ヤマザキマリのレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
安部公房は、昔「カンガルーノート」を読んで、よくわからない気持ち悪い話だなぁと思って終わってしまった。ただその時も、何とも言えない魅力があるとは思っていた。
今回この本を読んで、安部公房を再読したいかと言えば、正直言って読みたくない。残酷描写が多いし、オチも救いがなく、読んで辛い気持ちになるのは見えている。きっと私のメンタルはそこに耐えられないのだと思う。
そういう意味で、著者のヤマザキマリさんは強い人なのだと感じる。安部工房が活躍した戦後の時代も、人々は皆強かったのだろうか。そのエネルギーに憧れはするけども、わたしにはとてもまだまだと言うところかな。
印象に残ったのは、「箱男」では、都会の周囲の人々が無機質な砂のメタファーなのでは、というところ。人々の中にいても、気にされない、自由にしていいよと言われるのは、ある意味不自由で、孤独なのだなと思った。 -
Posted by ブクログ
一部ネットで嫌われてそうな論客たちからのメッセージ集。みなさん、日本から少しずつ自由が奪われていると危惧している。
ある一面の行動・発言が切り取られて批判されることが多い方々だが、その考えに直に触れると、国の在り方や自由について真剣に考えているのが分かる。
例えば表現の不自由展に携わった津田大介氏。近年、アートの世界では政権の意向に沿った展示しかできなくなってきたと言う。意向に反せば、補助金が下りないなど不自由を強いられるそうだ。
詳しく知らないが、おそらく、この展示は慰安婦像などを展示するのが目的ではなく、賛否両論のものを公の場で示すこと自体が目的だったのではないか。こうした国の動きに対する挑戦というか。
個人的には反日思想の展示など不愉快だし、する必要はないと思うが、一方で表現に規制がかかる危うさには怖さを感じる。こうした規制を許せば今後、反日的なものでなくとも、政府や権力者が、言論や表現に制約をかけられる世界になっていくわけだから。
アートの世界だけでなく、科学技術なども国の意向に沿わなければ補助金がなくなり、活動できなくなってしまう模様だ。それは果たして国民にとって健全な、豊かなことなのだろうか。賛否両論のものに対して全員が自由に発言できる世界、何事にも反対意見を出して議論できる社会、多面的に物事を考えられる世の中、そうしたものを守らなければ。などと思いました。 -
Posted by ブクログ
ネタバレコロナ禍で見つめた日本。
ヤマザキマリ氏は漫画家である。海外での暮らしが長く、日本を相対化したコメントをよくテレビなどで聞く。コロナ禍でイタリアの家族と会えなかったり海外に出られなかったりというのは聞いていた。さぞかしストレスが溜まるだろうなぁと思っていた。
この本は2020年に出版された。2020年の8月に書いていたとある。著者はただストレスを溜めていたのではなかった。動けない中で内にこもるというよりは、内を見つめていた。そしてこの本に言語化している。
コロナ禍は海外に行くチャンスも、人と出会って語り合う機会も奪ってしまった。あの最初の頃、やけに本を読む気になったのは、何かを吸い上げて、自分なりにこの経験を語る言葉を得ようと思ったからかもしれない。
コロナ禍の対応に、日本政府はまぁよくやったよとか、日本人は世間体を気にしてルールを徹底しているなぁとは思った。不満がないわけではない。でも不満を言葉にはしない。それが基本的に日本でずっと生きてきた自分の生き方だ。報道の数値に引っかかりがあっても、社会の輪を乱すことはできないから周囲の人と同じようにする。やれと言われればやる。少ない経験なりに、海外ではこうはならないとは思っている。
ちょっとだけ、ほんの少しだけ、自分は「日本」からはみ出ている気もしている。文法より前にとにかくしゃべり出してしまうし、報道は疑ってもいいと思うし、日本型政治には苛立つし。でも異質なものは即排除される社会で、抗い続けるエネルギーが足りていない。だから「いないように生きて」いる。この本の出版から2年が経ち、コロナ政策はますます訳のわからない方向に進んでも、まだ自分は立ち止まっている。
しかしまだ立ち止まっていることを、マイナスには捉えないでいようと思った。まだまだ考えていたい。とにかく歩き出すというのもひとつだけど。いやこの態度は失敗したくない、摩擦を避けたい、「いないように生きていたい」態度なのかもしれない。交流は積極的に。でも自分の内側を見つめて、少しずつでも思うことを言語化していこう。 -
