あらすじ
ザハの国立競技場が完成し、寛容論が浸透したもう一つの日本で、新しい刑務所「シンパシータワートーキョー」が建てられることに。犯罪者に寛容になれない建築家・牧名は、仕事と信条の乖離に苦悩しながら、パワフルに未来を追求する。ゆるふわな言葉と実のない正義の関係を豊かなフロウで暴く、生成AI時代の預言の書。
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Posted by ブクログ
AIを0.1%使った、?と発言していた九段理江さん。文学をよく知らずにこの作品をも読んでない人々が「人間のおわり!」だとか「AIに負けた」だとか言っていたけれど、そういう人たちは参政党を支持しているのかなと思った
Posted by ブクログ
設定に惹かれて読んだ
何故なら自分も ザハハディド案が通ったら素晴らしかったのにと思っていたしハディドの建築でオリンピックしてたらどうなってたのかな、などを想像していたから
だがしかし、作家の想像力は化け物だった
世界観や言葉選び 文体などに身体をわななかせながら一気読みした
作家の哲学がノイズになって読みにくい体験をいくつかしてきたが、九段理恵の言葉に対する哲学はノイズにはならず物語と共振していた
好きな作家に出会ってしまった、一目惚れしちゃった感
非常に芥川賞っぽい作家で好きだ
Posted by ブクログ
全体の5%ほどが生成AIで作られた文章をそのまま使用して、芥川賞を受賞した作品(実際は5%も使っていないかも・・との本人談もあるが)
ポリコレ、言葉狩りといった現代におけるコミュニケーションが題材とされており、「日常的な言葉遣い」と向き合うきっかけとなった。
AIとの共作という点も話題になっているが、実際に自分でChatGPTにプロンプトを打ち込めば、それっぽい作品が出来上がる時代になっていて驚愕する。人文学や倫理が、AI侵食の防波堤になりうるのか、とても興味深いところ。
Posted by ブクログ
めっちゃくちゃ面白い
私のこういうのを読みたかったって気持ちに応えてくれる小説
ザハ案の国立競技場が建てられた世界線の東京
一人の建築家女性が新宿に東京都同情塔(刑務所)を設計する話
刑務所と言っても従来の価値観とは違う意味づけをされた囚人が入居し、そこはさながらユートピアのよう
新しい価値観への馴染めなさ、頭の中でされる検閲、繰り返されるAIとの対話、日本語や日本人の気持ち悪さ、寛容、キレる白人笑、性的同意、今直面してる事をこれでもかと盛り込むのにすんなり頭に入ってきて頷かされる
東京都同情塔は、ユートピアかディストピアか
恐ろしい場所だよ
Posted by ブクログ
言語化するのにとても時間かかった
なんとなくこの本を読んで考えたことを書く
全体的な本の命題みたいなものが、
この社会の中にある答えのない問題だったように感じた!大きくは以下3つのことがあるかなと
・犯罪者について
・言葉について
・AIについて
どれも本当に人によって異なる答えがあるから、この本を読んでたぶん思うことは読者によって全然違うんだろうなと面白かった
個人的には、主人公が建築家女性という同じ肩書だからこそ下二つの問題について考えた。
そして、日本に唯一のザハ作品新国立競技場ができたという世界線の設定とそこに建つ東京都同情塔のあり方を考えるストーリーがものすごく興味深かった。
私も仕事しながら思うけど、建築家であることとしてはやっぱり設計が本職であって、他のことに口出すこと(この本で言うトーキョーシンパシータワーとか)は建築家の役割ではないとわかっていながら(実際どうすることもできないし)、根本的にこの建物は必要とされているのかとか建てるべきなのかをすごく考えちゃうことがある。
建物って良くも悪くもその場所や環境や人を一瞬で変えてしまう影響力を持ってる。
そう言う根本があると、建築としてそこを利用したり関係する人たちにとっての最適解を設計するべきだとは思うけど、建築家として本当にそれで正解なのかはずっとわかんない。
