岡田暁生のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
久しぶりに著者が表現した通りか興味を持ってしまうという感情が湧き上がった。
序盤は最後まで読めるだろうかと心配になったけれど、バロック辺りから歴史の教科書と楽典と音楽史そして楽譜が並行して並び、だからか!まるで学生のような学びが腑に落ちた。
バッハと言えば宗教的楽曲、それはキリスト教になじみがない日本人なら難解に感じるのも否めない。
宗教というより、民衆が音楽を聴けるのは、催事や宗教への参加などでしかなかったということ。これに尽きる。
そうした事は教科書にはなく、この本ではそんな事が並行して書いてあるので成る程と思う事が多い。
特別に楽器を習ったとか音大とかでなくても、この著者の言う意味が歴史と重なるから引き込まれる。
モーツァルト、ハイドン、ベートーヴェン、シューベルト。この辺りの比較と曲の特徴を語るところは楽しみながら検証してみたいものだ。
久しぶりに出てくる曲を聴いてみたいと思わせてもらった。 -
Posted by ブクログ
「音楽」以前の中世の音楽からフランドル学派、バロック、ウィーン古典派、ロマン派、20世紀から現代へと続く歴史の流れを、著者の見解を交えて解説するもの。「単に音楽史上の重要な人物名や作品や用語などを、時代順に洩れなく列挙したりすることは、私の意図するところではない」(p.ii)とあるように、あくまでどういうストーリーの中にどういう音楽が生まれたのかという視点で解説されている。
この夏、ちょっと新しい趣味を始めようと思って、音楽をちゃんと勉強しようとしているところで読んだ。と言っても、自分はクラシック音楽のファンでもなければ指揮者とかも知らないし、楽譜もほとんど読めない初心者なので、ちょっと難しいかなあと思ってたけど、意外とすんなり読むことが出来た。もちろん分からない所も多々あるが、著者の立場、歴史の捉え方が明確になっているので、全体像は掴みやすいと思う。
まず「西洋音楽」というのは「イタリア・フランス・ドイツの文化トライアングル」(p.10)の世界の中で生まれた音楽が中心で、「アングロサクソンは西洋芸術音楽の主流ではなかった」(同)というのは、言われてみたらそうだなあと思った。イギリスでエルガーの博物館?みたいなところに行ったが、確かにあんまりイギリスの作曲家っていないかもしれない(「せいぜいパーセルとエルガーとブリテンくらいか?」(同)と書いてあるので、この3人の曲を聞いてみよう)。そして面白いのは「謎めいた中世音楽」という第1章。音楽は「どこかしら甘美な存在ではなかった」(p.19)、「和声感覚の違い」(同)という、日本人の多くが音楽と捉える感じと違う、というのが興味深い。バリ島のケチャや日本の雅楽に触れるのと同じような感覚になるのだろうか。そして「ルネサンス的な調和した美とは対照的に、バロックにおいては英雄的でギラギラした効果が好まれる傾向があった。周知のようにバロックとはもともと『いびつな真珠』という意味であり、ルネサンスと比べた時のこの時代の美術の趣味の悪さを揶揄した表現だった」(p.69)らしい。へえ。バロックとかゴシックとかロココ調?とかいう芸術用語もどこかで整理して覚えておきたい。あと面白かったのは、「音楽の勉強」について。今日では「ほとんど『楽器の演奏(略)』と同義である。だが一八世紀までの徒弟制度的な音楽家養成(略)においては、音楽学習は何より『作曲の勉強』を意味した。音楽家はあくまで、自分の作品を自分で引いて人前に披露できるようになるために、楽器を学んだのだった。少なくとも独奏者の場合、演奏とは基本的に自作自演のことであって、もっぱら他人が作った作品ばかりを演奏する『演奏家』などというものは存在しなかった。」(p.137)というのも意外。作曲をする人が指揮したりピアノ弾いたりする、というテレビや映画音楽の作曲家なんていうのが、当時の文脈での「音楽家」という感じなのだろうか。それから、「音楽の聴き方」について、「全神経を集中して粛々として聴くべき『芸術』と、まずは楽しみを目的とする『娯楽』とに音楽史がかなりはっきり分離し始めるのは、一九世紀以来のことである。ある程度単純化して言えば、『門外漢にとって何回で敷居が高く、演奏会で静かに傾聴すべき、真面目な芸術音楽」が発展したのは、もっぱらドイツ語圏なのである。われわれが抱く『クラシック=ムズカシイ音楽』のイメージは、実は『ドイツのクラシック』のみに当てはまる」(p.159)ということで、それは意外。そう考えると、絵画とかはどうなんだろう。娯楽的な絵画と芸術的な絵画、みたいな別はあったりするんだろうか、と思った。最後に面白かった?のは20世紀初頭まで「指強化を目的とする矯正器具がいろいろ作られた」(p.147)らしく、この器具を使ったことで、「薬指が動かなくなってしまった」(同)というシューマンという人がいるらしい。恐ろしい。どんな器具なんだろう。
