九段理江のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
私の中で、九段理江さんは新しもの好きなイメージがあったものの、本書を読めば決してそれだけではないことが分かる、過去も現在も未来も縦横無尽に行き来した、その一見突拍子と思われる物語も、最後まで読むと伝わってくるものがありながら、毎度の如く、その豊富な知識量や興味のあるものに対する飽くなき姿勢には感服させられる。
そして、その様々な視点から現在に於ける常識と思われるものを揺さぶってくる作家性は、時に大胆で痛烈でありながら肯けるものがあったのも確かで、それは『多様性を求めながら同時に平等性をも要求するようになった』のような皮肉を効かせる一方で、『一貫性と政治的正しさと共感を集めることに徹した言葉を選んでいくとなると、最後は誰もが同じ言葉を喋る未来しかない』には、まるで前者とは相反するような『右へ倣え』の姿勢が未だに根強い、現代社会の矛盾を批判しながらも、寺山修司、谷川俊太郎、ゴーギャン等の言葉を引用する点に、彼女の作品に於いて時折テーマとなる『言葉』の持つ力や可能性への真摯な一面も垣間見えたことから、単に登場人物に自由に語らせるだけではない、現実に存在した人物のリアルな言葉を小説に取り込むことで生じる、現実とフィクションとが入り乱れた感覚は、どこか滑稽とも思われながら真実が埋没しているような気にもさせられて、それは夢を見ているような足下の覚束ない浮かれた気分の中、不意に冷水を浴びせられて目が覚めた感覚とでも言えばいいのだろうか。
そう考えると、『しをかくうま』には様々な思いが込められた良いタイトルだと思い、そこに漢字を当てはめてみて、そんな馬鹿なと嘲笑する人が、もしいるのであれば、それこそが『君たちがつくったわけでもないこの世界』に於いて、『己がいっとう賢い動物であるという妄想』を抱いてしまうのは何故なのか、よく考えた方がいいと思うと言いたくて、それは馬が人間と初めて出会ってから、どれだけ時が経過しているのかという歴史的背景を知ることで、馬のことをどれだけ知ったつもりでいるのかという思いにさせられながら、初めて人間が馬に乗せてもらえた時の心境とは如何ばかりのものであったのかという感慨深いものもふつふつと湧き上がってくるようで、そうした思いと、彼女があるべき未来を見るために過去の歴史も見ながら本書を書いたことには、過去とは決して切り離して良いものではなく、過去を謙虚に受け止め大切にしてこそ明るい未来があるのだという、そんなメッセージをそっと忍ばせていたのかもしれない彼女の姿勢は、エドワード・マイブリッジの偉大な功績の一つである連続写真『動く馬(The Horse in motion)』を表紙に採用したことにも、よく表れているのだと思う。 -
Posted by ブクログ
直前に太宰治の「女生徒」を読んだのは、本書を読む事前情報収集のためでした。なにしろ本書には、〈令和版「女生徒」〉〈「女生徒」を大胆に更新〉等のキャッチーな宣伝があり、本作も芥川賞候補だったこと、さらに九段さんがBS番組で、かつて三島由紀夫にのめり込む前に太宰治にハマっていた(真逆な二人と思うのですが…)と話され、興味が増したのです。表題作の他、デビュー作「悪い音楽」も収録されています。
表題作「Schoolgirl」の主人公「私」は、母親と娘で視点が交互に切り替わります。タワマンで暮らす母親は専業主婦(夫は出張中)で、大の読書好き。一方、14歳の娘はインターナショナルスクール生で、環境や社会問題に意識が高く、英語で発信する中学生YouTuberです。
実際作中に太宰の「女生徒」が登場しますが、それだけでなく、設定や物語の構造、語り口、アクセントになっている物や言葉、そして何よりも母と娘の感情の揺れ動きや葛藤など多くの共通点があり、九段さんの太宰へのオマージュが感じられます。
二人の関係は、なかなか噛み合いません。母親は、賢い娘を大切に思うものの、いろいろと抱えています。娘は意識高い系で母親を見下し、上手く関係性を築けません。母娘の関係は普遍的なのでしょうか? 真似た設定故なのでしょうか?
