恩蔵絢子のレビュー一覧
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良い意味で期待外れで、最高に面白かった。AIは知性と呼べるのか?みたいなところに興味を持って読み始めたところ、原初の動物の脳の話から始まり怪訝に感じたが、果たしてこの生物の進化の物語がすごく面白く興味深かった。
意識とは何か、感情って何なのか、すごく深遠な問いなのかと思いきや、まさか左右相称動物が自身の体を操縦するためのニューロンの働きが本質だったとは。もちろん一言で言い表せるような単純な話ではないが、ここから脳が始まり、強化学習やシミュレーションなどのブレイクスルーに至るストーリーは強力な納得感があった。
また、本書のいうとおりLLMは他社の感情をシミュレーションする人間の一番の特徴を欠いており、人間と同様の知性にはなりえないという指摘もなるほどで、今後はこれまでの5つのブレイクスルーを元にして超知能が出現するというのはあり得そうだなと思った。
著者が根っからの学者ではなくビジネスマンなのが驚きだが(知識量、勉強量的に)、だからこそ自分のような一般人が分かりやすい本になっており、最近読んだAI関連の本では間違いなくナンバーワンだった。2025年、最高の読書納めとなった。 -
Posted by ブクログ
この本を読み、「楽しい」と「幸せ」は似ているようでまったく違う感情だと気づかされました。
「楽しい」は刺激が強く、人生に濃い味を与えてくれます。友達と笑い合う、挑戦が成功する、評価をもらう、できなかったことができるようになる。
そうした瞬間には躍動感や達成感、承認欲求の満たされる感覚があり、ドーパミンが大量に分泌されます。
一方で、「幸せ・幸福」はもっと静かで薄味です。のんびり、平和、ほっこりとした穏やかさ。強い刺激はないけれど、じんわり心が休まる感覚です。
本書を通じて自分の人生を振り返ると、私はお恥ずかしながら「楽しい=刺激」を優先するタイプでした。
お金、恋愛、セックス、美味しい食事やお酒、旅行、勉強など、多くの行動が
楽しさによるドーパミンを求めるもので、その裏で快楽と苦痛がセットで増えていたことに気づきました。
刺激は魅力的ですが、依存が強まるほど心の平穏は失われていきます。
だからこそ、自分は「刺激に満ちた人生」を望むのか、「穏やかな幸福」を大切にしたいのか、改めて向き合う必要があると感じました。
外部刺激を完全になくすことはできませんが、距離を置き、うまく付き合うことはできるはずです。
実際に私はこの本を読んだことで、お酒は月1-2回に絞って、タバコは完全に断つ事ができました。最初はつまらなく感じましたが、目先の快楽に流されない生活を続けるうちに、時間とエネルギーにゆとりが生まれ、本当に必要なことに集中できるようになりました。今では以前より人生が有意義だと実感しています。
この本に出会えたことに心から感謝しています。
「脳内麻薬」という本と一緒に読むのをおすすめします。 -
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現代はモノに溢れている。私はこれまで快楽を得るため、買い物、デジタルドラッグ(Twitter、YouTube、電子漫画)、本、FX、お菓子、食べ物、ファッション、メイク、サウナ、スーパー銭湯、ゲーム、音楽、水泳、恋愛、勉強などに頼ってきた。これらは、現実から逃避できる手段であり、自分自身から気を逸らすためにやっていたことに気が付いた。私は、要領が悪く、体力がないため、他の人のように時間を有効に使えないことにコンプレックスをもっている。そのため、常に音楽を聴いたり本を読んだりと何か生産的なことをしていないと落ち着かないことがある。その反面、1人のときは相変わらずスマホをだらだら見て無駄な時間を過ごすことも多い。ドーパミンが過剰に分泌されると、日々の些細なことに喜びを感じられなくなってしまうそうだ。習慣的にお菓子を食べていたときは、一つ食べるともっと欲しくなっちゃって満足感や満腹感を得ることがなく、底抜けの渇望を感じた。先日、仲間とフェローで食べたかき氷が美味しかった。以前かき氷を食べた時は、その後さらにお菓子が食べたくなったけど、今回はかき氷だけで満足した。足るを知るということができたのかなと嬉しく思った。
