あらすじ
指揮者は何のためにいるんですか? どうして曲が長いんですか? 国ごとに個性があるんですか? 初めて聴くならどの作曲家がいいですか? クラシック音楽が生まれたのはどんな時代ですか? そもそも、音と音楽の違いは何ですか? 専門家に素朴な疑問を投げかけたら、音楽そのものの「本質」がみえてきました。クラシック音楽に原点をもつポップス、ジャズ、現代音楽まで、新しい音楽の聴き方に出会える入門書。
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Posted by ブクログ
思っていた感じとは全く違っていたけれども,これは良書。
裏表紙に書かれている解説や,「はじめに」の前書きに書いてある著者のコメント内容から,てっきりクラシック音楽について,初心者が抱きがちな質問に答えることで,音楽理論や脳科学的な見地から,クラシック音楽を分析・解説する本なのかと思っていたが,実際は,クラシック音楽がいかに西洋の歴史,つまり世界史(主にヨーロッパ史)と密接に関わっているのかについて,初心者向きな内容なので,ざっくりとではあるが,優しく説明して教えてくれる本だった。
ただ,そのような感じなので,何を期待してこの本を読み始めたかによって,だいぶ評価や好き嫌いが分かれそうな内容ではある。
では,何故私がこの本を良い本だと感じたかというと,端的に言って,世界史(ヨーロッパ史)が複雑で内容量も多く,覚えるには難しすぎるからだ。
そんな難しくて,覚えることも多くて,面倒臭いヨーロッパ史の流れを,この本では大好きな音楽,中でもとりわけ好きなクラシック音楽が歩んできた道のりとともに,おおまかにではあるが,知ることができる。
これほど私個人に向いている,初心者向けのヨーロッパ史の本は,他になかったのではないだろうかと,そう思わずにはいられない(笑)
この本に書かれていることで最も重要なことは,「音楽とは,それが生まれた時代における,社会の情勢やありよう,人々の生活様式と,密接に関わったものである」ということだと思う。
旧来,音楽とは,宗教儀礼的な役割や意味合いが強く,世俗から切り離された,信仰の促進を担うものだった。
それが宗教改革によって,教会が持っていた権力が薄まり,代わりに王族や貴族たちの力が強まっていく。
そんな絶対王政の政治形態下で萌芽したのが,王族や貴族が持つ力を,庶民に対して誇示するための道具としての文化であり,宮廷で音楽を演奏することこそが,その最たるものだった。
これがヴィヴァルディやバッハなどの,バロック音楽の時代。(おおよそ17世紀)
そこから産業革命が起きて,商人の力が強まっていくとともに,王族や貴族の力が弱まり,やがて各地の市民革命によって,社会の主権が市民へと移行していく。
この頃がハイドン,モーツァルト,やがてベートーヴェンへと至って,クラシック音楽全盛期への幕を開ける古典派の時代。(おおよそ18世紀)
その後,近代的な制度が整ったヨーロッパでは,資源が枯渇していくとともに,植民地主義,帝国主義が広がりを見せる。
これがショパン,シューマン,ワーグナー,ヴェルディ,ブラームス,チャイコフスキーなど,ロマン派以降の時代で,クラシック音楽の黄金期になる。(19世紀以降20世紀初頭まで)
時代が降るとともに,音楽が享受されていた場所が変化していったことも,非常に重要で,昔は教会でその宗教の信者が聴くものだったところから,王族や貴族などの特権階級しか聴けない宮廷音楽へとなり,産業革命によって工業が発展し,市民革命で自由・平等・友愛が掲げられることにより,人種や身分や立場にかかわらず,誰もが音楽を聴くことができる場所として,大衆向けの大規模建造物,すなわちコンサートホールが誕生したとのことだ。
さらに言うなら,現代はウォークマンからスマートフォンへと至るにつれて,音楽は,「時間」と「場所」の制限をどんどん排除する方向へと向かい,鑑賞の個人化が進んできているということである。
また,哲学を学び続けてきた身としては,地政学的な観点によるヨーロッパ思想の特徴という視座を得られたことも,大変興味深かった。
ヨーロッパ文化の中心であり最高権威,そしてヨーロッパにとっての文化的アイデンティティとは,いくら時代を経ようとも,古代ローマ帝国とルネサンス,つまり古代ギリシャの思想と,キリスト教カトリックの総本山であるヴァチカンにあり,イタリア半島の視覚芸術(絵画や彫刻や建造物)には,西側の諸国は太刀打ちできない。
中でも,領土的に隣り合っていて,争い続けて仲が悪かったドイツとフランスでは,17世紀にフランスから著名な劇作家が次々と現れることで,演劇が花開いた。
一方,それにも太刀打ちするのが難しいとなった大国ドイツ(ドイツ語圏の国)では,音楽こそを自国のナショナリズムと結びつけることで,アイデンティティとしていくよりほかなかったのだという説明には,思わず目から鱗が落ちた。