んで、それはAIにも関係してきてて、AIってたくさんの情報から人々が求めてる最適解を解答するから、大半の人にとっては"正解"の回答が出るわけで、でもそこに人間味がないと感じるのは、それと反対する強い意見みたいなものをやっぱ人間が求めてるからな気がするんだな。人間は議論したい生き物なんだと思う。
だから建築を設計する建築家としてこの本を読んだ時、やっぱり私はAI的な"みんなにとっての正解"と言う設計よりは、"私が思う正解"を設計したいなと思った。難しいけどやっぱりいい建築と感じるものはどれだけ建設反対の意見があったものでも、できた時それを覆すくらいの言葉では説明できない、威厳とかかっこよさとか迫力を備えてるとこもうから。
結局なんだかまとまらない文章だけど、この一つのストーリーからすごく沢山のことを考えられた本で最高でした
Posted by ブクログ
建築から逃げたくなってしまったわたしが建築を見直せた作品。
建築という名の「ひと」だけれど。
だから、建築をやっていない人にももちろん読む価値は十分すぎるほどある。
あとカバーの下が高校の数学の教科書と同じ柄でアツい。笑
Posted by ブクログ
2020年前後3年付近の「現実」のオリンピックのゴタゴタやネットやSNSの空気を抑えてないと5年後にすらオーパーツになってそうな作品。
最初は可読性とかその時代とかで低評価にしたけどやはりちゃんと読まないとだめだな。小説を読むとはどういうことかを教えてくれる作品でもあると思う。
不思議な文章
不思議な文章で、AIによる回答も多々引用されている。感想を言うのが難しい。言葉を発するときにいちいち「これは言っても大丈夫か?」と考えなきゃいけないのはすごく疲れるだろうな。
誰が牢獄にいるのか?
現代の気遣いの文化は良いのだけど、ぶつかり合うことで得られるものが得られなくなるようにも思えてくる。かと思うと、一方で、それぞれの人間が自分のことしか考えない状態が、さらに増しているように思える。マキナはmachineに似た響きを持っている。デウスエクスマキナ。神が流れを思いのままに変える?いや、彼女にはそんな力は無さそうだ。彼女は牢獄にいる。タクトも母との関係が普通ではなく、彼らも同情塔にいる。二つの建築物は性的な一対とも思える。それなのに、人間同士の性的な関係も希薄だ。人間が機械に近づいて、和やかな関係を作れなくなっているようだ。
Posted by ブクログ
インタビュー番組を見て、知らなかった作家さんなんですがやっと読んでみました(書店になかなかなかった)。こういう内容って好き嫌いがはっきりしそうですが、私は好きな方です。
まずは倫理観を置いておけば、アイデアが面白いと思いました。
ただもう少し登場人物を膨らませてくれたなら、私は感情移入しやすかったかな。番組で、この本のプレイリストがSpotifyにあると言うので(九段さんが作られた)聴いてみたら、それがなかなか良かったです。読んでいる時に聴くといいかも。
Posted by ブクログ
この本の文章、好きだった。まわりくどいめんどくさい感じの登場人物も好きだし、結局何が言いたいのかわかんない、ちょっと気持ち悪い感じも好き。5年後に読んだらまた別の戦慄走ったりして。示唆回収に恐怖かつ期待。また読もう。
Posted by ブクログ
あるかもしれない近未来
現代でも耳障りの良いカタカナ語に言葉を置き換える風潮が見られるが、行き過ぎるとこうなるのだろうなと思った。現代的なテーマで考えさせられる一冊でした。
Posted by ブクログ
さらっと読んだだけでも面白かったが、内容は重層的にいろいろな問題を扱っているようで、じっくり読んで考えたい本だ。
ザハ案の国立競技場が立っているという設定自体が強烈な印象。
建築と言葉という二つの大きな題材も、「バベルの塔」で私の頭の中にも一応結びつくのだが、それぞれが大きすぎて私には消化しきれない。
AIについても同様だ。
