減ります。

    ・小学四年生の娘を良く見ると、元気がない。習い事があって、私とも一緒に遊べません。バスケット教室と学習塾は、楽しいと言っている。でも本当に楽しいのだろうか。
    塾に行くと学校で分かりやすいから楽しいと、娘は答えます。
    でも、何のために塾に行き、何のために宿題をしなければならないのか。
    いい成績をおさめ、いい学校を出て、いい会社に入って出世競争…。それでいいのか…。
    そこで、「お休みのときは、みんなで公園に行きたいね。お前はどう?」と聞くと、大泣きしはじめたのです。驚きました。そして「みんなで、公園に行きたかった…」と言いました。本当はみんなで公園に行って、遊びたかったのですが、親が望んでいるからと、我慢しながら塾に行っていたのでしょう。本当に大切なものは家族のつながりなのだなと気づくことができました。 ―あるお父さんの手記

    ・わたしたちは痛みを感じないようにしようと、大量のエネルギーを別の方向に向けたり抑えつけたりします。そうしていまこの瞬間の感情も、いまこの瞬間の自分自身のこともわからなくします。…わたしたちはそれが良いやり方だと思っています。気持ちを感じなかったり、本当の自分自身であったりしなくても大丈夫だと思います。でもそれはうまくいきません。その代償はたいへん大きいにもかかわらず、わたしたちは代償があることさえ否定します。代償はわたしたちの人生です。 ―バーバラ・アン・ブレナン

    ・日本でも米国でも、女性は男性に比べて、怒り、憎しみ、攻撃性といった気持ちを受け入れることができず抑圧する傾向が強いようです。それに対して男性は、寂しさや寄る辺なさ、頼りなさ、悲しさ、などの気持ちを抑圧する傾向が強いようです。
    つまり、女性はどちらかと言うと、腹が立ったときにそれを抑圧して、怒るかわりに悲しくなったりうつになったり罪悪感を感じたりする傾向があります。それに対して男性は、寂しさ、寄る辺なさ、頼りなさを感じたときにそれを許すことができず、かわりに怒りを感じることが多いようです。

    ・わたしたちが本当に感じたり考えたりしていることと、感じたり考えたりしていると自分で思っていることとのあいだにはズレ(ギャップ)があり、それが大きければ大きいほど、わたしたちは心理的に不安定で、不安が大きかったり傷つきやすい状態になる。

    ・こころから幸せになることはつまり、誰かに苦しみをわかってもらう望みも、苦しみの原因を作った(とわたしたちが信じている)人に償ってもらう望みも、他人に対してわたしたちの欲求を満たすよう要求することも、その欲求を満たしてくれない他人を責めることも、わたしたちを傷つけた誰かを攻撃することも、自分の正しさを認めさせることも、すべて手放すことを意味します。また、親から「お前はダメな子だ」というメッセージを受け取ったと感じている人にとって、「わたしは価値あるすばらしい人間だ」と信じることは、親から離れることのように感じられます。それは「親からいつか愛してもらえる」という希望を手放す、とてもつらくさびしいことかもしれません。 そしてそれらを手放すことができないとき、自分でも気づかないところで、幸せになることを拒んでしまうのです。

    ・わたしは以前は、自分の強い感情がカウンセリング関係に入ってくるのを許さなかった。その理由を、「セラピストは来談者の感情や欲求に反応するのであり、自分自身のそれに反応するものではない」「感情的に巻き込まれては客観性を失ってしまい援助できない」などのもっともらしい言葉に帰していた。
    しかし次第にわたしは、他人との関係で感じるわたし自身の感情と欲求を受け入れることができない自分に気づきはじめた。わたしが来談者といるときに強い感情を感じることを許さないのは「良いカウンセリングをするため」ではなく、わたし自身の感情への恐れのせいだ、ということに気づきはじめた。
    わたしは自分の人生において、他人が助けを必要とするときにはできるだけの援助をしてきた。でもそれは、わたしがいつか困ったときにその人からお返しが期待できるときだった。苦しんでいる来談者をわたしが助けても、わたしが困ったときに何かを返してくれることは期待できない。だから来談者といるときにはわたしの欲求を感じないほうが安全だった。
    もう一つの理由がある。もし来談者との関係のなかで傷つきやすい部分をさらけ出したりしたら、悪用されたり攻撃されたり、ひょっとしたら嘲笑されるのではないかと、わたしは恐れていたのだ。だからこそ、来談者との関係において強い感情を抑えていなければならなかった。
    来談者たちはもちろん、わたしがそのような理由から「プロフェッショナルに」振る舞っていることを意識レベルでは知る由もない。彼らから見れば、わたしはあくまで理解的で共感的にふるまうカウンセラーだったかもしれない。でも彼らの意識化においては、彼らはわたしから、「このカウンセリング関係のなかでは自由になってはいけない。自分を解放するな。このカウンセリングでは、自分のもっとも深い感情も欲求も表現してはいけない。危険すぎるから」とダイレクトに学んでいたのではないか。
    と言うのも、わたしが自分の気持ちをコントロールする必要性が減るにつれ、来談者たちはわたしがわたし自身から隔離していた繊細な領域にさっさと入っていき、感情も欲求も恐れることなく自由に感じ語るようになったからだ。 ―オリバー・ブラウン

