高井ゆと里のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
ある日、何かと強い意見がある同僚が、トランスジェンダーへの配慮が行き過ぎているのでは、と言った。オールジェンダートイレとかはやりすぎ。彼らは心の中でだけ思っておけばいい、そこまでは何も批判しない、という。ほとんどマジョリティの要素ばかりの彼のそのえらっそうな言い草に心底腹がたって反論したが、ずっとこれまで遠慮して我慢してきたのに、それはあんまりなのでは、というようなぼんやりしたことしか言えなかった。その時思い浮かんだのは1人トランスの知り合いのことだった。まだトランジションの途中で、ぱっと見て男性だったことがすぐ分かる容姿だった。海外で買い物に付き合ってくれた時、モールのトイレには行けないから家まで我慢する、と悲しそうに微笑んでいた顔が忘れられない。
同僚と議論する時間もなかったし、議論できるほどトランスジェンダーについてよく知らないと思い本書を手にとった。
詳しく英国の状況が説明されていてよく理解できたが、学術的な文体を忠実に訳したからなのか、読みやすいとは言えなくて、五分の四まで読んでいったん休憩。
古代ローマでも女装をし、女帝として女性の代名詞で呼ぶように命令していた皇帝が居た、という部分は、やっぱりずっと一定数人間の中には存在するジェンダーなんだなと得心した。
機械みたいに2つにキレイに分かれるわけではないのだから、そう生まれついた人たちが同じように幸せになれるよう考えて社会のあり方を工夫して直していくことの何が行き過ぎなのか分からない。
そうやって少しずつ社会は前進し続けてきたのだし。
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Posted by ブクログ
入り口として丁寧に説明していただいた印象です。
分かっているつもりで全く分かっていないことばかりでした。
過去別の本で読んだ日本の社会にある「人間教」の考え方を思い出しました。
多数派の過ごしやすさによって、その枠から様々な事情で該当しないとなった人達が生きること自体に難しさを感じなければならないことは悲しい
その一方、自分自身も多くの差別をしてしまっていると思うと実現できるのか、自分ごととしてどこまで考えられているのかは不安になりました。
書籍の構成上仕方ないのかもしれませんが、様々な状況に対して、現在の状況について、強い批判のみで書かれていると感じる部分があり、分かりやすいと思う一方どうして法整備や受け入れの実現が難しいのか、という視点でも状況が書かれていると良いと感じました。 -
Posted by ブクログ
人は生まれた瞬間から男性か女性かを決められ、戸籍に登録され、それ相応の「らしさ」を身に着けさせるべく育てられる。
服装や髪型、言葉遣いや態度、挙げていったらきりがないほどあらゆる場面で男性らしさや女性らしさが求められる。
学校でも教科書や制服から性別の違いを意識させられ、別の生き物なのだという認識が脳にうめ込まれる。
その当たり前の中で違和感を覚えるトランスジェンダーの苦悩を痛感した。
シスジェンダーが考える性別の基準がいかに極端で残酷であるか。
生まれ持った性別に違和感を感じないでいられる特権が、いかにトランスジェンダーを傷つけているか。
無自覚な固定概念や偏見に気づかせてくれる一冊だった。
できるだけ多くの人におすすめしたい。 -
Posted by ブクログ
別の著者の本(たしかフェミニズム系の本だったと思う)で「差別主義者の最大の特徴は、自らが差別主義者だと自覚していないことだ」と書かれているのを読んだことがあり、自分が誰かを無意識のうちに差別することがないように、自分のよく知らないトランスジェンダーについて書かれたこの本を読んでみた。
著者は、「トランスジェンダーのことをきちんとわかりやすく書いた本が世の中にないので自分でこの本を書いた」と述べている。
私は専門外なのでこの本に書かれていることがどれほど正しいのかは判断できないが、少なくともこの本を読んでトランスジェンダーの方たちの気持ちを以前よりはるかに理解したり想像したりすることができるようになった。
それはつまり、トランスジェンダーの方の立場になって考えることが(完全にではないだろうが)できるようになったということでもあると思う。
この、別の人の立場になって考える、ということが私はとても大事だと思っている。それが世界から差別をなくす一歩になると信じたい。
時間のない人でも、第一章だけでいいから読んでほしい。 -
Posted by ブクログ
この本を読み終えて、自分の中にフィルターが一枚生まれた気がした。それは過剰な忖度だったり、厚みの分だけ他者との距離を生んでしまうものではなくて、考えや思いを口にしたり文字で発信する際に、無意識に誰かを傷つけてしまうような表現をこしとってくれるようなもの…であったらいいなと思ってます。
