牛島信明のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
1155円
379p
スペイン長編文学の『ドン・キホーテ』本当面白い。第33章の「軽率な好奇心の男」に出てくるカミーラが好き。完全に善良で受け身な女性より、欲望やずるさを持つ女性に魅力を感じる。愛と裏切り、被害者性と加害者性が同居する人物像が面白いと思う。
「幸いわたしはまだ若いから、命さえあれば、まだまだやり直しはきくというものです。ですが騎士の旦那、あなたがこの哀れな連中を助ける施し物をお持ちだというなら、それはありがたいことで、神様はきっと天国でその善意にお報いになるでしょうし、わたしらはこの世であなたのために心してお祈りしますよ。あなたが、その立派な外見に似つかわしいほどの健やかな長寿と息災を享受しなさるように、とね。」」
—『ドン・キホーテ 前篇二 (岩波文庫)』セルバンテス, 牛島 信明著
「ところが、そうした配慮にもかかわらず、ある日の明け方、邸を出る男の姿がロターリオの目にとまることになった。男に見覚えのなかったロターリオは、とっさに幽霊ではないかと思った。しかし、男がマントの襟を立てて注意深く顔を隠しながら、足早に立ち去るのを見ると、幽霊だなどという他愛ない考えは消えうせ、新たな考えにとらわれたが、それは、もしカミーラが巧みにとりつくろわなかったら一同の破滅を招きかねなかった考えであった。つまりロターリオは、そんなに朝早くアンセルモの家から出ていった男がレオネーラとの 瀬を楽しんできたものとは思いもよらなかったばかりか、この世にレオネーラという女性が存在することすら失念していたので、ただただカミーラが、自分に対して軽々しく身をゆだねたように、誰かほかの男にもそうしたに違いないと思いこんでしまったのである。それも道理であって、世の女の不貞というものは決してそれだけですむものではなく、不貞をはたらいた女は、口説かれ泣きつかれたあげく身をまかせた男にさえ、貞操感のない、ほかの男にならもっと簡単に身をまかせる女という烙印を押され、彼女にまつわるいかなる疑念もたしかなこととして信じこまれてしまうのである。それにしても、この時のロターリオは持前の分別をすっかりなくし、いつもの明晰な論理を欠いていたとしか思われなかった。彼は明晰どころか、まともな論理ひとつめぐらすことなく、またアンセルモが起きるのを待とうという配慮もなく、ただただ嫉妬に目がくらみ、瞋恚の炎に胸を焼かれて、別に彼を侮辱するようなことを何ひとつしたわけではないカミーラに復讐したい一心で、アンセルモのところにとんでいき、こう言ったのである 」
—『ドン・キホーテ 前篇二 (岩波文庫)』セルバンテス, 牛島 信明著
スペイン長編文学の『ドン・キホーテ』本当面白い。第33章の「軽率な好奇心の男」に出てくるカミーラが好き。完全に善良で受け身な女性より、欲望やずるさを持つ女性に魅力を感じる。愛と裏切り、被害者性と加害者性が同居する人物像が面白いと思う。
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Posted by ブクログ
1210円
447p
「だって、いかに細心の注意を払い、いかに力量を発揮しようと、原作がもつ本来の香気と風姿を伝えることはどうしても無理ですからね。」
—『ドン・キホーテ 前篇一 (岩波文庫)』セルバンテス, 牛島 信明著
「なぜかと言えば、いやしくも歴史家たる者、あくまでも精確を期し、真理を求めるべきであり、決して感情に左右されたり、なんらかの利害や恐れ、あるいは私怨や愛憎に影響されたりして真理の大道から足を踏みはずすようなことがあってはならないからである。あくまでも重要なのは真理であって、その母たる歴史は時間のライバル、出来事の保管所、過去の証人、現在の手本にして教訓、そして未来への警告なのである。」
—『ドン・キホーテ 前篇一 (岩波文庫)』セルバンテス, 牛島 信明著
「 「恋をしないなどということはありえない」と、ドン・キホーテが答えた。「いや、思い姫をもたない遍歴の騎士など存在するはずがないと言うべきであろう。なんとなれば、そうした騎士たちが恋をしていることは、ちょうど空に星があるのと同じように、当然でもあれば似つかわしくもあるからで、まったくの話、恋をしていない遍歴の騎士が登場するような物語などあったためしがござらぬ。そして、もし恋をしていないような場合には、それは嫡出にして正統なる騎士とはみなされず、庶出のあやしげな騎士ということになりましょう。すなわち、遍歴の騎士道という城砦に堂々と大手門から入ったのではなく、まるで盗っ人か追いはぎのように塀を乗りこえて侵入した徒輩とみなされますのじゃ。」」