「自分自身が心から同意していないプロジェクトに協力するべきではなかった」と後悔しているところに惹かれてしまった。意にそまない仕事をやり遂げて、「死ね」とか批判されたら、あるいは賞賛してくれている人の方が多かったとしても、どっちにしてもやり切れない。つまりは彼女の言うようにやるべきではなかったということになる。でも、小説を離れて考えても、誰が「心から同意してないからこの仕事はできない」なんて言えるだろう。
Posted by ブクログ
タイトル深。
設定がぶっ飛んでるけど、大好き。
文章が緻密なのに、すごく読みやすくて、すらすらすらすら頭の中で音読されていく。
これまでの作品(芥川賞受賞作)で、わりかし、考えさせられるタイプだった。
犯罪者は同情すべきか。
そうした環境が必ず悪くないというわけではないが、真理を知らず、ただ道徳的に見える行為を積み重ねた先にある世界かと思うと少しゾッとさせられる。
本当のユートピアとは、神の下の調和と、進歩を兼ね備えた世界だと、知ることが大切なのではないか。
上辺だけの善意は恐ろしい。
Posted by ブクログ
犯罪者は憎むべき存在か。服役生活は苦痛を伴うのが当然なのか。その問いに対する新しい考え方に基づく施設が建設された。
シンパシータワートーキョー。またの名を「東京都同情塔」と言う。
2020年の東京オリンピックの閉幕後、都心に建造された地上70階建ての高層刑務所に纏わる光と陰。人間の不安定さを描く近未来ストーリー。
第170回芥川賞受賞作。
◇
東京都心に現代版バベルの塔が建設されようとしている。日本の最先端都市東京にあって、さらに最新技術の粋を尽くした超豪華高層ビル。
設計コンペの段階では「タワー」程度の認識だったが、有識者たちの検討会を経て「シンパシータワートーキョー」というなんともセンスのない名前に決定した。
コンペを勝ち抜き設計を担当した牧名沙羅は、そのタワーの名称に反発とも違和感とも違う座りの悪さを感じていた。
日本人が日本語を捨てたがっているのは今に始まったことではない。1958年に竣工した港区の日本電波塔もそうだった。
塔の愛称を公募で寄せられた中から決めることになったのだが、「昭和塔」「日本塔」「平和塔」という得票順のベスト3からは選ばれず、第13位の得票に過ぎなかった「東京タワー」に決定した。ある審査員の鶴のひと声だけで決まったというが、反対意見が出なかったのも事実だ。
日本人は全般的に、外来語由来のことばへの言い換えを好む。「東京タワー」以後、その傾向はますます加速している。
不平等感や差別的表現を回避しやすかったり、語感がマイルドで角が立ちにくかったりするというのが理由らしい。
今回、建設されるのは「刑務塔」とでも呼ぶべき施設である。収容されるのは罪を犯して服役する人たちだ。
ただし、人道的な見地から服役者をこれまでとは違ったイメージで捉えるために、「シンパシータワートーキョー」という名称になったのだろうが……。
* * * * *
「ことば」について、つい考えてしまう作品でした。
人間はことばを得たことで、複雑な思考、論理的な思考ができるようになったと言われます。
確かに共通言語としてのことばがあるからこそ、書物などの文字で書かれたことばでもって、まったく同じ ( とまではいかなくてもかなり近い ) 気持ちや考えを共有できたりします。哲学や思想などの主義や主張に強い共感を覚えたりするのもそのためでしょう。
それらを考えると、ことばというものは個体としての存在に過ぎない私たち人間にとって、非常に有用なものであると言えると思います。
ならば「ことば」にもっとも求められる要素は、「意味を正確に伝える」ということのはずです。そして意味の正確な伝達には、表意文字である漢字によることばがあれば足るということになるのでは?と思いました。
( もちろん漢字使用圏の人間にとっての話ですし、私は国粋主義者でもありません。 )
本作の序盤で沙羅が、外来語由来のことばへの志向がますます強くなっていく日本人の傾向に気持ち悪さを感じているという描写がありました。
刑務所に収容されるような罪を犯した人間は、たまたま不幸な境遇に置かれただけの、「同情されるべき」存在だというイメージで人々から捉えられなければならない。
