金谷治のレビュー一覧
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孔子は、至極最もな当たり前のことを話す。
愚か者と突き放すこともある。しかし、全体を読むと、愚か者・学のない者=過ちを改めない者・学ばない者のことを指していることに気づく。
気に入った言葉トップ3
『冉求が「先生の道を[学ぶことを]うれしく思わないわけではありませんが、力が足りないのです。」といったので、先生はいわれた「力の足りない者は[進めるだけ進んで]中途でやめることになるが、今お前は自分から見切りをつけている。」』-p.113-
『先生がいわれた、「教育[による違い]はあるが、[生まれつきの]類別はない。[誰でも教育によって立派になる。]」』-p.323-
『季文子は三度考えてからはじめて実行した。先生はそれを聞かれると「二度考えたらそれでよろしいよ。[考えすぎはよくない]」といわれた。-p.98-
当たり前のことを見直させてくれる良い本だった。 -
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敵が利益を求めていれば誘い出せ。敵が混乱していれば敵陣を奪え。敵の備えが充実しているなら防御・回避せよ。敵が怒っていればさらに心を乱れさせよ。敵がこちらを舐めているようなら、さらに油断させよ。敵が休もうとすれば疲れさせよ。敵が団結しているなら、仲たがいを起こさせよ。
味方のスパイに偽りの情報を教え、わざと敵に捕らえさせる。味方のスパイは拷問を受け、偽りの情報を(真実だと思って)敵に知らせる。敵は偽りの情報を真実だと思い込む▼こちらの情報を得るためにやって来た敵のスパイを、敵よりも多い報酬を与えて転向させ、味方のスパイとして送り返す▼敵を知り、味方を知れば100度戦っても危険はない。敵を知らず、味方も知らなければ危機に陥る。
こちらの戦略は常に変化させよ。お決まりのパターンは相手に見抜かれて攻略されてしまう。理想の軍は無形の軍である。
通ってはならない道がある。撃ってはならない敵がある。攻めてはならない城がある。奪ってはならない土地がある。受けてはならない主君の命令がある。
敵が攻撃してこないことを期待するな。敵が攻撃したくてもできないような体制を構築せよ。
勝利とは勝って当たり前の戦いに勝つこと。勝利とは劇的なものではない。勝利する将は勝利した後(勝って当然の相手だと判断した上で)、戦う。負ける将は、(勝てるかどうかわからないのに)戦った後、勝利を求める。 -
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カタチとキモチは結びついている。「ありがとう」と言ったり、お辞儀をするのが礼(カタチ)。そこに感謝の気持ちを込めることが仁(キモチ)。仁の気持ちを持てば、それは礼に現れる。礼を実践することは、仁の実践につながる。▼仁を持っていれば、親や年長者を敬うはず。身近な人への愛情を他の人にも広げていくことが仁の実践。▼仁や礼を体現するような人が為政者にふさわしい。法や刑罰による統治では、人々の人間性の向上につながらない。為政者の徳が重要だ。孔子
春秋時代、周の権力が衰え、下剋上。無秩序。正しい秩序があれば、政治、文化、教育、軍事は天子の権利だが、正しい秩序がなくなると、諸侯の権利になり、大夫の権利になり、やがて諸侯の陪臣の権利となり、とても無秩序になる。孔子
君子は誰とでも協調できるが、どんな意見にも同調するわけではない。小人は人の意見に簡単に同調するが、協調しようとしない。孔子
(他から)學びて(自分で)思はざれば則ち罔(くら)し。(自分だけで)思ひて(他から)學ばざれば則ち殆(あやう)し。孔子
巧言(こうげん)令色(れいしょく)鮮(すくな)し仁(じん) 。巧みな言葉を用い、表情を取り繕う者は仁の心を欠く。
過ちて改めざる。これを過ちという。孔子
子曰わく、吾十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順(した)がう。七十にして心の欲する所に従って矩(のり)を踰(こ)えず。※耳したがう(人の言葉を偏見無く聴く事が出来る)。自分の心のままに行動しても人道を踏み外す事がない。孔子
女と子どもは甘い顔をするとつけ上がり、構わないでいると怨んでくる。孔子『論語』
