赤坂桃子のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
ウィキリークスのメディアパートナーとして活動をともにするドイツ「シュピーゲル」誌のトップ記者によるドキュメント本。ジュリアン・アサンジの信頼を勝ち取り、密着取材を許可されて描かれた内容は、明らかに他のウィキリークス本と比べ距離感が近く、非常にダイナミックである。
◆本書の目次
弟一章:「国家の敵」ウィキリークス
第二章:ジュリアン・アサンジンとは誰か
第三章:ウィキリークス誕生
第四章:「コラテル・マーダー」ビデオの公開、マニング上等兵の背信
第五章:大手メディアとの協働、アフガン戦争記録のリーク
第六章:内部崩壊の危機、イラク戦争日誌四〇万件公開の衝撃
第七章:世界が震えたアメリカ外交公電流出
第八章:包囲されたウィキリークス
第九章:ウィキリークスの未来、世界の未来
マーク=ザッカ―バーグがFacebookを生み出したのと同じ2006年に開設されたウィキリークスは、評判経済におけるもう一人の主人公である。透明な社会を指向する彼らの行為は、その類まれな技術力で情報の共有を促進し、国家間のソーシャルグラフに大きな影響を与えてきた。
たびたび投げかけられる、ウィキリークスはジャーナリズムか、情報テロかという問いかけは、ジュリアン・アサンジという一人の男が放つ言動の二面性によるところが大きい。
◆情報テロ寄りの発言
・「大物たちのもくろみを台なしにするのが大好きなんだ。こんな面白い仕事はないよ。」
・「我々は人類の天空に新しい星を輝かそうとしています。」
・「ちょっとひと騒ぎおこそうじゃないか。」
・「僕はこの組織のハートであり魂なんだ。創設者でスポークスマンで、最初のプログラマーで主宰者で、出資者で、残り全部。君がそれを問題だというんなら、失せろ。」
・「CNNは恥を知れと言いたい、ラリー、あんたもだ!」
・「僕の結論は、国際メディアをとりまく状況がどれも悪く、ゆがんでいるから、メディアがないほうがましなくらいだ、ということだ。」
◆ジャーナリズム寄りの発言
・「ウィキリークスはすべての人の友と見られなければならない。なぜなら我々はすべてのに人の個人に、それまで存在しなかった道を発見できるように、我々の知識を提供しようとしているからだ。」
・「コンテンツはそれ自身が語るのであり、説明を必要としない。誰もが検討し分析できるように、開放しなければならない。勝利、自由、真実。」
・「おそらく正義の戦争とやらを始めるよりも、まったく参戦しないほうが、多くの人命を救えるだろう。」
・「戦争の悲惨さと日常化している残忍さへ強い光を当て、僕らの戦争を見る目を変えるだけでなく、現代のすべての戦争を見る目も変えるだろう。」
・「公表は透明性を高め、その透明性がよりより社会へとつながっていく。チェック機能がうまく働けばそれだけ腐敗が避けられ、民主主義は強固になる」
この二面性は数奇な生い立ちによって形成された彼自身の性格によるところも大きいが、意図的にそのように振舞っているようにも思える。つまり、彼は自分自身に色がつくのを恐れているのだ。自分を理解されたくないし、縛られたくもない。政治的にあらゆる傾向を持つ内部告発者に開かれている存在であるために、そして得体の知れなさで注目を引き、リークの影響をさらに大きくするために。
本書はジュリアン・アサンジの、こんな台詞で幕を閉じる。「組織としてのウィキリークスは、非常に安定している。僕たちはそれほど簡単には排除されないよ。でも、ぼく自身自分から仲間はずれになりたがる性格なんだ。これが僕たちの最大の問題だよ」。情報の機密を公開することで、世の中を動かしてきたウィキリークス。その影響で彼らの存在自体も脚光を浴びていくことは、ウィキリークス内部の情報もリークされつつあることを意味する。そしてそれは、ジュリアン・アサンジのさらなる変節を生み出していくだろう。ある意味我々は、勝者なき時代の中へと、突入しているのではないだろうか。 -
Posted by ブクログ
メモ
素晴らしい企業の3段階
1.価値を創造する
2.長く市場にとどまり続け、必要とされている
3.創造する剰余価値の一部を資本に転化できる状態にある
確かにと感じた文
『多様性』というバズワードの背後には、どんな個人的な背景があろうとも、人と足並みを揃えないとその人は多様性が欠如していると思われてしまう。
ピーター・ティールとロバート・アイガーに共通していることは、自分の周りに信頼できる人を配置すること。
自分が得意なことを担い、苦手なことを補完してくれる信頼できる人と共に同じ理念を持って進んでいくことの大切さをこの本と最近読んだ本から学んだ。 -
Posted by ブクログ
1945年から50年近くにわたり、ベルリンの街は二つの国家に分かれていた。東側は社会主義国家、西側は資本主義国家というこの歪な都市には、様々なものが二つ存在していた。
二つの政府、二つの新聞、二つの劇場。動物園もまた、ベルリンに二つ存在するものだった。東側にはティアパルク、西側にはベルリン動物園。本書は第二次世界大戦末期からベルリンの壁崩壊までの約50年間を、二つの動物園の園長を軸に描いた年代記である。
東側の園長は名をハインリヒ・ダーテという。動物学者である彼は戦時中にNSDAP(ナチ)党員だったことで戦後に一時失職したが、復職を果たした。その経験から政治には関わらないようにしていたというが、シュタージ(秘密警察)にも意見を言えるほどの地位を東ドイツ内部で構築できたのだから、社会主義国家での身の処し方をよく理解していたのだろう。
