あらすじ
音楽の聴き方は、誰に言われるまでもなく全く自由だ。しかし、誰かからの影響や何らかの傾向なしに聴くこともまた不可能である。それならば、自分はどんな聴き方をしているのかについて自覚的になってみようというのが、本書の狙いである。聴き方の「型」を知り、自分の感じたことを言葉にしてみるだけで、どれほど世界が広がって見えることか。規則なき規則を考えるためにはどうすればよいかの道筋を示す。
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さまざまな音楽批評の事例から,音楽の聴き方および語り方について解剖する本。主張自体は無難なものが多いものの,巻末の読者案内を始め単純に勉強になる内容が多い。
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音楽は言葉では表現できないと言われることがありますが、そうではないことを本書は示してくれます。
”音楽の少なからぬ部分は語ることができる。語らずして音楽はできない” ということを、指揮者の指示、表現の伝え方を通して説明している様は、とても説得力がありました。
2021,3/11-3/13
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西洋音楽史をベースとしたクラシック音楽の楽しみ方が主題にはなっていますが、特にクラシック音楽にこだわる必要は無く、芸術全般の楽しみ方を学べる良書。
西洋音楽史に余り興味が無いのでやや退屈な章もありましたが、特に「はじめに」と「第5章」は秀逸!!素晴らしいコンサートや美術館に行った後(もしくは最高に面白かった本や映画、マンガでも良いと思います)、共通の価値観を持つ友人とそれらについて語り合う時間が最高に楽しい。ただ、その時に「面白かったね」の一言しか語る言葉が無かったらその楽しい時間は一瞬で終わり。でも、「あの部分はこう思ったんだけどあなたはどう思う?」「この部分はちょっと分からなかったんだけどあなたは分かった?」みたいな感じで、少し語る言葉を覚える事でその楽しい時間は無限に広がっていくと思います♪
僕は、最低でも年1回、海外旅行に行くようにしていますが、予備知識無しで行くよりも、その国の歴史や価値観、ちょっとした挨拶の言葉を軽く覚えてから行った方が断然面白いです。また、野球やラグビー、サッカーなどもそうですが、全くルールを知らないのと、最低限のルールを知っているかどうかでその楽しさは全然違ってくると思います。
同じように、クラシック音楽についても、音楽のロジックのパターン(音楽のセンテンスがどういう論法でもって互いに関連づけられているのかなど)であったりその曲が生まれた歴史的背景を知る事で、より楽しめるようになるような気がします。また、仮にクラシック音楽には興味が無いという人も、何かしら心に響くものがあるように思います。「クラシック音楽なんて興味無いよ」という人にこそ読んで欲しい良書!!
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聴くことと語り合うこととが一体となってこそ音楽の喜びは生まれるのだ。
芸術音楽は、「趣味や知恵を深めること」を当初より前提として創られている
音楽の建築性
今日では実は逆に、音楽をいつでもどこでも聞けると思わないこと、聴くための手間を厭わないことが大切。
「料理も作れないお前に、料理の良し悪しの何がわかる!」→「では君はニワトリでもないのに卵の良し悪しの何がわかるのかね 」
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印象派の写実的な鑑賞からロマン主義の実存的捉え方を経て、、コミュニタリアニズム、ポストモダンまでの、これはまるで思想史をなぞるような、「文学部唯野教授」の音楽史版講義を受けるかのような示唆に富む。が、やはり作者としては、というか、作者の嗜好としては古典的な写実主義に肩入れしてる感はある。観客がリズムをとれないコンサートを嫌悪しながらも、「音楽を言葉で語ること」を至上のものとしているからだ。言葉や言語の奥に音楽があることを相対化しながら、この一点は頑固に譲らない。メタとしては言語での音楽解説はこの本の否定につながるからという理由ではさすがに無いとは思うが。とにかく音楽鑑賞についての言説は時代的にもエリア的にも網羅されているはず。素晴らしい。
