恩蔵絢子のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
この「感情労働」ということばがどうもひっかかる。
肉体労働の対比で、感情を使うことがお金になる、ということのようだが、
なんだかぴんとこない。
しかし、この本の中身は興味深いこと満載。
AIには感情はないとか、
SNSでいいねをもらうことに感情を動かされるとか、
ZOOMで講演すると出張しなくていいが、相手の思い、情熱がわからないとか、、
興味深いんだけど、全体として何が言いたいのかはわからなかった。
感情があるから人間なんだ、ということなのかな。
あ、元に戻って感情で稼ぐ、、
脳はフル回転だな。
はじめに 感情労働に疲れきった人たちへ
1 感情を脳科学から考える
感情とは何か?
感情が動いた出来事は、鮮やかに覚えている
初めてのことには、脳の全てが本気になる
感情の二つの経路
意思決定は感情が行う
道徳的判断は、理性ではなく感情が司る?
感情は頼れる一つの生き物
2 感情労働のはじまり
感情が商品になる時
金の取り立ても感情労働
表層演技と深層演技
感情の抑制と認知的再評価
脳は無意識のうちに他者に合わせる?
感情労働と感情作業は、同じ脳活動
3 脳はどのようにして人の心を理解するのか?
人の気持ちを考えて、自分の感情を表出する
AIは感情労働が苦手?
AIエフェクトと言語
感情労働の能力が高い人がいるチームは、成果をあげる
集団的知性――トランザクティブ・メモリー(交換記憶)
集団的知性を築く――インストルメンタル・コンバージェンス(道具的目標収束)
「共感する」だけでは、人を理解できない
「好き」を扱う脳の回路と「欲しい」を扱う脳の回路
4 脳の進化と感情労働
脳は、外套をかけるための釘?
脳は、意識にのぼらせる情報を極力絞り込んでいる
アテンション・エコノミー
人間の脳の中で最後に発達する、人の心を理解する「社会脳」
言語だけで人の心は理解できる?
人間の脳の大きさは、人付き合いのために進化した
ChatGPTは、他者の心を推測できる?
人間の言語は、身体の感覚情報から生まれる
大規模言語モデルと人間
5 SNSは、感情労働の最前線?
見えにくい心を見えるように「加工する」
SNSの脳への影響
思春期は、脳の成長の過渡期
大人とSNS
噓に投資する脳
脳は、現実とフィクションをどのように区別するか?
ヴァーチャル――噓・本当を超えて、私たちに作用するもの
なぜ脳は、フィクションを必要とするか?
モノ化する自己
日本人は他者を「助けない」
6 未来の感情労働
あなたは感情的知性が高い?――33の自己チェック
感情の欠点
大脳新皮質が感情の手入れをする
「気づき」が最も重要
感情的知性を、自分にも発揮する
自分の無意識の一部を把握できると、人は幸福になる
感情表現と認知的柔軟性を高める
IQからEQへ
おわりに 感情労働の豊かな可能性
あとがき -
Posted by ブクログ
題名から感情労働について理解するために読んだが、著者は感情労働と感情作業を同じものとして説明している。本書は感情作業から感情と認知機能の関係から説明し、現在のAIの説明から認知機能(大規模言語プログラム)の進展より、言語によって感情が表されている幻想について説明。ただ感情についてはまだ十分に解明されていないところがあり、その意味ではAIは人間を超えるのは現時点では不可能だろう。話は戻るが、感情労働は、そのようにコントロールできない感情を企業がコントロールすることによる個人の精神的ストレスについての言及は弱く、題名としてどうかとは思った。
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Posted by ブクログ
今、自分の感情がどこにあるのかわからない。
そんなもやもやが続いていたとき、ふっとこの本が目に入った。
感情労働なんて聞いたことなかった。
でも自分の中に自分がいない。私だけの自分になれる時間がない。
そう思っていたので、感情労働とは…と読んでいくと、私の日常は多くを感情労働に費やしていたんだと気づいた。
子育ての参考書として手にしたわけではなかったが、脳の仕組みを理解するうえでは子どもの脳の発達についての理解は必要だったようだ。
我が子も発達の真っ最中。