正直なことを言うと、半分くらい読んだ時点ではトランスジェンダーの人たちの辛い体験や困難を想像して神妙な面持ちになりつつも、文章の端々から滲み出てくる言葉の強さに「なんかすみません…」と書き手のお二方に頭を下げたくなるような圧を感じてしまったのも事実でした。本書に出てくる表現でいうところのシスジェンダーにとって、トランスジェンダーの人たちの「生きづらさ」は想像しようと思ってもなかなか想像できないもので、でもだからこそ本書を手に取ったりして歩み寄りたい、できる範囲で理解させてほしい、と思って読み進めていったらすごい勢いで感情に訴えかけられてきて面食らうというか…。
でも、4章の「医療と健康」を読み進めるにつれて「命に関わるレベルで困ってるなら、必死になるのも当然だな…」と思ってからは、言葉の強さがそのまま生きるための強さにも感じられて、腑に落ちたような気がしました。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ「身体の性」は、生物学的な特徴で外性器のような客観的な要素をイメージされやすいが、実際には外性器をもって他者の性別を理解することはまれで、背の高さや髪の長さなど「身体の性別特徴」によって判断される。よって、「身体の性」とは複合的な概念である。
男性の性的特徴がある人が女性ホルモンを投与し、睾丸を摘出しても、「男性でない状態」に近づきたいだけで、「女性化」したいとは限らない。
トランスの人々は厳しい社会的現実によって、メンタルヘルス不調に陥りやすい。
トランスジェンダーの法的な性別商人は権利の問題で、公衆浴場やスポーツなどの局所的な場面の話は別である。それらの話は、それぞれの事業者や団体が個別運用の次元で対応すべき。 -
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ネタバレトランス男性/女性という言葉自体、ジェンダーのカテゴリーは2つだけしかないという考えに異をとなえる人からすると不適。
今日におけるトランスジェンダー問題とは、シスがトランスとの共存の中で発生する問題であり、トランスが直面している問題ではない。
家庭内暴力のシェルターは深刻なまでにジェンダー化されており、トランスを念頭に置いていないため、ホームレスや殺人事件につながっている。
暴力の脅威があるせいで、多くのトランスが自分の外見を変えるか、公共喰うy間を通る仕方を変えるか、どちらかを選ぶように強いられていると感じている。
不遇にある人々から、ラディカルで怒りっぽく、品が悪い人々によって運動が奪われる。そして、その運動は今度は卑劣なアクティビストによって売名のためにダメにさせられる。
人々をセックスワークに突き動かしているそもそもの制度的な原因、とりわけトランスの人々を動かしている原因に対処することなしにセックスワークを犯罪化することは、すでに存在している不平等な取引をより強固なものにする。結果、ワーカーはますます危険に身を置くようになる。)
トランスジェンダーは誤解によって、同性愛者からもフェミニズムからも敵視される部分がある。 -
Posted by ブクログ
自分のように今まできちんと学んでこなかった人間にとっては、入門書として読みやすい内容であった。諸々の議論については他の文献をあたる必要があるが、その基礎固めにはなったと思う。後半に進むにつれて語気が強くなり、やや首を傾げる部分もあったが、著者らの熱意のあらわれと思いたい。
フェミニズムだけでなく、男性学に触れられていたのも興味深い。日頃から何気なく男性/女性でカテゴライズしている場面に遭遇することがあるが、それがいかに無意味な行為であり、その無意味な行為に苦しめられている人がいるということを考えさせられた。トランスジェンダーの同性婚・異性婚も個人的に興味を惹かれる内容であった。 -
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ハイデガーの『存在と時間』の解説書です。
『存在と時間』はかつて、既刊部分のみをもとに実存哲学の代表的な著作とみなされていましたが、その後「存在の問い」というより大きな問題設定のなかで『存在と時間』の位置づけを見なおすことの必要性が主張されるようになり、日本でも木田元が多くの著作を通じて、そうしたハイデガー解釈を啓蒙してきました。
もちろん、そのような理解が広く受け入れられたあとも、仲正昌樹の『ハイデガー哲学入門─『存在と時間』を読む』(2015年、講談社現代新書)や北川東子のハイデガー 存在の謎について考える』(2002年、NHK出版)など、あえて『存在と時間』の議論を実存哲学として紹介することで、その魅力を示そうとした著作はあります。これに対して本書では、『存在と時間』が現在われわれが手にとることのできるようなかたちで刊行されたことの意味を重視し、「存在の問い」という後年のハイデガーが手掛けることになる問題設定のなかで『存在と時間』の解釈をおこなうのではなく、『存在と時間』の内在的な解釈を通して、ハイデガーがわれわれの「生」についてどのような分析をおこなっているのかということを明らかにすることがめざされています。
その一方で、伝統的な実存哲学の概念に依拠して説明をおこなうのではなく、ドレイファスや門脇俊介といった研究者のスタンスが踏まえられているのかもしれませんが、現実のなかで実践的な活動をおこなうわれわれのありかたにそくしてハイデガーの議論を読み解く試みがなされており、新鮮な気持ちで読むことができました。