あらすじ
〈税金をもちいた多額の交付金によって地方議会を切り崩し、地方自治体を財政的に原発に反対できない状態に追いやり、優遇されている電力会社は、他の企業では考えられないような潤沢な宣伝費用を投入することで大マスコミを抱き込み、頻繁に生じている小規模な事故や不具合の発覚を隠蔽して安全宣言を繰りかえし、寄付講座という形でのボス教授の支配の続く大学研究室をまるごと買収し、こうして、地元やマスコミや学界から批判者を排除し翼賛体制を作りあげていったやり方は、原発ファシズムともいうべき様相を呈している〉
...続きを読む感情タグBEST3
Posted by ブクログ
山本義隆氏の本を読みたかった。
探してみると、本書が見つかった。
薄い本である。しかも原発に関する書である。
今まで私なりに原発や核兵器に関して、本を読んできた。
氏の原発に対する考え方を知りたかった。浪人生時代を思い出し、あらためて生徒になった。
先生の言葉を聴き逃すまいと、一文一文ゆっくり読んだ。原発は外交カードであったことを知り、目から鱗が落ちた。先生の知識量に圧倒された。また、先生の正義感と誠実さと優しさも感じられて嬉しかった。
先生は20年前と少しも変わっていなかった。
柔らかい表情の奥に光る野武士のような目の輝きを思い出した。
Posted by ブクログ
福島の原発の災害をどうして招くことになったのか、その淵源を原子力爆弾の開発、さらには産業革命以前にまでさかのぼるなどさすがの一言につきる。ただここで書かれていることに賛成もするのだが、原子力推進派にはなかなか届かない言説になっている。
これは山本氏に限らず反原発、脱検発の言い分が原発推進者にとどかないのと同じなのである。
だからと言ってこの本の価値が減じることはない。この本の言い分が届かないという現状から出発しないと何もかわらないことが本当に日本人が考えるべきことなのである。
産業界が力をもちすぎたことが 一つの悪夢の始まりだが、産業界に距離をおくひとに産業界の歯車をとめる力は生まれない。
省エネを叫んでも、エネルギー消費社会の舞台からそでに身をひくだけで
舞台ではあいかわらず乱痴気騒ぎ。
そして客席からいかにやじっても舞台は舞台ですすむ。
論理的か、実証的な、説得的かも関係がない。
放射性廃棄物の廃棄場所も、原発作業者の疾病も、福島の人の移住も関心のない人にはぜひ読んでほしい。
難しいことを優しく書いているので 読みとばし危険です。
Posted by ブクログ
誠実な思考。その積み重なり。
ひとことを導き出すために、多くの言葉が選ばれていることがわかる。
「特別にユニークなことが書かれているわけではありません」と著者がいうとおり、書かれていることは、すでによく知られていること。
それだけに、著者の論の進め方は、説得力がある。
Posted by ブクログ
3月11日の大震災、その後の福島の原発事故が発生し、いまだ自分の
中でもやもやした感情が残っている。
この著者は、今回の原発事故は科学技術幻想の肥大化が招いたものだ
と指摘する。科学技術とは、技術者が経験主義的に形成してきたもの
だが、原子力は純粋な科学理論のみに基づく点が異なり、それが人間
のキャパシティの許容範囲を超えた技術を生み出す結果になってしま
ったという。
脱原発社会に向けた説得的な批判を読み、腹落ちのする内容だったと
思う。
Posted by ブクログ
アルファブロガー池田信夫氏が「残念ながら読んではいけない本になってしまった、、、」と書かれていたので、政治的なことで山本先生もつい力が入って過激で刺激的な文になってしまったか、と思っていた。
が、池田氏が駄目出ししていた「正気で書いているのかどうか疑わしい。」という表現。苦笑を誘うような部分である。決して池田氏がいうように他者を罵倒したものではない。
読むべき本である。
ちなみに苦笑を誘う表現とは「処分場閉鎖後、数万年以上というこれまでにない・・・したがって、・・・各地方自治体や国民に広く理解、協力を得る必要があり・・・」という原発推進者の一文である。数万年・・・。苦笑せずにはいられないだろう。西堀栄三郎氏が技術者倫理を説いた「技士道十五ヶ条」の十四・「技術に携わる者は、技術の結果が未来社会や子々孫々にいかに影響を及ぼすか、公害、安全、資源などから洞察、予見する。」を捧げたい。1985年の言葉である。
Posted by ブクログ