結果的に、小説「女生徒」の存在が、二人の歩み寄りのきっかけとなるのでした。物語の力ですかね。
もう一編の「悪い音楽」のレビューは割愛しますが、なかなか「心」が伴わない中学女性音楽教師の話です。こちらも一気読みできるエンタメ性がありました。構成や筆致、あふれ出る言葉の煌めきに引き込まれました。九段さんのその後の活躍を予感させる2作だと感じました。 -
Posted by ブクログ
九段理江さんといえば、なんといっても、芥川賞受賞作品である「東京都同情塔」だとは思うのだが、捻くれている私は先に初小説集である、こちらから読んでみて、どんな感じなのかを確かめたくなってしまう衝動に駆られてしまったと思ったら、こちらも表題作が芥川賞候補作だったのですね。
そして、読んでみて驚いたのは、このタイトルが若い頃に読んだ小説(内容は殆ど覚えていないが)の英語版だということで、帯にも「令和版『女生徒』」と書いてある通り、現代の多様化した社会に於いても依然変わらずに残り続ける、鬱屈とした雰囲気をシニカルに描きながらも、元の作品に於ける当時の空気感漂う文体との邂逅を果たすことで、それが母と娘との関係性の変わらない部分であったり、思春期に胸に抱いた方もいるであろう、この世界に生まれてきたことへの漠然とした不安感であったりといった、そうした普遍的なものを元の作品から得られたことによって、実は時が経っても変わらないものは確かに存在するのではないかと実感できたことが、今を生きる人達にとって大きなひとすじの希望となるのではないかと感じ、それを九段さんは『Awakening(目覚め)』に込めているようで、この言葉は本書に収録されたもう一つの作品、「悪い音楽」に登場することからも、本書の共通するテーマ性を窺わせるものがありました。
更に本好きにとって嬉しいことに、表題作では小説が嫌いな娘が作品との出会いを介して、少しずつそれへの印象が変わっていく様子を文学的に描いている点に、まるで小説と出会ったことは、新たな自分への萌芽を表しているような素晴らしさでもあり、それは『私とは別の思考を持った女の子が、頭の中に入り込んできて、私を乗っ取っていく感じがする』といったフィクションなのに、とても臨場感のあるそうした感覚は、まさに小説ならではの内から湧いてくるリアルさなのだと感じ、彼女は最初『小説は現実逃避のための読み物でしかなく』と言っていましたが、小説はそれを読むことで元気をもらって現実世界を生きる活力にもなりますし、そもそも現実逃避は自分自身を癒すための本能的な、自分が自分を思い遣っていることの裏返しの行動だと思うので、決して悪いことではないと思います。
それから、表紙の西山寛紀さん作『Afternoon』の、どこか懐かしさと新しさが融合したような装画には、まるで女生徒とSchoolgirl、それぞれの良さの結晶とも感じさせるような、決して華がある感じではないけれど、つい何度も見てしまう魅力がありました。
次に、もう一つの作品「悪い音楽」ですが、現代社会に於いて、問題のある教師のニュースが時折話題となる中で、随分と挑戦的な作品だなと感じましたが、これが読んでみると、声に出して笑ってしまうくらいの不適切極まりない自分を痛感しまして、そこには、人間の嫌な部分をあけすけに描いたことによる潔さから、そういった部分は表に出すか出さないかだけで程度の差はあれど、誰もが持っていることを肯定してくれたことに、表現の自由の素晴らしさを感じましたが、それにしても、問題を起こした生徒二人と保護者と先生方が集まった場で、心の中とはいえラップの韻を踏むのはまずいと思いますがね。
そういえば、私の通った中学校の音楽教師も、どこか他の先生とは違う雰囲気を放っていたというか、その独特な話し方や仕種に、ああ芸術家とはこういったタイプの方のことを言うのかなと思いましたが、ここでの音楽教師(女性)は内面を知ると、とても気さくな印象を持たせてくれながら、大人の持つ純粋な狂気性も併せ持つことに加えて、知識量がある分、その万全なセルフケアによってメンタルの強さはあるものの、終盤の展開には侘しさを漂わせるものがあることに、現実の厳しさを思い知らせるけれど、彼女も根っからの悪人ではなく、ただ自然体で生きているだけなのだと思われる点には、いったい何が正しくて正しくないのか分からなくなる・・・って、ならないか(^_^;)
ただ、それでも彼女自身の音楽好きには、別格で尊敬できるものがあり、それは学校で開催される合唱祭の中の特別演奏で、テルミンやガムラン、タブラ等、比較的マイナーな音楽を本気で演奏することや、ロックにジャズ、クラシックと幅広いジャンルの音楽に精通した話も面白く、私からしたら彼女の悲劇は、昔のロックに対して持たれていた悪いイメージのような、見る人によっては、そんな狂気性も芸術的な感動や衝動的でイカしたカッコよさに変わったり、パンクの精神に近い世界平和に繋がるものであったりと、どんな人間にもそうした多面的な見え方があるのだということを、取りあえず信じたいです(笑)
