あらすじ
黒船がもたらしたエネルギー革命で始まる日本の近代化は、以後、国主導の科学技術振興・信仰による「殖産興業・富国強兵」「高度国防国家建設」「経済成長・国際競争」と、国民一丸となった総力戦体制として150年間続いた。明治100年の全共闘運動、「科学の体制化」による大国化の破綻としての福島の事故を経たいま、日本近代化の再考を迫る。
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著者の名前は団塊世代には様々な事象を想起させる.p236に次のような総括がある.「明治から大正にかけての経済成長、すなわち富国化・近代化は、主要に農村の犠牲のうえに行われ、昭和前期の大国化は植民地と侵略地域の民衆の犠牲のうえに進められたのだが、戦後の高度成長もまた、漁民や農民や地方都市の市民の犠牲のうえに遂行されたのである.生産第一・成長第一とする明治150年の日本の歩みは、つねに弱者の生活と生命の軽視をともなって進めてきたと言わざるをえない.」第6章以降は小生の記憶と合致する部分もあり、さらに筆者の筆も佳境に入った感じで的確な視点で問題を暴き出しているのが、非常に面白かった.戦時中に優遇された科学者が他の分野で戦後に出てきた戦争責任の問題を無視あるいは軽視して、そのまま高度成長期に突入したことを厳しく指摘している.このような発想が公害を隠蔽してきた科学者の行動に繋がったという論考は傾聴に値するものだ.
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今年2018年は明治維新から150年で、この150年は日本の近代化の歴史でもある。明治の文明開化に始まり、太平洋戦争を挟んで高度経済成長へと科学技術の進歩に支えられ、日本はひたすら邁進してきた。
明治初期の日本は兵部省、工部省、文部省が中心となり科学技術を振興してきたが、第一次大戦を通じて総力戦体制に科学技術が重要であると分かると、科学者が率先して国力増強へと協力していく。1917年に理化学研究所が創設されるのは象徴的だ。科学者が自らの立身出世に躍起になっている姿が見える。
太平洋戦争が終結すると、一転して「科学戦の敗北」「科学の立ち遅れ」がさかんに言われ、今度は「原子力の平和利用」が唱えられる。しかしその先に待っていたのが福島原発の事故ではなかったのか。大日本帝国は戦艦大和、武蔵ととともに沈んだが、今の日本は原発とともに沈もうとしているようにみえる。
明治の科学技術は工学と中心として発達してきたが、それは日本人のモノ作り志向にマッチしている。しかし一方科学を「実学」一辺倒で捉えてきたためにヨーロッパでは科学の背景にあり、それを支えた哲学や文芸を蔑ろにしてきたのではないか。それが今の理系重視、文系軽視の現状にも直結しているし、また理系分野でも数学や物理学といった基礎分野はあまり顧みられないことにも見てとれる。
科学の背景にある価値判断、何のための科学か、何が人間を幸福にするのか、といった問いかけこそが本来必要なのではないか。
前半が明治維新以来、政府が科学をどのように振興してきたか、科学技術の各分野が産業、軍事との関わり合いの中でどのように発達してきたのかが詳述されていて、特に興味深かった。
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日本の科学技術と日本的経営が行き詰まって行く過程をよく説明していると思う.では,どうすべきかについての著者の説明は,夢があるが,実現することは容易では無い.I habe a dream.それは叶うだろうか.
