中野剛志のレビュー一覧
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世界金融危機以降の経済システムは、金融を成長の原動力として期待する事ができなくなり、低い経済成長率と高い失業率が続くであろうと予測し、このような停滞状況を「ニューノーマル」と名付けた。
19世紀末から20世紀初頭はベルエポック(良き時代)と呼ばれ、欧米諸国が繁栄を謳歌した華やかな時代とされているが、実際には当時の経済成長率は年間1~1.5%程度であり、しかも極端な格差社会であった。
WW1頃から1970年初頭までの60年間は先進諸国において格差が劇的に縮小した。それは富裕層が保有する資本が物理的に破壊されたのと、相続税や累進所得税が導入された為。さらにWW2以降になると労働組合の力が強まり、労働者に有利な経済、社会政策が採られたから。この間の30年間が資本主義の黄金時代と呼ばれている。この黄金時代を支えていたのは公共投資。
1970年後半から所得格差は再び拡大を始め、経済成長率も低調となったが、その原因は、富裕層や大企業に対する減税など、資本家により有利となるような政策が採用されたから。これは言うまでもなく新自由主義の影響。この結果、米英の富の偏在は100年前に近い水準となった。日本でも1990年代以降、新自由主義に傾斜してこれに追随し始める。
長期停滞を克服するサマーズの3策
1.労働者の職能、企業の技術革新能力、構造的な税制改革、社会保障プログラムの長期的持続性の確保と言った供給力の強化。いわゆる「成長戦略」。
2.金融規制を強化しつつ、金融緩和を行う。
3.インフラ更新や補強の為の公共投資の拡大。
第一次産業革命(1750-1830)蒸気機関、紡績機、鉄道
第二次産業革命(1870-1900)電気、内燃機関、上下水道
第三次産業革命(1960-1995)コンピューター、インターネット
最も大きなインパクトを持ったのは第二次。
1970年以降、米国経営者はかつてのような技術革新に挑戦する企業家としての精神を失い、自分の任期中に成果を出そうとする短期主義に陥っている。企業だけでなく、社会全般も拝金主義や自己中心的な文化が蔓延している。失敗を恐れずに何かを成し遂げる事によってではなく、社会的地位によって評価されるような風潮が顕著になった。
技術革新のダイナミズムを失った経済では企業の寡占化が進み、新規企業の創出が鈍化する。1950年代前半の米国では規模において上位200社の粗利益の合計は全体の15%程度だったが、60年代半ばに26%となり、2004年から08年の間には30%になった。雇用全体に占める新規雇用の比率も90年から2000年代にかけて低下した。
1980年以前は、企業の所有者と経営者が分離し、経営者が株主に対して優位に立ち、企業経営を主導していた。当時の企業は技術開発を戦略的な目的としていた。社員に対して安定的な雇用を保障し、自社技術の開発に努め、労働者の技能向上を目指していた。だが、80年頃から米国を中心に新自由主義のイデオロギーが台頭し、企業は株主の利益を最大化するように行動すべきであるという発想が蔓延した。企業は言わば金融資産の一種としてみなされるようになった。政府もこのイデオロギーに従い、株主の利益を拡大する為の金融市場や労働市場の改革を次々と行った。例えば自社株買いを行えるようにしたり、役員の保有するストックオプションのロックアップ期間を撤廃したり、外国人労働者に対するビザ発給の規制緩和により、労働コストを引き下げた。こうして「株主資本主義」が成立し、企業の目的は技術開発ではなく、株価の最大化となった。
経営者と労働者の間で所得格差は拡大した。高額CEO上位100社の平均報酬額は70年は40万ドル、79年は180万ドル、87年は590万ドル、91年には810万ドルにまで跳ね上がった。この間、労働者の実質賃金は殆ど伸びなかった為、大企業200社のCEOと正規労働者の平均報酬の比率は80年は42:1だったのが、90年には107:1、2000年には525:1にまで拡大した。
配当率は1970年代までは40%程度だったのが、2000年代には60%を超え、2008年にはついに80%を超えた。