—『ドン・キホーテ 前篇一 (岩波文庫)』セルバンテス, 牛島 信明著
「わたしは神様に授けられた生来の分別により、美しいものは何でも人の愛情を誘うということを承知しています。しかし、美しきがゆえに愛されている者が、愛されているがゆえに、自分を愛している相手を愛さねばならないという理屈には、どうにも合点がいきません。おまけに、美しきものを愛するのが醜い人間ということだって大いにありうることでしょう。そして醜きものは一般に嫌悪に値するわけですから、例えば「僕は君が美人だから君を愛す。僕は醜い男だが、君も僕を愛さなくてはいけないよ」などという言い方は、とてもおかしいと思います。また、たとえ双方が美しさにおいて対等であったにしても、それだからといって互いに同じような好意が芽生えるとは限りません。というのも、美しいものがすべて愛をかきたてるわけではなく、中には単に目を喜ばせるだけで心をとらえないといったものもあるからです。それに、もしすべての美人が人の愛欲をかきたて、心まで奪ってしまうとしたら、この世の人びとの気持はいったいどの美人に行きつくべきか分からず、混乱してさまよい歩くことになりましょう。この世に美人は数限りなくいるわけですから、それを追い求める心も無限ということになるからです。それにまた、これまでわたしが聞き及んだところでは、真の愛というのは幾人かの人に分割できるようなものではなく、しかも当人の自由な意思によるものであって決して無理強いされるものではないということです。わたしもまったくそのとおりだと思いますが、もしそうなら、どうして皆さんは、わたしが皆さんに愛されているというただそれだけの理由で、わたしの気持を無理無体になびかせようとなさるのですか?」
—『ドン・キホーテ 前篇一 (岩波文庫)』セルバンテス, 牛島 信明著
「ところで、どうでしょう、もし神がわたしを美人にお造りになるかわりに、醜女になさっていたとして、その場合、皆さんがわたしのことを愛してくれないからといって、わたしが愚痴をこぼすとしたら、それはまっとうなことでしょうか? さらに言えば、今のわたしにそなわっているこの美しさは、別にわたしが選んだものではないんです。つまり、わたしが望んだわけでもお願いしたわけでもないのに、神様が無償でこのような美しさをお与えくださったのだ、ということを御理解ください。毒蛇が毒をもっているからといって、なるほどそれで人を殺しはするものの、その毒が自然によって授けられたものであってみれば、とがめられるいわれはないのと同様、わたしも美しいからといって非難されることはないはずです。慎み深い女性の美しさというのは、言わば、遠くの炎、あるいは鋭利な剣のようなもので、それに近づきさえしなければ、火傷をすることも怪我をすることもないのです。貞操と美徳は魂を飾るものであり、この二つをそなえていない肉体は、たとえ美しくても、まともな人間の目には美しく映らないでしょう。すなわち、慎み深さこそ肉体と魂を最も美しく飾る要素の一つなのですが、そうだとしたら、美しいがゆえに男に好かれている女がどうしておのれの慎みを棄てなければならないのですか、それもただ自分の快楽のために力と知略の限りをつくして、わたしに慎みを棄てさせようと努めている男の意を迎えるために?」
—『ドン・キホーテ 前篇一 (岩波文庫)』セルバンテス, 牛島 信明著
「わたしは自由な人間として生まれてきました。そして、自由に生きるために人気のない山野を選んだのです。このあたりの山の木々がわたしの友だちで、渓流の澄んだ水がわたしの鏡です。わたしは樹木や小川に向かって思うことを話し、自分の美しさをさらけだします。わたしは遠くで燃える火であり、彼方に置かれた剣なのです。わたしの姿を見て恋心をつのらせた殿方たちの迷いを、わたしは言葉でもって覚ますように努めてまいりました。恋の成就に対する願いというものが希望によって支えられるとするなら、わたしはこれまでグリソストモにも他の人にも、つまりわたしを恋慕した殿方の誰にも希望を抱かせたことなどありませんから、あの人を殺したのはわたしのつれなさでは決してなく、むしろあの人自身の理不尽な執拗さであったと言うほうがよほど理にかなっていましょう。あの人のわたしに対する想いはきわめて誠実なものだった、だからわたしはそれに応える義務があったのだという非難には、わたしはこう反論することができます。