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音楽感、観を持ちたいと思い、手に取る。ほぼどのジャンルの音楽が好きなので、手当たり次第に色々聴いてきたつもりでいたが、本書を読んで少し整理がついた気分。歴史をしらべる、楽典を学ぶ、楽器を演奏してみる(習う)等は興味があれば当然やるだろうことだが、これら今までやってきたことに対しても、それなりの意味を見いだせた。若干小難しい点もあるが、趣味をより良きものにするための指針にもなり、ためになった。
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決して「体系的」な本では無いけれど、部分部分をさらうだけでも充分音楽の聴き方が変わり得る。
何とはなしに漠然と耳を傾けていた演奏を「何らかの位置付けを行いながら聴いてみる」という方法を教えてくれた。
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絶対的良書やー。人生が豊かになるためのリスナー姿勢を身につけさせる、しかし先入観を与え過ぎないように、ってのを絶妙なバランスでやりきって成功している。最後に「現時点での」ハウツーが載っているのも真摯でユーザフレンドリ。何回でも読みたい。
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現代の音楽に関するイデオロギーを読み解き、音楽の聴き方を示した著作。
現代には音楽に限らず芸術において、感性史上主義的な考え方が流布されているが、それは19世紀に作られたイデオロギーの残骸であると著者は言う。
著者の批評の射程は、音楽に限らず、芸術と言語に関する極めて現代的な問題を綺麗にえぐり出すもので、その点で非常に素晴らしい。文章も平易で読みやすいし展開も自然。芸術が「わからない」という悩みを持つ人の駆け込み寺として。オススメ。
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音楽を語ることの大切さを考えさせられました。また、音楽の型を理解して聴くこと、
実際に音楽を場の中で聴くこと、音楽についての本を読むこと、話せる友人を持つこと、
これらによっても聴き方の幅が増えるということです。
私はよく、家でCDで心地良く聴けたものをライブで聴くとつまらなく、
家では小難しいと思ったものがライブでは楽しく聴けることがあります。例えばこのような違い。
ここにも何か聴き方の幅を広げる手がかりがあるかもしれません。
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この前、東京春音楽祭でシェーンベルクのグレの歌を聞いて、無調の勉強したいなと思い、そもそも音楽の本全然読んでこなかったので、吉田秀和賞で、かつそれでも読んだことのある岡田先生の本を読みました。音楽の本はいっぱい読んだ方が良いって書いてあって反省笑、、、読みます!
…パウル・ベッカーは、「芸術(音楽)体験において、人はあらかじめ自分の中にあるものを再認識しているだけなのだ」として、次のように述べている。
「ある芸術作品が私に働きかけるか否かは、ひとえに私がそれをすでに自分の中に持っているかどうかにかかっている。一見新しく見えるものも、実はこれまで意識してこなかったものが突如として意識されるようになっただけ、以前から暗がりの中でまどろんでいた内面の領域に突如として光が当たっただけなのだ。…」(p.11)
こうした法外な体験を言葉にするのは本当に難しい。なぜなら芸術がもたらす戦慄は、あらゆるエクスタシー体験の常として、本質において極めて身体的なものだから。(p.21)…にもかかわらずこれらの録音は(人生が変わるような演奏)は、いつ耳にしても得体の知れない力で私を呪縛する。私にはこれらが一種破滅の記録であり、その中には魔物が閉じ込められているような気がしてならない。(p.23)
音楽を宗教なき時代を救済する新たな宗教にしようとする勢力と、台頭してきた市民階級の聴衆を相手に音楽でもって商売をしようとする勢力との利害関係がぴったり一致したところに生まれたのが、「音楽は言葉ではない」というレトリックだったことがわかる。ドイツ・ロマン派によって音楽が一種の宗教体験にまで高められていくとともに、音楽における「沈黙」がどんどん聖化されていく。…
