岡田暁生のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
思っていた感じとは全く違っていたけれども,これは良書。
裏表紙に書かれている解説や,「はじめに」の前書きに書いてある著者のコメント内容から,てっきりクラシック音楽について,初心者が抱きがちな質問に答えることで,音楽理論や脳科学的な見地から,クラシック音楽を分析・解説する本なのかと思っていたが,実際は,クラシック音楽がいかに西洋の歴史,つまり世界史(主にヨーロッパ史)と密接に関わっているのかについて,初心者向きな内容なので,ざっくりとではあるが,優しく説明して教えてくれる本だった。
ただ,そのような感じなので,何を期待してこの本を読み始めたかによって,だいぶ評価や好き嫌いが分かれそうな内容ではある。
では,何故私がこの本を良い本だと感じたかというと,端的に言って,世界史(ヨーロッパ史)が複雑で内容量も多く,覚えるには難しすぎるからだ。
そんな難しくて,覚えることも多くて,面倒臭いヨーロッパ史の流れを,この本では大好きな音楽,中でもとりわけ好きなクラシック音楽が歩んできた道のりとともに,おおまかにではあるが,知ることができる。
これほど私個人に向いている,初心者向けのヨーロッパ史の本は,他になかったのではないだろうかと,そう思わずにはいられない(笑)
この本に書かれていることで最も重要なことは,「音楽とは,それが生まれた時代における,社会の情勢やありよう,人々の生活様式と,密接に関わったものである」ということだと思う。
旧来,音楽とは,宗教儀礼的な役割や意味合いが強く,世俗から切り離された,信仰の促進を担うものだった。
それが宗教改革によって,教会が持っていた権力が薄まり,代わりに王族や貴族たちの力が強まっていく。
そんな絶対王政の政治形態下で萌芽したのが,王族や貴族が持つ力を,庶民に対して誇示するための道具としての文化であり,宮廷で音楽を演奏することこそが,その最たるものだった。
これがヴィヴァルディやバッハなどの,バロック音楽の時代。(おおよそ17世紀)
そこから産業革命が起きて,商人の力が強まっていくとともに,王族や貴族の力が弱まり,やがて各地の市民革命によって,社会の主権が市民へと移行していく。
この頃がハイドン,モーツァルト,やがてベートーヴェンへと至って,クラシック音楽全盛期への幕を開ける古典派の時代。(おおよそ18世紀)
その後,近代的な制度が整ったヨーロッパでは,資源が枯渇していくとともに,植民地主義,帝国主義が広がりを見せる。
これがショパン,シューマン,ワーグナー,ヴェルディ,ブラームス,チャイコフスキーなど,ロマン派以降の時代で,クラシック音楽の黄金期になる。(19世紀以降20世紀初頭まで)
時代が降るとともに,音楽が享受されていた場所が変化していったことも,非常に重要で,昔は教会でその宗教の信者が聴くものだったところから,王族や貴族などの特権階級しか聴けない宮廷音楽へとなり,産業革命によって工業が発展し,市民革命で自由・平等・友愛が掲げられることにより,人種や身分や立場にかかわらず,誰もが音楽を聴くことができる場所として,大衆向けの大規模建造物,すなわちコンサートホールが誕生したとのことだ。
さらに言うなら,現代はウォークマンからスマートフォンへと至るにつれて,音楽は,「時間」と「場所」の制限をどんどん排除する方向へと向かい,鑑賞の個人化が進んできているということである。
また,哲学を学び続けてきた身としては,地政学的な観点によるヨーロッパ思想の特徴という視座を得られたことも,大変興味深かった。