Posted by ブクログ
漫画家のヤマザキマリさんの安部公房論。彼女の人生とリンクした作品の紹介があります。「砂の女」を始めとして数多くの作品が登場します。
ヤマザキさんについては、イタリアに住んでいる漫画家という印象ぐらいでしたが、この本を読みこれまでの半生のエピソードにまずびっくりしました。17歳で絵画の勉強のため単身イタリアに渡り、まもなく生活能力に欠けたイタリア人の詩人と同棲していたと言う事実。17歳と言ったらまだ高校生で、女の子。異郷の地に本人の希望とは言え一人やる親がすごい。それも多分仕送りなどはないのか、はたまた少ないのか極貧の生活をしていたようですから、その年齢の大人度が自分とは比べ物にならない!と感嘆しました。そんな環境で出会った小説が「砂の女」。ですからこれは読むべき時期にぴったり合致したのでしょう。
確かに私も若い頃に安部公房は読んだ記憶があります。他にも小松左京、カフカ、ニーチェ…ちょっとジャンルは異なりますが、不条理だとか虚無だとかに何故か憧れ⁈本質は理解できないまま、その小説の雰囲気だけが残っている有り様ですが…彼女の場合はそれを実感していることに凄さがあります。
ヤマザキさんが「砂の女」に代表されるテーマ「壁」は、現在の世の中においては当に物理的にも精神的にも物事を隔てる象徴です。傍目には合理的とは思えないロシアのウクライナ侵攻や人間のコミュニケーションを阻害する感染症の蔓延など世界は、不穏な様相を呈している中にあって、どう考え行動していけばいいのか…
便利さや様々な情報が瞬時に手に入るツールもありながら、そのため息苦しさに喘ぎ、蟻地獄のような閉じた世界に籠る人々。人と違うことを恐れ、孤独では生きられない私たち。
安部公房は…そうした孤独で自由な存在が世間と足並みをそろえて動くのではなく、考え方や行動が一律でなくとも、価値観が違っていても共生していける社会が民主主義社会だと…言わんとしているのではとヤマザキさんは述べています。以前にマルクス・ガブリエルさん(哲学者)が「SNSは民主主義を損なう」と述べていましたが、なるほどこのことか、と思いあたりました。
元々人と群れるのが苦手で、天邪鬼気質の私には、何故皆、他の人と同じじゃないと不安なのか、始終繋がっていることがそんなに良いことなのか疑問だったので、この考えには納得です。
どんな世界、場面においても壁が立ちはだかっており、それは表からも裏からも見える世界があることを自覚したいものです。 -
Posted by ブクログ
ヤマザキマリさんの食にまつわるエッセイ…とでも言いましょうか。
海外生活が長い山崎さんですが、永く住んでいてもパスタはさほど好んでは食べない、という話に始まって、好きで食べ続けてアレルギーが出てしまった話や、もてなしを断れずに出された料理を食べ続けていたら過剰摂取による食中毒を起こしてしまった話など、自分の経験をもとに書かれているのですが、それと合わせてその国の文化などと照らし合わせて考察してしまうところに、なるほど!と膝を打ってしまいました。
海外生活の方が長くなっているヤマザキさんですが、やはり子ども時代に食べてきた嗜好が、結局、後々まで影響を及ぼすのだな、と思いました。
2019/10/09 -
Posted by ブクログ
ヤマザキマリさんも小島慶子さんも好きなお二人なので対談読めて嬉しい。
東大に行く事がすごい事じゃないよ、学びたいことを学ぶのが大学でありそもそも大学に行く事が全てではない。
確かにそう。
でも実際日本ではまだまだ学歴主義な面があるし子供には出来れば大学(できれば名の通った)に行って欲しいと思うのも親心。
ただ偏差値主義的な教育はやめて学ぶことの楽しさを幼いうちから伝えていくのは大切なんだろうな。その上で子供が選んだ事を尊重出来る親になりたい。
お二人は対談で子供の人生は子供のモノだと何度も発信されてるけどその通り。自分の理想や後悔を子供に押し付けるのは絶対にやめよう。
あとグローバル体験というのは海外に移住しなくてもできるよ、隣人と仲良くする力がグローバル体験なんだよって話が好きです。他人とうまくらやっていく能力は生きていく上で必要だからね。何も外国の人と無理に意思疎通しなくても身近な人と意思疎通出来ればそれもグローバル体験なのかも。