音楽は言語を超えていると同時に、徹頭徹尾、言語的な営為である。…
音楽に対して「信者」たらんとするか、それとも「公衆」としてそれに接するか。それは個人の自由だ。しかし後者の立場を選ぶ限り私たちは、まさにストラヴィンスキーが指摘したように、「たとえ意識しなくても、判断してからうけいれる」ことをせざるをえない(p.56-7)
面白いことに、音楽家たちが日常的な音楽の現場で用いる言葉は、少なくとも私の知る限り、総じて砕けていて端的であり、感覚的で生々しい。…「音楽家を納得させる語彙」の第一条件は、形而上学的でないこと、つまり身体的であることだという印象がある。…
一つは直接的指示、二つ目は詩的絵画的な比喩、三つ目は音楽の内部関連(音楽構造に関する)並びに外部関連(背景等)についての説明、四つ目は身体感覚に関わるものと分類(p.60)
「音楽はいかなる感情も、いかなる情景も、絶対に表現することは出来ない」ハンスリック(『音楽美論』)(p.62)
言葉という核を得たときに初めて、音楽がかきたてる万華鏡のようなイメージは収斂し、関連しあい、一つの星座を形成するのである。(p.83)
「音楽は国境を越える」というイデオロギー
音楽には語学と同じように学習が必要な面があるーこれが意味するところはつまり、「音楽にも国境はある」ということに他ならない。(p.112)
もう少しうがった言い方をするなら、音楽は自国中心文化のグローバル化を図るための、格好の手段出会ったとも考えられよう。…国民音楽は民族を結集させるアイデンティティーの核であると同時に、その民族文化を国境を越えて普遍化する役割を与えられていた。それに最も成功したのはドイツであったわけだが、自国の音楽を世界基準として流通させる際の標語が、「音楽は言葉ではない/国境を越えている」だった可能性は、それが潜在意識的なものであったとしても、かなり高いはずだ。本当はその文化に精通しなければ理解のかなわぬ「言語」であるかも知れない音楽を、自国の中心性は隠したまま、「国境を越えている」と言い立てて世界に広めるわけである。(p.115)
「単純かつややおおまかではあるが、私は「一八〇〇年以前の音楽は話し、それ以後の音楽は描く」と言いたい。前者は、語られるものすべてと同様に<理解>されねばならない。理解が前提なのである。後者は気分によって働きかける。気分は理解する必要はなく、感じるべきものなのである」アーノンクール(p.116)
万人に理解出来る音楽を流通させるための政治制度が音楽院である(p.117)、なるほど〜
(ストラヴィンスキーとシェーンベルクの二人には)正確な再現への尋常ではない情熱が共通していたわけだが、その裏にはもしかすると実存の不安のようなものが潜んでいたのかもしれない。それは「音楽の意味合い」とでも形容すべきものに対する、ニヒリズム的な不信感である。自分の意図が自ずとあうんの呼吸で通じると信じることの出来る特定の共同体が存在している限り、ある程度までのことは演奏家に任せておけばいい…こうした共同体の前提が崩れていると感じていたからこそ、「絶対の再現」にあれだけ固執したのではなかったか(p.146)
岡田先生が考える音楽解釈の基本図式は…
あくまで事実に基づき、かつ共同体規範を参照しつつ、その中に対象をしかるべく位置づけ、しかしそこから「私にとっての/私だけの」意味を取り出し、そして他社の判断と共鳴を仰ぐ。(p.164)
「こういうものを育てた文化=人々とは一体どのようなものなのだろう?」と謙虚に問う聴き方があってもいい。歴史と文化の遠近法の中で音楽を聴くとは、未知なる他者を知ろうとする営みである。(p.173)
ハンス・アイスラー「小さなラジオに」突如中断されうるメロディ(p.187)
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クラシック音楽の聴き方に関する話だが、他の音楽や芸術についてもあてはまることが多い。芸術を愛するあまり、自分の好きなものとタイプが違うものや、それを好きな人と対立のような言論が生まれてしまうこともある。それはどちらがすぐれている、というよりも、自分にそれを聴く(見る、楽しむ)ための下地があるかどうかの違いであるのだと考えれば、無用な争いは起こらない。ぜひ多くの人に読まれてほしい。