今日、我々はミンスキーの人工知能など、過去50年の間に行われた画期的な技術革新の恩恵を享受して生活しているが、我々の世代の企業は目の前の金銭的利益だけを追い、今後50年の世界の為になるような技術革新に向けた努力を怠っている。
長期停滞の根本原因は需要不足のみならず、株主重視の企業経営にある。つまり、公共投資の拡充による需要刺激策と同時に、株主資本主義を是正し、長期的な技術開発投資が可能となる制度改革が必要となる。
株主重視の企業組織は、労働者の所得や経済成長の原資となるべき富を吸い上げて資本家の手に渡すメカニズムを内蔵しており、資本収益率を経済成長率よりも常に高く維持する装置となっている。株主資本主義の構造を改変しない限り、「r>g」の法則は成り立ち続ける。
パレイの構造改革案
1.グローバル化を管理し、労働者の地位や環境を保護する。対外不均衡を是正する為替管理や、金融危機を予防する国際資本規制も必要。
2.政府と市場の役割を均衡のとれたものとする。雇用を創出し、民間部門の生産性の向上を促す上で、公共投資の役割は決定的に重要。金融市場の規制や累進課税、資本課税を導入する。
3.マクロ経済政策は完全雇用の実現を最優先とする。
4.労働市場は、生産性の向上と共に伸びる適正賃金と労働者の技能向上を促進し、労働者の連帯を促すようなものにする。労働組合の力を強める。
所得分配の主な決定因子は技術進歩ではなく、金融システムや社会制度。-ストックハマー
現在、世界が直面しているのは、経済の問題であると同時に、思想の問題でもある。金融資本主義に替わる「主義」が問われている。
資本主義の基盤が「所有と経営の分離」による一撃によって「産業」と「金融」に分裂し、不安定化した。そして、恐慌とはこの資本主義の基盤の動揺を示す兆候にほかならない。
ミンスキーモーメントとは、バブル経済が崩壊し、金融危機が訪れる瞬間の事。2008年9月に行われた。
産業と金融の二重構造からなる現代資本主義はもはや均衡をもたらさない。新自由主義に基づく「小さな政府」は資本主義の不安定性を増幅させてしまう。
ミンスキーが唱える資本主義の歴史
1.商業資本主義:
金融システムは未発達であり、金融は交易の為に使われた。商業中心の実体経済。
2.産業資本主義:
製造業、特に重工業が発達してくると、交易の為の金融比率が低下し、長期的投資の為の外部資金の比重が高まった。金融市場は未だ粗雑で荒々しかったので金融市場の混乱から生じた危機は世界恐慌を引き起こした。
3.金融資本主義(今日言われるものとは別物):
無秩序な金融市場に替わり、政府が主たる資金供給主体。
4.父権的資本主義:
政府が景気循環を調整する財政金融政策を実施し、公的資金を投入して輸送インフラ、産業、金融を整備し、特殊な公的機関が住宅や農業のような個別分野に介入する。歴史的、実践的に最善の時期。
5.マネーマネジャー資本主義:
父権的資本主義の成功により、経済的繁栄が続いた結果、金融システムが発達してより投機的な方向に向かった。巨大な金融資産を運用する制度や機関が中心となって経済を動かす。80年代以降の米国、世界で全盛期に入る。年金ファンドやミューチュアルファンドが登場し、投資家の利益の最大化の為に企業は短期的利益を重視するようになり、経営者も労働者も金銭的利益の最大化を追求する金融の理論に従属する。仮に、経済全体のパフォーマンスは悪くなくても、個々人の生活の安心は損なわれた。これは経済の不安定性や不確実性を拡大し、長期的な発展の可能性を毀損する資本主義の堕落形態に他ならない。
日本における平成不況下の構造改革は、こともあろうにこのマネーマネジャー資本主義の成立を目指した。
ケインズの予言
自分たちの孫の世代には、経済的、物質的問題はほぼ解決の目処が立つであろう。人類は史上初めて生存の為の闘争から解放される。その時、目的性という新しい道徳律が現れるだろう。目的性とは、我々が自分たちの行動の遠い将来における結果により関心を持つ事である。自分の生きている間ではなく、後の世代において実現されるであろう目的を設定し、それに向けて活動する事である。
産業と金融が分裂した資本主義は本質的に不安定なものであり、必ず危機を招く。
人間は本質的に目的論的な存在であり、活動的な存在である。しかし、人間にとって、目的の達成だけが重要なのではない。目的を達成しようとして、活発に行動し続ける事もまた生にとって大きな意味を持つ。行動それ自体も人生の目的となり、意義となる。
