仁・義・礼・智・信を教義に掲げた儒教の開祖孔子の教えを、孔子の死後弟子達がまとめた本。
孔子と弟子の問答を主としており、複数人から書かれたものであるが、孔子の人物像がひとつに浮かび上がる。
儒教は仁義を尽くし、よく勉強し、驕ることなく生きなさいという教え。
外から見ると利己的思想への批判、清貧の尊
...続きを読むさが主軸にあるようにみえるが、『論語』を通すと孔子が実行を重要視していたことが明らかとなる。
根底にあるのは強い自責・自戒への意識。
「自分を認めてくれる人がいないことを気にかけず、認められるだけのことをしようと務めることだ」という言葉が度々に登場する。
歳上から心配されず、友人から信頼され、歳下からは慕われる人物像こそが仁のある人だとし、そこを目指して繰り返し自己を省みる。
「背中で示しなさい、ともすれば人は付いてくる」というスタンスが基調。
中盤で朝廷での孔子の姿が描かれているが、弟子は口を揃えて「主に礼を尽くしているが、反面して雰囲気は穏やかだ」と礼讃する。
これは自らの思想と自己(言動)が一致した人間が纏える雰囲気なのだろう。
また書物による勉学も重要視した。
「過ぎたるは及ばざるが如し」の言葉にあるように「中庸」であることが大事だとし、実行における「中庸」を見極めるためには勉学が必要と説く。
勇敢でも智が無いものは、乱暴になるといったように。
『論語』を通して映る孔子像がこんなにも明確なのは、弟子達のあらゆる角度からの問に対し、言葉を濁さずキッパリと応える姿にあるように感じる。
有名な「四十にして惑わず」という言葉から見えるように、この頃にどのような問いにも、自らの信念から回答できる確信を得たのだろうと思われる。
逆に「四十になっても憎まれるのでは、まあおしまいだろうね」という厳しい言葉も残している。
しかし、たまに挟むこの様な厳しい言葉にも、弟子、人民への仁愛が滲み出ていて、憎まれることなく広く慕われていただろうことが容易に想像できる。
中高の漢文でほんの一部触れたことがなかったけども、全体を通すことでそのフレーズの意味合いも変わって見えるのが面白かった。
現代語訳だけならばサラサラと読めるし、オススメの本です。