犯罪を犯さなかった人間は恵まれていたからであって、その恵みに与れなかった服役者はそれまでの不利益を刑務所で解消されて然るべきだ。
そんな新コンセプト ( あっ外来語由来のことばを使ってしまいました! ) で新宿御苑に建てられたのが「シンパシータワートーキョー」です。
一般人の服役者への偏見と、服役者の獄中生活への負のイメージを和らげるための命名でした。 ( この正式名称は、沙羅がインタビューを受けるたびに意図的に用いた「東京都同情塔」という韻を踏んだ上に意味を的確に伝える通称によって、その効力が減じられはしたようです。)
日本国政府や時の政治家が、服役者への扱いを一変させ、こんな施設を作るに至った経緯については書かれていないので想像を逞しくするほかありませんが、外来語に対して日本人の持つイメージを隠れ蓑にして伝えるべき意味の境界を曖昧にしてしまおうとする意図を感じてしまいます。 ( 実際、描かれている獄中生活は、自由に外出できないことを除けば、まるで高級リゾートホテルに滞在しているかのような毎日なのです。どれだけの税金が投入されているのか、考えるだに恐ろしい。福祉政策を充実させることよりも政治家にとって旨味があったのでしょうか。 )
政治家。文化人。宗教家。マスコミや広告業界の関係者。ことばを駆使して大衆に主義主張を発信する人たちの多くが、外来語由来のことばを好んで使っているように見受けられます。
そこには、マイルドに見せかけたことばで隠されたもの、言うならばオブラートに包まれた毒があるのではないか。境界の曖昧なことばを前面に出して煙に巻こうとしているのではないか。
目先を変えるだけの、まやかしとも言える「ことば」による操作。それは邪推だと、本当に言えるのでしょうか。
彼らに胡散臭さを感じる理由が、本作を読んで腑に落ちた気がしました。
Posted by ブクログ
コンプライアンスの時代に代表されるような、気を使って言葉を発しないといけない現代が持ち得る危うさが、空想的な予測をはらんで未来に向かった結果を表現したような作品に感じた。看護婦という言葉が使われなくなったのと同じベクトルで、犯罪者はホモミゼラビリスに、そしてそこにいたるまでのバックグラウンドにまで気をつかわないといけなくなっている表現方法が面白かった。随所に性を象徴する比喩表現や構造の配置が見られたが、それが何を表現しているのか、自分には深く理解できなかった。テーマは理解できたと思うがそれに深みを与える表現が自分の理解を超越していたので、もっと読解力か感受性を高めてまた読み直したいと感じた。
Posted by ブクログ
「自分の言葉で書かないと彼女の自伝にならない」と言いながら他人の言葉を借用する男の子。コロナが明けたと思ったら、正しい言葉を並べないと他人と対峙できない病気が蔓延しているよな。
本のレビューをかくにしても、他人の評価を見て、自分の見立てが正しいのか確かめないと怖いと感じる。
はっきり言って全然物語は面白くないし、登場人物もイケすかない。ただ黙っていたらその方向に向かっていく未来がある一種の預言書。ただ、日本人はもっと流されやすくて、トランプの再登場でまた違う未来を見てる気もする。
Posted by ブクログ
文体の影響か、あっという間に読み終えてしまった。
スト−リ−を追うというより、感覚をずっとなぞっていくようで、スルスルするすると文字が流れていく。なにか大事なことを見落としてると思いながら。
鈴木保奈美の番組に出ていた作者の理知的な言動に、どんな文章を書くのだろうと興味を持ったのが本書を読むきっかけだった。読んでいる間自然と彼女の佇まいとリンクして、その頭の中をずっと覗き込んでいるような感覚だった。
AIとの関係性は今後もっと密になっていくことを改めて予感させるが、何を持って正しいと(もしくはそういうものではないと)判断されていくのか、未来が見えるようでいて見えない。
読み終えてからなにか思索しようとすると、世界平和を願うが隣人を恨む知人のような矛盾を感じ、気づいたら希望とむなしさが相反しながらずっと残っていた。