何らかの共同体に帰属している人間は共同体の将来という、自分の寿命より先の遠い未来における目的の為に行動する。人間が将来に向けて行動する為には、慣習、個人の能力、動機の3条件が必要。
株式市場は企業の価値を金額という単一の基準でしか評価できない。金額で表された企業の評価は、その企業の本当の価値を伝えるものではない。従い、企業の真の価値を株式市場を通じて認識する事はできない。
金融工学は、第一に本来、経営の実践に深く関わる事でしか克服できない、将来価値の不確実性の問題を確率論的に解決できる単なるリスクの問題にしてしまった。第二に、複雑で多様な価値を含み、共約不可能な側面を有する企業や資産の価値を金銭という数量で表現できる単一の基準に還元した。そのおかげで金融は企業や資産との長期的な関係から切り離され、また市場における交換を通じて自由に移動できるようになった。これが金融のグローバル化。
新しい資本主義は、各国の国民性を反映し、またナショナルなものとなる意味で、「国民資本主義」と呼びうる。この基礎にあるビジョンは、資本主義をネイションに根付かせ、制御すべきであるという「国民資本」主義である。
短期かつ利己的な「営利」よりも、長期で共同体的な「産業」を重視する事。 -
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【どんな本?】 「官僚制化」する社会を様々な側面から描写した本。
特に、「官僚が悪い」といって改革を進める人たちこそが、その改革で「官僚制」を強めてしまうという逆説が面白い。「改革派官僚に騙されるな!」という帯タイトルがある。
【著者紹介】 (出典:wiki)
中野 剛志(なかの たけし1971年 - )日本の経産官僚、独立行政法人新エネルギー・産業技術総合開発機構総務企画部主幹、評論家、元京都大学大学院准教授。研究分野は経済ナショナリズム、保守思想。著書「国力論」「TPP亡国論」「日本思想史新論」など
【オススメな点】
・著者は国内外の政治経済の見識が広い(近代の政治経済から現代の政治状況+他国事例)
政治経済の基本的考えやその名著(論文)を紹介しながら解説してくれるので、知識が増えるという意味で勉強をした気になれる。(自分で原著を読み込んだわけではないので、盲信は危険かもしれない。)
例:オルテガの「大衆の反逆」(「大衆」と「エリート」の違い)。マックス・ウェーバーの官僚論。高橋伸夫の「虚妄の成果主義」(年功序列制、成果主義等の真実)、ペルーや韓国の構造改革の結果
【目次】
序章:反逆の宣言
第一章:虚妄の行政改革
第二章:官僚制化する世界
第三章:グローバルな統治能力の危機
第四章:反逆の真相
終章:政治主導を目指して
【要約】
・「TPP使って、外圧で日本を変える」と宣言した日本政府OB、アメリカの外圧を利用することがまったく悪いことだと発言する外務官僚。
→これは「国民主権」の否定を宣言している。国民主権、すなわち国民が自国の将来は自分たちの意思で決めていきたいという民主主義の理想の放棄。
⇒このような「官僚の反逆」の背景には何があるのか ←テーマ
・日本1990年より、構造改革が目指してきた。しかし政治主導を目指したはずの改革運動の結果、逆説的なことに「官僚制化」が広がってしまった。その範囲は、官界はもちろん、政界、財界、学会の隅々にまで及んでしまった。
例:政界・官界…小泉政権、民主党政権 財界…世界のグローバル化(マクドナルド化) 学会…主流派経済学
・官僚制…非人間的、計算可能な規則。官僚制組織は、大衆民主制の随伴現象である。
官僚制の本質は、「だれかれの区別をせずに」「計算可能な規則」に従って事務処理をしていること。
・グローバル市場に広がる官僚制化現象(マクドナルド化)。市場における利潤追求行動は、実は官僚制化と親和性が高い。→グローバル化とは官僚制化である。
・新自由主義(「自由放任(完全なる自由市場)」「構造改革」「規制緩和」「小さな政府」)を達成するには、その手段として、官僚制が必要である。なぜなら、市場に介入しようとする政治に対抗できる強力な専門家集団が必要であるから。その専門家集団こそ官僚にほかならない。 -