ヨーロッパ文化の中心であり最高権威,そしてヨーロッパにとっての文化的アイデンティティとは,いくら時代を経ようとも,古代ローマ帝国とルネサンス,つまり古代ギリシャの思想と,キリスト教カトリックの総本山であるヴァチカンにあり,イタリア半島の視覚芸術(絵画や彫刻や建造物)には,西側の諸国は太刀打ちできない。
中でも,領土的に隣り合っていて,争い続けて仲が悪かったドイツとフランスでは,17世紀にフランスから著名な劇作家が次々と現れることで,演劇が花開いた。
一方,それにも太刀打ちするのが難しいとなった大国ドイツ(ドイツ語圏の国)では,音楽こそを自国のナショナリズムと結びつけることで,アイデンティティとしていくよりほかなかったのだという説明には,思わず目から鱗が落ちた。
ドイツこそは,音楽の父バッハが生まれた地で,楽聖ベートーヴェンが生まれた地なのであるぞ!と。
だからこそ,ドイツのクラシック音楽は他国のものと比べて,権威主義的で,格式高く,形式張っている。
中でもワーグナーは,それが極限まで煮詰まったものである。
恐らくだが,ドイツ民族は,なまじ生真面目かつ優秀であるがゆえに,国土的に海洋資源に乏しく,南はアルプス山脈に阻まれて,イタリアのローマ文化とも断絶させられているという,恵まれていない地理条件も重なってか,文化的な後塵を拝してしまったことが,プライドを傷つけられることにも繋がり,結果,選民思想によってアイデンティティを保持する志向へと向かいやすいのだと思う。
その結果が,20世紀最大の悲劇である,ナチスによるユダヤ人差別へと収束していく…という流れが,恐ろしいほどに理解しやすかった。
(ナチス・ドイツはワーグナーの音楽を軍隊の士気昂揚に利用している)
また,カントの哲学や,それ以後のドイツ観念論などでも明らかなように,ドイツ人はとりわけ理性主義思想が強い。
バッハの音楽も著者曰く,「AIのように」合理性があるし,バッハはバロック時代なので,まだ宗教音楽もつくっていたこともあり,曲の雰囲気も荘厳さに満ちたものが比較的多い。
このようなドイツにおけるクラシック音楽観,クラシック音楽に対する意識を,日本人は明治維新後の近代化・西洋化の際にモデルとして取り入れて,"音楽の西洋化"は,カント哲学とともにドイツ人から直に学んでいるため,クラシック音楽に対しては,厳格なイメージが付き纏いやすい。
そもそも日本も,(ドイツとは逆に海に囲まれているせいではあるが)中国や朝鮮半島などから文化を受けるのに後塵を拝してきた国で,中国・ロシアなどの大国と対峙していかなければならないという点で,政治的な立場による近さも重なっているし,生真面目な国民の性質も比較的近しいため,相性が良かったのではないかと思う。
そして何よりも,これを読んだ時に私は,自分の趣味嗜好がいかに近世から近代にかけての,ヨーロッパ合理主義に毒されているのかを痛感させられて,正直電撃を浴びたかのようにショックだった。
なにせ,クラシック音楽で好きなのは,バッハとベートーヴェン(共にドイツ人)で,ドイツ製のボードゲーム(カタンやプエルトリコ)が好きで,2002年の日韓ワールドカップの時には,日本以外ではやたらとドイツを贔屓して応援していたし,哲学を学び始める前に通っていた大学でも,選択した第二外国語はドイツ語だった人間が私である(笑)
これらについて,正直今の今まで,全く意識することなく,単純に自分が好みなものを選んできただけだと思っていたが,明治期の西洋化の影響をもろに浴びて,知らず知らずのうちにそういう人間へと作り上げられて,洗脳されていただけなのではないだろうか?と,自分のことを疑ってしまった。
だが,実際によいものはよいのだ。
作者もあとがきで述べているが,私たちは無意識のうちに,西洋の価値観や思想に染め上げられてしまっている。
そのことに対して,クラシックをはじめとする音楽が与えてきた影響,功罪は,実は私たちが思っている以上に大きいものがあるのだとは思う。