もっと早くこの本を読んでいたら、もう少し優しく接することができたんじゃないかと悔やんでいる。
感情労働に子どもの脳の発達、生成AIがあふれる社会での生き方。
今気になっていることがたくさん詰め込まれていた。
新しい知識を教えてくれる本というより、なぜか温かく心に優しい本だった。
著者の人柄だろうか。
また本に許してもらったような気がした。
まだ心のもやもやは消えてないけれど、もやもや整理の1歩目になったかな。 -
Posted by ブクログ
脳科学に関する本だったため専門用語や難しい内容も多かったが、同じテーマが繰り返し説明されていたので、理解しながら読み進めることができた。読後には、脳を含む人間そのものや宇宙には、まだ解明されていない可能性や新しい発見の余地が数多く残されているのだと強く感じた。
また、「どんなものにも長所と短所がある」という視点が印象に残った。特に興味深かったのは、人工知能に「できるだけ沢山のクリップを作って」と命令した場合、その目的を最優先にし続け、人類が邪魔になると判断すれば排除してしまうかもしれない、という例だった。命令に忠実であることが危険にもなり得るという話は衝撃的で、人工知能との向き合い方について深く考えさせられた。
難しい内容ながらも、科学や未来について考えるきっかけを与えてくれる一冊だった。 -
Posted by ブクログ
SNS依存になりかけ、これはやばいと焦って手に取った本。彼女自身も中毒に陥った経験があるからこそのリアルな中毒症状とそして世の中にはありとあらゆる中毒があるんだと思わされる。そしてそれらには糸も簡単に私たちは落ち着いてしまうと言うこと。そしてそれらに対してセルフバインド力、自分をはなし、どのように距離を取るかについて具体的な対策が書かれている点がかなりありがたい。そしてドパミンと言うのは、不快の感情も多く、天秤のようにドーパミンが消えると深い感情の方が強くなり、快楽を感じる体制がついてしまい、量がどんどん多くなると言うのも納得。本当に困った仕組みだ。、、、
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Posted by ブクログ
【1:新皮質の基本構造と共通アルゴリズム】
・新皮質はどこを切り取っても「同じ6層構造のカラム」で構成されている。
・場所によって「入力(感覚)」か「出力(行動)」かの比重が異なるため、層の厚みに違いが出る。
・感覚野:入力層である第4層が発達。
・前頭葉:出力がメインのため第4層が縮小しているが、情報の処理回路自体は共通。
【2:生物の進化と時間差分(TD)予測】
・生物は脳内に「行為者(アクター)」と「批評者(クリティック)」を持つことで進化した。
・批評者が「将来の報酬(ドーパミン)」を時間差で予測し、行動を修正するモデル。
・この仕組みを応用したのが「TDバックギャモン」であり、自己対戦を通じて人間を超える戦略を自ら編み出した。
【3:現在のAIが直面している壁(チョークポイント)】
・現在のAIは統計的なパターン認識(生成モデル)で進化したが、「世界モデル」を構築できていない。
・脳は「基準枠(リファレンスフレーム)」の中に物体の構造や物理法則を配置して理解する。
・「動き(センサーの移動)」を伴う学習が欠けていることが、AIが真の知能に至るための課題となっている。
【4:古い脳と新しい脳の葛藤、社会構造】
・古い脳(本能):霊長類のルーツとして「階層構造(上下関係)」を求める。
・新しい脳(新皮質):教育や文化を通じて「平等」などの抽象的な概念モデルを構築する。
・学校教育で教える「平等」は、生物学的本能(不平等な階層構造)と矛盾する場合がある。
・幼児期に過酷な階層がない理由:階層を作るには「社会的な基準枠」を長期保存する高度な脳の成熟が必要なため。
【5:内的シミュレーションと教養の価値】
・顆粒前頭前野(gPFC)は、自分自身に関する内的シミュレーションを行っている。
・他者を理解する際、脳はこの「自己シミュレーション」を他者に投影して利用する。
・教養とは「視点の多さ」であり、それは「内的シミュレーションのバリエーションを増やすこと」に他ならない。
・多様な基準枠を持つことは、結果として他者理解の幅を広げること(理に叶った知性)に繋がる。 -
Posted by ブクログ
息子へ