つまり、いま墓穴が掘られているこの場所であの人がわたしに善意に満ちた気持を打ち明けてくれたとき、わたしはあの人に、自分の願いはいつまでも孤独のなかで過すことであり、わたしのそうした 世の果実とわたしの美しさをわがものとして享受できるのは、ただ大地だけであるとはっきり言い、御期待にはそえないことを伝えたのです。ですからわたしの拒絶にもかかわらず、あの人が望みのない執念を燃やしつづけ、風にさからって無謀な航海を続けたあげく、みずからの狂恋の海原のただ中で 死したところで何の不思議がありましょう。もしわたしがあの人をその気にさせるようなことをしたなら、それこそわたしは自分の心を欺いたことになりましょうし、また、あの人を喜ばせていたとしたなら、わたしは自分の良心や主義主張に背いたことになりましょう。でも、あの人ははっきり断わられたのに諦めようとせず、別に嫌われたわけでもないのに絶望してしまったのです。」
—『ドン・キホーテ 前篇一 (岩波文庫)』セルバンテス, 牛島 信明著
「白装束の男たちはいずれも小心な、武器を持たない人たちだったので、刃向かうどころか、即座に逃げ出し、手に手に松明をかざしたまま野原に散っていったが、その光景ときたら、なにか喜びに満ちた祝祭の夜の仮装パーティででもあるかのようだった。一方、喪服に身を包んだ者たちは、踵まで届くような長い衣のため、裾が足にからんで思うように動きがとれなかったので、この時ばかりはおのれの身になんら危険を覚えることのなかったドン・キホーテによって存分に打ちのめされたあげく、憮然としてその場から立ち去った。それというのも、蹴ちらされた男たちはみなドン・キホーテのことを、あれは人間ではない、自分たちが輿で運んできた死体を奪わんとして、地獄から立ち現われた悪魔に違いないと思ったからである。」
—『ドン・キホーテ 前篇一 (岩波文庫)』セルバンテス, 牛島 信明著
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Posted by ブクログ
長編をここまで丁寧にダイジェストしてくださった訳者に感謝。
ずっと読んでみたかったけど長いし途中で飽きちゃいそうだなぁと思ってた古典に手を出せて嬉しい。
最初はドン・キホーテのいかれ具合にあきれつつ、終わる頃にはサンチョ・パンサや周囲の人間がドンキホーテを遍歴の旅へと戻るようすすめるように、読者までもが「なんで正気にかえっちゃったんだよ!!まだまだ君がずっと遍歴の旅をする姿を見せておくれ…」という気になってしまう。
なぜだか応援したくなる…不思議だ……
とくに後半から『ドン・キホーテ』の前編が出版されたことでドン・キホーテが有名になって皆が彼の妄想を現実にしてからかってやろうとしているのがよい。
前半はとにかくひとに戦いを挑んで迷惑をかけているようにしか見えなかったドン・キホーテが、彼があまりにも一直線に夢を追いかけるから次第に周りも彼の遊びに付き合って楽しそうにしている。
なんのかんのと彼の狂気が皆を楽しくさせたんだなぁ。
ドン・キホーテは徹頭徹尾まじめであり、遍歴の騎士としての妄想具合は本当におかしいのであるが、人への助言はいつも理性的で的確で、そもそも大学出の博識だし…理性と狂気が地続きな様子がよかった。
聖書を除いて歴代書物一位の発行部数らしい。
そんなに……?!?!
でも確かにドン・キホーテの不思議な魅力を思えば納得。
取り憑かれて狂気の沙汰と思えるほど好きなものを追いかける姿の無様さといとおしさに誰もが自分と重ね合わせてしまうのかもしれない…… -
Posted by ブクログ
ネタバレ『ドン・キホーテ』はシンプルに読み物として面白い本です。
その中でも最初の1冊目は特に面白い。
冒頭の序文はとっつきにくいが本文に入ってしまえばすこぶる読みやすいです。
思わずくすっとしてしまうようなユーモアあふれる文章が続いていきます。
とりあえず1冊目を読んでみてそれで続きが気になるなら2冊目以降へと進んでいく。
それくらいの気持ちでまずは十分なのではないでしょうか。
大ボリュームに威圧されて1冊も読まないというのは本当にもったいないです。
1冊目にこそドン・キホーテの面白さのエッセンスが凝縮されています。
おまけに世界的に有名な風車の冒険にもしっかりとお目にかかることができます。
これを味わうだけでも十分すぎる価値があるのではないかと私は思います。 -
Posted by ブクログ
ネタバレドン・キホーテについては、高校世界史の授業(かれこれ20年前)で知識として知った程度のまま、ここまで過ごしていた。