それでも,西洋の価値観がこれまでに謳い上げ続けてきたヒューマニズム,「人は自由で,平等で,愛と夢と希望を抱きながら,明日を信じて努力しながら生きていくことは素晴らしい」という,今の時代ではもはや冷笑の対象にしかならないかもしれない,そんな夢物語の中には,「本当に人が大事にし続けなければならないものもあるのではないか?」と,私は信じているのだ。
格差の拡大に伴って,多くの一般市民が,ただ働いて生きるだけの日々を過ごさざるを得ず,クラシックだけに限らず,音楽も,文学も,絵画も,あらゆる芸術・文化が,急速に価値を失いつつあるのが,現在の世の趨勢だと思う。
それらありとあらゆる芸術が,根底に掲げてきたものこそ,西洋から提示されたヒューマニズムだ。
AIの進歩,行き過ぎた個人主義による倫理観の喪失と,資本主義や新自由主義経済社会による,格差の拡大から露見した綻びによって,急速にヒューマニズムを信じることができなくなり,その価値が損なわれて,みなが生きる意味を見失い始めている今だからこそ,そして,極端な排外主義者や極右の政権が日本でも支持を集め始めている,まさに今現在だからこそ,私たちは改めて,"間違い"の烙印を押されつつある,西洋のヒューマニズムから,本当に大切で価値があるものを,見つめ直す必要があるのではないか。
私はそのように思う。
そしてそれこそが,おそらくソクラテスが言うところの「徳」であり,"より善く(よりよく)生きる"ことに繋がるのではないかと,私はそう信じているし,信じたいのである。 -
Posted by ブクログ
ホームズと並行して読んでいた一冊。
実はこのところにわか趣味でクラシックにハマっておりまして、名曲をたくさん聴く中で、これらを体系的に知っておきたい……と手に取ったのが本書です。
クラシック音楽の知識といえば音楽の授業レベルしかない私ですが、そんな自分でも数百年の西洋音楽史を見通せたような、実にわかりやすい良書でした!
『グレゴリオ聖歌』から始まる中世音楽はどちらかというと歴史の授業を聞いている感じでしたが、やはりバッハが現れてからは抜群の面白さに。
「バロック音楽=バッハ」と考えがちですが、彼は当時にしては異質な存在だったこと。さらに、そのバッハがメンデルスゾーンによって「再発見」され、「軽薄なフランス・イタリア音楽」vs.「世界に冠たるドイツ音楽」の錦の御旗として使われたというのも面白い。
また、ベートーヴェンが残した偉業のあまりの大きさから、それに続いて爆発する百花繚乱の「個性」などなど……何気なく聴いていたクラシック音楽に縦糸が通り、ますますクラシック欲が増しました。
個人的に疑問だった、「現代に新しいクラシック楽曲は生まれないのか?」についてもなんとなく答えがつかめて納得。18-20世紀にかけて数え切れないほどの名曲が生まれたことに感謝、ですね。
芸術が生まれる背景には、必ず作者および社会の影響があります。また西洋の場合、背景に宗教があることも忘れてはなりません。
それらを知ることで鑑賞がますます楽しくなるし、回り回って私の偏愛する海外古典ミステリーの解像度も上がってくるわけですね〜。
作中にたくさんのCDが紹介されますし、巻末の文献ガイドも興味深い。
神戸大学で通史の授業をされていた先生による著書なだけあって、私のようなクラシック初心者にも非常にわかりやすく、知的好奇心をくすぐられる一冊でした(*^^*) -
Posted by ブクログ
バッハからストラビンスキーに至る(諸説あり)クラシック音楽を中心に、音楽と社会の関わり、時代時代で主流となった音楽と社会体制との関連と、その変遷について碩学2人が語り尽くした本。
改めて提示されてみると、思想同様にいろいろな束縛から自由なはずの音楽が、時々の社会体制と密接に関わっていることに驚かされる。