今かりに幼児が井戸に落ちそうなのを見れば、だれでもはっと驚き深く哀れむ気持ちが起こって助けようとする。利害損得ではない、反射的に起こる。人間の本性が善であるからだ。人間は善になる種タネを生まれながらに持っている。▼為政者は思いやりと正義にもとづいて、民衆の幸福を第一に考えるべき。そうすれば民衆は自然と服従するはずだ。▼思いやり(キモチ)と正義(仁義)のない為政者は、王である資格を失っており、討伐されるのが天の意志だ。天命が革まる(天の意志があらたまる)。革命。天子の姓が易わる(かわる)。易姓。仁と義が大切。孟子
*去る者は追わず、来る者は拒まず。
*本に書かれていることをすべて信じて疑わないなら本を読まない方がよい。
*人の言動に違いがあるのは、地位や境遇が違うからだ。
人間はまず自分の空腹を充たすことを考える。他人の空腹を優先させることもあるが、それは後から学ぶもの。人間は生まれながらにして自分の利益を求めるものだ。カタチ礼と義が大切。▼高山に登らざれば、天の高きを知らず、 深谿に臨まざれば、地の厚きをしらず、 先王の遺言を聞かざれば、学問の大なるを知らざるなり。▼青は藍より出て、藍より青し。荀子
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異民族ツングース人に滅ぼされた漢民族の王朝・北宋。漢民族の王が南に逃れて作ったのが南宋。異民族に蹂躙・抑圧される漢民族。異民族よりも漢民族の方が上だ、と言いたい。上下関係がある、と言いたい。大義名分論(上下関係)、朱子学の誕生。
朱熹の朱子学 1100年代
江戸の朱子学 1600年代 -
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歴史で習った「四書」は『大学』→『論語』→『孟子』→『中庸』の順で学ぶべきという。本書はそのうち最初と最後を学べる。
大学之道、在明明徳、在親民、在止於至善(大学第1章)
大学は、最高学府と大人の学びの意味を兼ね、まずは一身の修養が大事。
中庸は、その意味だけならさほど難しくもないが、
誠者、天之道也、誠之者、人之道也(中庸第11章)
という窮極の道が示されている。最後に学ぶわけだ。
今、露国の大統領に送りたい言葉があった。
一人貪戻、一国乱作乱(大学第5章)
「君主一人の身が貪欲(不譲)ででたらめ(不仁)であれば、国じゅうが争乱を起こすことになる(60p)」 -
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『孫子』とは中国の春秋時代の武将、孫武の尊称であり、春秋時代とは、中国史において、紀元前770年に周が都を洛邑(成周)へ移してから、紀元前221年に秦が中国を統一するまでの時代のことをいう。兵法書は紀元前500年ごろのものらしい。因みに、『孔子』は紀元前552年(一説には551年)に生まれている(wiki調べ)二人はギリギリ時代がかぶっている。日本でいうところの親鸞と日蓮が出会っていたかどうかっていう感じににている。
「孫子の兵法」を読めばそこに真理が載っていて、昨今のビジネス本など読むに値しないと言い切ろう、それほど凄い本であった(感動 この本一冊でコンサルできるかもしれない。 -
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○読んだきっかけ:最近会う目上の方々から、ことごとく「ほどほどに」「気楽に」「がんばりすぎないで」といった助言をいただいたものの、それを納得できなかったため。
そして、人間としてほどほどの、を意味するもっとも良い言葉が「中庸」であると思えたので。
○読後感想:今の僕には到底無理です。
そもそも四書は、大学→論語→孟子→中庸の順番に読むべきもので、中庸は朱子学の総仕上げの意味合いを持っている。高遠な教えである。
○ポイント
・中庸は、過もなく不及もないところに、ある
・中庸のハードルは超高い(中庸を守り続けるのは天下国家を治めるより難しい)
・人びとと和合するけれども人に流されない
・栄達しても困窮しても死ぬまで節操を変えない -
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「大学・中庸」金谷治 訳注