私は遅延報酬割引がとても大きいが、周囲の人が約束を守ってくれると、この世は秩序が保たれていて安全な場所だと思えて、遅延報酬割引が小さくなるそうだ。今はもう大人になった私にとっては世界との関わり方の問題だと思う。周りの人に慈悲の心をもつことができれば、自然と周りの人にも大切にされてこの世は安全な場所だと思えるようになるだろう。一方で、子どもたちに対する大人の責任は大きい。仕事でもプライベートでも、子どもたちと約束をしたら必ず責任をもつようにしたい。
正直さが人との親密な関係をつくり、それがドーパミンを放出させるそうだ。特に、自分の過ちを素直に認め、それが相手に受け入れられたとき、ドーパミンが大量に分泌される。これからは、いつも嘘偽りのない等身大の自分で人と関わり、多くの人と親密さを築いて生きていきたい。これから人と関わっていく中で、トライ&エラーで伝え方や断り方も学んでいきたい。これまで人に譲歩してもらう状況を避け、人と関わらないで生きてきた。だから、「疲れたから少し休みたい」とか「私は行きたくない」などと人に自分の意思を伝えることに慣れていない。相手を傷つけない配慮のある言い方を身につけていきたい。また、その時に最大限配慮のある言い方をすれば、あとは相手がどう受け取るかは相手の問題と割り切って手放せるようにしたい。 -
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妻から、ママが最近認知症っぽい感じだと心配そうに言う事が増えた事から、ふとこの本を手に取ってみた。
脳科学者としての客観的な分析と実の母への娘の感情とが鮮やかに書かれててこの人しか書けない本。
アルツハイマーの進行により母が母でなくなる恐怖を感じながら、認知症とは?その人らしさとは?を真剣に考えながら必死で乗り越えていく、まさに血の通った学者の経験談。
愛情だけで越えられない綺麗事で済まない苦労はあるはずだが、この本の内容を知る事で介護する人される人にとって少しでも助けになるのではと感じた。
自分の両親も妻の両親もいい歳だから他人事ではない。少しでも心の準備をする為に良い出会いだった。 -
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人とはまことに多面的な生き物で、いろんな特性を持っていますが、現代の学校教育では読み書きそろばんと記憶力ばかりが重要視され、それ以外の特性はちっとも評価されない。算数や漢字が苦手だと、勉強ができないヤツだと決めつけられる。このことが、私は以前から不満でした。でも、これからの世の中、AIが発達すれば、読み書きそろばん・記憶力なんかはAIには全く歯が立たなくなるでしょう。その後、人をはかる物差しはどうなるでしょう?
この本を読んで、その物差しは、認知症になった方をはかるのと似ているんじゃないかと思いました。失っていく能力を嘆くのではなく、それでも残る人の心の芯に光をあてて、その人を見る。それができるようになりたいと思います。
著者の脳科学的説明はとても分かりやすく、一方で、娘として母を支える中でのイライラなども隠さずに記され、実際に私が支える立場になった時のための心構えとして、とても役立ちました。 -
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父方の祖母に最後に会ったのは十歳くらいの頃、病院でのことだった。
遠くに住んでいたから、祖父を急に亡くしたあと、認知症になった祖母に会ったのはその一度だけだった。私のことを、私の妹の名前でしか呼ばず(年子で名前も似ているので混同したのか、妹のほうを気に入っていたのか)、息子である父の顔も忘れてしまった祖母は、それまでの印象とは違う、子供のように純粋な笑顔を私に向けた。自分の名前を呼ばれないことや、息子である私の父を覚えていないことで、おそらく私はショックを受けたのだろう。そのあとも父は何度も会いに行っていたが、私自身は再び会うことなく祖母は亡くなり、お葬式へも行ったはずだが思い出せない。