    ・「息子のことなんですけど」。あるお母さんが話しはじめました。そのお母さんには中学生の息子さんがおられるのですが、ある真冬のころに、クラブの早朝練習だと言って毎朝とても早く家を出るようになりました。ところが、息子さんは本当は早朝練習に行っていたのではなく、パソコンを買うため親に内緒で新聞配達のアルバイトをしていたことが判明しました。お母さんはそれを知ってとても動揺しました。息子さんは雪の降る早朝も、まだ真っ暗なうちに家を出ていました。お母さんは、息子さんからそんな隠しごとをされるほどまでに信頼されていなかったことがショックでした。冬の真っ暗な早朝に雪や氷の車道を自転車で走るのは危険なことでもありました。
    ショックで動揺したお母さんは、ともかく学校のカウンセラーに相談に行きました。ところがカウンセラーは、「立派な息子さんですね」「お母さんはよくそんな立派な息子さんを育てましたね」と息子さんやお母さんを褒めるのだそうです。でもお母さんにとってはショックと動揺をわかってもらえないのでよけいに気持ちが重くなり、逆効果だったそうです。
    …この場合には、カウンセラーは純粋ではなく、カウンセラー自身のなかにギャップがあったのです。彼らは本当は批判的な気持ちや反発心を感じていたにもかかわらず、表面的には、前向きで支持的(サポーティブ)に振る舞っていたのでしょう。
    カウンセリングの見方からは、このお母さんの援助に必要だったのは、聞き手が自分の考えを押し付けたり、聞き手自身と同じ意見をもつようお母さんを導こうとしたりすることではなく、お母さんの気持ちを理解することです。それによって、お母さんは聞き手を徐々に信頼し、彼女自身の本当の気持ちやこころの葛藤に開かれてゆきます。そうしてそのお母さんは「息子が心配だ」「息子に信頼してもらえないのがショックだ」ということが語り尽くせると、やがて(そのお母さんが子離れできていない、という考えが正しいと仮定すると)なぜ自分は子離れできないのか、なぜ今回のことでそこまで気が動転せざるを得ないのか、ということが少しずつ自発的に語られはじめるでしょ う。そして、彼女が子離れできない原因であるこころの傷と葛藤を、情緒的な実感をもって感じ始めるでしょう。そうして癒しのプロセスが始まります。

    ・わたしが米国の病院でグループカウンセリングのアシスタントをしていたときのことです。グループの参加者たちは「わたしはわたし。あなたはあなた」と言葉にしてみてどう感じるか、内面の気持ちを観察する、という活動をしました。わたしも声に出して言ってみました。すると何か違和感があります。より自分の感じにぴったりくるよう言いなおしてみました。すると、「わたしはわたし。あなたは…ちょっとだけわたし」と言いたくなったのです。カウンセラーはそれを受けて、「じゃああなたは他人の人生の責任を引き受ける覚悟がありますか?」とわたしに尋ねました。そんなの、とんでもありません!
    他人と自分の区別がつかないまま他人の援助をしようとすれば、来談者が良くならないと苦しむことになります。そしてその気持ちの源はわたしのなかに根深く巣食っていた、「人を助けないとぼくは価値がない」という自己無価値観でした。
    スピリチュアルに生きる人の特徴の一つは、自分の人生に責任をもち、他人の人生の責任をもたないことだと思います。

    ・ある学生が、「『死にたい』と訴える人に対して、自分がカウンセラーだったらどうするか」について書いたレポートです。
    「ぼくなら、その人の楽しかった経験などを思い出させて生きる気力を与える。来談者に、本当はどれだけ幸せや楽しいことがあるかを気づかせる。さらに、来談者が死ねば親、兄弟、親戚、友達、同僚など、まわりの人がどう思うかを一緒に考える。『死にたい』という否定的な考えを肯定的に変えるのがカウンセラーの役目だ。」
    とても納得しやすい常識的な考えです。きっと多くの人たちがこの学生のように考えると思います。
    でも実際には、もし相談された人が、「死にたい」と本気で苦しむ来談者にこのレポートのような意図をもって接したら、きっと来談者はさらに孤立感を深めるでしょう。「わたしの絶望感の苦しみは誰にもわたってもらえない」。

    ・葬式に参列している人がかならずしも悲しい気持だとは限りません。悲しみを感じていない人や、ひょっとすると「あいつが死んでせいせいした」と感じている人もいるかもしれません。ですから、葬式に出たと聞いて「それは悲しかったね」と短絡的に受け取ったのでは、話し手のことを理解できません。

    ・ロジャースは、聴くこととはけっして「感情を正しく言い返すテクニックを使う」というようなことではなく、カウンセラーのことを「真っ暗闇の森を来談者とともに歩く仲間」とたとえています。カウンセラーが来談者に返す反応は、「わたしたちはいま一緒にいますか?」「あなたがあるいている方向はこちらですか?」と確かめるためのもので、それに対して来談者は「違います」と言うこともあれば、「そうです」と言うこともあるでしょう。

    ・わたしにも経験がありますが、来談者の理想化転移(その人の理想像をある人に投影すること)を受けると、援助者自身の「良いカウンセラーだと高く評価されたい」「信頼され頼られたい」といった個人的な欲求が刺激されます。そんな欲求は、援助者が来談者に向けた依存的な転移反応です。そのときには、来談者に向けてそのような転移反応を起こさざるを得ない援助者自身のこころの葛藤を十分に解決しておくことが必要になります。