PIVOT(YouTube)に著者のインタビュー動画が出ていたので読んでみた。
ドーパミンが出て、いろんなことにこだわってしまう人間の習性について学べた。
一番のTake Awayは、快楽と苦痛は、シーソーの関係にある。つまり強い快楽にハマったあとには、強い苦痛がくる。つまりはメンタルが安定しない。
そこで、著者が勧めるのは、定期的に小さい苦痛を生活に取り込むこと。それにより、程よい幸福感を継続して感じることができる。
ランニング、筋トレ、冷水シャワーを、その意味で、自分の生活に取り込んでいきたい。
君もなんだか気持ちが不安定なときは小さい苦痛の習慣を日常に取り込んで欲しい。メンタルの安定は、体に対するアクションでしか得られないと思う。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ意外とみんな同じようなことで悩んでいるように見えて、やっぱり個性的で、でもやっぱり似ている。
人に寄り添い、自分の感情も人の感情も大切にして、よくなる未来を信じて生きていきたい。
感情は、基本的には、今自分の知らないことが起こっているのを私たちに告げ知らせるものだ。それが今までにないことが起こった「喜び」になっても、起こってほしくないことが起こった「悲しみ」になっても、想定外の物事に対する私たちの反応であることにはかわりなく、それが感情と呼ばれるのである。
ある状況に対してみんなが同じ反応を示したら、その反応が結局良くないものであった場合、人類自体が滅びてしまうかもしれず、それぞれが別々の反応をすることが、人類の生き延びる戦略となっており、だからこそ個人差や文化差が大事なのである。
感情は「正解がわかる前に、体を動かす力」「正解がなくとも、意思決定する力」だ。私たちが毎日、毎秒、行っている意思決定は、実は全て感情のおかげである。感情は、新しい物事の到来を自分に知らせるものであると同時に、自分の価値判断であり、世界に対する今の自分の解釈を表すものでもある。
「私のどこが好きなの?」とパートナーに聞かれても、うまく答えられないのは、「お腹が空いた、今日はなんとなくお肉が食べたい!」というそのお肉が食べたい理由がわからないのと同じで、自分の身体が自分に今足りないものを自覚して、「この人には何かがありそう!」「この人から何かを学びたい!」と欲する、脳を含めた身体全体の反応が恋だからだ。身体が脳に伝えてくることは、はじめは言語という形をとっていない。自分の身体に乏している栄養素を察知して、その栄養素が含まれている特定の食べ物を欲する仕組みは、「スペシフィック・ハンガー」と呼ばれている。
スペシフィック・ハンガーのような身体的欲求は、あとからは言語で推定することができる。
肉が今食べたいのはどうしてか、「最近野菜ばかり食べていたからかな」というふうに。それと同じで、自分がどうしてそれを選んだのか、自分の価値観は、あとからしか推定・言語化できないし、あとからなんとなく納得できるような説明をつけることができるだけなのだ。
燃え尽き症候群は、人間を対象とする仕事に限らないが、感情的に消耗して、これ以上の感情的消耗を避けるために他人に対して一切感情を使うことができなくなり、自分自身の生きている実感も価値も感じられなくなってしまった状態のことをいう。
自分自身が決定して、その行動の結果の責任を取ることができないために、成功の喜びを感じたり、失敗の痛みを感じて学んだりすることもできなくなってしまう。「こう決めたのはあの人だ」「あの人のせいだ」と言って、痛みを自分で感じないと、人は失敗は大したことではないと理解するようになり、同じ間違いをずっと繰り返すことになってしまうのだ。
感情は個人差があるものであると同時に、感情はみんなのものである部分がある。
「人間らしさ」の一つの定義は、人間に独特な意識や、自意識、他者意識を持ち、自分とは違う他者のことを思いやって行動できることである。しかし他者を思いやるというのは、自分を消して他者に合わせるという意味ではなく、自分の気持ちも他者の気持ちも大事にし、自分の感じていることを伝え合い、交渉し、時にはぶつかったり、嫌な気持ちになったり、させたりしながら、その責任を取り、調和して暮らせるようになることだ。
私たちは自分でも把握しにくい感情を、なんとか把握して社会に向けて言葉で表現したり、社会の要求に注意を向けることで感情を他人と協調させたりして、生きていかなければならない。