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グローバル化とよく叫ばれる中でグローバル化を分かりやすく批判的のとらえた一冊。
読み進める前には国境が取り払われ、規制緩和が進む現代において、保護主義的な政策の重要性を説くのは一見ナンセンスに感じた。でも違った。決して保護主義政策をとって自国を鎖国状態にするということを主張しているのではなく、グローバル化の負の影響にも目を向ける必要性を訴えているように僕は感じた。なぜグローバル化が発生したのか?どうしてこれほど現代はグローバル化を謳うのか?グローバル化の正・負それぞれの影響は何か?こういった点を理解し、グローバル化の本質にせまる理解をしておくことが現代経済を見つめるためには必要だと感じた。
では、そうすればこれらをひもとけるのか?まずは歴史(第一次世界大戦前までの第一次グローバル化→世界恐慌→現代の第二次グローバル化→世界不況)をたどることが重要であると気づかされた。
内容に関しては、グローバル化が格差拡大、隣国同士のつぶしあい、エリートの劣化、統治能力の低下などデータなどを用いて負の面が分かりやすく指摘されている。 -
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自由貿易で世界経済が復活するということに対して警告を発する。世界の経済成長率が、新自由主義が勃興する前後で約3%から1.5%へと落ちている事実など、必ずしも寄与していないという。日本では、小泉政権、そして安部政権でも、これを称賛する動きがあったのも事実。企業が儲かれば、法人税も沢山入り、国も潤うかもしれない。しかし、利益の代償として働く者の給料が減ってしまっては、企業栄えて、国滅ぶにならないだろうか。一部の富裕層のために、それはあるというのは、アメリカ、西欧を見て納得してしまう。自由主義という言葉から連想するのは、解放、個人かもしれないけど、成熟した個人ばかりの社会とは限らない。むしろ、大多数は弱者のはず。平等がすべてではないですが、せめて、脱落したものが再びレールに乗れる、そんな社会なら救いがあると思うのだけど。
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・日本はこれまでに12の国と地域とEPA/FTAを締結した。ペルーと基本合意、オーストラリア、GCCと交渉中、韓国とは中断、モンゴルと共同研究中。
・FTA締結国との貿易が総額に占める割合は、日本16%、韓国36%、アメリカ38%、EU30%。
・シンガポールを除くTPP参加国のすべてが一次産品輸出国のため、労働力や農産物の輸入を期待される。
・戦後の日本は、安全保障問題を人質にとられて、通商問題でアメリカに妥協を強いられてきた。1960年代の繊維交渉では、沖縄返還の見返りとして繊維の輸出を自主規制することになった。
・金融グローバリゼーションは、1980年代にアメリカが金融市場の自由化を進めたことに端を発している。
・金融グローバリゼーションを批判する経済学者の代表格はジョセフ・スティグリッツ。ジャグディッシュ・バグワティは、自由な資本移動が大きな利益をもたらすことを示す証拠はないと断言。ゴードン・ハンソンは、対内直接投資による正の外部効果はほとんどなかったと発表。
・アジア通貨危機後、東アジア諸国は経常収支黒字をため込み始め、その資金がアメリカなどの世界に還流して金利が低下したため、世界経済は好況になっていった。
・オバマ大統領は2010年の一般教書演説で、今後5年間で輸出を倍増させる戦略を提唱し、日本とヨーロッパの経常収支黒字国が内需を拡大し、中国が一層柔軟な為替政策をとることを求めた。
・グローバル化した世界において国内市場を保護するための最も強力な手段は関税ではなく通貨。
・世界恐慌は保護主義によって深刻化したとの説は、現在では否定されている。
・自由貿易による競争の激化によって、国内の労働者の所得と賃金の上昇は抑えられ、物価を下げ、経済成長を鈍化させる。
・TPPは、アメリカ民主党の農業票獲得のための手段。
・1973年、ニクソン大統領は事前通告なく大豆の禁輸を発表し、日本の業界はパニックに陥った。
・現在市販されている野菜類の9割以上は、性質が1世代限りのF1品種。
