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第45回野間文芸新人賞受賞作
「東京都同情塔」が芥川賞を受賞して更なる注目を集める著者が、
ほとばしる想像力で描く、馬と人類の壮大な歴史をめぐる物語。
太古の時代。「乗れ!」という声に導かれて人が初めて馬に乗った日から、
驚異の物語は始まる。この出逢いによって人は限りなく遠くまで
移動できるようになった――人間を“今のような人間”にしたのは馬なのだ。
そこから人馬一体の歴史は現代まで脈々と続き、
しかしいつしか人は己だけが賢い動物であるとの妄想に囚われてしまった。
現代で競馬実況を生業とする、馬を愛する「わたし」は、人類と馬との関係を
取り戻すため、そして愛する牝馬<しをかくうま>号に近づくため、
両者に起こったあらゆる歴史を学ぼうと
「これまで存在したすべての牡馬」たる男を訪ねるのだった――。
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Posted by ブクログ
第45回野間文芸新人賞受賞作。詩のような作品。流れるように読みやすいけれど、何言ってるのかさっぱりわからない。
神は馬だ。馬は人間に言った。乗れ。
競馬に憑かれた実況アナウンサーが、過去の名実況を検討し、練り考える。競馬場に行く前には必ず美術館に行く。そしてタクシーで競馬場に向かう。競馬場からはひと財産すった男が歩いてくる。彼は独り言を呟いていたのではなく、馬と対話していたのだった。
競馬が人生の比喩なのではない、人生が競馬の比喩なのだ。その日のレースではシヲカクウマがカイヅカを振り落としてレース除外となった。10文字の名を持つ競走馬がついに現れた。
シヲカクウマの馬主のターレンシスは、競馬についてはよくわからないと言った。馬主になったのは命名権が欲しいからだと。優れたジョッキーは馬と話をするらしい。馬の言葉を教えてくれるとターレンシスは言った。
馬の話が終わった。丸一日かかった。
Posted by ブクログ
「しをかくうま」(九段理江)を読んだ。
ぶっ飛んだよ。
まさに《言葉の魔術師》の降臨であろうか。
ひとと馬と詩の物語。
九段理江さんほど言葉の持つ力を存分に発揮してガツンと読者の頭をぶん殴りにくる作家はそうは居ないね。
彼女には日本語の未来が見えているに違いない。
少し長いけど引用する。
(「東京都同情塔」からも併せて引く)
『とはいえ、一貫性と政治的正しさと共感を集めることに徹した言葉を選んでいくとなると、最後は誰もが同じ言葉を喋る未来しかないんだよね。つまり言葉は死んでいくしかないんだよね。』(本文より)
『言葉は私たちの世界をばらばらにする一方です。勝手な感性で言葉を濫用し、捏造し、拡大し、排除した、その当然の帰結として、互いの言っていることがわからなくなりました。喋った先から言葉はすべて、他人には理解不能な独り言になりました。』(「東京都同情塔」本文より)
今年一冊目として素晴らしいスタートをきることができた。
Posted by ブクログ
意味は全然わかんないけど、読んでてとっても楽しい。作品全体が詩みたいだし、馬みたいでもある(今わたしたちが持ってる"ブレイン"とは全く違う基準で動いているような、という意味で)。
根安堂(ネアンドウ)家おもしろすぎるし、途中で出てくる順番記号は競馬の順位や予想も連想させるし、あとヒとビの話は普通にすき。
「彼の頭上にまず降りかかってきたのは不幸の極致にあるものだった。雨だ。」
読んでる途中から、どうしても馬に乗りたくなってホーストレッキングを予約しました。ということは、この詩は概念を書いてるんじゃないんだな、だからこんなに面白いんだなと思いました。
Posted by ブクログ
私の中で、九段理江さんは新しもの好きなイメージがあったものの、本書を読めば決してそれだけではないことが分かる、過去も現在も未来も縦横無尽に行き来した、その一見突拍子と思われる物語も、最後まで読むと伝わってくるものがありながら、毎度の如く、その豊富な知識量や興味のあるものに対する飽くなき姿勢には感服させられる。
そして、その様々な視点から現在に於ける常識と思われるものを揺さぶってくる作家性は、時に大胆で痛烈でありながら肯けるものがあったのも確かで、それは『多様性を求めながら同時に平等性をも要求するようになった』のような皮肉を効かせる一方で、『一貫性と政治的正しさと共感を集めることに徹した言葉を選んでいくとなると、最後は誰もが同じ言葉を喋る未来しかない』には、まるで前者とは相反するような『右へ倣え』の姿勢が未だに根強い、現代社会の矛盾を批判しながらも、寺山修司、谷川俊太郎、ゴーギャン等の言葉を引用する点に、彼女の作品に於いて時折テーマとなる『言葉』の持つ力や可能性への真摯な一面も垣間見えたことから、単に登場人物に自由に語らせるだけではない、現実に存在した人物のリアルな言葉を小説に取り込むことで生じる、現実とフィクションとが入り乱れた感覚は、どこか滑稽とも思われながら真実が埋没しているような気にもさせられて、それは夢を見ているような足下の覚束ない浮かれた気分の中、不意に冷水を浴びせられて目が覚めた感覚とでも言えばいいのだろうか。
そう考えると、『しをかくうま』には様々な思いが込められた良いタイトルだと思い、そこに漢字を当てはめてみて、そんな馬鹿なと嘲笑する人が、もしいるのであれば、それこそが『君たちがつくったわけでもないこの世界』に於いて、『己がいっとう賢い動物であるという妄想』を抱いてしまうのは何故なのか、よく考えた方がいいと思うと言いたくて、それは馬が人間と初めて出会ってから、どれだけ時が経過しているのかという歴史的背景を知ることで、馬のことをどれだけ知ったつもりでいるのかという思いにさせられながら、初めて人間が馬に乗せてもらえた時の心境とは如何ばかりのものであったのかという感慨深いものもふつふつと湧き上がってくるようで、そうした思いと、彼女があるべき未来を見るために過去の歴史も見ながら本書を書いたことには、過去とは決して切り離して良いものではなく、過去を謙虚に受け止め大切にしてこそ明るい未来があるのだという、そんなメッセージをそっと忍ばせていたのかもしれない彼女の姿勢は、エドワード・マイブリッジの偉大な功績の一つである連続写真『動く馬(The Horse in motion)』を表紙に採用したことにも、よく表れているのだと思う。
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小説・文芸
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