金井真弓のレビュー一覧
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カバーの色が黒と白で、同時発売のジャウォースキーの「シンクロニシティ」と対になっている「コミュニケーション論の名著」だそうだ。
著者は、物理学者のデヴィッド・ボームで「シンクロニシティ」にも、印象的に登場している。「シンクロニシティ」が、個人的な経験談、自伝であるのに対して、こちらは対話に関する理論的な考察で、かなり難しいというか、読みにくい。
物理学者による対話論ということで、まずイメージしたのは、ニルス・ボーアなどのコペンハーゲン学派が、自由な対話、議論ということを重視していて、その自由な風土は、さまざまな物理学の研究所の模範とされた、といったところ。しかし、この本には、そういう話はほとんど出てこない。でてくるのは、そのボーアとアインシュタインが、お互いに理解しあうことができず、次第にお互いに嫌い合うようになった。つまり、対話が成立していなかったという悪い事例だけ。
で、この本になにが書いてあるかというと、まずは、対話のやり方、始め方みたいな手法論から始まるのだが、最後のほうでは、なぜ、対話が重要なのか、なぜ対話がなりたちにくいのか、進化論とからめた大脳生理学とか、観察者は観察物に影響を与えるといった観点とか、私たちの思考は精神的なものではなく、物質的なプロセスであり、より大きなものの一部である、など、最近の私の関心事(=ポジティブ心理学、大脳生理学、量子力学、スピノザ、人類学)に近い哲学的主張となって、エキサイティングだった。
とはいっても、やっぱり難しくて、到底、分かったとは言いがたい。とくに、前半の手法的な部分には、なんだか著者独自の理想的な状況が前提としたうえでの議論になっているような気がする。 具体的な方法論として、「使える」感じはすくない気がする。
あと、この本は、エッセーやレクチャー、即興のコメントなどを編集したものらしいけど、それぞれの章が、いつどこで発表されたものなのか、が分からないのもやや気になった。編者のイントロダクションによると、この本の各章の書かれり、話された時期は、1970年代の初めから1990年代のはじめまでと幅があり、ボームの語っている社会的な問題を理解するときのコンテクストとして、「いつ」というのは、結構、大切な気がした。
「対話の目的は、物事の分析ではなく、議論に勝つ事でも意見を交換する事でもない。いわば、あなたの意見を目の前に掲げて、それをみることなのである」
ここのところは、やっぱ肝かな? -
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「サーバント(召使い、奉仕者)」と「リーダー(導く人)」という言葉は対極のようにも思えるが、相手の立場で考え、奉仕することによってフォロワーは奉仕してくれた者を信頼し、「この人に尽くそう」と考えるものである。
第1章においてサーバントリーダーの概念について論じた後は、第2、3章で大規模組織の代表格である企業、大学、教会に焦点を当て、組織のあり方と“トラスティ”の果たすべき役割を指摘している。
統計データなどを活用した学術的な内容ではないが、実務を通した経験によって行き着いた結論が本書なのであろう。監修者解説まで含めると570ページにも及ぶ大著だが、冗長であり、かつ訳者の問題と思われるがとにかく読みづらい(金井壽宏氏の他の訳本を読んだことがあるが、やはり読みづらかった)。
第4章で読むのがしんどくなり、第5章はまったく頭に入ってこず…第6、7章の財団および教会におけるサーバントリーダーシップの話は読まずに飛ばした。
第8章はズバリ「サーバントリーダー」と銘打たれていたため読んでみたが、紹介されている人物(大学の学長)に関してリーダーとしての資質を感じ取ることはできても、どのあたりがサーバントだったのかが今ひとつ分からずじまい…。
第9章では、次世代を担う若者への提言を5つの言葉で示し、第10章では、現代における世界のリーダーであるアメリカという国について、援助するという行為にはともすると傲慢になり、モラルに反する危険性が伴うとし、もっとサーバントであるべきことを訴えているように感じる。
そして最後の第11章では、ロバート・フロストの「指示」という詩を通して人としてのあり方を説く。宗教的、哲学的な内容だが、実はそれらに関連する道徳・倫理といった側面こそ、組織において人と人を結ぶ強力な“つなぎ”の役割を果たすのではないだろうか。そういう意味では、稲盛和夫の『生き方』などを併読すると“職業倫理”の重要性をより感じることができると思う。
第1章は必読だが、それ以外の章はピンとくるところだけに絞って読んでよいと思う。