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音楽学者の岡田暁生氏が音楽の嗜み方についてまとめたもの。なお、本書で取り扱う音楽は主にクラシック音楽と呼ばれるものに限定されています。本書の中では「聴くこと」は「語ること」であり、「語る」ためには、当然ですが多くの言葉を自分の中にストックしておく必要があるとしています。これは音楽に限らず、いろいろなモノに応用できる考えだと思います。参考文献も多く紹介されており、本書を出発点として、色々な言葉を蓄積していくのも面白いかと。その際には実際に演奏してみる事も忘れずに。
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サプリメントのような音楽の消費のあり方を批判し、音楽の感動は言葉を超えるという信仰がどのような歴史的経緯で作られてきたのかということを検討した上で、あるべき音楽の聴き方とは何かを論じている本です。
とくにクラシック音楽については、鑑賞するためにも歴史や文法、意味を踏まえる必要があるという言い方がよくなされますが、著者はそれらの重要性を押さえながらも、アマチュアとしての聴衆の復権を主張し、「自分自身はひどい謡しか出来ないにもかかわらず、師匠の舞台のちょっとした不調もすぐに見抜く旦那衆こそ、理想の聴衆ではないか」と述べています。
音楽に関する受容理論について考えるためのヒントが多く散りばめられているような気がして、興味深く読みました。
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久しぶりに、東京に行きました。不況なのでしょうか。地下鉄の広告スペースが埋まっていません。商売している人は大変でしょうね。八重洲ブックセンターで購入する。非常に興味深い本でした。音楽は評論可能なのか。究極は好き嫌いではないのか。著者も同様の指摘をしています。と同時に、評論の可能性も指摘しています。オーケストラのリハーサルのビデオを見ると、そのヒントがあります。指揮者は自分のイメージを実現するために、具体的な指示を繰り返します。これは当然です。具体的な指示でなければ、オーケストラのメンバーはわかりません。指揮者は、言葉により、自らの意図を伝えています。つまり、その意図は言葉で表現できるはずです。その通りだと思います。ただし、言葉に出来ない部分も残ると指摘している。その通りだと思います。
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『西洋音楽史』ほど読みやすくはないがクラシック音楽を「聴く」「語る」ことについて、様々なエピソードを交えて解説している。
例えば指揮者の語る「わざ言語」。
フリッチャイが「モルダウ」(狩りの音楽)の指揮をするとき「ここではもっと喜びを爆発させて、ただし狩人ではなく猟犬の歓喜を」と指示をしているが、これはスメタナの音楽が猟犬の歓びを表現している、という意味ではない。4本のホルンがひとかたまりになって溶け合うことなく、それぞれが独立して四方から呼びかわし、こだまするような効果を表す。すなわち「猟犬」という言葉が音楽構造の比喩として機能している。
アイデアをセミコロン(;)で繋いだモーツアルトと「しかし」と「故に」を駆使するベートーヴェン、など著者の比喩も上手い。
村上春樹の音楽評の素晴らしさも解説。
最後のまとめが役に立つ。
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音楽の聴き方、というタイトルではあるが、音楽以外のものに対する批評の心構えとしても読める。
筆者は他の芸術との違いを、音楽が音の振動であり、その場でしかとらえられないところとしている。音楽はある種社会の共同体のルールがあり、場が作り出すものである。それは一種の言語であり、無条件で「音楽は国境を越える」ということはあり得ないと主張。越えるのは単なるサウンドであると。また、音楽は自らして、語るものであり、きく、する、語る、が分業制になってしまっているのは、本当の意味での音楽ではないとも。