と言って歴史や人物、曲名を知っても、やっぱりそれを鑑賞するというのが本質だと思うから、ちゃんと聞こうと思った曲の備忘録。バッハの「フーガの技法」(p.89)。「彼の音楽は『聴いて感覚的に楽しむ』というより、楽譜として読んだ時に初めて、その信じられないような作曲技法の腕前が理解されるようなところがある。例えばバッハのフーガの凄さは、相当に作曲の心得がある人間だげが、その楽譜を『読んだ』時に理解できる、そういう性質のものではないか…。」(同)というものらしい。あとは「今日では上演される機会もあまりなく、またそれをいくぶん冷たくて退屈だと感じる日も大いに違いない」(p.101)という「オペラ改革で有名なグルック」(同)という人の最高傑作「トーリードのイフィジェニー」というのがあるらしい。そしてバッハとモーツァルトの比較。「ためしにバッハとモーツァルトの任意の作品を、どちらも低温に焦点を合わせて聴き比べてほしい。こうやって聴くと、バッハは一段と奥行き深く荘厳に響くだろうが、モーツァルトはぜんぜん面白くないはずである」(p.103)らしい。へえ。「『旋律それ自体の魅力』が、古典派において音楽の主役になる」(同)ということだから、ということはおれは分かりやすい古典派の方がいいかなあ。やっぱり口ずさめるやつがいいなあ。そして古典派音楽は「『シンフォニックな響き』に貫かれている」(p.112)らしく、たとえばモーツァルトの「ピアノ協奏曲第二五番」を聞けばいいらしい。それからワーグナーは、何かの本で反ユダヤ思想を持っていたというので、正直すごい積極的に聴きたいともどうしても思えないのだけれど、「『舞台神聖祝典劇』と題された彼の最期の楽劇《バルシファル》は長い間バイロイトだけでしか上演を許可されなかった」(p.173)というものらしく、当時はすごい貴重なものだったらしいから、聞くならこれかなあとか思った。バイロイトはミュンヘン近郊の田舎町で、ワーグナーが「自分の作品だけを上演するための劇場を立てた」(同)ということらしく、なんかやっぱりこのエピソードだけでも好きになれないなあと思ってしまうけれど。あとはp.188の「ドビュッシーの《版画》の第一曲〈塔〉の大胆な和声などは、西洋の既成の音楽指向からは決して生まれ得なかったはずのもの」とか、「最初の一撃でハッタリをかます」(p.189)シュトラウスの「ツァラトゥストラはこう言った」とか。そして「リートという一九世紀で最も親密とされたジャンルが、交響曲(オラトリオ)という最も壮大なジャンルと結合される」(p.193)という、その結合の意味を理解できるというのが「マーラーの《交響曲第三番》」らしい。でも演奏に一時間半かかるらしいから、鑑賞できるのかなあ。あと「調性がない」曲、なんてまったく想像できないけれど、それを理論化した「十二音技法」(p.212)というのがあるらしい。「例えば《三つのピアノ曲》作品一一(一九〇九年作曲)と《ピアノ組曲》作品二五(一九二三年作曲)を聴き比べて頂きたい。前者は自由奔放な音響の極彩色の乱舞である。しかし後者は幾何学模様のようで、どこか奇妙に冷たい」)(p.213)って、どういうものなのか、ぜひ聴いてみたいと思った。
でも結局有名な作曲家も名前くらいしか聞いたことない人ばっかりなので、もう少し西洋音楽史の本を読んで、頭に入れたい。最後に「文献ガイド」があるけど、これは原書がドイツ語だったりする本もあって、なかなか壁が高そう…。(21/08/13) -
Posted by ブクログ
中世音楽に始まり、ルネサンス、バロック、古典派、ロマン派、そして世紀末と戦争の時代を経て現代の音楽につながる西洋音楽の歴史を一望する本です。
本書を読めば、西洋音楽の歴史は宗教のための音楽から、貴族の音楽、ブルジョアの音楽、大衆の音楽へと変化・多様化する過程でもあることがよく分かります。
いわゆるクラシック音楽とは西洋音楽のうちバロック後期から20世紀初頭までの200年間に作られた音楽をいう、そして、芸術音楽とは芸術として意図され、紙の上で楽譜という設計図を組み立てて作られた音楽である、といった著者の整理は分かりやすいです。
この本は読者に対して、西洋音楽の成り立ちと奥行きを明快に示し、そのことによって、西洋音楽 ── 中でも特にクラシック音楽 ── を聴く楽しみを深めてくれると思います。 -
Posted by ブクログ
サプリメントのような音楽の消費のあり方を批判し、音楽の感動は言葉を超えるという信仰がどのような歴史的経緯で作られてきたのかということを検討した上で、あるべき音楽の聴き方とは何かを論じている本です。
とくにクラシック音楽については、鑑賞するためにも歴史や文法、意味を踏まえる必要があるという言い方がよくなされますが、著者はそれらの重要性を押さえながらも、アマチュアとしての聴衆の復権を主張し、「自分自身はひどい謡しか出来ないにもかかわらず、師匠の舞台のちょっとした不調もすぐに見抜く旦那衆こそ、理想の聴衆ではないか」と述べています。