Posted by ブクログ
MUFGが国立競技場の命名権を買い取ったニュースが偶然にもタイムリーに響き合う。MUFGスタジアムとかにすんのかねー、知らないけども。
日本人が日本語から離れていく、カタカナに逃げていくという感覚は、社会人になってから結構強く感じるようになった。
何かを包摂しようとする語は、何かを排除しうる語を糾弾する。漢字の熟語に比べて、カタカナ語の包摂力の大きさみたいなものは感覚的にわかるが、果たしてそのカタカナで構成された余白の多い語は、本当に包摂されるべきものを掬い取っているのかという疑念の拭えなさが、常にカタカナ語にはついて回るような気もする。牧名はとくに言葉を厳格に使う人間だったが、彼女のうちに住む自己検閲官的存在は、ザハ・バディド案が白紙になって隈研吾の国立競技場が立ちパンデミックの最中プランBの五輪開会式を強行したその後の世界を生きる現代人に、程度の差こそあれど備わっているもの、というか住まわさざるをえなくなっているもの、な気がする。
Posted by ブクログ
近未来の東京、建築家の女性のとある塔の建築プロジェクトを通して、言葉と建築を中心に社会のあり方を描く、、、お話(?)。
芥川賞らしい硬質な文章だったため、ちゃんと理解できているのか不明。ただ何故だかすっと読まされてしまう作品ではあった。
当時AIによる文章生成が話題になっていたけど、そこは特に問題ではなくて、それを主題に捉えて(?)、言葉の大切さを訴えているようなところがステキなことなのだと思う。
オリンピックとかジャニーズ問題とか社会風刺も入っているところはさすがだなぁ、と思いました。
Posted by ブクログ
オーディブルで聴いた
犯罪者が社会的に作られるということや平等とはといった問題に一石を投じているように感じた。
主人公や主要人物の人間像に共感は難しく、物語として面白さは感じられず、また、あまり自分として、問題への思考が深まった感じもしなかった。
彼岸花が咲く島と同様に、芥川賞って何を観点に選ばれてるのかなと素朴に思った。
Posted by ブクログ
難解な箇所では文章を反復することもあったが、非常に読みやすい印象も残る不思議な文章だった。
国立競技場の描写に違和感を覚え読んでいる途中にネットで検索をして、ザハ案が通ったパラレルワールド的な東京の世界を描いているのだと理解した。
「東京都同情塔」、この塔の是非についてメインキャラたちがどういった考えを持つのかの具体の描写があまりなかったのが少し残念だった。それは塔の是非自体がこの本の主題というわけではないから、というのも理解しつつ、私自身が非常に興味のあるテーマなのでそう感じた。
犯罪者は哀れまれるべき、彼らは環境に問題があっただけ、というのは、社会心理学や犯罪心理学に即した考え方だ。
人間の行動は全て遺伝要因と環境要因によって決定づけられるというのが社会心理学的な考え方で、私もそう解釈している。私は殺人事件の加害者などの生い立ちに日頃から関心を持っていて、時には涙ぐみながらWikipediaを読んでいる時間もあるし、加害者の名前をTwitterで検索して「こいつを今すぐ死刑にしろ」などという安易な書き込みに腹を立てたりもする。
そのため、マサキ・セトの提唱する「ホモ・ミゼラビリス」論には概ね賛成の立場で読んでいた。
ただ「東京都同情塔」については、アメリカ人記者と同じように、鳥肌の立つような嫌悪感を抱いた。
私は犯罪者は哀れまれるべきだとは思うが、だからこそ、更生のために刑務所に入るべき、入らなくてはならないと、自分が思っているのだと知ることができた。
マサキ・セトの理論ではホモ・ミゼラビリスはあくまでホモ・ミゼラビリスであり、ホモ・フェリクスにはなれないのだ。その思想が私に嫌悪感を与えたのだと思う。
マキナ・サラが最終的に「東京都同情塔」を建築すべきではなかったと感じた理由がどこにあるのかは読者の想像に委ねられていたが、もう少し描写してほしいと感じてしまった。
この本の帯にはAI時代の預言の書と書かれていた。徐々にAIに侵食されているような描写もあり薄気味悪くも感じたが、私の日常もAIに侵食されていると最近は感じることもある。