ただ近々、ドン・キホーテに関する舞台を観に行くので予習のつもりで読んだ。
この本は、上下巻あるドン・キホーテの物語を一冊にまとめたもので、訳者の方がドン・キホーテとサンチョ・パンサの物語として読んでもらうために二人の物語に関わりのない章は割愛するなどしてまとめたものだ(訳者あとがきより)。
挿絵ページもあり、全360ページほど。
登場人物の喋り方もとても個性的で、楽しく読めた。
読みながら、ずっと「これは何か私の知ってる何かに似ている」と思っていた。
それは「かいけつゾロリ」シリーズだった。
お供であるサンチョ・パンサの話し方は、ゾロリのお供であるイシシノシシと似ている(田舎っぺな話し方、髭づらであることも同じだ)。
ドン・キホーテは思い姫ドゥルシネーアの美しさのために冒険をしているが、ゾロリがお姫様とお城を手に入れるために冒険をしているというところも似ている。
別にパクリとか真似とかそういう次元の話をしたいのではなくて、つまり、このドン・キホーテには、子どもから大人までワクワクする要素が詰め込まれていて、そういうものの原点ともいえるのではないかと思ったのだ。
子供時代にゾロリの冒険を読んで笑っていた私は、大人になってドン・キホーテとサンチョパンサの冒険を読んで笑っていた。
世界史の教科書に出てくる本だから難しく考えてしまって読んでこなかったことをもったいなく思った。
サンチョパンサがドン・キホーテの狂気を知りながら、時にずる賢く、時に人情的に、ドン・キホーテの話を強く否定することなく話を合わせてあげているところに、私は妙に感動した。
おかしなことを言ってる人の話は、長々と聞いてあげることだけでも大変なことだ。こんなに話をあわせて、付き合ってあげて、一緒に怪我までして、なんて良い奴!と思った(もちろん、サンチョパンサにも打算はあるけど、彼の本質は善だと私は思った)。
人と接することの真髄を、サンチョパンサに見た気がした。
ドン・キホーテの最期は、正気に戻り、あれほと傾倒した騎士道物語を否定して亡くなる。
弱っていくドン・キホーテに、サンチョパンサは一緒にまた冒険に出ようと励ましすらする。
死ぬ前にドン・キホーテ(アロンソ・キハーナ)が遺した遺言があまりに立派で抜けのない内容であることから、彼が元来、とても立派で
、賢く、好人物であったと分かる。
読みはじめた時は「ドン・キホーテって、頭がおかしくなった人の話」という程度の認識だったのに、読み終わるときには、ドン・キホーテはたんなる狂人はない、愛すべき人であり、知的で思いやりのある紳士であることが分かって、彼の死、彼との別れが悲しくなった。
いつか、短縮版ではない本も読んでみたい。
いつになるかわからないけど、きっと読もう。 -
Posted by ブクログ
高潔で気高く勇敢な精神的美徳を兼ね備えた騎士ドン・キホーテ。
その美徳は通常、それ自体が絶対的価値のように思われるが、そういった内面的な美徳の価値いかんが、いかに外部に影響されるかを如実に物語っている爆笑ストーリー。
騎士道物語の読みすぎで
現実と空想の境目がなくなり
空想そのものが現実となったドン・キホーテにとっては
通りがかりの羊飼いは敵に見え「ハイヤー!」と立ち向かっていけば、通りがかりの棺を運ぶ神父さん達を不届き者として叩きつけて追い散らす、そうかと思えばコイツは頭が狂ってるよと思われて棍棒でボコボコに殴られ、元々4本しかなかった奥の歯は、しまいには2本しかなくなってしまう。
どれだけ美徳を兼ね備えた人物でも
現実をあるがままに見ずに
自分の見たいようにのみ見続けた男の極地。
それは、滑稽でしかなくなり、むしろはた迷惑な暴漢にも成り下がりかねない。
ということがわかる書物。 -
Posted by ブクログ
2017年15冊目。
読みすぎた騎士道物語に取り憑かれ、自らを騎士だと思い込み旅立ってしまった男。
すべての災難を「これは遍歴の騎士だからこそ起こる試練だ」とむしろ幸いと捉え、
自分の助けを待っている人がいるという勘違いから生まれる尋常じゃないタフさ。
盲信の利点。その姿は、滑稽でありながら勇ましく、どこか羨ましくもある。
勘違いも徹底すれば役に立つ。(やりすぎて被害を受けている人たちも大勢出てくるが)
基本的に気楽に笑いながら読めるコミカルさの中だからこそ、時々現れる至言が際立つ。
章ごとに短編のようにオチがきちんとある場合が多いから、毎日少しずつ読んでも十分楽しめる。
古典だからといって気構える必要が全然ない素晴らしい作品だと思う。