    ・では、なぜアンはそもそも理想化転移を起こしやすかったのでしょう?それは親(養育者)を理想化する基本的な欲求が幼少期に満たされずに育ち、そのこころの痛みを癒すことができずに抱えていたことにあると思います。世界は自分をあたたかく愛してくれる場所だ」とは感じられないのです。そのことからくるどうしようもない孤独感、不安、心細さを減らそうとして、「この理想的な人から愛情と関心を注がれ守ってもらえるから安全だ」と思えるような人を彼女は必死で探し求めつづけていたのでしょう。

    ・グロリア9 「わたしには、ありのままのわたしを受けいれてくれるかどうかが心配なんです。わたしは優しい母親像を作っているだけに、自分の暗い面を恥ずかしく思うんです。」

    ロジャーズ10 「なるほど、もっと深刻なわけですね。もし娘さんが本当のあなたを知ったら、あなたを受けいれてくれるだろうか、くれないんではないか、それが心配なんですね」

    グロリア10 「それがよくわからないんです。娘がわたしから離れてほしくもないし、男の人を家に連れてきたりして、もし男の人と二人っきりになったらどうなのか、考えるんです。」

    →ロジャースはこの時点で、グロリアがずっと訴えていた「娘は本当のわたしを受けいれてくれないんじゃないか」という不安をやっと理解し、それを返しています。そのため、グロリアは「グロリア10」で彼女のより内面を語ることができました。カウンセリングの進展です。また、この対話からわかることは、わたしたちは自分で自分のことを受けいれていないとき、「周りの人がこんな自分を知ったら受けいれてくれない」と感じる、ということです。それは「投影」という防衛機制です。

    ・「わたしは嘘を言う人を軽蔑します…」とグロリアが語るように、わたしたちは自分のなかの受けいれていない部分を人に見るとき、その人を拒絶し内心で攻撃します。
    でもそういう裁きの意識は自分自身に返ります。自分自身を裁き、縛ります。そして、裁きの意識はその意識をもつ人自身のいのちの輝きをくもらせ、いのちの力を枯らします。
    裁きや攻撃の意識を変革する最長の方法の一つは、このグロリアのように、癒しの関係のなかで裁きや攻撃の気持ちを十分に語り感じきることだとわたしは思います。

    ・来談者 「自分を変えたい、と思ってこうしてカウンセリングに通っているけど、ぼくは変わったかな?」

    カウンセラー 「うーん…どうでしょうねえ…変わった点はあるとは思いますけど…」

    このカウンセラーの応答はあまり良いものではありません。わたしはスーパーヴァイジーに、「来談者はあなたの答えを聞きたくて質問しているんじゃないんですよ」と指摘しました。でも彼女にはピンときません。そこで、スーパーヴァイジーが来談者の気持ちを理解できるよう、即席の模擬カウンセリングをしました。彼女に来談者役をしてもらい、わたしがカウンセラー役になって質問に答えてみました。

    来談者役のスーパーヴァイジー 「ぼくは五月からずっとカウンセリングに通ってきて、自分じゃ変わったのかな、とも思うし、変わっていない感じもする…どうなのかな…ぼくは変わったんでしょうかねえ?」

    カウンセラー役の古宮 「変わりましたよ。」

    すると彼女は、「そんなことを言われても本当には信じられない」と言います。だったら、そいうことでわたしが別の答えを言ってみることにしました。

    来談者役のスーパーヴァイジー 「(先程と同じセリフを言う)…ぼくは変わったんでしょうかねえ?」

    カウンセラー役の古宮 「いいえ、変わっていませんよ。」

    来談者役のスーパーヴァイジー 「(素になって)ええっ、ショック!そんなことを言われたら落ち込みます!」

    スーパーヴァイジーは、来談者になりきって話してみて、来談者がカウンセラーの答えを求めて質問したのではないことを理解しました。この例からわかるように、カウンセラーが「変わりました」と答えても「変わっていません」と答えても、来談者は本当には納得できないし、カウンセリングも進みません。そこで、わたしが違うカウンセラー役をしてみることにしました。

    来談者役のスーパーヴァイジー 「(先程と同じセリフを言う)…ぼくは変わったんでしょうかねえ?」

    カウンセラー役の古宮 「あなたとしては、『変わらないといけない』と思ってカウンセリングに通ってこられているけど、ご自分がちゃんと買われているのか、不安なんでしょうか?」

    来談者役のスーパーヴァイジー 「(しみじみと自分の気持ちを感じている様子で)…ええ、そうです。変われていないように思うんです。」

    スーパーヴァイジーは来談者役としてさらに話を続けたい様子でした。そのことは、わたしの介入が良いものであったサインだったと思います。

    ・ある大学院生は初めて実習カウンセラーとして働きはじめたころ、来談者から「先生は大学の先生ですか?」と尋ねられました。その大学院生は、その質問が何の表現であるかを考えることなく「いいえ、わたしはまだ学 生です」と答えました。その来談者はそれっきりカウンセリングに来ませんでした。その来談者の質問は、「あなたを信頼してよいかどうかわからない」という不安の表現だったでしょう。

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    2015年02月15日
  • 心理療法入門 理論統合による基礎と実践

    Posted by ブクログ

    ☆4(付箋27枚/P406→割合6.65%)
    この方が主に準拠している心理療法の解説と、実践のためのワークなどがありとても参考になりました。
    特に最初の項で、そもそも秘密厳守はどの程度守るべきかとか、知人友人をクライエントに取るかどうかどのように判断するか、といったそもそもの話しをきちんと押さえている。

