谷甲州のレビュー一覧
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いやあ、いいね、この世界観。大友克洋氏の『アキラ』に通ずるものがある。
谷氏のSF小説は初めて読んだが、実に躍動感があり、物語世界の構築がしっかりしている。山岳冒険小説よりもこちらの方が好みだ。
映像化するなら押尾学氏、マンガ化するなら、士郎政宗氏か先に挙げた大友克洋氏あたりだろう。
何よりも登場人物が非常に魅力的だ。
男から性転換したエリコを筆頭に、類い稀なる怪力を誇るエリコの幼馴染みでルームメイトの女、胡蝶蘭(カチョーラス)。20世紀から生きているという噂のある情報屋、源爺。姑との軋轢であえて老婆に変る手術を受けた30歳の“老婆”、咲夜姫。長髪で中性的な容貌を持ちながらも、強引な捜査で危険の香りを漂わせる刑事、愛甲ヨハネ(これはいささか少女マンガ趣味ともいえるが)。エリコのクローンでありながら、残虐な貌とかつての弱かった男性時代の性格を併せ持った慧人ことワイレン。倒錯性交ショーの司会者でありながら、エリコを支援しつつ、寺尾医師との愛に身を投じるミズ・ヤンことシャオチン。風体の上がらぬ風貌で、ぼやきを呟きながらも警察たちを出し抜く探偵、棚橋。
彼らに加え、動物の組織を埋め込む違法な手術を受けた改造人間(フリークス)が横行する。サイの角と怪力を移植された一角獣。犬の鼻と脳を移植された殺し屋、などなど。
そして舞台は大阪、上海、東京から月面研究都市クラヴィウスと移っていく。
谷氏の描く未来像は派手派手しくなく、淡々と描写するからすっと頭に入っていくように感じた。月面へ降り立つシーンからクラヴィウスの景観など、よくある作者独自の逞しい想像力で構築した未来テクノロジー理論を熱く語り、どうだ、すごいだろうといわんばかりに読者をその世界観に引き入れようといった肩肘張った印象がなく、そこにあるかの如く語る筆致には好感が持てた。
これは数多存在する少し先の未来を描いた映像が横行しているおかげなのか、それとももはやここに書かれていることが絵空事でなく、そう遠くない未来であるように認識できているからかもしれないが。
(下巻の感想に続く) -
Posted by ブクログ
登山家でもある作者が、登山の時にどうしても感じてしまう神々の存在について著したかったと思われるのが本書。
人の生死を左右する極限状態の中、昨日まで、いやつい10分前まで冗談を云い合っていた仲間がクレパスに落ち、ザイルが切れて落下し、物云わぬ屍と化す。
かと思えば、絶対助からないだろうと思われる強烈な雪崩の中に巻き込まれながらも、九死に一生を得て生還するようなこの世界、明らかに神の配剤なるものを感じずにいられないのだろう。ミグマというラマの修行僧を通してまずは曼荼羅に記されたこの世の真理を説き、生死の境で相見える山に住まう神々の存在を知った者たちを通して登山と神との関わりを幻想文学の形で描く。
読中、頭をしきりに過ぎったのは坂東眞砂子氏の『山妣』だ。『山妣』で語られる山神の厳しさは山に敬意を払わない者には鉄槌を下すが、山と共存する者には糧を供給し、異形の者でさえ受け入れる懐の深さが感じられたものだが、谷氏が本作で描く山ヤシュティ・ヒマールは、異世界への通廊を守るために何人(なんぴと)たりとも受け入れない冷徹さがあり、登頂を目指すミグマをあらゆる手法で追い詰める。
もちろん『山妣』とこの作品では日本の山とヒマラヤの山という高さ、急峻さ、自然状況の過酷さの違いはあるだろうが、同じ雪山を舞台にして、これほどまでに違いがあるのかという思いがあった。
しかし、その違いも確かに解る。前者はその雪山を生活の場にしている者達の物語であるのに対し、後者は雪山を登山の対象にしている、つまりそこに住まう期間が非常に短いのだという所にある。登頂という目的―本作では単純に登頂のみを目的とはしていないが―を達成するために山の気候、形状はその目的を阻害する敵以外何物でもなく、打ち克つべき存在であるのに対し、生活の空間としている者にとってはその過酷さまでも運命として受け入れ、共存していかなければならない存在であるからだ。
しかし、やはり両者に共通するのは、山には神がいるという感覚だ。前にも書いたが、それぞれ人間の死を左右するのに神の悪戯としか思えない不思議な偶然を感じ、またそれを否定しない。根底に流れるのは同じなのである。
