香山哲のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
ある友人に薦められて本を借り、読んだ。僕が好きそう、ということで薦めてくれた。毎日仕事のタスクに追われて時間を過ごすのではなく、日々の小さな工夫や自分の感覚に素直に、丁寧に「生活する」という価値観が僕の目指すそれとあっているかもしれないと思ったようだ。
まとめると、東京の慌ただしく、圧倒的睡眠不足で、人生=仕事•生産性、みたいな生活に対して、アンチテーゼを呈するライフスタイルを紹介した漫画と言える気がする。中でも作者が実際に経験しているベルリンでの生活が描かれている。東京にはない〇〇、と比較するように、ベルリンに移住した作者が街で気づいたことや感じたことがベースに描かれている。少々ベルリンが理想郷化されすぎているように感じる点は気になるが、面白いライフスタイルに触れることができたと思う。特に新卒社会人生活がもうすぐ始まる僕にとって、「これからどんなライフスタイルで生きていきたいのか」を改めて考える素晴らしい機会になった。
東京との比較で作者が上げていたベルリンの特徴が面白い。
僕はベルリンを訪問したことがあったので、すでに知っていることもたくさんあった。例えば、電車の駅には改札がないとか、普段から社会課題や政治に高い関心のある人々が多いとか、街中には歴史を感じる仕掛けがたくさんされているとか、そういったことだ。
一方で新たに学ぶことのできた特徴もあった。電話ボックスの中に本がたくさんあって、要らなくなった本を捨てたり、面白そうな本を借りたりもらったりしてよいというのがその一例だ。リソースをコミュニティでシェアする意識が当たり前になっているのかなと感じた。自分ひとりで働き、金を稼ぎ、ものを購入し、消費し、捨てるのではなく、誰かが購入して要らなくなったものを他の知らない誰かが使うサイクルがうまく作られていると感じた。
最近メルカリなどで古本を売ったり買ったりしているので、その良さが少しわかる。たまたま出会う本、たまたまそこに居合わせる人との出会いが、ベルリンに住む人々の生活のなかにはきちんとスペースを得ることができる。東京ではあまりないことだ。
今は自分が関心のあることに時間を使うのが楽しく、友達との会話の中でたまたまある発見に感動することもある。しかし、知らない人と知らない場所でたまたま出会って話す、みたいなことはまだ自分の人生にはない経験だ。お金や仕事のためのスキル獲得に目的意識なく迫られ、そうした日々のちいさな出会いや工夫への気付きを忘れないように社会人生活を送っていきたい。たまにはキャリア的に意味がないことをなんとなくしよう。地元の温泉に行ったり、youtubeのオススメを眺めたり、演劇鑑賞したり、公園を散歩したり。仕事は人生の一部であり、自分が選択した時間の使い方である。辞めたいときに辞め、やりたいときにやりたいことをやる。それが自分の人生の時間の使い方の原則だ。 -
Posted by ブクログ
前作はベルリン暮らしの楽しさ、面白さが伝わってきたが、こちらはもっと込み入った内容なので、はじめは読みにくいような気がしたが、読んでいくうちに、香山さんがベルリンという街に根を張って、お客さんじゃなくて住む人になったからだな、と思った。無料でシャワーと洗濯ができるスペースを仲間と作ってホームレスの支援を始めることにページが割かれている。
ベルリンにだって問題はたくさんあるんだろうけど、この本を読むと、日本よりずっと「自分と違う人」に寛容である。同じ場所で生きる者同士、許せることは許し、助け合えることは助け合おうというのが普通になっている。日本は日本人も政府も、他者に厳しく、違いを許さない。ベルリンに比べると、本当に心が荒む。生活と言葉さえ何とかなるなら明日にでも引っ越したい。
この本の中の言葉、日本の「普通の人」や政治家にも読んで欲しい。
あと、フィンランドの首相サンナ・マリンさんの言葉が書かれているが、「ある社会の中で、最も弱い立場に置かれた人たちがどれだけ幸せになれるかってことこそが、その社会の強みだ」(P109)って、本当にそうだと思う。
自分へのケアが充実していて、「日々こうありたい」と思える自分の姿で堂々と暮らすことができていれば、困っている人の生活の充実も自然と願えるような気がする。逆に、栄養や睡眠が不足していたり、理不尽や圧の強い環境で不服に生きていると、他人に対しても「自分だってつらいんだからできるだけ我慢しろ」というような気持ちになるかもしれない。(P80)
「この世界に起きるべきではないこと」が、もし起きれば、誰が被害者でも人間全員にとっての問題だと思う。
自分は自分として生まれ育ち、自分の主観しか持っていない。
世の中にある苦しみや痛みのほとんどを、自分は感じることができない。
だけど、それが生じる仕組みや、当事者の人生への影響を知ることはできる。
「自分以外」への理解や想像をやっていく時間的・精神的余裕は多くはないけど、それぞれの人が限られた余裕を使って、理解や想像の範囲をすこしずつでも広げることによって分断や切り捨て、疎外などをましにできるかもしれない。(P161-163)