    また心理療法中に性的興奮を覚えたり魅力を感じたりすることは調査でも判明している(米国心理学会調べ)よくあることで、そこから性的関係に発展することは治療的にまず悪影響が及び、倫理的にも行うべきでないのだが、きちんと教育される、教えられることが少なく、中々備えができていない、というのはとても大切な論点だと思います。


    ***以下抜き書き**
    ・心理療法では、個人がもつ日適応的な感情・思考・行動パターンを変える援助をします。来談者が日適応的なパターンを身につけたのは、それが以前の環境においては適応的だったからでしょう。現在では日適応的になってしまったそのパターンも、以前の環境においては、心の痛みを隠し、傷つくことを避け、他人を動かし、親など他人から認めてもらい、受け容れてもらい、非難されないためにその人が取ることのできた最善の策略だったのです。

    ・「私が心理療法を始めたころ、自分の古い心の傷がパックリと開けられ、心の底に隠されていた感情が上がってきた。うつ病の人たちに対処するのが私にはとくに難しかった。それは、私自身が自分の打つ感情から逃避していたためだった。そんな私が来談者にしたことといえば、彼らを元気づけることだけ。私には、はたして来談者がよくなっているのか悪くなっているのか、知るすべもなかった。即座に結果が出ることを望んでいた私には、自分が有能な治療者になれるとは思えなかった。当時の私が気づかなかったのは、来談者には自分で答えを見つけだすために苦しみぬくことが必要である事実だった。来談者が早くよくなるのを見たいのは、私のほうだった。自分が誰かの役に立っていることを確認したかったからである。」―コウリー

    ・倫理には明らかな正答がないことが多いと言いました。秘密保持の原則もそのひとつで、私には「正答」をここで指し示すことはできません。ただ、倫理的ジレンマに陥ったときに心理療法家が必ずすべきことがあります。それは経験と能力のある同僚やスーパーバイザーに相談することです。そして相談過程(相談相手の氏名、日時、相談内容、アドバイスの内容、相談の結果)文書記録に残しておきましょう。

    ・米国心理学会会員を対象にした調査によると、回答者の8割以上が心理療法セッション中に恐怖、怒り、性的感情のどれかひとつ以上を経験したことがあると認めました。
    …回答者の87%は来談者に対し性的魅力を感じたことがあり、58%はセッションの最中に性的興奮を覚えた経験があることを認めました。また、心理臨床に従事する米国のソーシャル・ワーカーを対象とした同様の調査によると、男性の約9割、女性の約7割が来談者に対して性的魅力を感じたことがあり、そのうち約半数は来談者に魅力を感じた事実に対して罪悪感、不安、またはとまどいを覚えたと回答しています。

    ・すでに知っている人を来談者として取るか取らないかを決めるものさしとして、私はつぎの要因を考慮します。
    ㋐ 心理療法を求める人が、知り合いである私に自分の内面を話すことにどの程度心理抵抗があるか。
    ㋑ 来談者にきらわれたり、来談者を怒らせたりすることを私が恐れるかどうか。治療者が「こんなことを言うと友情にヒビが入る」などと心配していては心理療法はできない。
    ㋒ 来談者と私とに共通の知人がいる場合、来談者が私の臨床能力のあるなしを知人たちに話すことが十分にありうる。そのころによって仲間内での自分の評判が左右される可能性を私が恐れるかどうか。
    ㋓ 来談者と私との間に金銭的・社会的利害関係、または上下関係がないこと。たとえば、仕事の取引相手を来談者に撮ると、心理療法がうまくいくかどうかが仕事上の利害に響いてくる。

    ・私たちは、自分のもつ信念に合致する事実だけを記銘し、それに合わない事実は無視したりゆがめたりする傾向を大なり小なりもっていますが、来談者は「こう感じたりこう考えるのが自分のあるべき姿だ」という自己概念に合致するように、みずからの経験を取捨選択したり、歪曲したりしてきました。それが、安全な関係のなかで、自分のさまざまな経験を、自分にとって感じるままにオープンにそして正直に吟味しはじめます。

    ・「治療中に何を言うかはたいせつではあるが、治療関係のなかでの治療者のあり方のほうがずっと重要だ」

    ・「花子さんはなぜあんなに落ちこんでいるの?」
    「彼女、最近恋人にフラれたのよ。」
    「なるほど。」

    「一郎さんはなぜ機嫌が悪いんだ?」
    「会社をクビになったんだ。」
    「そうか、それでか。」

    上記のような会話は私たちの日常でよく交わされます。上の会話をしている人たちは、私たちの感情はできごとによって決められる、という前提に立って話しています。つまり、恋人にフラれる、というできごとが花子さんを落ちこませ、クビになった事実が一郎さんを怒らせたのです。しかし、論理行動療法の立場からは、この前提はとんでもない誤りです。できごとが私たちの感情を起こすことはありえません。私たちの感情を決めるのは、できごとについての私たちの信念、考え、解釈だと考えます。