音楽に関する受容理論について考えるためのヒントが多く散りばめられているような気がして、興味深く読みました。 -
Posted by ブクログ
久しぶりに、東京に行きました。不況なのでしょうか。地下鉄の広告スペースが埋まっていません。商売している人は大変でしょうね。八重洲ブックセンターで購入する。非常に興味深い本でした。音楽は評論可能なのか。究極は好き嫌いではないのか。著者も同様の指摘をしています。と同時に、評論の可能性も指摘しています。オーケストラのリハーサルのビデオを見ると、そのヒントがあります。指揮者は自分のイメージを実現するために、具体的な指示を繰り返します。これは当然です。具体的な指示でなければ、オーケストラのメンバーはわかりません。指揮者は、言葉により、自らの意図を伝えています。つまり、その意図は言葉で表現できるはずです。その通りだと思います。ただし、言葉に出来ない部分も残ると指摘している。その通りだと思います。
-
Posted by ブクログ
『西洋音楽史』ほど読みやすくはないがクラシック音楽を「聴く」「語る」ことについて、様々なエピソードを交えて解説している。
例えば指揮者の語る「わざ言語」。
フリッチャイが「モルダウ」(狩りの音楽)の指揮をするとき「ここではもっと喜びを爆発させて、ただし狩人ではなく猟犬の歓喜を」と指示をしているが、これはスメタナの音楽が猟犬の歓びを表現している、という意味ではない。4本のホルンがひとかたまりになって溶け合うことなく、それぞれが独立して四方から呼びかわし、こだまするような効果を表す。すなわち「猟犬」という言葉が音楽構造の比喩として機能している。
アイデアをセミコロン(;)で繋いだモーツアルトと「しかし」と「故に」を駆使するベートーヴェン、など著者の比喩も上手い。
村上春樹の音楽評の素晴らしさも解説。
最後のまとめが役に立つ。 -
Posted by ブクログ
音楽の聴き方、というタイトルではあるが、音楽以外のものに対する批評の心構えとしても読める。
筆者は他の芸術との違いを、音楽が音の振動であり、その場でしかとらえられないところとしている。音楽はある種社会の共同体のルールがあり、場が作り出すものである。それは一種の言語であり、無条件で「音楽は国境を越える」ということはあり得ないと主張。越えるのは単なるサウンドであると。また、音楽は自らして、語るものであり、きく、する、語る、が分業制になってしまっているのは、本当の意味での音楽ではないとも。
全体の流れのなかでこういう文言が出てくるので、一部抜き取ると極端だが、要は音楽は語ってこそ面白いし、語るためには下手でもやった方がいいし、そうするときく態度も変わってくるよ、ってまとめかな。
内容的には、哲学書と考えても差し支えないくらい、示唆に富んだ内容でした。
また読みたい。 -
Posted by ブクログ
「オペラ」という空間が、それぞれの時代の人たちによってどういう使われ方をしていたか、どういう場だったかについて焦点をあてている本。したがって作品集ではなく、逆にオペラを知らない私のような人間でも楽しく読み進めることが出来た。
「オペラ」、あるいは舞台・演劇の類は、舞台の前面に客席があって、俳優と観客が向かい合う…という構図をイメージしがちだが、初期のオペラには実はそういうものはなく、側面のボックス席こそが貴賓席であったという。つまり、貴族にとってはオペラは鑑賞するものでなく、社交の場であったということらしい。
こういう視座というのは、「当時の人が実際にどう使っていたか」を理解しないと得られない知見だと思われる。得てして歴史というのは過去を過度に美化するか、逆に現在の視点から見下ろすように批難するかに分かれがちだが、この本はその辺がクールで好感が持てる。なかなか面白い。
万事、背景や歴史を知っておくと正当さや深みが醸し出せるのではないでしょうか。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ[ 内容 ]
オペラ―この総合芸術は特定の時代、地域、社会階層、そしてそれらが醸し出す特有の雰囲気ときわめて密接に結びついている。
オペラはどのように勃興し、隆盛をきわめ、そして衰退したのか。
それを解く鍵は、貴族社会の残照と市民社会の熱気とが奇跡的に融合していた十九世紀の劇場という「場」にある。
本書は、あまたの作品と、その上演・受容形態をとりあげながら「オペラ的な場」の興亡をたどる野心的な試みである。
[ 目次 ]
第1章 バロック・オペラへの一瞥、または、オペラを見る前に
第2章 モーツァルトと音楽喜劇、または、オペラの近代ここに始まる
第3章 グランド・オペラ、または、ブルジョアたちのヴェルサイユ
第4章 「国民オペラ」という神話
第5章 あらゆる価値の反転、または、ワーグナー以降
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]