全体の流れのなかでこういう文言が出てくるので、一部抜き取ると極端だが、要は音楽は語ってこそ面白いし、語るためには下手でもやった方がいいし、そうするときく態度も変わってくるよ、ってまとめかな。
内容的には、哲学書と考えても差し支えないくらい、示唆に富んだ内容でした。
また読みたい。
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すぐれた音楽批評作品に贈られる第19回吉田秀和賞を受賞した、岡田暁
生著「音楽の聴き方 聴く型と趣味を語る言葉」(中公新書 2009)を読ん
で、思わず、う~んと唸ってしまった。待望していた、なるほど書物である。
私が日頃から考えている事・思っている事に形と言葉を与えてくれる、こう
いう書物は、いくらでも読み続けていくことができる麻薬的な味わいをもって
いて、甘美さも兼ね備えたお気に入りの銘酒みたいなものか。
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音楽をより楽しむ方法論として手に取った
アドバイスだけであれば、あとがきの「聴き上手へのマニュアル」で十分
それでも文献や哲学、時代背景からの音楽の聴かれ方、語られ方を読んだほうが、「文脈の中で解釈する」「文脈など関係なしに感動する名作もある」ということが分かる
より深く音楽を楽しみたい方法を知りたい方に向く
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普段僕たちは、テレビや、ラジオや、喫茶店や、いろいろなところで音楽に触れている。しかしそうした音楽の目的は、その音楽について考えたり、語ったりすることではない。ただ音楽によって得られる感情を提供することが目的になっている。そこでの音楽は、ある種のサプリメントとしての役割しかない。
しかし筆者は、そのような受動的な聞き方だけでは不十分であり、音楽を言葉にする、という能動的な聞き方が必要であるという。
たしかに音楽を言葉で説明し尽くすのは不可能かもしれない。しかし、音楽を言葉にしようという努力を放棄してしまっては、単なる動物と同じになってしまう。
人として音楽をより深く理解し、より深い喜びを得るためには、たとえ不可能であろうとも、音楽について語り続けることが不可欠なのだ。
このような、筆者の音楽にかける熱い思いにあふれた一冊である。
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最近、クラシックに目覚めた。少しお勉強の気持ちもあって読み始めた。
理解できるところできないところありはしたが、自覚的に音楽を行くことの大切さはあるのだろう。一時ジャズにハマった時があったが、クラシックの方がもう少し幅広く楽しめそうな気がする。
物語を理解するように音楽を理解することができればもっと楽しめるのかな。
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冒頭で記載しているように、音楽は一人で楽しむ部分もあるが、語り合うことの喜びということがある。たんに「よかった」などというだけではなく、自分なりの感性でこんな感想を持ったということを、言葉にすることが大切であるとしている。
たしかに、「よかった」という言葉くらいしか出てこないのが通常で、一方でうがったディテールを言っても言葉が上滑りしてしまい、とても共感にはいたらないのが音楽体験の共有化の難しいところだと思う。
この本では、一番大切なのは自分の感性ということを言っている。例えばコンサートを聴きに行っても、「感想は?」と聞かれて言葉が出ないときのほうが多いような気がするけれど。巻末のマニュアルを参考にもう一度考えてみたい。
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基本的にクラシックから文になっており、
歴史の振り返る部分や要所要所で読むのがつらい部分があった。
また大枠で理解したという感じで、細かい共感できる部分は少ない。
・好き嫌いは人それぞれどころか、自分ですら時によって違う
・有名無名、評論をあてにしすぎない
・音楽はみなければわからない
・音楽を読む、語れるように楽しみも深まる
・現代では音楽はすることではなくなってしまった
・それぞれが聴いてきた音楽によっても感覚は変わる
ロックギターをやるものとして上記は理解できた。