人間の中には他人同士で助け合わずに各自でなんとかすべきだって考えもあるけど‥‥切り捨てられる人を減らそうとする社会に住んでいたい。(P181)
人は誰でも運によって様々な生まれ育ちを背負うが、自然の摂理として「わりと標準」「まあまあ」な人が多い。偏差値で言うと例えば35~65に収まるのが全体の85%、35以下と65以上の人は7%ずつしかいない、みたいなイメージだ。だから85%の人が「運も人生。受け入れて努力するしかない」と自分たちの感覚だけで社会全体の雰囲気を決めてしまうと、7%の人が追い詰められる。(P186) -
Posted by ブクログ
前巻同様非常に面白かった。面白かったんだけど、今生きてる日本がひどく窮屈で、辛い気持ちになった。
私の住んでる高円寺には「青空文庫」って交換書棚的なもんがあって、それが街の誇りでもあるんだけど、ベルリンではそれは普通。そう読める。高円寺は日本で一番ベルリンに近いと思うが、それでも市場主義にすり潰されてるんだなぁと再認識させられた。
「ご自由にお持ちください」は店の都落ちに伴う文化なので、その意味でも辛い。ぼくは欠けたのを継いだ茶碗とかが好きなので、そういうのがあったら貰って帰るえる。
「こんなに手のかかったこんなに上質なげーじゅつに、こんなに安く触れられることに感動した」地震ちょい前までは、東京でもたくさんあったけど、なんかここ5年くらいで壊滅的に減った気がする。
戦前戦後80年くらい似たような歴史をたどって、どうしてこんなところに差があるのか。強いていうと、ソ連崩壊以降、アメリカの軛からどれだけ離れられたかが大きいきがする。あのころは「このままアメリカについてっていいの?」って話しもあったけど、今は「このままトランプについていっていいの?」とすら言わなくなった気が。
この本は、実はある種の教科書なので、逆に専攻シてる人にしか理解できないんじゃないかと、さらにドンヨリと。 -
Posted by ブクログ
「ベルリンうわの空」読む。ダンナの本棚から借りた。全ページ2色刷。キャラクターが独特で可愛い。ベルリンという街に対して”いつか冷める恋なのか、長く続く愛なのか わからないから見極めようとしている P12”というのがこの漫画の本質を表してると思う。つまづき石(P70)が良いアイデアだと思う。忘れてはいけないことだ。
新聞作り(P127)私も10歳の時にやっていた。絵から文から自分で考えて家族のニュースや友達との面白いエピソード、読んだ本の感想など載せる。叔父夫婦も巻き込んで1年くらい続けたと思う。母が捨ててしまったので(むごい)一枚も残っていない。 -
Posted by ブクログ
ラジオで紹介されていてなんとなく存在は知っていた香山さん。
読んでみて、
ベルリンのpanpanyaだ! と。
安易に言われたら嫌がられるかもしれないが、思っちゃったんだからしょうがない(JUNK 爆笑問題カーボーイ)。
共通の先祖はつげ義春かなと思っていたら、作者本人のツイッターで、
「絵を手伝ってもらうとき、「つげ(義春)1歩手前ですか?」「2歩か3歩手前でお願いします」みたいな感じだった」
ふふふ。
それにしてもこんな生活してみたいな。
というのはベルリンに住みたいということではなくて、身の回りの生活に着目する眼を持ちたいということ。
今の自分ときたらゾンビのようだし。
もちろんインプットもアウトプットもかなり努力された結果の作品なんだろうけれど。
お裾分けをいただこう。 -
Posted by ブクログ
2020年8月に出されたものなんだけど、あの時、皆どんなことを思って生活していたのかが急に気になって、読んだ。(強いて言うなら、目当てはニコ•ニコルソンさんかな……)
円城塔さんの日記では、高確率で同じ本を読んでいて、なんとなく辿っていっている思考のようなものにまで触れられた気がした。
定期的に来る、母親からの父親一周忌お知らせメールは、笑っていいのかいけないやつなのか、ちょっと難しい。
アメリカやヨーロッパに住んでいる日本人筆者の日記では、自分たちが急に差別の対象となったことへの気持ち悪い違和感が書かれていた。
同時に、星野源のMVに対する怒りのコメントもかなりの割合で入っていることに、驚いた。
私には、どこからどこまでが呑気の範囲で括られるのか、よく分かっていない。
さらに自分に想像力がないなと思ったのは、ワンオペ育児と書いている人の日記だった。
この時期に、新生児を抱えて日々過ごすことの不安や神経質な思いの一端を知った。
振り返ると、マスク不足で不安に思っていたことは、随分前のことのようにも思う。
検温とアルコール消毒はもはや日常で、目の前に立てられたアクリル板のせいで、向かいの人が何を話しているかも、もう聞こえなくなった。
そんな世界でも、相変わらず私は、誰かから見ると呑気な生活を送っていて。
そしてその誰かは、世間を社会を恨んで絶望して、今にも生きることを諦めかけているかもしれない。
見えないことを推量することの意味は、結局、見えることには敵わないのだろうか。
無力にも、ただ問うことを繰り返している。