色々と書きましたが、とにかく私の中で画期的だったのは、深淵なことも書いてありながらこんなに笑わせてくれた、当時で言うところの未来の芥川賞受賞作家の作品(「悪い音楽」)は初めてだということで、他の方々のレビューから難しい印象を抱いていた、「東京都同情塔」も俄然楽しみになってきました。 -
Posted by ブクログ
ネタバレグレタに憧れる女子中学生と文学を愛する母親。
フィクションは時間の無駄だという娘と
戦時中ですらフィクションこそ生き残るという母。
九段さんと小川哲さんの文章に共通点を感じ、この人の文章が好きだと直感が働いた。
太宰治の女生徒を基に書かれたそうだが、知識がないせいか「なるほど、女生徒はこういう作品なのか」としか思わなかった。
AIスピーカーやYouTubeのない時代、女生徒はどんなふうに書かれていたのだろう。
娘がフィクションを信じていないにも関わらず、母の本棚をどんどん散策していき、遂に「女生徒」にたどり着く。
そして。。
母を毛嫌いし、馬鹿にしつつも、母の世界に入りたい娘の気持ち。そこが絶妙だった。
心に残った文章。
“あさ、目を覚ます時の気持ちはおもしろい”
“少女のうちに死にたかった。”
そして、デビュー作の「悪い音楽」はある意味ぶっ飛んでいる…でも読む手が止まらない。
こういうものを面白いというのだろう。 -
Posted by ブクログ
少女ゆえの全能感、自分以外のみんな、特に自分の世話を焼く母親が馬鹿に思える。そんな少女期を通過していく様子が、読んでいて痛みを感じるほどよく描かれている。母親に愛されているからこその辛辣な言葉と、赤の他人に向けて吐露される本音。「明日から戦争が始まるっていう日でも、お母さんは小説の話をするの?」母親の答えに少女が気付きを得るのと同じように、私もハッとさせられた。
「悪い音楽」にも、全能少女が登場するが、対する音楽教師もなかなかのものである。行き過ぎた音楽ファーストによって、教師として窮地に立たされることになる。こちらは「Schoolgirl」とは違って笑いながら読めた。面白い。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ新人賞受賞作「悪い音楽」から読みました。
人の心がわからない教師の話。
音楽家の父につけられた名は「ソナタ」。
もうこれは呪いだな。
確かに、心に寄り添うとか感情を揺さぶるとか、やたら共感を求められる時代にあって、他人の感情を忖度しない人は悪者扱いされてしまうのかも。
ソナタ先生は感情が無いわけではなく、自覚が薄いだけで喜怒哀楽の末に苦しんだり傷ついたりもしている。サエはちゃんとそれを感じとっているのだとラストシーンを解釈しました。
「Schoolgirl」はステレオタイプな思考が並び実態がつかみづらい。世界は大小のさまざまな説でできている。良い意味で最初の印象が裏切られていきます。
主義にとりつかれている娘は、生きている実感が欲しいのかな。だとしたら私も誰かが語る「現実」よりも小説を支持します。 -
Posted by ブクログ
「School girl」では、14歳の娘をもつお母さんの想いと映像で語っているyoutuberの娘の想いを交差しながら読むことが不思議な感覚でした。
さらにそこに太宰治「女生徒」の話しが出てきて、時間軸的にも面白く描かれていました。
まだ「女生徒」読んだことないので、読んでからまたこの本を読み返してみたいです。何かまだトリッキーな仕込みがありそうです。
そしてもう一つの「悪い音楽」ですが、癖があり、新しい視点であり、そしてつい笑ってしまう場面あり、音楽で例えるとロック?いやカートコバーンやビリーコーガンを思わせるオルタネイティブ的な気持ちを感じました。
わたしも心当たりがあるのですが、笑ってはいけない状況で笑う場面が所々にあり、失笑恐怖症なのか映画の「ジョーカー」を思い出し、不謹慎さの状況の中自分だったらどう感じたか、ここがポイントだったのかなと感じます。
この本を読む人によっては批判はあると思いますが、わたしは好みでした。
二世のイメージ、教員のイメージ、世の中ステレオタイプだらけの中でも、気にせず生きていく本物の素直さが目に沁みます。
どちらのお話しもストーリー重視で攻めず、人間の癖で攻める九段理江さんの本は、また読むのが楽しみです。 -
Posted by ブクログ