西側の園長はハインツ=ゲオルク・クレース。獣医である彼はとにかく資金を持ってくるのが上手く、第二次世界大戦で大きく荒廃したベルリン動物園に多くの資金をもたらすことができた。彼もまた、資本主義での生き方をよく心得ていた。当人たちに政治的にナイーブな面があったとしても、である。
東と西には、独特の緊張感があった。互いが互いを意識し、張り合う一方で、時には手を取り合うこともある。人間である以上東の中でいがみ合い、西のなかでもいがみ合ったかと思えば、東と西で手を結んだりもする。しかし二人の園長は、東西ベルリンという狭い島で張り合うボスザルであった。
まず目を引くのは、第二次世界大戦後という時代は恐ろしい速度で倫理観がアップデートされたという点だ。戦後すぐはネールに子供たちが手紙を送ればインドゾウが動物園に送られてきた。日本でも上野動物園がこの手法でインドゾウを手に入れている。
動物商による狩猟も大々的に行われていた。アフリカでライオンやサイを捕獲して動物園に運んでくる、という取引が合法的に行われていたのだ。動物が商品、あるいは外交の道具になっていた時代というのが確かに存在した。
それが1975年にはワシントン条約が発効し、今では動物園はむしろ生態系の保護や繁殖に力を入れているのだから、権利意識のアップデートというのは凄まじく早いということが理解できる。
冷戦という状況をバックに繰り広げられる濃密な人間模様を眺めて、知らない世界に想いを馳せてみてはいかがだろうか。 -
Posted by ブクログ
ウィキリークスと運営責任者のアサンジについて書かれた本。書いた人はドイツの新聞社(出版社?)の人で、ウィキリークスが大きな記事を出すにあたって、メディアとして協力した人だ。
ウィキリークスについては、賛否両論あるのはわかるけど、最も不思議だと思ったのは、メディアの人たちが、ウィキリークスがものごとを暴露するのには限度があるべきだ、自分たちは、報道のプロだから限度がわかるけど、ウィキリークスは素人だから、やってはいけないのだ、的な言論がでたことだ。おりしも、ノーベル平和賞を中国の劉暁波氏が受賞し、中国の言論の自由がないことを西欧諸国は疑問視したというのに、それはだめで、ウィキリークスを規制するのはOKというのが、よくわからない。
まあ、自前のサーバや決済手段をもたなければ、いつサービスが止められてもおかしくないよというのは大変よくわかったので、国内クラウドサービス推進にとっては、ウィキリークスはよい事例だったのだろう。
本書では、そのあたりの線引きが難しいことを誠実に書いている。例えば、対外的に秘密になっているユダヤ人団体があったとして、その名簿は掲載してもよいのか、極右団体の名簿はどうなのか、たわいもない女子大生の秘密の入会儀式の内容はどうなのか。結論はだせないだろう。報道は従来のように権威的に自分たちのルールを自分たちで決め続ける限りは、ウィキリークスのように、その報道に飽き足らない人たちがでてくるのは避けられないだろう。
そういう点では、当局はウィキリークスを温存すべきだったと思う。正体がある程度わかっている存在の方がコントロールしやすい。インターネットは分散してしまうと、誰なのか、何なのかがわからなくなってしまう。アサンジとウィキリークスという正体のつかめるものを残して、適当に情報を出すことで操ったり、交渉したりしている方がよかっただろう。 -
Posted by ブクログ
「近代国家にとっては、秘密を守ることが本質的な部分である」
ウィキリークスの内側、そして本当の実態を知ることができる本である。日本のメディアで報道され、議論された部分はウィキリークスのなした結果に対してにすぎない物が多かったが、これを読むことによりどういう人間たちがどういう意図をもってウィキリークスを成し遂げたのか、という本質的な部分に多く言及している。
私としては当初、ウィキリークスはネットの自由という感覚から生まれたハッカーの楽しみ的なものなのかと、浅い読みしていたが、実際はそういった部分もありながらもウィキリークス創始者のアサンジ氏の強い政治意識が反映されているものでもあり、驚いた。
ネットが政治に及ぼす力はこれからますます肥大化していくのではないだろうか。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ後半、終盤はゾクゾクして手が止まらなくなった。ヘレーネが「無口」になってしまったときの独白がすべてを物語っているように思う。全体主義とインターネットは相性が良すぎる。その結果、自ら言葉を発することの無意味に気付いてしまうというのは非常に納得感のある恐怖だし、かなり現在進行形の問題とも重なってくる。
コンピュータを生業にしていることもあり、肝心の背景にある技術的な部分がほとんど語られていないのはどうしても気になってしまう。解説にも書かれていたとおり、そこをツッコむのは野暮なのかもしれないが、しかしこの時代のイギリスにはチューリングがいたし、アメリカにはノイマンもエッカートもいたんだぜ?ってつい言いたくなってしまう。そして計算機の発展は他のあらゆる学問の発展を進めるだろうに、その兆しがあまり見えないのもやはり気になる。この時代に仮に情報科学がこれほど発展していたとして、そこで天下を取るのがドイツになるという必然性は、どうにも見出せないのだ。