    ・「僕が優しいよい子になれば、恐いお母ちゃんも優しいお母ちゃんに変わるはず」と考えるのも、他人を変えられるはず、という非現実的新年の例です。私たちが、「他人を変えられるはず」だとか、「まじないや占いによって未来が変えられる」と信じるのは、犯罪被害者を責めるのと同様、「自分はものごとをコントロールでき、安全なのだ」と信じたいからです。たとえば、二郎君にとって「僕が何をしてもお母さんは僕に暴力をふるうので、僕は無力だ」という事実に直面するのは、いまは耐えられないことかもしれません。そんな二郎君の援助者が何よりもまずしなければならないのは、心理療法ではなく、二郎君の安全を確保することです。

    ・私たちが自分にはきびしく当たるのは、「自分は他人よりほんとうは優れているのだ(優れているべきだ)」という優越幻想を守りたいからです。私は、ソフトボールの試合で、チームメイトがエラーをしても笑っているのに、自分がエラーでもしようものなら「なんであんなボールが取れないんだ!あれぐらい捕らないとだめだ、へたくそ!」と自分を責めてしまいます。それは、チームメイトはソフトボールの経験はあまりないからへたでもよいが、体育会系の経験のある私はほかの人たちより上手なはずだ、と思いたいからです。このように、他人にうまくいかないことがあると「だれにでもあることだよ」と優しい言葉をかける人が、自分の失敗には「私はなんてバカなの!」と厳しく当たるのは、「他人は失敗して当たり前だけど、自分はすべてうまくできるはず」という優越幻想があるからです。そして優越幻想にしがみつくのは、その底に自己不全感や劣等感があるからです。

    ・来談者が非適応的思考を身につけたのは、それが非機能的家庭環境に適応するための、子ども期における最善の手段だったからです。彼らは非機能的家庭環境のなかで身体的・心理的安全を確保し、愛情を得て、自己の価値を高めるためにさまざまな策略を身につけてきました。そしてかつては適応的だった策略にしがみつくせいで、現在ではかえって苦しみをつくりだしているのです。

    ・クライシス・カウンセラー(緊急事態に対処するカウンセラー)として働いていたときに、電話をかけてこられたある女性がいました。私は彼女の訴えをしばらく傾聴していましたが、彼女は突然「あんたのようなひどい人間はめったにいない。あんたは世のなかの大きな害だ!」と電話口で怒りだしました。彼女のそんな反応は、私に対する現実的な反応ではなく、過去のだれかに対する反応を私に置きかえたものでしょう。また逆に、感情的反応があってしかるべき場面で反応がないのも、たいてい転移反応です。私はあるとき、治療セッションの約束をすっぽかしたことがありました。しかし私にすっぽかされた来談者は、イライラも怒りも、がっかりしたようすもまったく見せず、ものわかりのよい、協調的な来談者を演じていました。それは転移反応です。

    ・内容は正しい解釈であっても、そのタイミングが早過ぎれば無意識的な防衛を招きます。転移反応を起こさざるをえないのは、その底に幼児的欲求が不充足である心の痛みがあるからであり、その痛みを経験する心の準備性が備わっていないときに痛みが喚起されそうになると、防衛がより強化されます。それでは解釈が治療の害になります。早過ぎた解釈に対する来談者の反応のなかで、害が最も少ないのは、解釈が誤りであると来談者が否定する場合でしょう(「いえ、父親を求めているわけじゃありません」)。しかしそうではなく、来談者の話が表層的になり、治療が進展しなくなる場合もあります(「ボーイフレンドがああした、こうした」という話や「恋愛とは何か」という哲学的な話など)。また来談者によっては、何の感情的体験も感情的理解もともなわないまま、解釈を理屈の上では受け容れ、賛成するかもしれません(知性化。例としては「私は父親の愛情を受けずに育ったから、父親のような男性を求めているに違いありません」と、感情的深まりのない洞察めいた理屈を語る場合)。

    ・読者の方々が小学生の太郎君に掛け算を教えていると仮定しましょう。あなたはこう教えました。「2×3とは、2が3つあるということ。だから答えは、2を3つ足して6になる。わかった?」
    この場面で太郎くんが、「先生の言うことを理解しているよ」とあなたに伝えるために、つぎの4段階の返答の仕方があります。

    ①単返答 相手の話を聴いていることを示唆するもっとも簡単な返答です。「うん」、「はい」、「わかりました」、「そうですね」、うなずく、など。
    ②くりかえし 相手の言ったことをおうむ返しに返します。「2×3とは、2が3つあるということだから、2を3つ足して6になるんだね。」
    ③言いかえ 相手が言った同じ意味の内容を、聞き手が自分自身の言葉を使って言いかえます。「つまり、2×3とは2+2+2のことで、だから6になるんだね。」
    ④先取り返答 相手が言ったことよりもさらに一歩進んだ返答をします。「だったら、2×4なら2が4つあることになるから、答えは8だよね。」

    ・ロールプレイ。3人1組になります。ひとりが傾聴者役に、そして残ったひとりが「悪い傾聴者」役になります。
    まず、来談者と悪い傾聴者とが向かいあわせに座ります。来談者は、自分自身を何かの動物か植物にたとえて話します。「私は犬です。私の飼い主はあまり散歩に連れて行ってくれないので困っているんです…」、「私は桜の木です。たくさんの人が私を見にきてくれるのでうれしいです。きのうも家族連れが私のもとで輪になって座り、…」などと自由に話してゆきます。来談者が自分自身を何かにたとえて話すことによってロール・プレイがやや間接的になるので、自分の内面を語ることへの抵抗が減り、自己開示がしやすくなります。また傾聴者役の人にとっても、来談者が動物や植物であれば、彼らの経験が簡単に理解できるかのような安易な気持ちにならないので、傾聴的・共感的態度が身につきます。

