朝日新聞取材班のレビュー一覧
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朝日新聞で連載されていた気がするが、全部を読んではいなかったので、書籍化されたものを読んでみた。
第二次安倍政権に対する評価は色々あろうが、この間、全般的には、経済成長が続き株価も上がり、何となくこれでいいのではないかという気分があった。他方、官邸官僚の跋扈、政治と行政、もっと言えば、官邸と省庁との力関係が一方的になり、官邸の意向を気にするヒラメ役人が増えたし、そういう人が出世するようになったようにも見える。かつての族議員が跋扈し政官財のトライアングルが力を持った時代が良かったかと言えば疑問だが、官邸一強の歪みが出てきており、それが現在の閉塞感につながっているような気がしてならない。 -
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1.この本を一言で表すと?
大統領選挙がもたらしたアメリカ社会の分断を市民レベルで取材してまとめた本。
2.よかった点を3~5つ
・交錯する分極線(p167)
→人種とか年齢、職業など画一的な分け方では語れない複雑な分極社会があると理解した。
・政治化するコロナ対策(p76)
→コロナ対策が政治化するのはどこの国も同じだということだと思う。
・メディアが家族を切り裂いた(p256)
→FOXの影響力は知らなかったので面白い話と感じた。
2.参考にならなかった所(つっこみ所)
・バイデンの親族の疑惑に関する記述がほとんどなかった。
・全体的に、バイデン支持、トランプ不支持の傾向が見られた。
・途中に大学教授などの専門家のインタビューが入っていたが、どれもバイデンよりだった気がする。
・妊娠中絶がなぜそれほど大きな社会問題、政治問題になるのか理解できなかった。
・新しい政治家、あらわる(p348)
→共和党の新しい政治家は?
・メディアが家族を切り裂いた(p256)
→既存メディアのCNNなどにも問題点があるのではないだろうか?既存メディアが左に偏った報道をしていたから右寄りの偏ったメディアも出てきたのではないのか?
3.議論したいこと
・バイデン大統領はアメリカの分断の溝を埋めることができるのだろうか。
5.全体の感想・その他
・アメリカ国内の分断状況がよくわかった。
・アメリカでは政治の事があまり話しできそうにない。生きにくい社会だと感じた。
・トランプ支持者を、単に根拠のない情報を信じている人と一括りに するのではなく、なぜ選挙に負けたにもかかわらず過去最大の得票を得るまで支持を得たのかより詳細な分析がもっと欲しかった。 -
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妄信とは恐らく、「身勝手な思い込み」から事件を起こした植松容疑者の事であると思うが…
もっと深読みしてもいい一冊なのではないかとも思う。何故なら、被害者の遺族は被害者の実名を明かしていないから。この本の半分以上は、近しい所に障害者が居り、彼らがハンデに負けず力強く生を謳歌している様を描き、そしてそれを見守る人たちがこの事件について軒並みただただ「痛ましい」という感想を述べていく構成である。ハンデがあろうとこんなにも直向きに生きる姿が愛おしい。
そう思うならなぜ実名で悼み、弔わなかったのか。
生まれてきたことも施設に預けたことも、この残酷な事件の被害者として生を終えたことも、何一つ人として認めたくはなかったからではないのか。酷い言い草なのは承知で書く。
No障害者ヘイト!という事に徹していない本書は取材をした方々の努力と手腕に頭が下がるばかりであるが、本当は世の中の「不寛容」だけでは済まない事に気付いてしまっているのではなかろうか。
健常者であれ今の世の中は不寛容であふれ非常に生きにくい。そして皆自分のことで手一杯なのだ。
私事であるが、私は若い時分に電車内で体を執拗に触られたり、深夜早朝自宅の玄関先に居座られたりするストーカー行為に遭ったことがある。いずれも相手が障害者であったため、警察は取り合ってくれなかった。私は不寛容であろうか? -
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その事件は2016年7月26日未明に一人の青年が、津久井やまゆり園に刃物等を所持し侵入して、死亡者19名、重軽傷者26名もの戦後最多の殺傷事件を犯した。青年は、元施設職員の植松聖(30)という。同日午前三時過ぎ、津久井警察に自首し逮捕された。
彼は小学生の頃、一学年下に一人ずつ知的障害者がおり、低学年の時には作文に「障害者はいらない」と記述していた。
大学の3・4年生ごろ刺青を入れ大麻など薬物を乱用するようになった。
2016年2月16日、襲撃を示唆する手紙を当時の衆議院議長公邸に提出した。事を重く見た当議長は警察に通報し、身柄を拘束され措置入院をすることになった。