みないし、やらないけど好き嫌いを大袈裟に語るのはなんか虚しい。
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●:引用
『3時間でわかる「クラシック音楽」入門』で示された、今自分が実践している聴き方の対極の聴き方?久しぶりに読み応えのある(一読では理解できず、再読が必要な)新書だった。最近は興味のある分野を読んでいても、その内容が心に残る、血となり肉となるような、読書が出来ていない。読んでいるけれども、読んでいない。字面だけを追いかけ、ページを繰っているだけ。何のために読んでいるのか分からなくなる。最近はそんな体調、精神状態なのだろうか。
●ドイツのバイエルン地方を(略)地ビールを飲み歩いたことがある。(略)必ず亭主が「どうだ、うまいか?」と聞いてくる。(略)「おいしい!」と答えるのだが、いつもその次の質問で窮してしまう。(略)「どうおいしい?」と尋ねてくるのである。(略)「俺たち日本人はビールがどううまいか表現する語彙を持ってないんだよなあ・・・」(略)おそらく彼の地においては、ビールを「飲む」文化は「語る」文化とセットで涵養されてきたのだろう。味わいを語るいろいろな「土地の言葉」が、そこにはあるに違いない。だからこそ向こうの人たちは、いつものように、「どううまいか?」と尋ねてきたのだ。ただ食べたり飲んだりするだけなら、それは単なる生理的な営みに過ぎない。「語る言葉」が整えられていくことで初めて、食は食文化になる。それは音楽においても事情は同じだろう。非言語的な文化営為はすべからく、それについて語る言語文化と一緒に育まれる。
●しばしば音楽の体験に対して言葉は、魔法のような作用を及ぼす。言葉一つ知るだけで、それまで知らなかった聴き方をするようになる。微細な区別がつくようになる。想像力が広がる。そして「地元の人」たちは、「おいしい食べ方」ならぬ「おいしい語り方」を、いろいろ知っている。逆に輸入音楽の場合、私たちはそれをあまり知らないのである。
●音楽文化は「すること」と「語ること」とがセットになって育まれる。(略)どんなに突拍子のない表現であってもいい。お気に入りの言葉に、思い思いの言葉を貼り付けてみよう。音楽はただ粛々と聴き入るためだけでなく、自分だけの言葉を添えてみるためにこそ、そこにあるかもしれないのだ。理想的なのは、音楽の波長と共振することを可能にするような語彙、人々を共鳴の場へ引き込む誘いの語彙である。いずれにせよ、音楽に本当に魅了されたとき、私たちは何かを口にせずにはいられまい。
Posted by ブクログ
私自身、「音楽について言葉で説明することは不毛である」と言ってきた。けれど、語ること/語れるよう用意しておくことで、聴く体験自体が深まるという著者の主張に納得してしまった。
この本を読んでしまった後では、「語れない」ということはすなわち勉強不足/思考不足/語彙不足ということ。「音楽は言葉で説明できないよね」などと言おうものなら、足は足りぬが馬脚を表すといったところだ。
語れるようになるには、それ相応に意識した多面的な聴き方、周辺の音楽との文脈を読み解くだけの知識などが必要になる。そして、それを身につけることは、きっと今よりもっと音楽を楽しむということなのだと思う。
Posted by ブクログ
・音楽は「場」「空気」「自分」に左右されるから,有名な人の演奏がピンとこなくても気にすんな.
・それを踏まえていかに聞き上手になるか
背景を知れ
生で聞け(しかもなるべく定期的に)
自分の癖を知れ
自分でも楽器やってみろ
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『(前略) そして私自身が音楽を聴くときの目安にしているのは何かといえば、それは最終的にただ一つ、「音楽を細切れにすることへのためらいの気持ちが働くか否か」ということである。細切れとはつまり、演奏会の途中で席を外したり、CDなら勝手に中断したりすることだ。何かしら立ち去りがたいような感覚と言えばいいだろうか。音楽という不可逆にして不可分の一つの時間を、音楽とともに最後まで共体験しようという気持ちになれるかどうか。自分にとってそれが意味/意義のある音楽体験であったかどうかを測るサインは、最終的にこれ以外ないと思うのである。』
――p.29より引用