山本義隆のレビュー一覧
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日本の科学技術にフォーカスして書かれているため、いままでの歴史本になかった新鮮さを感じた。戦時中に出てくるのは大抵中心が政治家とか軍人なのだけれども、そこに科学者が入ってくる。科学者や科学という学問がどういう位置づけで推移していくかというのも興味深かった。
とりわけ被爆国としての原子力の研究については、被爆国だからこその非戦用途としての原爆研究がなされるべきだという主張に、そういう科学者もいたのかと驚いた。
2018年の本なので、やはりちょっと古く感じる。ただ、こういうアプローチの本はあまりないので貴重だと思う。軍事産業に関しては、今の状況で書かれるとまた新たな情報が大量に追加されるのではないかな…と感じた。
COTEN RADIOの科学技術のシリーズを聴き直そう。 -
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いやぁ〜なかなか難しかったです。
文庫なので軽く読み物として読めるかな?と思ってたら、かなりがっつり数式が出てきます。自ら手を動かさずに理解し切るのは難しいかと。
そういう意味では、この本を参考にして、原典だったり、自ら計算してみるのがいいのかもしれません。山本さんご本人も、その必要性について述べられています。
物理学史のネタとしては、マイケルソンモーレーの実験が、「エーテルの存在を確認するため」ではなく「エーテルに対する地球の運動を測るため」であった、という見解が面白かったです。
あともう一つ、ケプラー運動を速度空間(ホドグラフ)で表すと円になる、という対称性には驚かざるを得ませんでした。綺麗すぎる。美しいですね。 -
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以前に、山本義隆さんの『世界の見方の転換Ⅲ』、『磁力と重力の歴史』すべて、そして『古典力学の形成』を読んだことがあります。そのため、こちらの本を読んで、目新しい内容はそんなになかったと思います。
一方で書き記しておきたい感想が2つ。
まず一つ目に、あとがきで山本さんご本人がおっしゃっているように、まさにまず初めに手に取って欲しい物理学史の本である、と感じました。こんなにコンパクトに今までの内容がまとめられていて、正直驚嘆です。本当におすすめの一冊です。
そして二つ目に、山本さんのお気持ちが知れたことが何より嬉しいです。先ほどにも触れたあとがきの話もそうですが、なぜ物理学史を書こうと思ったのか、どんな問いを立てたのか、目標はなんだったのか、そういったことを知れてとても嬉しかったです。
「物理学者にとって面白く、科学史家の批判に耐えうる本を」という目標には圧倒されました。さすが山本さんです笑 -
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なるほど。山本義隆は、東大物理を卒業し、東大大学院で素粒子論を専攻していたのだね。東大全共闘議長で鳴らした人だった。その後予備校の講師をしていた。1941年生まれというから、80歳を超えているのか。この本は、2011年8月に出されている。山本義隆が70歳の時だ。
なぜ福島原発事故が起きたのか?そして、原子力発電とはどんなものか?を、①日本における原発開発の深層底流。戦後政治史。②原子力発電技術の未熟さと隘路、そして稼働の実態と原発事故。技術論。③科学史から見た原発という構成で書かれている。原爆開発と原子力発電開発は、双子のようなものだと読みきって説明している。
私は、原子力の平和利用は可能なのか?原発にどう向き合うのか?フクシマのメルトダウンから何を学ぶのか?を考えている。あまり、そのことをこれまで考えていなかった空白地帯で、とにかく手当たり次第に読んでいるのだが、まさかここで山本義隆が。という感じだった。