    ・「トイレはどこですか?」と尋ねられて、教える代わりに「トレイに行きたいお気持ちなんですね」と心理療法家が答えた、という笑い話があります。

    ・来談者があなたに怒ったときにまずたいせつなのは、来談者の怒りがどの程度まで現実的な怒りで、どこまでが転移なのかを推測することです。以下に述べる技法も、転移による歪曲がはげしい技法も、転移による歪曲がはげしい来談者には、効果を発揮しにくいでしょう。その場合には、とにかく怒りを十分に言語化させ、それに共感的に耳を傾けつづけることです。
    怒る来談者に対処する5つのステップはつぎのとおりです。(例えば『5つのステップ』なんてかっこいいこと言ってるけどこんなまやかしみたいなことが通用するもんですか!こんなの私はしんじないわ。と言われたとしたら)
    (1)相手の言うことに真実を見つける
    相手が言うことにわずかな真実を見つけ、それを言語化して返します。(たしかに、この技法が必ず効果を上げると断言はとてもできません。私たちが何を言おうが、究極的には、他人がどう反応するかはその人自身が決めることですから、私たちにはどうにもできないことはあります)
    (2)自分の思うことを伝える
    治療者の気持ちや考えをストレートに言語化します。(ただこの5ステップは、いままで多くの人々が取っていた対応よりは効果的な場合がある、と私は思います)
    (3)尊重を伝える
    相手を尊重している事実を言語化してストレートに伝えます。(あなたは、怒った人間に対応することの難しさを経験されているのでしょう。あなたの人間関係をよくする役に立てばよいと思い、この技法をお伝えしています)
    (4)共感を伝える
    相手の言うことに、言いかえの技法を使って反応し、理解を伝えます。また、相手が感じているであろう感情を言葉にして返します。(でも、ここに書いたことがどこかインチキくさく、こんなことだけで怒った人に対応できるとは、とても思えないのですね)
    (5)質問
    相手の気持ちや考えを、優しく尋ねます。(この技法の弱みは、どこにあるとお感じですか?)

    ・イメージ法。
    来談者は、通常なら症状が始まる場面に自分がいると想像します。つぎに、その場面にいながら症状をもっていない自分を想像します。治療者はそこで「何が心に起こってきますか?」もしくは「あなたの内側に反対する気持ちがあることを感じますか?」と尋ねます。
    臨床例をあげて説明しましょう。来談者は、「自分自身のことが好きになれない」という主訴で私のもとを訪れた、オペラ歌手をめざす20代の男性でした。彼は、自分自身に対してとても批判的で、とくにコンサートのあとは、自分の歌の出来がいかに悪かったかが気になり、暗く沈んだいやな気持になります。

    来談者 「コンサートのあとには、その成功を喜び、見にきてくれた人たちからの称賛の言葉をすなおに受け取れるようになりたいです」
    私 「静かに目を閉じてください。そして、いままさにコンサートが終了した直後にあなたがいる、と想像してください<通常なら症状が始まる場面>。
    できるだけいきいきと、いまのあなたの気持ちを感じてください。大きな会場、高い天井、ステージライトの熱、席から立って帰っていく人々、あなたはコンサートが成功したことがとてもうれしく、それを純粋に喜んでいます<症状がない状態>。
    あなたの周囲に何が起きていて、あなたが何をしているか、私に話してください。」
    来談者 (目を閉じたまま)「えっと…、ぼくは舞台からおりて、控え室へ戻ります。その途中、僕の先生が来て、みんな『よかったよ』って…。大きなコンサートのあとは、だいたいみんなそうやって喜んでくれるんです。僕も『うまくやれた』という満足感でいっぱいで、うれしくて…」
    私 「あなたのいまの気持ちによく注意を払ってください。内面の感情や考えをよく感じてください。何に気づかれますか?反対する気持ちはありますか?」
    来談者 「えっと…、<突然ハッとしたように>、もしだれかに、僕の歌手としての弱点を指摘されたらどうしよう!」
    私 「つまり、喜んでいるときにだれかに批判されるのはたまらない、ということですか?」
    来談者 「そうなると、とても無防備な感じ…なんだか恐ろしいです。」
    私 「つまりあなたは、『だれよりも先に自分自身を批判しておいて、他人から思いもかけなかった批判をされないよう、みずからを守っておくほうがよい』と言われているのですか?」
    来談者 「あっそうか!もしだれかに批判されたら『それは言われなくてもわかってる』と言い返せるから…ええ、そのとおりです。」<感情をともなった実感的洞察>

    この来談者とは、2週間後に次のセッションをもちましたが、自分自身につらく当たることは上記のセッション以来ぴたりとやんでしまったそうです。

    ・私たちは心に傷を受けると、それ以上は傷つかないために最善と思われる決断をします。たとえば、泣くことを叱られた子どもは、「もう決して泣くもんか。悲しみだって感じるもんか」と、それ以降は泣くことや悲しみを感じることを避けようとするかもしれません。また、願望や欲求が満たされずつらい思いをした子どもは、「もう何も欲しがったりしない」と心に決めるかもしれません。彼らにとっては、そうすることがその時点での最善の方法だったのです。