バッハが活動したライプツィヒはカソリックと対立したルター派の総本山であり、バッハは神の秩序を自ら音楽に表現しようとしたプロテスタンティズムの象徴。
貴族に庇護されサロン中心に演奏したヘンデル、ハイドンと異なり、ナポレオンの出現により国民国家が生まれ育つ中で交響曲や協奏曲などの形式を確立し「クラシック音楽株式会社」を創業したベートーベンと、その狭間に位置するモーツァルト。
ロマン派のありとあらゆる要素を呑み込み総合した、ブラックホールのようなワーグナー。
ベートーベン、ワーグナーに対抗しようとして力尽きたシューベルト、ブラームス、マーラーなど数多の作曲家と女子供が求める小品に走ったショパン、シューマン。
ヘンデルはロンドンの印象が強いが、出身はドイツ。
ガーシュイン、バーンスタインはアメリカと言われるが、出自は東欧のユダヤ人。
歴史に残る著名な作曲家たちが、歴史の時間軸の上で容赦なく相対化されていく。
大戦後、西側社会で作られなくなった交響曲が共産圏で作り続けられたのは、自由主義社会への対抗だったか。
ロシアによるウクライナ侵攻後に出された本書では、偶然か意図的かロシア音楽も詳しく触れられる。
話題はクラシックから現代音楽を経て、ジャズ、ポップスまで拡がり、ストリーミング再生が主流となった現在に音楽を聴くことの意味も語られる。
著者の一人は語る。
「クラシックもポップスも、自分が「音楽」と考えてきたものは18世紀以来の啓蒙思想のツールとしての音楽のことだった」
「好きな音楽を好きに聴けば良いのだが、音楽の背後の頑強なイデオロギーに対して無自覚でいることは危うい」
「クラシックを聴くということは、近代世界の欺瞞と矛盾を理解すること」
「その象徴はベートーベン第九対ショスタコーヴィチ第五」 -
Posted by ブクログ
ネタバレ面白かった!!!きちんと音楽史として眺めることで、自分の中にある諸々の言語化を突き付けられ、そうですよね、ハイ…となっていました笑
序章 バッハ以前の一千年はどこに行ったのか
ポスト・ヒューマン時代には…
(片山)そうなると、ベートーヴェン的な音楽は「虚偽」に聴こえてくると思うんです。だって、かつては≪第九≫一曲に「世界」のすべてが入っていて、それを聴いたり演奏したりすればユートピアに至るーというつもりで聴いてこそだった。…しかし幻滅する。ベートーヴェンを聴くこと自体が、バカバカしくなってくる…。(p.36)
(岡田)環境音楽ーたとえば、ひたすらサラサラと流れるせせらぎの音を聴いても、それで世界全体が見渡せることなんてありえないわけです。せせらぎの音もミニマル・ミュージックも、仮に一時間半つづいたとしても、それが世界全体を表していることにはならない。やっぱりフーコーの『言葉と物』の最後がいやでも思い出される。「賭けてもいい、人間は波打ちぎわの砂の表情のように消滅するであろうと」。もしかしたら人間とは、せせらぎの音を聴きながら、人間には到底見渡すことなどかなわない全宇宙を、少しだけ垣間見たような気になるのが精一杯という程度の存在なのかもしれない。この間書くって、中世ヨーロッパ音楽と通じるところがあると思うんですよね(p.38)
(片山)要するに交響曲とは四つの楽章がワンセットとなって何らかの全体性が表現されているのだという考えでしょう。…アダージョ楽章だけを抜粋で聴いていいんだと提案したわけです。まさに全体性の解体であり、ミニマル・ミュージックやアンビエントや古楽につながる雰囲気を感じさせます。『アダージョ・カラヤン』こそは、ポスト・モダン、ポスト・ヒューマンになっていく九〇年代を象徴するCDであり、まさに冷戦終結の象徴でもありました。
第一章 バッハは「音楽の父」か?