表題作の【女生徒】は、私も大好きな太宰の女生徒を本歌取りしているということで、どんな小説になるんだろうと芥川賞ノミネート作の中でもとりわけ気になっていた。
バイリンガル社会派Youtuberとして意識高く活動する14歳の娘から、“小説ばかり読んで頭がおかしくなった空想癖のある母親”と見下されている34歳の「私」。
彼女と同様、なぜ私も女生徒が好きかというと、ありのままの少女がありのままに描かれているからなんだよね。純度100%の共感があって、だからこちらの小説でも私はきっと14歳の娘の方に理解できるものがあるかと思ったんだけど、全然そうじゃなかった。驚愕。
娘から馬鹿にされ冷たい目を向けられる34歳の母親、もう彼女の方こそが私なんだ。あと数年後にそうなるであろうと思われる未来の私。
えっ待って?あと数年後にはうちも同じじゃん。私が34歳で、娘が14歳になるじゃん。自分が14歳だった頃の気持ちだって、まだすごくよく覚えてるのに。
子育てと家事しかない親を馬鹿にして、すごく嫌な娘だったと思う。お母さんにも14歳の時があったなんて一度も、想像したことなかったと思う。
そんな私は今や、娘のお母さんなのか。やがて娘も私に他人のような視線を向け、私の知らない言葉で喋り出すんだろう。
読みながら打ちのめされたような気持ちになった。でもとても好き。
続く【悪い音楽】、こちらが新人賞デビュー作とのこと。著名な音楽家を父に持つ音楽教師の話で、読んでいるこちら側を巻き込んで徐々に世界が歪まされていく感じが心地良かった。狂想曲って感じ。狂想曲がなんなのかよくわかってないけど。 -
Posted by ブクログ
ネタバレp3〝〜それを突き止めないことには、どれほど頭の中に言葉を増やそうと、いくら急いで歩みを進めようと、どこへも行けないのだとふと気が付いたからだ。自分の頭と体の外へは一歩も出られないことを悟ったからだ。〟
p20〝〜馬は人間に言った、乗れ。そのようになった。馬は人間を乗せた。馬が人間をこの世界へ連れてきた。第一の日だ。 落雷のように私の頭に落ちてきた神と馬にまつわるアイデアは、この不可思議な世界の成り立ちのすべてを証明していた。馬が人間を乗せていなければ人間はいつまでも自分の足以外の手段で陸上を移動するというコンセプトを思いつかず、出会うべき人間同士が出会うこともなく、ひいてはここまで人間が増えることもなく、当然わたしも存在しなかった。人間の手によって創造された万象、わたしが座っている椅子、あなたが座っているその椅子、TV、インターネット、人工知能もすべては馬が人間につくらせていた。彼らの意思が、わたしたちにそれらを創造するよう仕向けていた。そう考えたとき、わたしは初めてこの世界に触れたような気がした。初めて世界が愛おしくなった。〟
p23〝タイトルの代わりに1163の番号が振られた短い詩は、神の白い空白の権力にひれ伏すかのようにごく控えめに印字されていた。詩の言葉は頭に入ってくる手前でばらばらに砕け、細かい塵のように床に落ちて埃に吸い込まれていった。ただエミリーディキンソンという名前がわたしの脳に刻まれた。〜〟
p43谷川俊太郎の芝生
〝そして私はいつか
どこかから来て
不意にこの芝生の上に立っていた
なすべきことは全て
私の細胞が記憶していた
だから私は人間の形をし
幸せについて語りさえしたのだ
詩の暗誦を終えた彼女は視線を正し、再び我々を遥かな高みから見下ろした。不意にこの芝生の上に立っていた。それはどこの芝生だろう。わたしの頭の中に、馬も人もいない、夏の東京競馬場の乾いたターフと、コース内側の楕円の空白が広がった。 「私が日本人である状態を言い表した詩です。ご参考までに」と彼女は言った。〜〜〜「そのようなことは絶対に有り得ません。あなたも誰かの名前を呼んだことぐらいあるでしょう?名前は人間が人間に与える最初の詩なんです。その人間に一生ついてまわる詩です」 「名前?名前が、詩?ですか?」 「はい。名前は詩であり、名前のついたものはすべて詩です。私は詩です。あなたは詩です。こうして今、詩が歩いたり、労働したり、喋ったりしているわけです。〜〟
p53〝〜「My Maker - let me be.......(創造主よ、お願いです)」
彼女は小さな声で、詩らしきものを暗誦し始めた。
「Enamored most of thee - (私を夢中にさせて)/But nearer this(でも今よりも近づいたら)/I more should miss -(もっと恋しくなる)」 詩を理解する必要なんてありません。センスなんていうのは『センスがいいね』と言い合いたい人たちのための言葉であって詩には関係がないから。でもせっかく人間として生まれ、たまたま人間の言葉を覚えたのなら、詩を読むに越したことはない。なぜなら我々人類をこんなところにまで連れてきたのは、他ならぬ言葉だからです。その言葉が理解不能であればあるほど、より遠くへ行くための駆動力になります。だから詩を読まないというのは人生の大きな損失です。人類の大きな後退です。私はそう思います」〟 -