著者は、単なる技術的な欠陥や組織的な不備に起因しているので、そのレベルでの手直しで解決可能であると考えるべきではないと言い切る。そもそも、原子力の平和利用、そのものが幻想なのだという。原子力の平和利用は、1953年アイゼンハワー大統領が国連会議で「アトムズ・フォア・ピース」と訴えたこともある。原子力の平和利用は、アメリカの原爆を作るマンハッタン計画の延長に過ぎないと著者は指摘する。
日本において、地震列島にかかわらず、原発が54基もできた始まりは、1954年中曽根康弘をはじめとする政治家たちが、原子力予算(2億3500万円であり、それはウラン235に因む)が成立した。を提出し、1955年に原子力基本法を成立させた。1958年に原子力発電にアクセルを踏んだのが岸信介だった。岸信介は、「原子力技術はそれ自体平和利用も兵器としての利用も共に可能である。どちらに用いるかは、政策であり国家意志の問題である」と言って、原子力発電を国策とした。さらに「日本は核兵器を持たないが、(核兵器保有の)潜在的可能性を高めることによって、国際の場における発言力を高めることができる」(岸信介回顧録)さらに、1958年5月には、外務省記者クラブで「現憲法下でも自衛のための核兵器保有は許される」と述べ、1959年の衆議院予算委員会で、「防衛用小型核兵器は合憲」と主張している。ふーむ。岸信介の憲法改正は、自衛隊を合憲として、核兵器を保有することまで合憲とすることだったのだ。核兵器を持って、国として一人前という岸信介の認識だった。流石に、勝共連合を大歓迎したわけだ。2002年に福田康夫は「核兵器について、法理論的に言えば、専守防衛を守るならば持ってはいけないという理屈にはならない」と岸信介の文脈を受け継いでいる。
著者は、そういう状況で考えれば、科学者の原子力の平和利用は、楽天的で無批判的だという。原子力の平和利用に尽力したのが、学術会議の原子力問題委員会(のちの原子力委員会)であった。茅誠司や伏見康治だった。トップクラスの物理学者が原子力平和利用幻想を持っていたのだ。
フクシマの沸騰水型炉(BWR)については、ジェネラルエレクトリック社の安全性を評価する技術者によって「冷却水が失われた時にその格納容器が圧力に耐えきれなくなる」という欠陥を見出して、運転停止を呼びかけたが、上部からその議論を封印して、その技術者たちは原発の安全性に責任を持てないと言って、会社を辞めざるを得なかった。そんな暗黒史もあったのだ。それが、設計上のミスでは済まされなかった。
また、高木仁三郎が原発は事故ばかり起こるのは、核エネルギーが膨大な力を発するので、パイプなどの亀裂などが起こりやすいと言っている。
過去に公害を引き起こした化学工学は、有毒物質を除去し、無毒化する技術は開発できる。しかし、原子力工学では、放射能を無害化する技術ができていない。放射能廃棄物を封じ込めるしかないが、それをするには、現状の技術では、数万年末か、莫大な費用がかかる。うーむ。この指摘は、なるほど。原子力発電は、多いところから2022年1月でアメリカ93基、フランス56基、中国51基、建設中19基、計画中24基、インド22基(世界で443基)となっている。世界のエネルギーは、未熟な技術で成り立っている。
原発がメルトダウンすれば、被害はとても大きく、廃炉する技術なども遅れている。原発とは何かを考える上で、本書は多くの素材を提供できる。核兵器を持つということさえ含んでいる憲法改正というのも、恐ろしい話だった。 -
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リニアは夢の技術だから、困難はあっても進めてほしい――と漠然と思っていたが、どうやら違うらしい。
世界最速の鉄道はこの国に必要だろうか?
地方を切り捨てて成り立つ6000万人のメガロポリスは必要だろうか?
コストよりも安全性よりも速度を追求するべきなのだろうか?
どの国も追い付こうと思わない「世界をリード」する技術を磨いてどうするのか?そこまでして世界に誇りたいのか?何を?