バッハ=「神に奉納される音楽」
(岡田)…そして一つの長い物語というよりは、どこからでもランダム再生できるばかりか、聴きおえてもグルリと円形を描いて元に戻る円環のイメージすらある。それは近代のロジックではない。どこからでも始められるし、どこでも終われる。(p.78)
グールドがバッハを演奏する理由、グールドが見ていた未来。バラバラになる人間と音楽…
SF(映画)と音楽!!なんとここでSFの話が盛りだくさんになるとは…やはり繋がっているんですので…
・タルコフスキーの『惑星ソラリス』:≪われ汝に呼ばわる、主イエス・キリストよ≫BWV639
(岡田)…地球の終わり、あるいは人類が死滅したあとの世界のイメージですね。人間がもういないのに流れている音楽。こんな場面で流せる音楽は、確かにバッハ以外には絶対ありえない。(p.80)
(岡田)…例えばグレゴリー・ペックが主演したSF映画『渚にて』や、小松左京の『復活の日』『日本沈没』などにも、バッハがピッタリ合うような気がしていました。…
(片山)ベートーヴェンは、人間の「相手」がいないとうまくいかないでしょう。一人だったら、やはりバッハですね。
(片山)…(『幼年期の終り』)一つの「全体」になったような表現でした。これ、音楽でいったら、まさにバッハ的なポリフォニーの実現ですよ。それまでモノフォニーで一声部だった音楽が、ポリフォニー=多声部で一つの世界を表現できるようになったのですから。
もう『幼年期の終り』も『渚にて』も大好きなわけで、確かにそこで流れる音楽がどんなものかは考えたことがなかった。バッハ、なのだとすると、私が朝・夜と聞くときにはたった一人、自分と向き合っているのだろうか。。まさに「(岡田)やっぱりバッハの音楽は「本当はこわい」」…
(片山)つまり、個物の相克を乗り越えると、完璧なポリフォニー、そして別々の旋律が同時にからみ合う対位法に行き着く。しかし、そこまで行くには、大きな痛みや犠牲を伴う。…それは、もしかしたら核エネルギーのことかもしれないけど、とにかく人間がやることを全部やってこそ、その先に開けるものがある。これがまさしくバッハの≪マタイ受難曲≫でしょう。みんなで血を流して、ルター的な狂気に駆られて、行くところまで行ったら、進化して違ったものになっちゃう。そういうことまですべて引き受けるのが、たぶんバッハなんです。(p.82)
第二章 ウィーン古典派と音楽の近代
1. ハイドン
(岡田)…イギリスはポピュラー音楽の世界では有力なんですよね。ビートルズとかローリング・ストーンズとかレッド・ツェッペリンとか。対するにクラシック音楽の「本場」のドイツやオーストリアの世界的なロック・グループなんて想像もつかない笑。…ビートルズの旋律やハーモニーは、スコットランド民謡の末裔です。…スコットランド民謡的なものは、クラシック音楽の語法より、ポップスに向いていたのかもしれない。
(片山)ミュージカルが多く生まれるのも、似たような論理かもしれません。(p.92-93)
英語が覇権言語であることも、勿論あるだろうけれど。
2. モーツァルトの浮遊感と根無し草
3. ベートーヴェン
(片山)…ひたすら駆り立てられて、爆発して、それが人間の感情や魂の解放だということになる。しかも愛を貫くことにも関係してくる。熱量が高まると、お見合い結婚じゃなくて、恋愛結婚になる。
⇒そしてそんな女性がブリュンヒルデだと…。やばい、ブリュンヒルデになりたいと思っていた私笑
(片山)…ベートーヴェンを超えるには超人類になるしかない。ベートーヴェンを超える何かがあるとすれば、ワーグナーでもシェーンベルクでもなく、美的・思想的にはスクリャービンかもしれません。(p.130)
・スクリャービンの≪焔に向かって≫、≪プロメテウスー火の詩≫
(片山)…それでも人間はさみしいから、たまにはお酒を飲んで、芝居を見ましょう、音楽を聴きましょう、そうやって、楽しく生きていましょうとなるわけです。…それに見合った文化芸術のキャラクターとして必要だったのは、もうベートーヴェンではなくて、モーツァルトだった。
(岡田)日本の経済力がピークに到達して、もうベートーヴェンのように悩んでがんばる必要がなくなったんだな。…
(片山)…しかし、バブルの崩壊とともにセゾン・グループも解体されてしまい、ポスト・モダンとモーツァルトの時代も過ぎ去ってしまった勘があります。まさに諸行無常の響きありますね。(p.140)