また感情労働に関し、ここで言えるのは、認知的負荷がかかっている時、感情抑制はしにくいということだ。仕事が忙しすぎたり、悩みがあったりすると、人に優しくすることはできない。自分に負荷がかかりすぎている時は、人よりもむしろ自分のほうが大切にされるべきだと感じて、自分の要求ばかりを人に伝えてしまうこともある。自分で持てる以上の荷物をなるべく持たないことが大事で、人に優しくできなくなったらそれは、荷物を減らせというサインなのである。
トランザクティブ・メモリーのおかげで、カップルや家族は、一人で暮らすよりも遥かに複雑で効率的な処理ができるようになる。
考え方を同じにするのではなく、人間としての身体、感情の要求は同じところもあるから、違う存在としてはその部分を満たせれば十分であり、「すっかり意気投合」といった関係になれなくても、そのような年に一度の経験が積み重なっていけば、相手の好きなことや嫌なことがゆっくりわかっていくところがあり、うまくトランザクティブ・メモリーの機能する「家族」になっていけたりもするのである。
人と自分とを同じ存在だと考えないのが重要ということである。共感 (同じ気持ちになること)と人間理解は異なっていて、本当に他人を理解するためには、むしろ他者と自分を切り離さなくてはならない。
「相手が自分の期待に沿ってくれる=自分が愛されていると感じる」ということになるともう、自分とは違う一人の人を尊重することとは正反対で、相手の気持ちは見えなくなっている。自分と相手を一体化するというのは究極的には自分の心も相手の心もなくすことなのだ。
自分がやりたいことと、他人がやりたいこととがあって、それが食い違うからこそ、人のことを理解するという感情労働が存在する。
現実では他者はそれぞれに忙しいのであり、あなただけに注意を向けることは不可能だ。だから他人と自分とを切り離すことが必要で、大事な人から注意をもらえたら、それもいつもではなくて無心な時だけでも注目してもらえたら、とてもラッキーなことだ。私たちは人からいつも注目してもらわないといけないと勘違いすることがあるが、本当は僅かな注目でさえ私たちに与える安心感は非常に大きく、それが私たちの世界を冒険する勇気となる。
つまり意識は、自分が必要としているけれどもうまく自分がコントロールできない事態専用なのにもかかわらず、私たちは時にこの意識こそが全てだと勘違いする。
ティ・ショウホウら一橋大学と名古屋大学の共同研究によると、生きていくためには必要なものなのに、私たち東アジアの人々が助けをあまり求められないのは、実は、他者が困っている時にも、あまり哀れみを感じないからであるという。東アジアは「集団」の文化で、自分と他者を西洋の人々よりもつながった存在であると見ており、自分自身の目標よりも、集団の目標のほうを重んじる傾向がある。そのような文化ではどうしても集団に対する責任感が強くなり、自分が自分の目的を達成するために「助けて」と口にするのは、集団にとって「迷惑になる」可能性があるから抵抗を感じ、他者が困っている時も、それは集団に対してその人がなんらかの悪いことをしたからだろうと類推するから、同情が薄くなるのだという。逆に、アメリカなどの「個」の文化では、自分と他者は違う存在というのが前提であり、自分の目的で行動するので、それが失敗した時には、「悪いことをしたから」ではなくて、「そもそもうまくいくかどうかはわからないから」で、他人が失敗した時にも自分もそうなのだからと助ける傾向になるという。
感情的知性の高い人は、他人や自分の感情の動きによく気づく上に、自分の機嫌を自分でとれる人だということである。他人から必ずしも承認されなくていい人なのだ。
感情的知性を身につけることは、私たちが見た目やIQやわかりやすく言葉で説明できる能力などだけで評価される時代を終わらせ、全人格を取り戻すことなのだ。
感情は、気づきを通して手入れが可能なのである。
「自分には相手には見えないことが見えているけれども、相手には見えていない」ということに気がついて、相手が受け取れるように言葉を使う工夫をする、また相手の得意なところも見るようにする、という意味で、自分も変化しつつ、相手の変化を促す必要がある。