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明治以降の150年間の産業技術について、その負の側面を痛烈に気持ちいいぐらいバッサリと批判している。さすがこの人だという傑作だ。特に第6章「そして戦後社会」では、高度成長の裏にある公害問題について、産官学マスコミを強烈に批判している。御用学者の企業援護とそれに乗っかるマスコミ。それが次章の原子力発電につながる。この部分がハイライトと感じた。何度も読み返したい名著。
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明治以後の150年を、科学と技術という観点から見て書かれた通史。圧巻は5章以降で、戦中の戦時即応体制を作るために社会や政治経済の仕組みが総力戦体制に編成され、それが戦後の高度経済成長をも可能とした条件になったという。社会経済について1940年体制ということはすでに言われているが、科学、技術の面でそれが明らかとなっている。
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戦後の高度経済成長の核となるものが「戦時中」にある、というのが一番インパクトが大きかったかな。具体的には1942年の食糧管理制度、1938年の国民健康保険法。戦争するには合理的な編成が必要となり、貧富の格差は是正され平等化・一元化される。これが戦時動員体制であるが、実はこの体制と福祉国家体制は類似しているのだ。
士族を由来とする技術エリートは、江戸時代から続く「職人」とは別格におかれ、軍事技術の必要性から特権的立場を得るようになる。学徒出陣で文系の学生は戦地に送られたが、理系の学生の多くは出陣を免除されていた。敗戦直後、科学者の内部からその反省は語られず、「科学戦で敗北した」という戦争指導者による口実から、敗戦の受け入れをすり抜けているのである。
平時とは来るべき戦争の準備期間であり、敗戦により軍隊はなくなったものの、総力戦思想は継続し科学研究や技術開発を推し進めることになった。そしてその契機となったのが、朝鮮戦争やベトナム戦争による特需(沖縄への米軍基地の押しつけなど、またしてもアジア人を踏み台にしている)であり、総力戦体制を維持することになった。その最たるものが「原子力」である。
なぜ1億総中流時代となったのだろう?と思っていたが、実は「戦後」の性質ではなく「戦時中」 をどんどん膨らませていったものだったのだ。
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もうそろそろエネルギー政策をはじめとして無批判に科学技術を享受するだけではいけないとぶっといメッセージが伝わって来る。
日本は、明治維新以後、西欧の科学技術を輸入し、帝国主義を背景に軍事力を高め、日清戦争や日露戦争を通じて自らの科学技術に自身を深めた。
その後日本は、大陸の植民地化を推進し、さらに無謀な太平洋戦争へと突き進み、2発の原子爆弾で降伏を選択した。
この間、西洋の科学技術を取り入れるため、多くの科学者や理系の技術者を育成するとともに、軍事産業につながる産業の育成にも尽力していた。
産官学の総力戦は戦後になっても、経済戦争にとって変わっただけであり、戦前戦中に育成した技術者等が自己批判のないまま民間会社に流れ、さらに公害が織り込み済みの経済戦略が押し進められ、朝鮮戦争やベトナム戦争の特需を背景として、奇跡の高度経済成長を成し遂げてきた。公害においては高尚とされる専門家の根拠のない見解が行く手をはばんだ。
さらに、自身を深めた日本は、安全根拠のない原子力政策を押し進め、さらにフクシマその他の事故を発生させてもなお、その方針を変えようとしない。
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第二次世界大戦を挟んで戦前と戦後で変わらず継続されているものとして、官僚制があることはよく知られていたが、科学者も全く変化なく研究を続けていたことに気づかされた。戦争責任などの大義からの追求とは、目的を持った行動なのだとつくづく思った。
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科学と技術という視点で近代日本を振り返った一冊。
科学技術という言葉にあるように、日本人には科学と技術を混合してしまっている人が特に多い。その理由を歴史的な背景から分かりやすく説明してくれる。
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岩波新書
山本義隆 近代日本150年
近代の軍事技術や戦後の原子力開発など 国策と結びついて発展した科学技術を批判した本
近代批判というより、現代の原発批判の元に 近代の国策と結合した科学技術の姿を見出して 批判の対象としている
戦後の原子力開発を いつでも核武装できるという意味で、潜在的軍事力として位置づけ、近代の軍事技術の流れを引き継ぐという論調
科学者が政府の言いなりになったことや、科学技術が 日本を大国化させたこと の責任を問うのは無理があると思う
