吉田薫のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
シリーズ第5段です。デンマーク警察の地下に掃き溜めの特捜部Qで、カールとアサド、ローセンの変わり者トリオが活躍する警察ミステリーです。
今回は、カメルーンへの政府開発援助を背景にした横領と、デンマークで不法滞在の窃盗グループが事件の柱です。
マルコは、窃盗団から逃亡する途中で偶然に埋められた死体を見つける。この発見がきっかけになり窃盗団リーダーのゾラの残虐さと、デンマークの政府と銀行の横領事件に繋がって行く。
今回も、意味不明な言動のアサドとカールの遣り取りは漫才チックで面白い。後半は場面が刻々と変化しアクションミステリーの様です。不法滞在者のマルコや横領犯の妻と娘に対する法や規則を無視した優しい配慮はこのシリーズの定番です。次作も期待出来る内容でした。 -
Posted by ブクログ
シリーズ4作目、デンマークの窓際刑事2人と変わり者アシスタントが地下の特捜部Q部屋で未解決事件に挑む物語りです。
時代設定は、2010年11月ですが25年前の1985年11月に妻の暗い過去がクアト・ヴァズによって暴かれたその晩に夫婦の乗った自動車が事故を起こし夫は即死、妻ニーデ・ローセンは生き延びた。ニーデは、結婚前に売春宿で働いていたが宿の女主人リタ・ニルセンが1987年に失踪しカールの有能なアシスタントで二重人格者のローセ・クヌスンが未解決事件として取り上げた。事件を見つけるのはいつもローセの仕事になっていた。
25年前には更にリタが失踪してからの2週間で5人が失踪し、全員がニーデに呼び寄せられたのだった。ニーデは、人種選別の為に非合法な強制中絶や強制不妊手術を行なっている医師で政治活動家のクアド・ヴァズに人生を滅茶滅茶に破壊され復讐に執着していた。
ストーリーは、現在(2010年)の捜査の進行と25年前の失踪に関わる事件と、その事件の発端となった更に15年程前のニーデやヴァズと失踪した人達の過去が綴られる。終盤ではっとする展開が起きるものの、始終暗く陰惨なストーリーだが最後の最後でこのストーリー登場人物で唯一、情と心を持った人がこの荒れた物語を引き締めてくれたのがとても救いだった。
特捜部Qのメンバーは、個性的だ。ボスのカール・マークは、離婚同然の生活ながら妻の連れ子の面倒や不随となった元同僚を自宅看病しながらも、新しい恋人モーナに心を奪われてまるで高校生男子の様な繊細さだ。シリア人で過去が謎のアサドは優秀なアシスタントだが言葉が堪能では無く、頻繁にカールから指摘を受けるが、このやり取りとカールの心の叫びが面白い。
本作は、シリーズ4作目ですが作者は10作で完結と発表してますのでまだまだ楽しめます。 -
購入済み
綺麗事では済まない
漫画において、知的障害者は過剰に美化して描かれるものだが、本作にはそれがない。手のかかる、可愛くない妹…自分にもかつて知的障害のある弟が居たが、周囲が気遣って彼の行動を美化するのが本当に気持ち悪かった。過去形なのは、その知的障害者の身内が他界したからだ。
身内なので弟が他界した時は当然悲しかったが、年月が経つにつれてホッとしている。年々弱ってゆく親が、弟の面倒を看続けられたとは思えないのだ。生きていたら「頼むから死んでくれ」と思っていたかもしれない。
自分が結婚した時、弟に言われたことは
「子供が産まれても実家に連れて来ないでくれ。殺してしまうかもしれないから」
というゾッとする言葉だった。言われなくても我が子を連れて行くなんて恐ろしくて出来なかったが。
弟は自分の面倒を看てくれると当てにしていた人間が、結婚して家庭を持つのが腹立たしかったようだ。
知的障害者は天使ではない。嘘もつくし、残酷な言動もする。知恵が足りない分、エゴを隠すことが出来ない。
私も弟に消えて欲しかったし、消えてくれてどこかホッとしていた。
非情だと思う人は、いつ「犯罪者の身内」になるか分からない恐怖を一度味わってみたらいい。
大切な我が子に、知的障害者の身内が憎悪や殺意を持っている恐怖を一度経験してから説教して貰いたい。
障害者を天使のように描いた作品は、正直苦手である。その方が差別だと思うからだ。障害者は天使でなく人間である。自己保身の為なら、健常者よりもエゲツない言動をする。
この作品は、そこを忌憚なく描いておりリアリティがある。
星が少ないのは、個人的に知的障害者の身内を思い出して辛くなったからで、客観的にはもっと高く評価している。
障害者を天使のように描いている漫画を読むと反吐が出る気分になる。
もっと現実みろと言いたい。 -
ネタバレ 購入済み
うーん・・・どういうコンセプトなのか、ちょっとわからないなあ・・・懲罰的なと最初思ったけど、情緒酌量余地ありそうなのに、そのままだったりもするし・・・
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Posted by ブクログ