まがりなりにも読み切ったという満足感はあるが、難解で分厚い本に敢えて挑戦したいという人でなければ、本書をベースにしつつポイントがまとめられている「サーバントリーダーシップ入門(かんき出版)」の方がおすすめできる(こちらの方が100倍読みやすい)。 -
Posted by ブクログ
(引用メモのみ)
・大破は、意識それ自体の理解を目的としたもの。日々の人間関係やコミュニケーションにおいて、問題がある性質を探るのと同様に。 p.24
・対話における「聞くこと」は対話プロセスの中でしばしば誤解されている問題だ。対話における「聞くこと」とは、グループのメンバーの言葉や意図に徹底して注意深く、共感的な態度で接することを意味する場合が多い。
・対話の狙いは、全体的な思考プロセスに入り込んで、集団としての思考プロセスを変えることにある。。これまでは思考をプロセスとみなす考え方に、あまり注意が払われなかった。思考には謹んでも、その内容だけに注目し、プロセスに関心を向けなかったのだ。p.49
・社会とは、人がともに暮らせるように、人々と制度とを結びつけるものだ。しかし、社会がうまく機能するのは、文化が存在するときだけである‐そこには意味の共有が含まれている。すなわち、意義や目的、価値を共有するということである。そうしたものがなければ、社会は崩壊してしまう。 pp.67^68
(まっちー) -
Posted by ブクログ
本書によると、対話とは、共通理解を探し出す行為で、対話のビジョンとは、誰もが同じ立場にいること。ディスカッションと違って、物事の分析ではなく、議論に勝つことでも意見交換することでもなく、様々な人の意見に耳を傾け、それを掲げてどんな意味なのかをよくみること。
もともと、ディスカッションという言葉は、打楽器や脳震盪と語源が同じで、ものごとを壊す、という意味があり、ディスカッションとは、分析、解体作業を意味するらしい。
このあたり欧米人にはイメージつきやすいかも知れないが、対話やディスカッションに慣れ親しんでいない大半の日本人にはちょっと想像つきにくいのではないだろうか・・・また、対話についてはワールド・カフェで体感する方がわかりやすいかも知れない。
深く読み込む前に、内容が結構学術的で難しかったので、予備知識程度でしか吸収できませんでした。機会があれば、いずれゆっくり読んでみたいと思います。 -
Posted by ブクログ
何世紀にも渡って条件づけられてきた心の大部分がパラドックスにとらえられる傾向があり、結果的に現れた難題を「問題」として考える間違いを犯しがちである。
観察者が目を向けるべき間違った点は、まさに本人の中に存在する。
ルーマンの自己記述にもつうじる「自己受容感覚」
インコヒーレンス:意図と結果が噛み合ない事
コヒーレンス:一貫性
両方必要、完全はあり得ない
コヒーレントを人は好む(真実、や信念にも似た感覚?)
現代/単にコヒーレントを強要使用しようとするだけで、インコヒーレンスを探して取り去ろうとはしない。→インコヒーレンスがさらにひろがる。
終わった思考は消えるのではなく折りたたまれる。
自然/母の有限性
コミュニケーションは人対人だけでなく、科学者であれば自分対学問ということもありえる。
最終的には自分以外のものを通して自分の内部の自分が気づけていない部分に気づかされる事が必要だという事がいいたかったのだろうか。
社会秩序維持のための「仲良し」神話の副作用として、それが強ければ強いほど、現代ではどんどん人間嫌いが増えているのではないか?(秩序維持のためのコヒーレンスの押し付けによるインコヒーレンスの増大)
そういった中での対話機会というのはもしかしたら想像しているものとは形態が違うかもしれない。何かのメディアを通したものである可能性も高いし、二者関係だけではない気がする。 -
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サーバント・リーダーとはサーバントである。
組織には二種類のリーダーが必要。組織の内部にいて、実際に毎日の任務を遂行していくリーダー。そして、外部にありながらも密接に関わり、距離があることを利用して、実際に活動するリーダー達を監督するリーダーである。後者は「トラスティ(受託者)」と呼ばれる。トラスティの役割とは、奉仕し、導きたいと考える人たちに実行の機会を提供することである。
トラスティが最高の影響力を及ぼすための第一歩は、組織の方向性を定めることである。トラスティの役割は、組織の活動的な計画の外に位置し、「管理する(manage)」ことである。内部で運営を行う役員にトラスティが任せるのが「経営(administration)」だ。
まず、この本には、トラスティの定義や役割が述べられ、その後の章で企業・大学・協会でのトラスティの役割(どう振る舞うべきか)についての実例が述べられている。