本当の理由を知るのには時間がかかる。しかし、自分の無意識の一部が正確に把握される瞬間、人は幸福になる。気づきは、集団のうちで人に合わせている時には失われがちな「自分」が見えてくることなのだ。
人を本当に理解するのには、物事の因果関係を簡単に考えてはいけない。「そうではないかもしれないな」と判断を保留しなくてはならない。感情は常に動かしていなければならない。
その動いている感情を掴むにとどめ、型に入れないことが感情的知性なのである。
全てがコントロールできるという勘違いから離れ、コントロールが利かない世界の中で、時々ある「気づき」を大切にする。それだけで良いのかもしれない。
人間が人間と付き合う価値は、人間の動く心がわかるようになることに尽きるのだろう。
私が感じていることは、言葉には表しきれない。それなのに、今私たちは言葉で言えば全てがわかると思っている。言葉に頼りすぎていて、言葉だけを膨大に読み込んで大規模言語モデルを作り上げ、それが人間を超える知性を見せるようになるかということにまで挑んでいる。
私たちの言葉に私たちの心は、どこまで含まれているだろうか。
わかりやすさだけを求める世界は、息苦しい。「Aと言えばAと伝わる」そんな世界は本当は存在しない。全てが言葉に表れているというならば、物言えぬ人たちには心がないのだろうか。私は、大規模言語モデルは無意識で言葉を流暢に話すけれども、認知症になった母は言葉を流暢には話せなくなったが大規模言語モデルよりもずっと豊かな心を持っていると感じていた。
事実と経験は違う。何かが起こった時、自分の感情が動く。そしてその起こってしまった出来事は長い時間をかけて、私の脳によって消化される。もぐもぐと口を動かして食べるように、感情がウゴウゴと動いて、その出来事は消化されていく。そして事実は経験となる。それは私の人生の宝物である。正しかろうと正しくなかろうと、宝物である。それぞれの人が消化した、正解・不正解とは無縁な、経験という宝物、そしてそれぞれの人の心の動き自体に敬意を払うということが、私たちを自由に生きられるようにする感情労働なのだと思う。 -
Posted by ブクログ
脳科学の観点から見た感情労働とは何か、AIやSNSが人々にどういう影響をもたらすのか等が書かれている。
五感や体験を通して感情は動き、記憶される
感情労働とはそんな記憶、感情体験を通して他者との関わりを円滑に進めるための社会的な脳の働きの一種
この分野は唯一AIにはできない分野であり未来的に人であることの強みになるかもしれない
だが、その一方で感情労働は表面上だけの表層演技がいつしか自身の本当の感情と違うものに書き換え、納得させ深層演技になってしまい…
気づいた時には燃え尽き症候群や鬱になっている人、非常に多いんじゃないだろうか。
強みでもあり、弱みでもある。
それをAIがまた補助するなんてこともあるかもしれないなんて思った -
Posted by ブクログ
この本は科学的なエビデンスに基づいて語られた「ドーパミン」や「依存症」の本ではない。依存症の精神科医が臨床の経験から得た個人的な気づきを元に、「中毒・依存症治療」と「現代社会で社会で生きること」を書いた本である。
この本には重大な欠点がある。それは著者の持論を補強するために出てくる科学的エビデンスに信用がおけないところだ。とても古い事例や賛否両論で受け入れられていない学説も出てくる(ホルミシスにおける原爆の説は日本人として受け入れられない。wikipeidaを読むとチェリーピッキングだという反論がある)。著者は自分なりの経験則があり、それを補強するために学説を持ち出している。順番が逆だから、著者にとって都合のいい学説しか出てこない。この欠点はとんでもなく大きく、そのためいい本だとは言えない。
それでもこの本には教わるところがかなりあった。それは著者の臨床体験と患者の声には真実のところがあったからだ。快楽を求め続けると苦痛になるのはドラッグ常用者から明らかだったし、不安から逃げるために快楽を追求する行為そのものがが不安・苦痛を生むのも理解できた。苦痛が快楽を生むのも、セルフバインディングをすることもやったことがある。
「正直でいよう」には特に感銘を受けた。この本を読んで、無自覚な嘘をついていることに自覚的になれたからだ。恥の章もよかった。
科学的な内容の本でないことに注意して読めば、快楽を追求してむしろ苦痛を覚えている現代人に読む価値がある。