Posted by ブクログ
ネタバレニシダのお勧めだったので読みました。
純文学読んだのすごく久しぶり。
文章が難しくて、
いっしょうけんめい頭を使いながらゆっくりと読みました。
こういう本の読み方って随分してなかった。
直木賞系はそこまで考えなくても読めるもんなぁ。
難しいけど、それが不快ではない難しさだった。
沙羅の性格として、
全ての事柄について、可能な限り言葉を尽くして説明しようとする意図が伝わってくるので、
それを読み解くのはあまり苦ではなかった。
(読者を置いていくことが目的だったり、特に意味が無かったりする難解さではなかったということです)
あと、沙羅と理人の関係が心地よい。
建築関係の本って読んだことなかったけど、
高層ビルを建てることが街に与える影響とか、
ビルをデザインするということは、単に建物を建てるということではなく、街の未来をデザインするということだとか、
そういう建築やデザインの話が新鮮で面白かった。
同情塔という概念そのものがもっとクローズアップされて、そっちをメインに一冊作られてもいいくらいのものだと思うけど、
この本の中ではそれにはさらっとしか触れられていない(沙羅がそのコンセプトには賛成していない、ということとか、どうやら発案者が殺されたっぽいことしか書いてない)。
でもそこが書いていないことで、
沙羅の内面や建築の方にフォーカスされているので、これでいいんだと思う。
純文学って、読み終わって「面白かった!!」とかはあまりならないので、★は3つで。
刺激はあまりないけど、いつもとは頭の違う部分を使って読む感じがして、
その感覚がなんかイイ。というのが純文学。
(読んでる自分がかっこよく感じるというのもある)
ニシダのお勧めはそちらよりも次の短編で、
それはそれで面白かったけど、短すぎて、私は同情塔の方が好きかな。
あと著者と建築家との対談も、本編を補完していてよかった。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ『Schoolgirl』
クローゼットの中の『女生徒』が出てくるあたりから、吸い込まれるようにおもしろくなった。2作目の『悪い音楽』の方が好き。
p31〝何気ない雑談を額面どおりに受け取ってくれる素直な人って、最近はもうどこを探してもいない。何風の何、なんて考えだしたら何風の何風の何風の何風の……といつまでもきりがない。いろいろな立場のいろいろな事情に配慮した、誰も傷つかない言葉を追求していくと、誰も自分のことなど説明できなくなる。〟
『悪い音楽』
p108〝仮説。人間の感情を拡大させたすべての元凶は、音楽家や画家といったアーティストである。そこに詩人や小説家を付け加えてもいいかもしれない。彼らのような一部の突然変異、いわゆる「感情豊かな」人々がまず、人間の感情が売り物になることを発見した。そして人々の心に訴えかける、よりエモーショナルな創作物を追求するプロセスにおいて、まだ知られていない新規の感情をディグることに精をだした。音楽や美術はニュアンス程度にしか感情を表現できなかったかもしれないが、小説家ならそれに名前をつけることだってできただろう。未知の感情を概念化して世間に普及させ、それを受け手が補強し、さらに後世のクリエイターが引き継ぎ、時代に即した表現媒体を用いて一層押し広げることとなった。もし歴史上に文学や芸術がなかったら、人類の心はもっとべつの進化をたどったのではないか? この仮説が正しいとすれば、結局、人間が感情や心と呼んでいるそれは、人が既存のメディアから学習した自分用に編集した、いわばつくられた心に過ぎない。〜〟
p130〝〜多くの人は自分以外の人の心も、自分の心と同じような素材からでき、同じような動きかたをするという幻想のもとで、人の気持ちを想像したり共感しようとしたりしてくる。だから「ジブリ映画って苦手なんだよね」とうっかり口を滑らせようものなら、「信じられない。人の心がないのか」などと言い出す横暴な人間が現れる。「人の心がない」ではなく、「私を同じ心ではない」と厳密に言うべきだ。〜〟
p〝〜私は自分の声をちゃんと聞いたことがなかった。そして自分のこの声が、何かの音楽になるんじゃないかとふと思った。この声にふさわしい音が、確かどこかにあったはずだ。どこだろう?今にも鳴らせれ用途しているその音を聞きとるために、私は耳を澄まし、目を閉じた。〟