複数視点の名手という呼び名が献じられるほど、その構成が繰り返し使われる特捜部Qシリーズ。第四作にあたる本作も2010年11月(現在)と1987年8月(二十三年前)で、二つの視点を交互に使い分けている。現在時の方は、カールとアサド、それに今回は現場にも同行するローセたち特捜部Qの面々が、同時期に行方が分からなくなった複数人物の未解決事件の捜査を行う。過去の時点で描かれるのは、一人の女性の人生を崩壊させることに係わった五人の人物への復讐劇だ。
冒頭に置かれた屈辱的な情景が痛ましい。今は上流階級の一員に収まっているニーデが、パーティーの席上で偶然再会したクアト・ヴァズという産婦人科医に、淫売と罵倒された挙句、夫の目の前で知られたくない過去を洗いざらいぶちまけられる。ニーデは過去に複数の中絶経験があり、クアトに不妊手術を受けていた。帰りの車内、夫から別れ話を持ち出されたニーデは横から手を伸ばし、ハンドルを思いっきり切り、車は海に落ちる。
今回主題となるのは優生学思想。ナチスがユダヤ人を大量死させたのと同じ思想だ。ある特別な種に価値があり、他の劣等な種と交雑することによって、優等な種の価値が劣化すると考え、劣等と考えられる人種や知的その他の障碍を持つ人々の増加を阻止する目的で、中絶や不妊手術を行うことで知られる。本作において、その思想を体現する男がクアト・ヴァズ。ニーデの人生を狂わせたこの男は、今や<明確なる一線>という政党のリーダーとして議会に議席を獲得する勢いを持つ。
過去と現在に二つの視点を置き、一方では非情な経験によって人生を狂わせられた人物が、相手に対して行う復讐劇を犯人側の視点で語り、もう一方で、過去に行われた未解決事件の謎を解き、犯人逮捕を目指すカールたち特捜部Qの活躍を描く、というのがこの作家の常套手法。陰鬱で悲惨な過去に対し、カールを取り巻く仲間たちのドタバタ劇は笑劇タッチで描かれるのもお定まりの約束になっている。シリーズ物らしく、カールにつき纏う未解決事件の謎は少しずつ解き明かされるが、逆にその闇は深まるばかりだ。
警察小説としての特捜部Qは、家庭内にトラブルを抱えながらも、カウンセラーのモーナと良好な関係を築きかけているカール。いまだその正体は不明ながら、格闘にも捜査にも抜群の実力を持つシリア人のアサド。父親の死のトラウマのせいで、時に解離性同一性障害を引き起こし、妹ユアサの人格と入れ替わるローセが主要メンバー。それに、全身麻痺の身をカールの家で介護を受けるハーディや署内の食堂を経営する腕利きの元鑑識官ラウアスンらが力を貸す、といったチーム物の要素が強い。最後に命を脅かす危険な目に合うのもいつものことながら、シリーズ物の宿命として結果的に命は助かる。
それに対して、犯人側に視点を置いた犯罪小説としての要素は、これが北欧ミステリの特徴なのかどうか、他の作家の作品をあまり読んでいないのではっきり分からないのだが、正直いつも陰惨極まりない。今回の場合、ニーデはまともな教育を与えられず、性に対してあけすけな環境で育てられたことから、少女のうちに妊娠し、流産する。世間体を苦にして他家に預けられ、そこでもいじめられ続ける、という悲惨な経験を持つ。
理解のある夫婦によって識字教育を受け、立派に社会に出ることになるが、幸せな結婚生活は過去を知るヴァズによって壊される。夫の遺した遺産でひっそりと暮らしていたニーデを復讐にまで追い込むのはやはり過去の因果だ。正気を疑う復讐の方法は相変わらず猟奇的で正視し難いが、正直なところ、今回の犯人をあまり憎むことができない。殺害に至る計画はずさんだし、その方法もあまりにも素人臭く、到底うまくいくとは思えない。しかも、一人の相手に対しては殺害に及んだことを後悔すらしている。まあ、だからこそ赦してやりたくもなるのだが。
蛇足ながら、ニーデが送られたことになっているスプロー島の矯正施設はほんの五十年前まで実在していたという。福祉が充実し、女性の権利にも敏感な北欧の国デンマークでそんなことが行われていたとは。シリア人のアサドや心に傷を負うローセがいつになく真剣に怒っているのが作家の意識の有り様を物語っている。宗教や民族による差別に加え、人種や障碍の有無によって人の優劣を比べ、それを政治に持ち込むなど、あってはならないことだが、日本でもヘイト・デモを繰り返した集団が政党を立ち上げるなど、他人事ではない。
毎回ほぼ同じ構成を使いまわしながら、よく次々と書けるものだと感心する。同工異曲といわれることを知ってか、今回は最後にどんでん返しが用意されている。他の人気作家ではよく見かける、この手法、この作家にしては珍しい。伏線もあるので、注意深い読者なら見破れるのではないか。ミステリ読みとしては二流を自負する読み手としては、先を読みたくて急ぐあまり、つい読み飛ばしては後で臍を噛んでばかり。でも、考えようによっては、作家の仕掛けたトリックにうまくひっかかって悔しがるのは、この種の読み物の正統的な読み方ではないだろうか。そんな負け惜しみをつぶやきながら、次回作に手を伸ばすのである。