著者があとがきで断わっているとおり、とくに新しいことが書かれているわけではないのかもしれない。しかし、これまで「進歩」の名のもとで語られてきた自然支配へとシフトした科学技術の進展と、それに乗じた軍事技術の開発と一体で、かつ利潤のために不正と不公正を生まずにはおかない資本主義の発展との延長線上で、福島の「事故」が起こるべくして起きたことをこれほど明晰に見通させてくれる書物に出会ったのは、これが初めてである。著者が専門とする16世紀に、知と技術が自然の模倣から、自然の支配へと移行したこと、そしてその頃にはまだあった自然への畏敬がその後失われていったことから、科学主義的な幻想が生まれ、そして科学技術がとくに20世紀の大不況を契機として、国家に取り込まれ、その軍備拡張に寄与することになったことの延長線上に、現在の「原子力ムラ」の「原発ファシズム」とそれがでっち上げた「安全神話」があることが、簡潔ながらもしっかりとたどられている。また、原子爆弾をマンハッタン計画の延長線上に、「原子力の平和利用」があり、それはさらにニュー・ディールを背景としていることや、並行して日本では、戦前は岸信介が指導し、今日の経済産業省に連なっていく、国家資本主義による軍需産業の発展があったことも歴史的に描かれている。ちなみに、岸信介は戦後、核技術の導入に奔走し、その際核武装による「国力」の誇示をつねに夢見ていたとか。とくに日本の戦後に、「進歩」、「成長」、そして「復興」と語られてきたことが、何に由来し、何に行き着くものであったかはもはや明らかだろう。なお、科学史研究の立場から、現在の「原子力技術」が技術的にも欠陥だらけであることも、丁寧に綴られている。近代の歴史を踏まえて核を乗り越える見通しを開くうえで、貴重な足がかりとなる一冊と言えよう。
Posted by ブクログ
なるほど。山本義隆は、東大物理を卒業し、東大大学院で素粒子論を専攻していたのだね。東大全共闘議長で鳴らした人だった。その後予備校の講師をしていた。1941年生まれというから、80歳を超えているのか。この本は、2011年8月に出されている。山本義隆が70歳の時だ。
なぜ福島原発事故が起きたのか?そして、原子力発電とはどんなものか?を、①日本における原発開発の深層底流。戦後政治史。②原子力発電技術の未熟さと隘路、そして稼働の実態と原発事故。技術論。③科学史から見た原発という構成で書かれている。原爆開発と原子力発電開発は、双子のようなものだと読みきって説明している。
私は、原子力の平和利用は可能なのか?原発にどう向き合うのか?フクシマのメルトダウンから何を学ぶのか?を考えている。あまり、そのことをこれまで考えていなかった空白地帯で、とにかく手当たり次第に読んでいるのだが、まさかここで山本義隆が。という感じだった。
著者は、単なる技術的な欠陥や組織的な不備に起因しているので、そのレベルでの手直しで解決可能であると考えるべきではないと言い切る。そもそも、原子力の平和利用、そのものが幻想なのだという。原子力の平和利用は、1953年アイゼンハワー大統領が国連会議で「アトムズ・フォア・ピース」と訴えたこともある。原子力の平和利用は、アメリカの原爆を作るマンハッタン計画の延長に過ぎないと著者は指摘する。
日本において、地震列島にかかわらず、原発が54基もできた始まりは、1954年中曽根康弘をはじめとする政治家たちが、原子力予算(2億3500万円であり、それはウラン235に因む)が成立した。を提出し、1955年に原子力基本法を成立させた。1958年に原子力発電にアクセルを踏んだのが岸信介だった。岸信介は、「原子力技術はそれ自体平和利用も兵器としての利用も共に可能である。どちらに用いるかは、政策であり国家意志の問題である」と言って、原子力発電を国策とした。さらに「日本は核兵器を持たないが、(核兵器保有の)潜在的可能性を高めることによって、国際の場における発言力を高めることができる」(岸信介回顧録)さらに、1958年5月には、外務省記者クラブで「現憲法下でも自衛のための核兵器保有は許される」と述べ、1959年の衆議院予算委員会で、「防衛用小型核兵器は合憲」と主張している。ふーむ。岸信介の憲法改正は、自衛隊を合憲として、核兵器を保有することまで合憲とすることだったのだ。核兵器を持って、国として一人前という岸信介の認識だった。流石に、勝共連合を大歓迎したわけだ。2002年に福田康夫は「核兵器について、法理論的に言えば、専守防衛を守るならば持ってはいけないという理屈にはならない」と岸信介の文脈を受け継いでいる。
著者は、そういう状況で考えれば、科学者の原子力の平和利用は、楽天的で無批判的だという。原子力の平和利用に尽力したのが、学術会議の原子力問題委員会(のちの原子力委員会)であった。茅誠司や伏見康治だった。トップクラスの物理学者が原子力平和利用幻想を持っていたのだ。
フクシマの沸騰水型炉(BWR)については、ジェネラルエレクトリック社の安全性を評価する技術者によって「冷却水が失われた時にその格納容器が圧力に耐えきれなくなる」という欠陥を見出して、運転停止を呼びかけたが、上部からその議論を封印して、その技術者たちは原発の安全性に責任を持てないと言って、会社を辞めざるを得なかった。そんな暗黒史もあったのだ。それが、設計上のミスでは済まされなかった。
また、高木仁三郎が原発は事故ばかり起こるのは、核エネルギーが膨大な力を発するので、パイプなどの亀裂などが起こりやすいと言っている。
過去に公害を引き起こした化学工学は、有毒物質を除去し、無毒化する技術は開発できる。しかし、原子力工学では、放射能を無害化する技術ができていない。放射能廃棄物を封じ込めるしかないが、それをするには、現状の技術では、数万年末か、莫大な費用がかかる。うーむ。この指摘は、なるほど。原子力発電は、多いところから2022年1月でアメリカ93基、フランス56基、中国51基、建設中19基、計画中24基、インド22基(世界で443基)となっている。世界のエネルギーは、未熟な技術で成り立っている。
