中山可穂のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
本作は、三島由紀夫の戯曲『近代能楽集』へのオマージュで、「中山可穂版・現代能楽集」との触れ込みですが、古式ゆかしい能楽物語ではありません。
私の能楽知識が皆無なので調べてみると、本書3編の表題が能楽の演目名になってはいますが、話の筋は大幅に改変されています。「能はぎりぎりまで贅肉を削ぎ落とされた究極の芸能」で「神・男・女・狂・鬼」に分類され、そこからインスピレーションを受けたのでしょうか…。
さらに、希望や救済なしに絶望を美へ結実させた三島戯曲からの触発も大きかったでしょう。切なさ・儚さ・狂おしさを孕んだ愛のかたちが浮き彫りにされ、人間の情念が純度高く描かれます。
中山可穂作品は、女性同士の性愛・濃密な性描写の追求が特徴的な2作品のみ既読ですが、作風を広げる転換期に当たる作品集のようです。テイストが異なる3編ともに濃密な性描写は抑制され、文章の美しさや繊細さが増して、抒情性が深くなっている印象です。
能の演目タイトルが表題となっていなければ、もっと読者層が開拓されていたかも。文春文庫の絶版後、河出文庫で復刊されたことに感謝するばかりです。もっと広く認知されて然るべき優れた作品だと感じました。未読の方は、この読後の余韻にぜひ浸ってみてください。
能のあらすじを理解し、本作の物語と対比してみることで、より深く楽しめました。2004年 文藝春秋、2007年 文春文庫、2022年 河出文庫刊。現代能楽集シリーズの第2作もあるようです。
※能のあらすじ概略を以下に記します。
・『弱法師(よろぼし)』
父の誤解から勘当された美少年・俊徳丸。後悔した父が、四天王寺で施行をしているところに、足元覚束ない「弱法師」と呼ばれる盲目の若者・俊徳丸が現れ、極楽浄土を祈り狂い舞い…和解へ。
・『卒塔婆小町(そとばこまち)』
旅の僧が高野山へ向かう途中、卒塔婆に腰掛ける乞食姿の老婆。不謹慎だと注意するも老婆は巧みな仏教問答で論破。自らが小野小町の成れの果てと明かし、愛を乞う男たちの怨霊による狂乱へ。
・「浮舟(うきふね)」
『源氏物語』の宇治十帖が題材。薫大将と匂宮という二人の貴公子の間で板挟みになり、悲恋の果てに入水しようとした浮舟。その苦悩が、旅の僧の供養により入舟の魂が救済へ。 -
Posted by ブクログ
何度も読んでいる中山可穂さんの一冊です。中山可穂さんの本は体力、精神力両方ある時じゃないと読めません。両方ある時にはぐわーっと引き込まれて読んでしまうのですが。
この弱法師、「弱法師」「卒塔婆小町」「浮舟」の三作が載っているのですが、私の中で「卒塔婆小町」の印象が薄くて、確か、老婆が出てきたような?くらいの記憶でした。ですが、今回読み返してみて、一番ガツンときたのはこの「卒塔婆小町」でした。元々この方の書かれる愛と狂気の背中合わせっぷりが大好きなのですが、この卒塔婆小町、その愛と狂気が薄皮一枚でつながっているような感じがしたのです。
他の本だと、その薄皮一枚っていうのが今まであまり感じられなくて、ぴったり背中合わせになっている印象があったのですが、この作品、その薄皮一枚があったからこその愛と狂気がもう、心臓わしづかみでした。え?そうなるの?からのはーー!?なラストで読み終わった時に暴れまわりそうでした。どうしてこのお話が過去の私の中で印象に残ってなかったのかが不思議でなりません。
この本、性描写をしないで書いたと後書きにあったのですが、なくても十分色気がありましたし、なんならなくていい、ないからこその色気がにじみ出ていてそこがいい。私は性描写ない方が好きかもしれません。なんというか、においだけ嗅がせていただいて十分です。と思ってしまって。
毎度のことではありますが、読んでいる最中涙腺は緩むは、頭はガンガンするわ、心臓バクバク言うわでなかなか肉体的にしんどい物でした。精神的にはこんな素敵な(素敵の一言では言い表せない)お話を読めて満足でした。
今日、この本を読めたということは、体力と精神力がしっかりしているという証です。体も心も健康な証拠に読み終わった今、健やかな空腹感を味わっています。脳みそは大食いと言いますし。
さて、納豆ご飯でも食べますかね。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ友人が突然貸してくれた本。前情報無しに読んだらとても面白かった!
