朝日新聞取材班のレビュー一覧
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妄信とは恐らく、「身勝手な思い込み」から事件を起こした植松容疑者の事であると思うが…
もっと深読みしてもいい一冊なのではないかとも思う。何故なら、被害者の遺族は被害者の実名を明かしていないから。この本の半分以上は、近しい所に障害者が居り、彼らがハンデに負けず力強く生を謳歌している様を描き、そしてそれを見守る人たちがこの事件について軒並みただただ「痛ましい」という感想を述べていく構成である。ハンデがあろうとこんなにも直向きに生きる姿が愛おしい。
そう思うならなぜ実名で悼み、弔わなかったのか。
生まれてきたことも施設に預けたことも、この残酷な事件の被害者として生を終えたことも、何一つ人として認め -
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その事件は2016年7月26日未明に一人の青年が、津久井やまゆり園に刃物等を所持し侵入して、死亡者19名、重軽傷者26名もの戦後最多の殺傷事件を犯した。青年は、元施設職員の植松聖(30)という。同日午前三時過ぎ、津久井警察に自首し逮捕された。
彼は小学生の頃、一学年下に一人ずつ知的障害者がおり、低学年の時には作文に「障害者はいらない」と記述していた。
大学の3・4年生ごろ刺青を入れ大麻など薬物を乱用するようになった。
2016年2月16日、襲撃を示唆する手紙を当時の衆議院議長公邸に提出した。事を重く見た当議長は警察に通報し、身柄を拘束され措置入院をすることになった。
手紙には何を書かれ -
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朝日新聞取材班による被告への取材、裁判での証言、判決までを追ったルポ。このような事件についての書物は、被告の生い立ちの問題などを丁寧に取材するイメージで読み始めたのだが、実際には同じ内容の反復で被告のイメージはどこまでも空虚。事件後、判決を経て最後の接見を行うまでを見ても、どこまでも被告の主張は首尾一貫している。「かっこいい」ことが全てで、今の自分にできる、世の中を良くするための最善の手段が障害者を安楽死させることであると盲信する姿に、もちろん共感はしないし身勝手な印象を持つが、これこそ「悪の凡庸」の典型にも思える。
人物像も事件の動機も、どうにも薄っぺらく凡庸である印象しか持てない。過去 -
Posted by ブクログ
人間を人間を見なさない、そんな出来事や事件は数多あって。
けれど、この事件では「自分がそれをしなければならない」いわば正義の代弁者的理由で、多くの人を殺したという点で気になっていた。
彼の言う「幸せな社会」とは、何を指していたのか、結局最後まで分からなかった気がする。
始終、「迷惑をかける」ことに敏感だったようだから、誰かが誰かに苦労を強いない、そんな社会を幸せだと言いたかったのだろうか。
そして、果たして、そうだろうか。
周りと「言葉が通じなく」なったと書いているけれど、強固な世界観に閉じ、誰の言葉も耳を傾けようとしない彼もまた、彼自身が忌み嫌う意思疎通の出来ない存在に近い、何かだとは -
Posted by ブクログ
非正規雇用が増えたり、離婚等でシングルマザーになったり、と様々な要因はあるのでしょうけれど、出生率も下がっているのに、子どもの貧困率はあがっているって…。
昼も夜も働いて子育てもしてって頑張っているママが、ギリギリ食べるか食べないかの生活しか出来ないって、何とかかならないのかなぁ、制度的に。困ったら即、生活保護、というような短絡的なことではなく、段階的な支援があったら良いのに、と思います。
そんな中でも人との関わりで救われた子どもたちもいる、周りにサポートしてくれる人がいるだけで踏みとどまれる子どもがいる、というのに、救われる思いがしました。周囲に関心をもって、孤立している親子を気にかける -
Posted by ブクログ
戦争、ではなく原発、である。原発のゲの字も知らない正力松太郎が政界進出のために選んだ「国策」。国策、なんていう言葉は、他の何かではとんと聞かない言葉である。そのぐらい、「日本人が選んだ」ことにさせられたものなのかもしれない。地元メディアは転んでいき、当の朝日新聞もイエス、バット、という姿勢を徐々に強めていく。初臨界を報じた朝日新聞は、実はもう締め切られていて見切り発車の記事だったというし、連載のサザエさんもそれを讃えていた、と。読めばずいぶん地元の人もなめられていたように思うが、それを現代に置き換えてみるとどうか…。原子力も政治も、毒を以て毒を制する、というようなことをして、結局毒だらけである