第三章 ロマン派というブラックホール
2. ロマン派と「近代」
(岡田)ロマン派の本質的なところがほぼ出そろったと思います。ポスト・ベートーヴェン世代の悩み、内面への逃避、狂気の演出、フランス革命以来の軍楽隊、「遠くへ行きたい」という欲望と鉄道と観光、植民地支配とエキゾチシズム、ホールの登場、音楽批評の誕生…こうやって考えると、ロマン派ってまったくキメラというか、ごった煮ですね。…ところで、ロマン派を語る際に避けては通れないテーマがあると思うんです。…たとえばワーグナーの≪ニーベルングの指環≫におけるブリュンヒルデとジークフリートのような「命がけの愛」もとい「バカップル」(p.176)
(岡田)人口生産の手段としての愛自体は、いつの時代にもあっただろう。じゃあどうしてロマン派になって、愛があそこまで焦点化されたのか?僕は資本主義が関係してたんじゃないかと思っているんだけど…
(片山)…資本主義が回るためには、とにかく労働力が必要だからです。…新たな労働力として子どももどんどん作ってもらわなければならない。その際に必要になった概念が「愛」ということですね。好き同士になったら、経営者と労働者だろうが、ブルジョワジーと下層労働者だろうが、どんどん子どもを創らせる。そのために生み出されたのが「愛」というイデオロギー装置だった。(p.180)
これは西洋的にはそうなのだけど、日本はやはり万葉集があり源氏物語があり…と考えると、すごく不思議ですね。
(岡田)…「国民楽派」という言葉には、悲哀のようなものも感じてしまうんですよ。「自分たちは二等国ではないぞ」と言うために、地元の民謡などを取り入れた「国民楽派」的な音楽を一生懸命に作るわけですが、でも結局は、ヨーロッパ中央の音楽業界で認められて初めて一人前。ウィーンとかパリとかロンドンとかね。でも彼らは国民楽派をしょせんエキゾチシズムとして消費するだけ。決して「本流」にはなれない。本流にしてもらえない。ものすごいコロニアリズムです…(p.195)
3.ワーグナーのどこがすごいのか
(岡田)…比較的小ぶりの≪タンホイザー≫でさえ、三時間超だから、ほとんど宗教儀式の世界です。洗脳イニシエーションですね。…ちなみにコアなクラシック通には、「長いものこそ本格的だ」と思う心性がありますよね。(p.208)
それな~~~笑という。
(片山)…長らくヨーロッパを支配していたキリスト教文化が崩れていくプロセスの中で、階級の崩壊や流動化が起きる。そうなると、ある種の不安とか刹那主義のような感情がどんどん表に出て、人間の感情が揺れ動くようになる。すでにモーツァルトの音楽などに、そういう不安定な人間の感情が表れていると思います。…ところが、市民社会、労働者社会になると、「愛」によるカムフラージュが必要になってきた。…でも「揺れ動く」ことは、人間としての重要な感情なんだけれど、やっぱりずっと揺れ動いていると、くたびれるんですよ。その果ては、死に至るしかない。そこで今度は、感情をなだめるというか、ごまかす何かが必要になる。あとでまた「揺れ動く」ことになるとしても、とりあえず、一時的な安静を得て、安らぎの中から、また始めてほしい。この揺れ動きと安静の往還を音楽で表現したのがワーグナーの「三時間文化」ではないでしょうか。で、もう一時的な安らぎだけでいいじゃないかというのが、ショパンの「三分間文化」(p.209-210)
(岡田)宗教無き時代にいかに宗教的恍惚を体験させるか。それがワーグナーだな。
(片山)そして、この長い時間の中で、最終的には神に成り代わって全人性、トータルな一個の人間としての完成が目指されている…マリア様とイエス・キリスト、あるいは幼子イエスの絵が描いてあって、アイドル写真みたいに拝む。こういうアイドル感覚が「三分間」だとすると、そうではなく、聖書を全部読み切ったような全人的な完成、その疑似体験版として、「三時間」の大交響曲や、大ピアノ・ソナタの集中的鑑賞がある。
(岡田)長い難しいものを最後まで読み通すのは、「立派なこと」なんですよ。ワーグナーはそういう教養主義イデオロギーにそのものずばりはまる。あれだけ長くてややこしいのに、あれだけ人気があるというのは、ワーグナーが教養主義者、つまりは俗物に「受ける」コツを知り抜いていたからだと思う(p.212-214)
俗物が私です!!いやーまさにこれっていうか、私だって聖書全部読みました派だもんね、絶対………耳が痛すぎ
マイアベーア!
