岡田暁生のレビュー一覧
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「音楽」以前の中世の音楽からフランドル学派、バロック、ウィーン古典派、ロマン派、20世紀から現代へと続く歴史の流れを、著者の見解を交えて解説するもの。「単に音楽史上の重要な人物名や作品や用語などを、時代順に洩れなく列挙したりすることは、私の意図するところではない」(p.ii)とあるように、あくまでどういうストーリーの中にどういう音楽が生まれたのかという視点で解説されている。
この夏、ちょっと新しい趣味を始めようと思って、音楽をちゃんと勉強しようとしているところで読んだ。と言っても、自分はクラシック音楽のファンでもなければ指揮者とかも知らないし、楽譜もほとんど読めない初心者なので、ちょっと難 -
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中世音楽に始まり、ルネサンス、バロック、古典派、ロマン派、そして世紀末と戦争の時代を経て現代の音楽につながる西洋音楽の歴史を一望する本です。
本書を読めば、西洋音楽の歴史は宗教のための音楽から、貴族の音楽、ブルジョアの音楽、大衆の音楽へと変化・多様化する過程でもあることがよく分かります。
いわゆるクラシック音楽とは西洋音楽のうちバロック後期から20世紀初頭までの200年間に作られた音楽をいう、そして、芸術音楽とは芸術として意図され、紙の上で楽譜という設計図を組み立てて作られた音楽である、といった著者の整理は分かりやすいです。
この本は読者に対して、西洋音楽の成り立ちと奥行きを明快 -
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サプリメントのような音楽の消費のあり方を批判し、音楽の感動は言葉を超えるという信仰がどのような歴史的経緯で作られてきたのかということを検討した上で、あるべき音楽の聴き方とは何かを論じている本です。
とくにクラシック音楽については、鑑賞するためにも歴史や文法、意味を踏まえる必要があるという言い方がよくなされますが、著者はそれらの重要性を押さえながらも、アマチュアとしての聴衆の復権を主張し、「自分自身はひどい謡しか出来ないにもかかわらず、師匠の舞台のちょっとした不調もすぐに見抜く旦那衆こそ、理想の聴衆ではないか」と述べています。
音楽に関する受容理論について考えるためのヒントが多く散りばめられ -
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久しぶりに、東京に行きました。不況なのでしょうか。地下鉄の広告スペースが埋まっていません。商売している人は大変でしょうね。八重洲ブックセンターで購入する。非常に興味深い本でした。音楽は評論可能なのか。究極は好き嫌いではないのか。著者も同様の指摘をしています。と同時に、評論の可能性も指摘しています。オーケストラのリハーサルのビデオを見ると、そのヒントがあります。指揮者は自分のイメージを実現するために、具体的な指示を繰り返します。これは当然です。具体的な指示でなければ、オーケストラのメンバーはわかりません。指揮者は、言葉により、自らの意図を伝えています。つまり、その意図は言葉で表現できるはずです。
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『西洋音楽史』ほど読みやすくはないがクラシック音楽を「聴く」「語る」ことについて、様々なエピソードを交えて解説している。
例えば指揮者の語る「わざ言語」。
フリッチャイが「モルダウ」(狩りの音楽)の指揮をするとき「ここではもっと喜びを爆発させて、ただし狩人ではなく猟犬の歓喜を」と指示をしているが、これはスメタナの音楽が猟犬の歓びを表現している、という意味ではない。4本のホルンがひとかたまりになって溶け合うことなく、それぞれが独立して四方から呼びかわし、こだまするような効果を表す。すなわち「猟犬」という言葉が音楽構造の比喩として機能している。
アイデアをセミコロン(;)で繋いだモーツアルトと「 -
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音楽の聴き方、というタイトルではあるが、音楽以外のものに対する批評の心構えとしても読める。
筆者は他の芸術との違いを、音楽が音の振動であり、その場でしかとらえられないところとしている。音楽はある種社会の共同体のルールがあり、場が作り出すものである。それは一種の言語であり、無条件で「音楽は国境を越える」ということはあり得ないと主張。越えるのは単なるサウンドであると。また、音楽は自らして、語るものであり、きく、する、語る、が分業制になってしまっているのは、本当の意味での音楽ではないとも。
全体の流れのなかでこういう文言が出てくるので、一部抜き取ると極端だが、要は音楽は語ってこそ面白いし、語るた -
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「オペラ」という空間が、それぞれの時代の人たちによってどういう使われ方をしていたか、どういう場だったかについて焦点をあてている本。したがって作品集ではなく、逆にオペラを知らない私のような人間でも楽しく読み進めることが出来た。
「オペラ」、あるいは舞台・演劇の類は、舞台の前面に客席があって、俳優と観客が向かい合う…という構図をイメージしがちだが、初期のオペラには実はそういうものはなく、側面のボックス席こそが貴賓席であったという。つまり、貴族にとってはオペラは鑑賞するものでなく、社交の場であったということらしい。
こういう視座というのは、「当時の人が実際にどう使っていたか」を理解しないと得 -
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ネタバレ[ 内容 ]
オペラ―この総合芸術は特定の時代、地域、社会階層、そしてそれらが醸し出す特有の雰囲気ときわめて密接に結びついている。
オペラはどのように勃興し、隆盛をきわめ、そして衰退したのか。
それを解く鍵は、貴族社会の残照と市民社会の熱気とが奇跡的に融合していた十九世紀の劇場という「場」にある。
本書は、あまたの作品と、その上演・受容形態をとりあげながら「オペラ的な場」の興亡をたどる野心的な試みである。
[ 目次 ]
第1章 バロック・オペラへの一瞥、または、オペラを見る前に
第2章 モーツァルトと音楽喜劇、または、オペラの近代ここに始まる
第3章 グランド・オペラ、または、ブルジョアたち -
Posted by ブクログ
普段僕たちは、テレビや、ラジオや、喫茶店や、いろいろなところで音楽に触れている。しかしそうした音楽の目的は、その音楽について考えたり、語ったりすることではない。ただ音楽によって得られる感情を提供することが目的になっている。そこでの音楽は、ある種のサプリメントとしての役割しかない。
しかし筆者は、そのような受動的な聞き方だけでは不十分であり、音楽を言葉にする、という能動的な聞き方が必要であるという。
たしかに音楽を言葉で説明し尽くすのは不可能かもしれない。しかし、音楽を言葉にしようという努力を放棄してしまっては、単なる動物と同じになってしまう。
人として音楽をより深く理解し、より深い喜びを得るた