この本を読んだことで、久しぶりに祖母との様々な記憶が蘇ってきた。お正月に会いに行くと、いつも頭のついた大きな海老を塩焼きにして出してくれた。祖母なりの最上の御馳走だったのだろう、私は今でも殻ごと塩焼きにした海老が大好きだ。朝ごはんはいつも、炊きたての真っ白なごはんと味噌汁に、ハムとピーマンと卵をフライパンで焼いたもの。三色の彩りがきれいだった。アイスクリームのことをなぜか「クリーム」と呼んでいて、「クリーム買うてき」と岐阜の方言で言いながらお小遣いをくれた。優しい声だった。
祖母自身は幸せだったのかもしれない。本書を読み、子供のような笑顔を思い出して、そう思った。自分が悲しかったから、私は父まで悲しかったことにしてしまったのだろうか。あるいは「名前を間違えられた」=「忘れられた」=「悲しい」、というラベルは、大人になってから付けたもので、子どもの頃の私は、「ああ、以前と違う人になったんだな」と思っただけだったかもしれない。本当のことは、自分の過去でもわからない。記憶は、本書でも書かれているように、思い出すたびに変わり続けていく。
あのとき、祖母があらわした表情のまま、心から幸せそうに見えるそのままを、ようやく今私は受け取った。過去の出来事は変わらなくても、見方が変わることで、出来事の意味は変化する。幼い私と父と祖母、私の中にこれからも存在し続ける三人が、「忘れられる=悲しい」という通念のレッテルから救い出された。私はきっと祖母のあの笑顔を、安心してこれからも思い出すことができるだろう。レッテルによる痛みが、想起を妨げていたのかもしれない。
著者が専門とする脳科学と、認知症についての最新の知見を得ながら自ら徹底的に考えた「その人らしさとは何か」の探究の道筋を辿るうちに、自分という存在もまた許容されているように感じられた。「その人らしさ」は、能力の多寡によって「だけ」でできているのではない。むしろ中心にあるのは、感情の動きという、これまでの通念では理性によってコントロールされ、そのまま表出すべきではないとされていたものが、実は自分が生まれる以前から、そして意識しないままに自分でも積み重ねてきた生命の叡智であり、各々の個性を形づくっているということだ。緻密な道筋で語られるこの事実に驚くとともに納得し、私自身も他の一人一人と同様に、全く同じものはどこにもない、一回きりの可能性のあらわれた存在であると感じることができたのだ。
愛情深い洞察が、著者の母のみならず、ひとつひとつの生命の肯定として聞こえてくる。「自分らしさとは何か」に悩む人に向けた耳障りのいい言葉が連なっている本は数多あるが、まったく質が異なる。そういう本は往々にして、新たな依存心の矛先を示しているように私には思えてしまうのだが、本書は著者とともに、読者も自ら思考し、自分自身を救い出す力を自然と喚起される。認知症の母親と暮らす上で起こる、現実生活の細やかなディテールと、そこから導かれた考察を読むうちに、読んでいる私まで、存在を許されている安全地帯に連れてきてもらったように感じられた。この安全地帯から、我々読者も、自分に備わった力を発揮することができるはずだ。表面を取り繕うのではなく、心から他者を肯定するように行動していなければ、文章にこのような感じは決して現れないものではないかと思う。そういう著者の心の質感が、文体から感じられる。
「死んだ後までつながる方法があるのなら、家族で行って見ておきたい、と思った」、と著者は「あとがき」の冒頭で言う。あまりに自然な言い方に、私はまたも動揺した。人柄の現れた、衒いのない文体がそうさせるのだろう。ここまで本書を読んできた人なら、彼女の言葉に嘘も誇張もないことを私と同じように感じているはずだ(そんなに自分を責めなくても……と思ったこともきっと一度ではないだろう)。
私は誰に対しても、そんな風に思ったことがない。もちろん普通に、育ててくれた両親や家族のことは大切に思っているのだが、「死んだ後までつながる方法」まで考えたことはない。
自然にこうした言葉が出てくるような関係をもともと持っていた人だからこそ、このような真摯な頭脳と感性の鍛錬が可能だったのか。もしくはこの本に書かれている痛切な経験が、著者にこのような自覚を齎したのか。
両方なのではないか、と感じながら文庫版のあとがきを読む。
人間が自由であるとはどういうことだろう。