ドイツこそは,音楽の父バッハが生まれた地で,楽聖ベートーヴェンが生まれた地なのであるぞ!と。
だからこそ,ドイツのクラシック音楽は他国のものと比べて,権威主義的で,格式高く,形式張っている。
中でもワーグナーは,それが極限まで煮詰まったものである。
恐らくだが,ドイツ民族は,なまじ生真面目かつ優秀であるがゆえに,国土的に海洋資源に乏しく,南はアルプス山脈に阻まれて,イタリアのローマ文化とも断絶させられているという,恵まれていない地理条件も重なってか,文化的な後塵を拝してしまったことが,プライドを傷つけられることにも繋がり,結果,選民思想によってアイデンティティを保持する志向へと向かいやすいのだと思う。
その結果が,20世紀最大の悲劇である,ナチスによるユダヤ人差別へと収束していく…という流れが,恐ろしいほどに理解しやすかった。
(ナチス・ドイツはワーグナーの音楽を軍隊の士気昂揚に利用している)
また,カントの哲学や,それ以後のドイツ観念論などでも明らかなように,ドイツ人はとりわけ理性主義思想が強い。
バッハの音楽も著者曰く,「AIのように」合理性があるし,バッハはバロック時代なので,まだ宗教音楽もつくっていたこともあり,曲の雰囲気も荘厳さに満ちたものが比較的多い。
このようなドイツにおけるクラシック音楽観,クラシック音楽に対する意識を,日本人は明治維新後の近代化・西洋化の際にモデルとして取り入れて,"音楽の西洋化"は,カント哲学とともにドイツ人から直に学んでいるため,クラシック音楽に対しては,厳格なイメージが付き纏いやすい。
そもそも日本も,(ドイツとは逆に海に囲まれているせいではあるが)中国や朝鮮半島などから文化を受けるのに後塵を拝してきた国で,中国・ロシアなどの大国と対峙していかなければならないという点で,政治的な立場による近さも重なっているし,生真面目な国民の性質も比較的近しいため,相性が良かったのではないかと思う。
そして何よりも,これを読んだ時に私は,自分の趣味嗜好がいかに近世から近代にかけての,ヨーロッパ合理主義に毒されているのかを痛感させられて,正直電撃を浴びたかのようにショックだった。
なにせ,クラシック音楽で好きなのは,バッハとベートーヴェン(共にドイツ人)で,ドイツ製のボードゲーム(カタンやプエルトリコ)が好きで,2002年の日韓ワールドカップの時には,日本以外ではやたらとドイツを贔屓して応援していたし,哲学を学び始める前に通っていた大学でも,選択した第二外国語はドイツ語だった人間が私である(笑)
これらについて,正直今の今まで,全く意識することなく,単純に自分が好みなものを選んできただけだと思っていたが,明治期の西洋化の影響をもろに浴びて,知らず知らずのうちにそういう人間へと作り上げられて,洗脳されていただけなのではないだろうか?と,自分のことを疑ってしまった。
だが,実際によいものはよいのだ。
作者もあとがきで述べているが,私たちは無意識のうちに,西洋の価値観や思想に染め上げられてしまっている。
そのことに対して,クラシックをはじめとする音楽が与えてきた影響,功罪は,実は私たちが思っている以上に大きいものがあるのだとは思う。
それでも,西洋の価値観がこれまでに謳い上げ続けてきたヒューマニズム,「人は自由で,平等で,愛と夢と希望を抱きながら,明日を信じて努力しながら生きていくことは素晴らしい」という,今の時代ではもはや冷笑の対象にしかならないかもしれない,そんな夢物語の中には,「本当に人が大事にし続けなければならないものもあるのではないか?」と,私は信じているのだ。
格差の拡大に伴って,多くの一般市民が,ただ働いて生きるだけの日々を過ごさざるを得ず,クラシックだけに限らず,音楽も,文学も,絵画も,あらゆる芸術・文化が,急速に価値を失いつつあるのが,現在の世の趨勢だと思う。
それらありとあらゆる芸術が,根底に掲げてきたものこそ,西洋から提示されたヒューマニズムだ。
AIの進歩,行き過ぎた個人主義による倫理観の喪失と,資本主義や新自由主義経済社会による,格差の拡大から露見した綻びによって,急速にヒューマニズムを信じることができなくなり,その価値が損なわれて,みなが生きる意味を見失い始めている今だからこそ,そして,極端な排外主義者や極右の政権が日本でも支持を集め始めている,まさに今現在だからこそ,私たちは改めて,"間違い"の烙印を押されつつある,西洋のヒューマニズムから,本当に大切で価値があるものを,見つめ直す必要があるのではないか。
私はそのように思う。
そしてそれこそが,おそらくソクラテスが言うところの「徳」であり,"より善く(よりよく)生きる"ことに繋がるのではないかと,私はそう信じているし,信じたいのである。