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日本の技術開発の経緯がどのような積み重ねや研究土台・開発環境の下で今日に至っているのかをまとめてくれており、過去から現在に至るまで研究開発の成果が実際に戦争、政治、搾取等に利用されている現実に対して強く問題提起している一冊である。
技術開発は恩恵を生み出したその一方、兵器、原子力問題、自然破壊、利権等、多くの損害を生み出していることは理解しておくべき良識である。なのにソーシャルメディアからの発言を見る限り、現代人でそれを理解できていない人というのが随分と多い気がしてならない...。
産業革命からたった150年でこの技術進化...、自分は死んでるけど100年後の地球がちょっと心配な感じが少しあるかな...。
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黒船到来から始まった近代日本は2018年に150年を迎えた。本書はその歴史と2011年の福島第一原発事故での科学技術幻想の終焉を描く。日本がこれから取るべき方向はどこなのか。
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明治から現代にかけて、科学研究体制がどのように・誰に担われてきたのかを史料や関連著作から読み解く本。科学と広い語が使われているけど、工学、物理学を中心に、重工業系の産業との関係性がメイン。医学・生物学は本書の範囲外。
経済発展のちに戦時の富国強兵を目的に、政府主導で作られてきた体制が、福島原発事故などをきっかけに破綻しつつあるとの指摘がされている。
「科学盲信」という表現がされているのだけど、科学を発展させることで国富がかなうと、「国富」とはなんなのかを省みなかった。それが公害や原発事故につながっていると。
だからといって科学研究の推進を否定するものではないと思うのだけど、研究倫理やリベラルアーツに目が向けられるべき時代になっているということなのかと解釈しました。重工業産業からの切り口がメインなので、もう少し別の角度からも見てみたいかも。
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評価が難しい本。戦時中までは概ね肯ける内容だが、戦後それも最近になるほどイデオロギー色が強く、プロパガンダになる。
戦前戦中の話は初めて知ったが興味深い。科学者が戦中が最も良かったと評価しているのは有名だが、科学振興体制がその頃に出ていたとは知らなかった。
著者の評価軸は二つあり、戦争⇔平和、合理的⇔封建的となっているが、戦争までは戦争平和を問わず封建的で人民を搾取、戦中は合理的な面はあるが戦争しているとして、兎に角否定している。
一方、戦争中に科学や工業が進んだこと、平等化合理化が進んだこと事実はしっかり書かれている。特に平等、各個人の尊重が進んだことは、戦争という非常時でなければ起こらないのではないのかということを考えさせる。
いずれにせよ、戦争の効果意味をもっと深堀りしてもらえれば面白いものになったと思う。
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明治から始まる歴史の流れを科学技術に絞って展開
原発を推進する、核不拡散条約に同意しないスタンスの人達が持っている思想や背景をイメージする助けになる
経済成長を目指すべきかそもそも違う視点を見出していくのか。
いろんな意見はあるけど国を国民一人ひとりと見るのか俯瞰して国という記号を見るのかによって考えは大きく変わる。自分は前者でいたいが後者にも共感してもらえる話を展開できるようになりたい
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力作。
よく書かれている。
軍事が科学・技術向上に大きく関係していたことが分かる。
弱者を犠牲にして発展してきたことも分かる。
やはり、国や大企業のいうことをうのみにしてはいけない。しっかり自分の考えを持たなければ。
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さすが、元東大全共闘委員長の著者の観点は鋭い。明治以来150年の文明化の日本における特殊性、それが軍事技術への関心の高さから戦争と密接に結びつき、「兵学」であったこと、それは戦後も一貫しており、朝鮮・ベトナム戦争における兵器開発、なんと原子力発電の維持までが、岸首相以来の核兵器をいつでも持てる潜在的核保有の意味を持たせ、諸外国への牽制としていることを論破していく!驚きだが、全く肯けるところ。一方、ドイツ、イタリアは脱原発を宣言したらしい。それが2011年の原発事故において、日本の科学技術体制の破綻を迎えているという認識は私自身もしっかりと持つべきだと感じた。気象、海洋研究までもが海軍の1935年の三陸沖演習における大事故の反省から本格的に進んだとは知らなかったが、成程!明治期の欧米への劣等感は森有礼文相の留学生への訓示「欧米女性との交際による雑婚の奨め」に見える、確かに荒唐無稽。