著者は現実と「闘って」いるのでは決してない。家族のことを、自由を阻む「敵」だとか「軛」だなどと感じているのでもない。
そのような抽象的な「自由」を求めているのではなく、どんな状況にある人でも求めてやまない、人間の尊厳を実感し続けるための原資である、心の自由が損なわれないことを、どのようにしたら誰もが感じ続けることができるのかを、具体的に実践的に考え続けている。
どこまでも真摯なその姿が、これからもいつまでも私の心に残り続けるだろう。 -
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前に読んだ本だが文庫化を機に再読。
認知症のメカニズムと関連した脳科学・認知科学の知識が、実例を、しかも実感を持って書かれているだけによくわかる。ただ、結論部の”感情”についての議論の後半部分はちょっとまとまっていないと感じた。著者が母の現状について、それでも意味があることを納得したくて、唯一大きく残っている「感情」に重きを置きたい、とも読める。行動に付随するものとしての感情と、その人らしい反応としての感情は、同じものなのだろうか。その人ならではの反応は、やはり”性格”のようなもので、反射的に表れる”感情”とは重なるところもあるけれど、重ならないところもあるのでは。 -
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世の中はもので溢れているとよく言うが、それは少し違くて、世の中は意味で溢れている。意味が分からない人から見ればただの物である。物を消費するのは限界があるから、意味を売るようになった。
依存症も物を媒介として意味を得たいがための行為だ。つまり現実逃避だ。現実逃避をさせるのが上手な人ほど儲かっているとは、なんてひどい世の中だ。本人にその気はなくとも、本人から私たちに届くまでの媒介物全てに現実逃避させるつもりはない、という気持ちがない、とは言い切れないだろう。私たちは他人の人生を見るために生まれてきたのでは決してない。ということで、自分の理想像を想像して、その理想像がしてなさそうなことを一つ消すことにした。そう思わせてくれてありがとう。ドーパミンを出しては消費するだけの人生はもううんざりだ。何も変わってないのだ。 -
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ネタバレアメリカ人のフィニアスゲージ氏が左側の前頭葉特に前頭癌科皮質と呼ばれる領域に傷がつき、命は助かったが、事故後とても移り気で忍耐力がなく、簡単にイライラして他人に失礼なものをするようになった。
脳の物理的な変化が感情や人格に影響を与えることは示された最初の例である。
前頭癌科皮質は身体の反応と関係していて、意思決定に重要な役割果たしていることが明らかになった。
一般的な人と損傷のある人との違いは感情的な写真を見せられた時に、瞬時に冷や汗をかくか書かないかであった。
彼が事故で被ったのは知的能力の問題ではなくて、身体の反応であり、感情の問題だった。
ゲージ氏は道徳の源は感情であり、感情がなければ人間は道徳的には振るまえないという可能性を示唆した。また、道徳的判断だけではなくて、次は何をしようかという、日常の小さな意思決定も苦手になっていた。
感情、すなわち、身体の反応が私たちの意思決定には必要なのではないか?
この仮説はソーマティックマーカー仮説と名付けられている。
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Posted by ブクログ
脳研究などの知見をまとめたライフハック的な本をこの前に読んでいたため、もともとの研究の意図など本来の部分をこちらの本で確認することができ、相互補完的な形で興味深く読めた。言葉は高度な知的作業として最後にうまれるものなので、その前段としての身体性を無視することで歪みが生じているというのは納得することが多い。当初の相手に共感しすぎてしまうことによる感情労働の問題から、SNSを発端とする、身体と言葉を切り分けかえって自己をなく、モノ化してしまうような事象、AIとの共存の仕方など、著者の考えエッセイ的なものも含まれるので、読みやすく、科学者と哲学書の融合のような印象を持った。もう一度読み返して腹に落としたい