時代錯誤だ。昭和のままだ。「もう一度、昭和を」というおじさんたちの暴走。五輪しかり万博しかり。もうやめよう、その発想。
この国は、自らイノベーションを起こせなくなり、バージョンアップできなくなり、既得権益層に金を落とす巨大な官製需要喚起策=国策を推し進めている!そろそろ目を覚まそう。 -
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リニア中央新幹線の孕む多方面にわたる問題点を、諸々の文献に依拠しながら、明快にわかりやすく紹介する啓蒙の書。エネルギー効率的にも社会経済的にもまったく割に合わない「時代錯誤」の代物であることが示される。そして何故そのような時代錯誤がまかり通るのは、成長発展を本質的に前提とする資本主義がすでに行き詰まっているにも関わらず、それにしがみつくメンタリティがあるからだと指摘する。それにしても、本当に様々な面で負の遺産となりかねないリニア計画について、何故マスコミは大きく取り上げないのだろうか。今更止められないということか。今までこの問題にあまり関心がなかったため、日々のニュースを見る中でリニアについて漠然と思っていたことといえば、何だか静岡県知事がケチをつけて工事が遅れているらしいということだった。これではまずい。今からでもリニアの是非について国民的な議論が必要だと思う。
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リニア中央新幹線は要らない、と常々思っていたのですが、この本を読んで、その思いを強くしました。
この本によると、少なくとも次のような観点から、リニア中央新幹線は不要、といえそうです。
○工事のコスト
○工事による環境負荷
・トンネルを掘る際に出る残土の対応
・様々な水系への影響
・森林をはじめとする生態系への影響
○運用コスト
・ハイスピードにともなうエネルギー消費増
・超伝導状態を維持するためのコスト
○事故時の対応の難しさ
○人口減にともなう需要減
○WEB会議システムの充実による、移動の必要性減
書くのが面倒ですが、これ以外にも不要な理由があります。
それにしても、著者は、非常に丹念に、リニア中央新幹線が不要な理由を集めていると思います。
少なくとも、これらにすべて、明確な反論がなされない限り、リニア中央新幹線の実現に向けた動きは、すぐにでもすべてストップすべきだと思います。 -
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ネタバレ戦後の高度経済成長の核となるものが「戦時中」にある、というのが一番インパクトが大きかったかな。具体的には1942年の食糧管理制度、1938年の国民健康保険法。戦争するには合理的な編成が必要となり、貧富の格差は是正され平等化・一元化される。これが戦時動員体制であるが、実はこの体制と福祉国家体制は類似しているのだ。
士族を由来とする技術エリートは、江戸時代から続く「職人」とは別格におかれ、軍事技術の必要性から特権的立場を得るようになる。学徒出陣で文系の学生は戦地に送られたが、理系の学生の多くは出陣を免除されていた。敗戦直後、科学者の内部からその反省は語られず、「科学戦で敗北した」という戦争指導者による口実から、敗戦の受け入れをすり抜けているのである。
平時とは来るべき戦争の準備期間であり、敗戦により軍隊はなくなったものの、総力戦思想は継続し科学研究や技術開発を推し進めることになった。そしてその契機となったのが、朝鮮戦争やベトナム戦争による特需(沖縄への米軍基地の押しつけなど、またしてもアジア人を踏み台にしている)であり、総力戦体制を維持することになった。その最たるものが「原子力」である。
なぜ1億総中流時代となったのだろう?と思っていたが、実は「戦後」の性質ではなく「戦時中」 をどんどん膨らませていったものだったのだ。 -
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リニア中央新幹線構想を知ったのは昭和の時代で随分前のことになるが、超伝導というすごい技術を使うようだけれど、そんなに速くしてどうなのかなという程度の、あまりに素朴な考えしか持っていなかった。
また最近は、トンネル掘削による大井川水系への悪影響を巡って、JRと静岡県が揉めているニュースを耳にすることが多かった。
本書は、リニア中央新幹線に関する問題点を一つずつ暴いていく。
巷間言われているのとは異なり、相当な電力を必要とし、原子力発電からの供給が想定されていること。超伝導マグネットの冷却材として液体ヘリウムが使われるが、ヘリウムは希少資源で日本は100%輸入に頼っていること。事故が発生した場合の避難が極めて難しいこと。リニアでつながる東京・中部・近畿圏を包含する6000万人メガロポリスの誕生が喧伝されるが、結局東京一局集中が進むのみで地域振興の効果は期待できないこと。トンネルを掘ることによる南アルプス地域の環境への影響が予測し難い上、大量の残土の運搬、処分が大変なこと。もともとはJR東海の事業であったのが、財投を活用して無担保で3兆円を融資するという国家的事業となったこと。
事業単体としては経済的に成功が覚束ないと言われており、様々な問題のあるリニア事業が、どうして国家的プロジェクトとなり暴走してしまうのか?