手紙には何を書かれていたのか?要約すると『私は障害者総勢470名を抹殺することが出来ます(中略)保護者の疲れ切った表情、施設で働いている生気の欠けた瞳、日本国と世界の為と思い、居ても立ってもいられずに本日行動に移した次第であります。私の目標は重複障害者の方が家庭の生活、及び社会的活動が極めて困難な場合、保護者の同意を得て安楽死できる世界です。要望―逮捕後の監禁は最長2年までとし、その後は自由に人生を送らせてください。美容整形による一般社会への擬態。金銭的支援5億円。』(意味不明!)通報は適切な対処だと思うが、措置入院から解放された同日、医師の証明書をハローワークに提出し、失業給付を受領し、生活保護受給を申請し給付を受けた。☆
2020年1月8日に初公判。裁判中の模様や、裁判前に記者が被告と面会し、遺族や被害者の口頭陳述で犯行を非難したが、被告の様子に違和感を覚えていた。
被告が遺族等に対し、謝罪しているが、亡くなった方には、代理弁護士と論争を繰り広げ、被告の論理が破綻しても謝罪には至らず結審した。判決は2020年3月16日死刑宣告、控訴期限は2週間、3月31日死刑確定。
最後に、僕自身の違和感についてー被告人と代理弁護士の論争の争点が被告人の主張と一致していない。本当の争点は、彼等(重複・重度障害者)が人かということ。被告人は、意思疎通が出来ない人は、人間ではないと言っている。 -
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朝日新聞取材班による被告への取材、裁判での証言、判決までを追ったルポ。このような事件についての書物は、被告の生い立ちの問題などを丁寧に取材するイメージで読み始めたのだが、実際には同じ内容の反復で被告のイメージはどこまでも空虚。事件後、判決を経て最後の接見を行うまでを見ても、どこまでも被告の主張は首尾一貫している。「かっこいい」ことが全てで、今の自分にできる、世の中を良くするための最善の手段が障害者を安楽死させることであると盲信する姿に、もちろん共感はしないし身勝手な印象を持つが、これこそ「悪の凡庸」の典型にも思える。
人物像も事件の動機も、どうにも薄っぺらく凡庸である印象しか持てない。過去に、多くの社会的事件が映画化されていることから考えると、これほどまでに映画化に向かない事件はないかもしれない。しかし、これこそまさに表層に漂う時代の空気を切り取っている事件なのかもしれない、と思った。
情報に簡単にアクセスできる時代には、内面に葛藤がなくとも、自分の信念はいくらでも強化できる、そのような情報のみを取捨選択すれば良いのだから。だからこそ、裁判において事件の背景を丹念に掘り起こしていく作業と時間に耐えられなかったのかもしれない。「自分は社会に問題提起をし、自分の起こした事件が世間を覆う偽善にメスを入れ、自分は一部で英雄視される」という自己愛に満たされて彼は死刑台に立つのかもしれない、と思うと、やはり日本の裁判員裁判というのは、裁判をわかりやすくすることはあっても、その効率化によって裁判から失われたものもあるのかもしれないな、と思ったりもした。
奇しくも、医師による自殺幇助の事件が起きた。相模原事件の被告の偏った価値観は、今や日本の一部の医療関係者の間でも共有されているのかもしれない。立岩真也さんが書いていたように、そのような歪んだ価値観を持つに至るような日本の医療制度・福祉制度のシステムとしての問題点がきちんと提起され、議論される世の中になることを切に願う。 -
Posted by ブクログ
人間を人間を見なさない、そんな出来事や事件は数多あって。
けれど、この事件では「自分がそれをしなければならない」いわば正義の代弁者的理由で、多くの人を殺したという点で気になっていた。
彼の言う「幸せな社会」とは、何を指していたのか、結局最後まで分からなかった気がする。
始終、「迷惑をかける」ことに敏感だったようだから、誰かが誰かに苦労を強いない、そんな社会を幸せだと言いたかったのだろうか。
そして、果たして、そうだろうか。
周りと「言葉が通じなく」なったと書いているけれど、強固な世界観に閉じ、誰の言葉も耳を傾けようとしない彼もまた、彼自身が忌み嫌う意思疎通の出来ない存在に近い、何かだとは言えないか。
そうした殻の中で、精神的な成長が止まってしまったようにも思うのだ。
すると彼の掲げる正義とは、現代社会に根差すものなんかではなく、ただの「イタい人」でしかないように思ってしまったのだった。
敢えて矮小化した言葉を用いたが、そんな物言いをしても事件に取り返しがつくわけではなく、ただ苦しい。 -
Posted by ブクログ
非正規雇用が増えたり、離婚等でシングルマザーになったり、と様々な要因はあるのでしょうけれど、出生率も下がっているのに、子どもの貧困率はあがっているって…。
昼も夜も働いて子育てもしてって頑張っているママが、ギリギリ食べるか食べないかの生活しか出来ないって、何とかかならないのかなぁ、制度的に。困ったら即、生活保護、というような短絡的なことではなく、段階的な支援があったら良いのに、と思います。
そんな中でも人との関わりで救われた子どもたちもいる、周りにサポートしてくれる人がいるだけで踏みとどまれる子どもがいる、というのに、救われる思いがしました。周囲に関心をもって、孤立している親子を気にかけるだけでも、何か変わっていくのかもしれません。