中山可穂先生の小説は「レズビアン小説」と称されることが多いらしい。今作で初めて先生の作品を読んだ私個人としては、この表現は間違いではないが、決してそれだけではないだろうと感じた。
主人公の王寺ミチルは芯の通った人物で、ひたすら演劇に身を捧げている。ただぼんやりと人生を浪費し女を貪るようなキャラクターではない。もしかすると演劇界には同じような人物がいるのかもしれない……と思わせてくれる、血の通った主人公だった。
また作者は文化的資本が溢れたところで暮らしていたのだろう、そして知的好奇心に溢れた人物なのだろうと伺える描写がいくつもあった。主人公たちが演じる作品はヒトラーの人生をなぞったものであったし、登場人物の中で最高齢である女性が暮らす館の描写は以下のように建築様式に明るくないと書けない文章であった。
「バロック、ロココ、アールデコ、アールヌーヴォー、およそ目につく限りありとあらゆるスタイルがごった煮にされてひしめきあっていた」
……教養のない私にはどれもピンとこない。今日のうちに調べておこうと思う。二十代と明記されている主人公の視点でこのように描かれている点が美しいと感じた。主人公が家庭教師のアルバイトをしている設定も納得だ。
また解説(文庫版)の山本文緒氏も以下のように記している。
「中山可穂の小説のもうひとつの魅力に、芸術に触れる豊かさというものがあると思う。私は音楽も映画も絵画もワインの種類も、からきし芸術方面に乏しいので、彼女の小説にちりばめられた人生を豊かにするキーワードがわからなくて寂しい思いをした」
この素直な一文により、私が読書中抱いていた文化的教養のなさからくる羞恥の心が幾分か救われたように思う。主人公の彼女が持つ知識が読者側に求められるスタンダードなのではなく、彼女が劇団の長を務めるだけの頭の持ち主であっただけなのだ、と。かっこいいぜ、王寺ミチル。名も知らぬファンとして、私を抱いてくれ。
ところで、文字列の意味が理解できず作品に没入できないままでいるのも苦しいところがあるので、作中に出てくる音楽については何度かスマホを用いて調べた。
「女の人を抱くときは、エルガーの行進曲のように典雅に。」
この一節に差し掛かったタイミングですぐ、「エルガーの行進曲」をApple Musicのサブスクリプション(最近出たクラシック版で!)で検索してみた。
聴き覚えのある行進曲だった。典雅というより勇敢な曲という印象を受けた。こんなに勇ましい抱き方をするのか。もっと官能的で落ち着いたクラシックかと思ったので、テンポの良い楽曲が流れてきて正直驚いた。これが彼女の中にある、少年らしさというものなのだろうか。
次に、文体について。この作品は耽美な描写が多いにも関わらず、小気味良くすらすらと読める文体であることが私にとって嬉しかったし、この作家の作品をもっと読みたいと思う大きな理由となった。
耽美な小説となると難しい熟語を用いられることが多い気がしていて、どうしても読む気になれないことが多かったのだが、この作品は日数でいうと二日でさらりと読めた。話自体が面白かったというのも勿論だが、私のように読み手に教養がなくとも話についていける名文揃いだと感じた。
また私自身、中学の短い間演劇をやっていたことがあり、その点の感情移入がし易かったというのもあるかもしれない。舞台に立つ直前の緊張感、それまでの悪夢を見る日々、役に入り込む時特有の高揚感、これらの内容は演劇に携わったことのある人ならではの描き方だと感じた。作者は実際、小説を書く前は演劇に携わっていたそうだ。この方の劇も観てみたかった。
またもう一度、舞台に立ってみたいと思う作品だった。演劇を愛し、賞を取るという目標を持ち、それでいて辛さに押しつぶされそうになって泣き喚くこともあり、睡眠薬を所持していて……か弱いところもある主人公。劇でも私生活でも周りの心を揺さぶり振りまわす。そんな主人公に憧れ、恋焦がれた。
本作を薦めてくれ、貸してくれた友人に感謝したい。先ほど、自分用に通販で買った。これで返却してもまた読める!
ここまで、この作品の虜になっている私の文章を見て、それでもまだ本作を「レズビアン小説」だと称する人物がいたら、花束で頬をぶちます。