    ・エンプティー・チェア技法を提案するときには、私は「僕はこれをしたらいいかもしれない、と思います」と自分の考えをはっきりつ当てることにしています。エンプティー・チェア技法は、一見するととてもバカげているので、「これをしてみましょうか?」では押しが弱く、断られることが多いと思うからです。だからといって、「これをすると効果があります」などと効果を保証したりはしません。

    ・腹式で深呼吸するコツは、息を吐くときに腹の空気をしっかり吐き出すことです。そうすれば大きく深い呼気が自然に得られます。腹式呼吸ができない来談者は、両ひじが側頭部につくよう両腕をまっすぐ上げ、ひじを曲げて右手で左ひじあたりを、左手で右ひじあたりをつかみます。ここからさらに、両ひじを耳に押しるけるようにして、両肩と胸とに緊張状態を作ります。この状態で息を吸うと、自然に息はお腹に入ります。また、あおむけに寝転んで息をしても腹式呼吸ができます。

    ・喪についての誤った考え。
    ①喪失の悲しみに向うよりそれから逃れるほうがよい。
    私の父親が死んだとき、葬式の席で「しっかりしなさいよ。ねっ、わかった?気を落とさないで元気をふりしぼって。がんばって」と参列者のひとりに励まされたことがありました。その方は善意で励ましてくれたのですが、励まされた人は、「悲しむのはよくない」というメッセージと受け取りかねません。Wordenによれば、ヘレン・ケラーはつぎの言葉を残しました。「向こう側に行く唯一の方法はドアを通りぬけることです」。この言葉は、喪の仕事の性質をの実に言い表しています。喪失の悲しみを乗り越えるには、悲しみぬくことが必要です。その悲しみを避ければ避けるほど、喪失の事実を受け容れるのが困難になり、喪の仕事が進みません。
    ②涙を見せるものは弱いしるしだ。
    ③喪の仕事の目的は悲しみをなくすことである。
    来談者が喪の仕事を恐れる理由のひとつは、喪の仕事を完了したら「愛する人のことを忘れてしまう」とか、「愛する人のことを惜しむ気持ちがなくなる」といった考えにある場合がしばしばあります。それは誤解です。藻の仕事の目的は喪失を忘れることではなく、喪失の事実を受け容れることです。喪の仕事が完了しても、失った人のことを想うときには悲しみや懐かしさを感じるでしょう。しかし、その悲しさのために人生全体が暗くなったり、行動や態度が、悲しみに引きずられ悲しみに左右されることはもはやなくなります。

    ・来談者はつぎの事項を知っている必要があり、それらを理解していなければ、治療者が言語化して伝えます。
    「話す内容については、来談者にとってたいせつなことや、その場で思いつくことを自由に話せばよい。」
    「感情を行動化せず言語化する(これは心理療法には必須です)。」
    「治療者に対して抱いた感情や考えを話すことはとても重要である(転移を治療的に扱うため)。」
    「治療者は、安全で信頼に基づいた治療関係を構築したいと願っている。」
    「秘密保持の原則とその限界」

    ・藤山直樹氏はスーパーバイザーとしてつぎのように述べられました。「大事なことは、質問しないことであり、質問する代わりに解釈することです。一番重要な臨床素材は、わからないという感覚をクライエントが治療者のなかに押しこんでくることです。この臨床事実に対して質問するということは、その臨床事実を取り扱わないで、わからないという事実に振り回されての行動化なのです。セラピーとは、だから、臨床事実自体を解釈して触れることです。解釈は、クライエントをホッとさせるものなんです。」
    このように、治療者が質問を連発するかわりに、「わからない」という気持ちを来談者が治療者のなかに引き起こさせていることの意味を共感的に解釈するためには、治療者が内容だけに拘泥せず、過程を見渡していることが必要です。「セラピストは、わからないことを質問する代わりに、クライエントがホッとする解釈をすべきである」とは含蓄の深い言葉だと思います。

    ・治療セッション中には、来談者は自分自身のことを話すのに夢中で、治療者について尋ねたり(ところで先生も関東の出身ですか?)、知的で抽象的な質問(ユング派の心理治療はアドラーとどう違うのですか?)などしようとも思わないのが普通です。ですから、来談者がそういった質問をするのは話すことに没入していないサインです。つらいできごとや気持ちなどを、思いつくまま自由に話し感じることを恐れているのです。

    ・自殺の意思については、「自殺を考えていますか?」とストレートに尋ねることがたいせつです。「自殺なんか話題にすると、かえって自殺の意図をあおるのではないか」と心配する人がいますが、人間は、だれかが自殺の話をしたからといって自殺を実行したりはしません。それどころか、自殺というトピックでさえためらわずもちだす治療者によって、「ここはほんとうに何でも話していい場所なのだ」と来談者が感じ、気が少し楽になることもあります。
    …「自殺したい」と訴える来談者は、もちろん本気で自殺を考えていますし、実際に自殺を図る可能性がありますが、その一方で「ほんとうは生きたい」と訴えてもいるのです。彼らは、「ほんとうは生きたいし、自殺はしたくないけど、死ぬしかこの苦しみを止める方法が見つからない」と訴えているのです。

    ・「洞察を理想化し、行動面での変化を軽視する治療者による治療は、よりたいへんだし長引くだろう」

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    2015年01月31日
  • ほどよい距離が見つかる本