本作は同じヒマラヤの登山を舞台にした『遥かなり神々の座』とはガラリと違い、チベットの修行僧を主人公にしたヒマラヤの登山を通して世界の真理を知るという物語であり、主人公ミグマは幽体離脱と、前世回帰を繰り返し、魂の旅路を繰り返す。彼の前世であるナムギャルが果たせなかった世界の中心を司るメール山(須弥山)の登頂を目指し、そこにあるという世界の真理を知る扉を目指すのだ。
その目的を果たすため、ミグマは曼荼羅の謎を解き、更には転生を繰り返す自らの魂の原初となる詩人ミクラパまで魂を遡る。
もはや物語において時間や空間といった概念は無意味である。更にミグマは登山家としての経験を物質世界でも積む。
何ともまあ、壮大な物語だ。
物語は更に思弁哲学の様相が濃くなりやがて相対性理論に行き着く。それも西洋数学の知識に基づくのではなく、仏教的世界観を以って、そこにアプローチしていくのが面白い。
そしてミグマが垣間見る異世界への通廊には、世界を統べる法則が全く異なった世界だ。それは私達の世界で理論として確立している万有引力の法則や量子力学なる物がそれぞれの宇宙では全く異なった理論で形成されていると述べているのだ。
これは作者の意見なのか、どこかの学者が述べた理論なのか、寡聞にして知らないが、この箇所を読むに当たり、我々の論理では宇宙の謎は解けないのではないかという思いを強くした。この考えに同調する自分がある。
我々人間の描く尺度を全く越えたところに宇宙は存在し、かつ機能している。
作中、山の神としてミグマが乗越えるべき存在として立ちはだかる大いなる存在ヤクティは、それ相応の知識・経験を備えていない者に対して非常に排他的に振舞う。
これはこの非常に思弁性に富んだこの作品を書いた作者の、解る人だけに解ってもらえればいいという態度そのものなのかもしれない。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ「山男には惚れるなよ」という唄があるが、それを地で行く主人公滝沢育夫。定職に就かず、故郷の帰省に費やす交通費を惜しんでまで登山にのめり込む男。挙句の果てに6年待たせた恋人、君子にも愛想を尽かされ、その夜寝る場所にも困るような男だ。
もはや身体も心も快適な日本よりも過酷なネパールやインド、チベットに馴染むようになっている。登山家(クライマー)として一流の登山技術と抜群の高所順応能力を持ちながら、7回の遠征において一度も登頂者(サミッター)になれず、遠征のたびに仲間が死んでいく事から山仲間の間では「死神」という仇名を付けられる。
この人物造形は本書の扉裏に付けられた著者近影にそのままイメージが重なった。著者の谷氏自身、クライマーであるのだが、滝沢=著者という短絡的な想像はやめておいた方がいいだろう。恐らく著者の数ある登山仲間をそれぞれ寄せ集めて作られた人物に違いない。
この滝沢という男が物語で一介のクライマーから殺しを厭わない兵士へと変貌を遂げていく。元々クライマーとしての能力が高く、辺境で生き延びる術を知っている彼。そして今までの登山で他人の死に直面してきた経験から、瞬き一つせずに殺しを行えるという設定は納得がいく。無論、それがそのまま殺しの才能に結びつくわけでないのは作者も承知の上で、その辺の説明にはぬかりは無い。
そして、この滝沢を巡る2人の女性、君子と摩耶。この2人を物語に導入したことに作者の技量を感じる。
外国への登山遠征を重ねる滝沢に愛想を尽かしながらも、ほっといては置けない母性本能を感じる君子と、ネパールでも現地に溶け込んで暮らしていける女の強さを備えた摩耶。男からの独立を望みながらも依存してしまう女と、男に自分に似た匂いを感じ、パートナーとして対等に扱う女。
冒頭に現れるこの2人の女性が物語の終盤に意外な形で滝沢と再会するのだが、それぞれの結末の付け方も憎らしい。
そして忘れてならないのはニマという男。当初滝沢のチームにコックとして同行していた初老の男はしかし、サバイバル経験豊富なゲリラの一員であり、滝沢に兵士としての訓練と生き延びる術を教授するこの男。物語の終盤で意外な正体が明かされるのだが、これはむしろ蛇足だと思った。ニマがある事実を知ったところで何も起きないことは解っていたからだ。
上に述べた女性の扱い方、そしてこのニマの扱い方から察するに、この作者は人間の間で起こる愛だの情だのといった感情が織成す化学反応に対して、非常にストイックなのだと思う。
そこにハッピーエンドだの、哀しい結末だのを持ち込むわけでなく、二人が出会い、そしてまたすれ違うといった具合に敢えて結論を避けているかのようだ。