原発がメルトダウンすれば、被害はとても大きく、廃炉する技術なども遅れている。原発とは何かを考える上で、本書は多くの素材を提供できる。核兵器を持つということさえ含んでいる憲法改正というのも、恐ろしい話だった。
Posted by ブクログ
原発による放射性物質の汚染は、子孫に対する犯罪だとする著者の意見は、納得できるものでした。
原発はクリーンであると教科書的に習ってきたけれど、それは誤りでした。
原発それ自体はクリーンだとしても、その前後はクリーンではないということもあります。
原発の原料調達から汚染は始まり、数万年後まで放射線は出続けるということです。
数万年後は、人類が存在しているかもわからず、存在していても言語や絵が伝わるかわかりません。
立看板や警句は意味をなさない可能性があります。
数万年という単位は、人類の管理不能な単位であるということかもしれません。
Posted by ブクログ
2011年3月11日の福島第一原発の炉心溶融・水素爆発事故を受けて、どうして日本で原子力発電が推進されてきたのか、その歴史的な経緯を振り返りつつ、原子力事故が隠される背景に探りを入れている。ページ数から分かる様に、それほど深い考察をしている訳ではないが、著者の専門分野との関わりを示しつつ、著者の考えを明らかにしている。
本書は三章構成となっており、第一章では日本の原子力政策に岸信介元首相が果たした役割を強調しつつ、兵器転用の含みを残すための民生利用だったことを明らかにしている。
第二章では、そもそも、原子核物理学から原子力工学へ至るためには、電気科学理論から電気工学へ至るのに比べ、比較にならないほどの経験蓄積が必要であり、未だ原子力を必要十分にコントロールできる科学技術はないという著者の考えを明らかにしている。
第三章では、科学技術に対する幻想と、政治的思惑の野合が、現在の状況を作り出し、それを掣肘することすら許さないもたれ合いが原子力村にはあることを糾弾している。
ではこれらの経緯を受け、これからどうすれば良いのか、そういうことを考えていく必要があるだろう。
Posted by ブクログ
福島出張のお供にチョイスしました。
「福島の」とついてはいるものの、中身は日本の潜在的抑止力としての「核」としての原子力への取り組みからはじまり、誰も制御できないものになっていった過程、そして日本がアジアに、そして世界にどのような態度を示していくべきなのかということを訴えています。
福島にいる人々は明らかに被害者であったものの、この国は、世界的に見れば加害者なのです。なんともやり場のない…
Posted by ブクログ
原発がなぜここまで推進されてきたのか。不安視する声が聞こえてこなかったのか。そんなことが分かる内容です。結果として誰にも止められなくなってしまっていると感じます。
Posted by ブクログ
かっては日本物理学会を100年推し進める才能と期待され、現在は科学史著述家として活躍されている山本義隆さんの書下ろしです。
戦後、アメリカで提唱された「原子力の平和利用」を、当時の総理だった岸信介が、日本で国策として始めたのは、必ずしも将来の電気需要を見込んでの判断ではなく、核兵器保有国としての将来性を考えてのことでした。やがて、国策は、国是となり、政治家、官僚、学者、企業が一体となり原発プロジェクトが、推し進められました。
国是は、決して過ちを犯さないはずのものです。最先端の科学技術が集約されているはずの原発への、科学的な批判や検証が省みられることはありませんでした。多くの専門家の発言がそれを証言しています。
ルネサンス以降の自然を凌駕する人間の技術革新を良しとし、今後も進むのか。技術では制御できないものがあることを認め、謙虚に新たな道を模索するのか。私たちは選ばなければなりません。
Posted by ブクログ
科学史に精通した著者によると、原爆製造から派生した原発技術は、核分裂という物理学理論から生み出された科学技術であり、それまでの経験主義的な技術先行で、理論が追いついてきた事例と異なっていると述べている。このような原発技術は未だ未完成であり、数万年にわたって管理が必要な放射性廃棄物の問題など、人間の感覚や想像を超える制御不可能なものと主張する。人間の能力を超えるものが存在するという認識は大事であると思った。裏表紙に記された一文には、日本の原子力ムラについての状況がシンプルに(一文としては長いが)的確に表されている。
Posted by ブクログ
原発停止による電力不足が日本経済に与える影響があることは分かっていても、原子力発電に関しては再考すべきだと思います。どんなに安全だと言われても、無害化まで数万年かかる放射性廃棄物の処理すら人間にはできていないのです。
Posted by ブクログ
原子力と核兵器の関係、とくに核燃料サイクル政策の不自然さへの指摘は、広く共有されるべきだと思う。それにしても、財政赤字の子孫への負担を憂う人々が、万年単位の放射性廃棄物という負の遺産に鈍感な現実は理解に苦しむものがあります。