第四章 クラシック音楽の終焉?
これからのクラシック音楽をどう聴くか
(片山)クラシック音楽が、今更趣味以上の意味はないとも思いたくない。やっぱり世界を知る、歴史を知る、人間を知るツールであってほしいです。
(岡田)「音楽」の背後の頑強なイデオロギー性に無自覚に、グルメよろしく美的にのみ消費する、というのはやっぱり危うい。あまり無邪気に「音楽って、いいですねぇ」とは言いたくない。…その背後にやっぱり神学的なものが隠れているということを忘れたくない。政治的・宗教的・思想的にニュートラルな音楽なんて存在しない。…「ファンになる」とは、その音楽が求めている絶対倫理を受け入れることに等しいんです。…(p.335-336)
(岡田)「クラシックを聴く」とは「近代世界の欺瞞と矛盾を理解する」ことにほかならないのかもしれないですね
引き続き考えながら聞いていきたい。 -
Posted by ブクログ
クラシック、特にオケ曲関係の記事が、詳しく、読みやすく、そして、とても面白く書かれている。冒頭から、いかに、一般の方との距離感を自覚できていないかに気付かされる。なんで一つの曲なのに四つも曲(楽章のこと)があるのかとか、作曲者、曲目、演奏者(演奏団体、指揮者、録音年)など、さまざまなパラメータがあって一つ違えば別物だし、それぞれの名称がどのパラメータになるのか知っておく必要がある。自分が初心者だったころにもそんなこと思ったなとか、また、以前、出演したコンサートを聴きに来てくれた知人に「演奏後、指揮者が何度も出たり入ったりするの、なんで?」とあとから聞かれたことを思い出した。
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Posted by ブクログ
ネタバレ西洋音楽史をベースとしたクラシック音楽の楽しみ方が主題にはなっていますが、特にクラシック音楽にこだわる必要は無く、芸術全般の楽しみ方を学べる良書。
西洋音楽史に余り興味が無いのでやや退屈な章もありましたが、特に「はじめに」と「第5章」は秀逸!!素晴らしいコンサートや美術館に行った後(もしくは最高に面白かった本や映画、マンガでも良いと思います)、共通の価値観を持つ友人とそれらについて語り合う時間が最高に楽しい。ただ、その時に「面白かったね」の一言しか語る言葉が無かったらその楽しい時間は一瞬で終わり。でも、「あの部分はこう思ったんだけどあなたはどう思う?」「この部分はちょっと分からなかったんだけどあなたは分かった?」みたいな感じで、少し語る言葉を覚える事でその楽しい時間は無限に広がっていくと思います♪
僕は、最低でも年1回、海外旅行に行くようにしていますが、予備知識無しで行くよりも、その国の歴史や価値観、ちょっとした挨拶の言葉を軽く覚えてから行った方が断然面白いです。また、野球やラグビー、サッカーなどもそうですが、全くルールを知らないのと、最低限のルールを知っているかどうかでその楽しさは全然違ってくると思います。
同じように、クラシック音楽についても、音楽のロジックのパターン(音楽のセンテンスがどういう論法でもって互いに関連づけられているのかなど)であったりその曲が生まれた歴史的背景を知る事で、より楽しめるようになるような気がします。また、仮にクラシック音楽には興味が無いという人も、何かしら心に響くものがあるように思います。「クラシック音楽なんて興味無いよ」という人にこそ読んで欲しい良書!!