    Posted by ブクログ

    ほどよい距離って難しい。
    自分が求めている距離と相手が求めている距離に乖離があると、近すぎたり遠すぎたりする。
    それが依存になったり、疎外感になったり。
    そんなときの程よい距離の考え方。

    僕の場合、誰かの期待に応えたりとか助けになったりとかをしないと、生きている価値みたいなものが得られなくて、そういう意味で誰かに依存しているのかもしれない。
    自分を大切にするって?って感じ。
    だって、誰かを大切にすること(自分にとって大切な人限定)が自分を大切なにすることに繋がると思っているから。

    そういう「人を幸せにしなければ自分の価値がない」というのは、本書では自己無価値感と表記されている。
    それに、「心理的に密着していないと寂しくて耐えられないという愛情飢餓感と。

    こういうのは、過去の環境からというのも多くあるのだそう。
    とはいえ、僕自身そんな環境にいたとは思えないけれども…。

    本書の中では色々なパターンや実例をもとに書かれているので、きっと自分のことだと思えることがあると思う。
    それで少しは救われる気持ちになったりするのではないでしょうか。

    カウンセリングみたいなのをもっと気軽に受けてみようかなと思った。

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    2026年08月29日
  • マンガでやさしくわかる傾聴

    Posted by ブクログ

    傾聴力。わかっていてもなかなか人の話を聞くことはできない。人間は自分の話をしたい生き物だと私は思う。これは全人類に共通するものだと思う。だからこそ、人の話を聞くことができる人になれば、相手は気持ちよく会話ができ、円滑なコミュニケーションを誰とでも取ることができるようになると思う。そのきっかけを与えてくれるのが、この本である。

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    2026年07月16日
  • マンガでやさしくわかる傾聴

    Posted by ブクログ

    手軽にあっという間に読めてしまうのは良いが、もう少し深く勉強したいと思った。わかりやすいので入門編的な感じで読むと良い。

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    2026年07月11日
  • マンガでやさしくわかる傾聴

    Posted by ブクログ

    文字部分で作者の方の体験談などが盛り込まれていてわかりやすくていいと思った
    共感と同調と同情は別物であると聞いて確かにと思った。
    昔から同情には見下しが含まれるなと思っていたのでやっぱり?という感じ

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    2025年11月21日
  • ほどよい距離が見つかる本

    Posted by ブクログ

    【要点・まとめ】
    ・心の傷をまず癒し、心の境界を引く練習をしていく

    ・自己無価値感は共鳴してしまう。
    話を聞いて欲しいと時間を問わず連絡してくる↔話を聞いてあげないと(苦しむ人を楽にしないと、人が傷付いたら自分のせいだ)

    ・「人を幸せにできなくても、自分には価値がある」「親(信頼できる人)に密着できなくても心は満たせる」と思うようにする

    ・過去の自分より少しでも成長できたところ、マシになったところを見つけてあげる

    ・人のイライラ、不安に同調しなくていい

    ・自分が幸せになることを許す(許可する)
    →心が抵抗する理由
    ・親と同じように不幸で居なければならない
    ・こんなに不幸になったのは親のせいだ、と思わせたい
    ・自分は犠牲者だという思い込み
    ・未熟な方が安心、安全

    ・嫌なことのおかげで出来たことに目を向ける(±0にする)ことで、犠牲者、被害者意識から抜け出せる

    ・安心感とは自分を信じることで生まれるもの

    ・本当の癒しは「許す」ことよりも「愛と感謝」

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    2025年07月24日
  • マンガでやさしくわかる傾聴

    Posted by ブクログ

    文章多すぎ。
    マンガなくても成り立つんじゃない?
    著者の方の自分語り多すぎ。
    傾聴の、テクニック的なのがあまりないので薄い気がする…

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    2025年06月22日
  • 一生使える!プロカウンセラーの 傾聴の基本

    Posted by ブクログ

    聞く技術というより、内容は発達心理学に近いように感じた。
    内容が少し難しいから理解するのに時間がかかりそう。

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    2024年10月05日
  • プロカウンセラーが教える 絶対幸せになれる「感謝ノート」

    Posted by ブクログ

    「感謝すること」の大切さを思い出させてくれる本でした。
    日々を過ごすことに精一杯な時に、この本に出会いました。当たり前なことが当たり前ではないこと。それに感謝し続けること。それを心がけるだけで、人生が明るく幸せなものになると思いました。
    著者の講義を受けた方?の感想も多数記載されており、様々な人々の生き方・考え方に刺激を受けました。

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    2024年03月28日
  • マンガでやさしくわかる傾聴

    Posted by ブクログ

    職場で借りた本。

    やっぱり奥が深い傾聴。
    ただ黙って聴くだけじゃなく、相手に共感して聴く。

    話し手が話して満足と思えるような傾聴にはまだまだ。改めて、すぐに問題解決してしまおうとしている自分に気付く、、。

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    2024年03月14日
  • マンガでやさしくわかる傾聴

    Posted by ブクログ

    たくさんの字を読むのに抵抗があったので入門書によかった。

    家族など身近な人にほど傾聴をしなくてはと思いつつできていないと反省。
    沈黙について、質問と繰り返しのバランス、相手の質問の深層心理について、同感と同情との違い、などが興味深かった。

    内容はしっかり要約して復習しつつ、漫画のシーンと関連づけて記憶をより引き出せるように訓練したい。

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    2023年10月11日