そういった未来でも、やはり思考は人間にしかできないものなのだと信じたい。マキナ・サラのようにとめどなく思考を続けることは、程度はあれど自分らしく生きていくために不可欠であると感じた。
私はマキナ・サラほど賢くはないので烏滸がましいし気恥ずかしいが、何かを考え続けて神経質気味な節があることに共通点を感じたため、比較的好きな登場人物だった。
言葉の持つ効力について考えさせられる一冊だった。
Posted by ブクログ
「都内に建てられる刑務所ユートピア」という、いかにも妄想っぽいアイデアが、巧みな筆致によってリアルに頭の中に構築された。
牧名沙羅は非常にこだわりの強い、自己主張の上手な女性だと認識した。建築家のことはよく分からないが、彼女のような人間がいるならちょっと喋ってみたいと思った。こちらに関心を寄せてもらえないかもしれないけど笑
Posted by ブクログ
この本の登場人物が、思ったこと感じたことを真っ直ぐの表現で伝えてくれたことで、日本人が持つ特有の「気持ち悪さ」に気づいた。
言葉を介している時点で、その人の本心は純度を失って伝わっている。そのことを踏まえると「真っ直ぐの表現」と用いたのは矛盾であるのかもしれない。
Posted by ブクログ
人工知能との対話の壁打ちは良くも悪くも自己の壁を厚くするっていう話。
もやっとしてて角が立ってない雰囲気が自分にはあまり合わず。
この言葉とかこの一文というのではないけど、面白い文章や表現はたくさんあった。
p. 3
バベルの塔の再現。シンパシータワートーキョーの建設は、やがて現々の言葉を乱し、世界をばらばらにする。ただしこの混乱は、健築技術の進歩によって傲慢になった人間が天に近付こうとして、神の怒りに触れたせいじゃない。各々の勝手な感性で言葉を濫用し、捏造し、拡大し、排除した、その当然の帰結として、互いの言っていることがわからなくなる。
喋った先から言葉はすべて、他人には理解不能な独り言になる。独り言が世界を席巻する。
大独り言時代の到来。
Posted by ブクログ
2030年に新宿に立つ新しいタイプの刑務所、東京都同情塔(シンパシータワートーキョー)の設計者の物語。AIへの問いかけが多く出てくることで読んでは見たもののとても難解。
Posted by ブクログ
上手く言葉にするのは難しいけれど、劇的なことは起こらずただただ風刺的な会話で成り立たせてしまう著者の手腕に脱帽。
複数回読まないと上手く感想はまとまらないけれど、言葉によって人間を定義するという点へのこだわりは虐殺器官にも近いものがある気がする。
犯罪者を犯罪者として扱わない。
誰しもが言葉によって自由になる。
中々会話がハイレベルなのでもう1度読んで整理したいが、かなりの読み応えでした。
Posted by ブクログ
多様性、またはダイバーシティな思考な文化が当たり前になってきた今日この頃。それは、とても素晴らしい事である一方、用法容量を間違えれば破壊を招く可能性も多いにある。という風に解釈した。
作者の九段理江はヒップホップヘッズらしい。なるほど、どうりで所々の文章にグルーヴとアティチュードを感じたわけだ。納得。
それにしても、東京五輪の没案になったAKIRAとコーネリアスの開会式、強行突破しても良かったのでは?なんて思ったりする。
「多様性」という耳障りの良い言葉の上澄みだけをすくったようなタワーが日本で建設されるという設定は、日本人の国民性が反映されていて面白かった。表面だけ取り繕って、中身がスカスカのカタカナ英語を多用する近年の傾向に対する問いかけのような内容になっているのではないかと思う。
心が動かされる、感動する、という類の小説ではなく、作者が淡々と疑問を投げかけてくるので、個人的には物足りなさを感じた。AIのような、当たり障りのない言葉しか話さなくなった人間をデザインしたのかもしれないけれど、それならば一人称小説にした意味を考えてしまう。
タクトの出自については、いささかご都合主義なところが気になった。