儒教は一般に「修己治人」の教えだといわれる。「己れ自身を修める」道徳説と「人を治める」民衆統治の政治説とを兼ねた教説が、儒教だというわけである。確かに『論語』を読んでも『孟子』を読んでも、儒学思想というものは現実の社会的人間を第一の問題としていて、要するに道徳と政治を中心とする思想である。
『大学』の内容は、まず「大学の道は」という言葉で始まる。「大学教育の理想的なあり方とはどうあるべきか」というのが、巻頭で提示された問題である。そして、『大学』はその回答を最初の第一章で総括的に示しており、第二章以下はその第一章の項目を受けた解説となっている。そこで、『大学』の要点はその第一章を読むことによってほぼ明らかになるが、それは、己れ一身の修養を基盤として天下国家の統治を目ざすという「修己」と「治人」との組織的な連繋統一であって、それこそが大学教育の目的だというのである。
<連繋(れんけい)物事と物事、あるいは人と人との間のつながり。また、つながりをつけること。つながっていること。>
大学で学問の総しあげとして学ぶべきことは、輝かしい徳を身につけてそれを[世界にむけてさらに]輝かせることであり、[そうした実践を通して]民衆が親しみ睦みあうようにすることであり、こうしていつも最高善の境地にふみ止まることである。
<睦ぶ(むつぶ)仲よくする。>
ふみ止まるべきところがはっきりわかってこそものごとを正しく考えることができ、正しく考えてこそ[最高善に止まるという]目標も達成できるのだ。
ものごとには根本と末端があり、また初めと終りとがある。[そのことをわきまえて]何を先にして何を後にすべきかということがわかるなら、それでほぼ正しい道を得たことになるのである。
ものごと[の善悪]が確かめられてこそ、はじめて知能(道徳的判断)がおしきわめられ[て明確にな]る。知能がおしきわめられて[明晰になって]こそ、はじめて意念が誠実になる。意念が誠実になってこそ、はじめて心が正しくなる。心が正しくなってこそ、はじめて一身がよく修まる。一身はよく修まってこそ、はじめて家が和合する。家が和合してこそ、はじめて国がよく治まる。国がよく治まってこそ、はじめて世界じゅうが平安になる。
仲尼(孔子)はいわれた、「君子は中庸の徳を守るが、つまらない小人は中庸[の価値あgわからないでそれ]にそむくものである。君子が中庸を守るというのは、いかにも君子らしいりっぱなふるまいでいて、そのうえどんな時でもその場に応じて中でおれるからだが、小人が中庸にそむくというのは、いかにも小人らしいつまらない行動をとって、しかも[慎しみを知らない過激さで]何でもあたりかまわずやってのけるからだ」
先生はいわれた、「わかりにくいはっきりしないことをむりにさぐり出したり、風変りな奇怪なことを行なったりすると、[人の注意を集めて、]後の世にそれを誉めて受け継ぐものも出るだろう。だが、わたしはそういうことはしない。君子は道を規準として行動するものだ。たとえ[力及ばず]途中で挫折することがあるとしても、わたしには[道を守るのを]やめることはできない。君子は中庸に依りそってゆくのである。世間に背をむけて隠遁し、だれにも知られずに終っても悔いることがないというのは、これはただ特別の聖者だけにだきることだ。[それもわたしの望むことではない。]」
先生はいわれた、「学習好きなのは知の徳を育てることになり、実践につとめるのは仁の徳を育てることになり、わが身の恥を知るのは勇の徳を育てることになる」と。この[学習を好むと実践につとめるのと恥を知るのとの]三つのことをわきまえたなら、わが身を修めるその修め方もわかるだろう。わが身の修め方がわかれば、人を治めるその治め方もわかるだろう。人の治め方がわかれば、天下や国や家を治める治め方もわかるであろう。
すべてのものごとは、あらかじめ事前によく考えておくとりっぱに成功するが、事前によく考えもしないで始めると失敗するものである。[たとえば、]何か意見をいうにも、それが前もってしっかり固まっているなら、途中でつまずくようなことはない。何が事業を起こすにも、それが前もってしっかり確定しているなら、途中で苦しむようなことはない。何か行動するときも、前もって計画が定まっているなら、途中でくよくよと迷うことはない。進もうとする道も、前もってよく考えて確定しているなら、ゆきづまって進めなくなるということはない。