科学技術も決して中立的なものではなく、国家ナショナリズムと容易に結びつき、政界、役所、企業と癒着し既得権益化することを、原子力ムラの例を上げながら著者は論じていく。
フロンティアを食い潰し、弱者にしわ寄せを押し付ける、現在の資本主義をこのまま延命させるのか、フクシマ、コロナ・パンデミック後の新たな方向性を見出していくのか。
200ページほどで大変読みやすく、リニアを通して現代社会の今後を考える貴重な示唆を与えてくれる。
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ネタバレ原発による放射性物質の汚染は、子孫に対する犯罪だとする著者の意見は、納得できるものでした。
原発はクリーンであると教科書的に習ってきたけれど、それは誤りでした。
原発それ自体はクリーンだとしても、その前後はクリーンではないということもあります。
原発の原料調達から汚染は始まり、数万年後まで放射線は出続けるということです。
数万年後は、人類が存在しているかもわからず、存在していても言語や絵が伝わるかわかりません。
立看板や警句は意味をなさない可能性があります。
数万年という単位は、人類の管理不能な単位であるということかもしれません。
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ネタバレもうそろそろエネルギー政策をはじめとして無批判に科学技術を享受するだけではいけないとぶっといメッセージが伝わって来る。
日本は、明治維新以後、西欧の科学技術を輸入し、帝国主義を背景に軍事力を高め、日清戦争や日露戦争を通じて自らの科学技術に自身を深めた。
その後日本は、大陸の植民地化を推進し、さらに無謀な太平洋戦争へと突き進み、2発の原子爆弾で降伏を選択した。
この間、西洋の科学技術を取り入れるため、多くの科学者や理系の技術者を育成するとともに、軍事産業につながる産業の育成にも尽力していた。
産官学の総力戦は戦後になっても、経済戦争にとって変わっただけであり、戦前戦中に育成した技術者等が自己批判のないまま民間会社に流れ、さらに公害が織り込み済みの経済戦略が押し進められ、朝鮮戦争やベトナム戦争の特需を背景として、奇跡の高度経済成長を成し遂げてきた。公害においては高尚とされる専門家の根拠のない見解が行く手をはばんだ。
さらに、自身を深めた日本は、安全根拠のない原子力政策を押し進め、さらにフクシマその他の事故を発生させてもなお、その方針を変えようとしない。 -
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ネタバレ2011年3月11日の福島第一原発の炉心溶融・水素爆発事故を受けて、どうして日本で原子力発電が推進されてきたのか、その歴史的な経緯を振り返りつつ、原子力事故が隠される背景に探りを入れている。ページ数から分かる様に、それほど深い考察をしている訳ではないが、著者の専門分野との関わりを示しつつ、著者の考えを明らかにしている。
本書は三章構成となっており、第一章では日本の原子力政策に岸信介元首相が果たした役割を強調しつつ、兵器転用の含みを残すための民生利用だったことを明らかにしている。
第二章では、そもそも、原子核物理学から原子力工学へ至るためには、電気科学理論から電気工学へ至るのに比べ、比較にならないほどの経験蓄積が必要であり、未だ原子力を必要十分にコントロールできる科学技術はないという著者の考えを明らかにしている。
第三章では、科学技術に対する幻想と、政治的思惑の野合が、現在の状況を作り出し、それを掣肘することすら許さないもたれ合いが原子力村にはあることを糾弾している。
ではこれらの経緯を受け、これからどうすれば良いのか、そういうことを考えていく必要があるだろう。