それはやはり登山の中で人の生死を左右する局面にこの作者自体が何度も直面しているからだと思う。昨日までふざけあって笑いあっていた仲間が、翌日はクレパスに墜ちて還らぬ人となったり、凍死して動かぬ肉塊となっていたりといった諸行無常観があるのではないか。
だからこの作者自身、決して他人に対してのめり込むことが無く、人間関係に対して結論を求めぬ距離感を保っているのだろうと思う。
しかし、1人だけしびれるくらいカッコイイ男が居た。それは名も無い君子の結婚相手である。彼の置手紙にはグッと来ました。ベスト・サブキャラクター賞をあげたい。
唯一この作品で結論を求めているのは、登頂者(サミッター)になれるのか否かという事ではないだろうか。人との触れ合いにではなく、登山その物に結論を求めているのはやはりこの作者が登山家でもあるからだろう。
今回不幸だったのは、私がこれを海外生活を送っている当時に読んでしまった事。
作中に描かれる日本では考えられない異国での珍騒動-笑顔とたどたどしい日本語で近寄る現地人、空港を降りた途端に群がるタクシーの運転手たち、相場以上の運賃を求めるタクシー、etc-は、全く驚きがない。むしろここでは当たり前の事でしかなく、そこに面白みを感じる事が無かった。
ネパールの街中の描写、登山仲間達の現地での過ごし方など、興味を感じる部分もあったが、ふと自分の暮らしている境遇を見て、あまり変わらないなぁと苦笑した次第だ。
さて物語は、ネパールのゲリラの中国軍への隠密攻撃から、林が中国軍と仕組んだネパールゲリラの掃討作戦、中国軍の越境攻撃―ネパールゲリラに中国の不法越境をさせることで中国側のネパール行軍の大義名分を得るのが林の狙いだった―へと畳み掛けるように動く。
実はこの作戦が中国とネパールとが仕組んだゲリラ掃討作戦だったという事実。それから更に反転して、ネパール側が仕組んだ中国進攻を名目としたソ連、アメリカからの援助資金獲得作戦と二転三転事実が裏返る。
ちょっとくどいぐらいだ。
冒険小説だから、もっとどんでん返しは少なくていいし、最後にでっかい物を1つ、用意してくれれば満足だったのだが。 -
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ネタバレ日本列島が沈没してから25年。
各地に移植した日本人は普通にやっていても「ゆっくり・適当・のんびり」の他国人よりもできてしまい、アイデアもあることからかつてのユダヤ人のように現地人とトラブルに。
他国に拠点を置く日本政府は、ある程度安定してきたかつての日本の領土が沈む海上にフロート式の人工島を計画。
しかし、竹島には韓国に代わって中国が暗躍していた。
韓国と中国は昔から国際法を無視するので、ある意味案の定ってことみたい。
昔から中国と朝鮮は変わらないのね。
旧ソ連であるロシアも同じ。
しかし、日本には各地に原発があったわけで、日本が沈没した1970年代にはどれも稼働していただろうし、汚染はどうなっているんだろう?
その点はよくわからない。
とりあえず昔の登場人物たちも出てくるようだから、下巻に進んでみよう。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ劈頭から、懐かしのタイタン航空隊を即思い出させてくれるザナドゥ高地。
その後も、ヴァルキリーだったりサラマンダー、サルベージ業者、仮想人格などと
旧作の読者に向けた航空宇宙軍史世界巡りが続く
続編を待ち望んでいた読者たちへ、作者からの祝儀のようなものだろうか
しかしどこか不自然な気もする
偽物の世界を見せられているような胸騒ぎがする
叙述トリックを仕掛けられているような気がする
罠に嵌められ、実は死地に置かれてしまっていることに気がついた登場人物たちの焦りに似たもの不気味さを感じる
特に後半、慌ただしく旧作キャラの縁者だと明かしながらも
だからといって何が起こるでもなく気がつくと死んでいる
ギルガメッシュ要塞
ほんとうに彼らは死んだのか?
それとも手品師のように肝心なところを隠して読むものを欺いているのか?
表向きこの本は、旧作読者向けのサービス濃厚な連作短編で
旧作読者へのメッセージを無視して読めば全体として一つの
ストーリーを書いているようで、
実は全く別の伏線としてこれ自体が存在しているんじゃないのか?
ネットで書評を読んでいて思い出したけど、この本には
星の墓標のような無慈悲さが全然ない
その辺りが、航空宇宙軍史らしからぬ感じを与えているのかもしれない