・2006〜08年の食料価格高騰の際には、多くの国が農産物の輸出規制を行った。
・カール・ポランニーは、19世紀の急進的な自由貿易が社会を崩壊させ、その反動として全体主義が発生したと論じている(「大転換」)。ジョン・グレイやエマニュエル・トッドも、グローバル化は健全な民主主義の基盤である安定した社会を崩壊させると警告している。 -
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グローバル化=官僚制=大衆社会化=定量化
という定義のもと、議論を単純化して示しているため、
逆にくどさと分かりにくさを与えてしまった印象。
ただし、
成果主義や新自由主義などの定量化できるもののみを重視する態度は、極めて官僚的であり、非人間的、機械的である。それは現実世界を極めて表層的にしか捉えていない
という点については、非常に共感できる。
個別的でナショナルな自由民主政治を、その非効率・非定量・不透明さにもかかわらず、目指す必要があるが、その処方箋はない。
その面倒さに嫌気がさした市民が、独裁を標榜するような政治家が率いる集団に喝采を送ったりしてしまう。
民主主義を尊重する態度を続けるのであれば、その面倒さを乗り越えていく覚悟が求められるのだろう。 -
Posted by ブクログ
グローバリゼーションが国際社会における常識のひとつになっている中、本書はそこに潜む危険性を改めて問い直す一冊である。
第一章の「自由貿易は好ましい」は本当か———では、
自由貿易推進者がその根拠にしている、ヘクシャー=オリーンの定理を例に、その論拠を徹底的に批判しています。
批判の対象となっているのが、ヘクシャー=オリーンの定理における前提条件。
・複数国それぞれが「完全雇用されている状態であること」
・生産要素(資本・労働)は国内の産業間を自由に移動でき、そのための調整費用もかからない。
・生産要素は国と国との国際的な移動もしない。
などなど。
つまり、今日のグローバル経済には全くあてはまらない論拠である。
そもそも経済的発展のために、「規制緩和をして自由貿易を推進しましょう」というのが間違いである。
自由貿易の守護神のようなイメージのアメリカですら、1945年までは保護主義的な国であった。
建国以来、高い関税率(40〜50%)によって自国の産業を保護し、経済発展を遂げたという。
ちなみにヨーロッパでは、1877年頃から自由貿易が盛んになったが、自由経済は農業経済に大きな打撃をあたえ、大不況につながったという。
以上の様な歴史をふまえて、西欧列強は自国には高い関税をかけるが、非西欧の国々には自由貿易を強いて、実質的支配を強めることがしばしば行われてきた。
「自由貿易帝国主義」と言われる所以である。
歴史において、「自由貿易」というのも一種のイデオロギーであり、西欧列強はそれを巧妙に利用してあたかも正義の思想といった風に喧伝してきたということだ。
では、戦後はどうか。
日本は高い技術力と工業生産力、さらに1984年には「関税と貿易に関する一般協定」である通称GATTの後押しにより輸出力を高めたと一般的には理解されている。
当時は冷戦時代ということもあり、アメリカは西側諸国をドル経済圏につなぎとめる必要があったため、自国の経済を犠牲にしても、日本をはじめとした西側諸国の経済発展を安全保障上の理由から優先させる国家戦略に基づくものであった。
この例をとっても、国際政治におけるひとつの選択肢であって、自由貿易が二国間の経済発展を促進させるものではないということがわかる。
冷戦終結後の1990年代から、アメリカの対日貿易赤字が外交上の問題のひとつになり、ジャパンバッシングがおこなわれたのも、当然の帰結だったのかもしれない。
現在は、ハイパーグローバリゼーションの時代となり、自由な貿易を促進させるために、国家間の通商条約が国内法に優先される時代に突入しつつあるという。
ただし、ここには大きな不平等が存在する。
アメリカの場合WTOやNAFTA、FTAといった条約にはアメリカの国内法が優先すると規定してあるのに対し、日本は憲法九十八条第二項により、国内法よりも国際的な条約が優先されると理解されている。
現在問題のTPPなどでは、日米間で前提条件が全くちがうことになる。
今後はTPPやWTOの協定に反する国内法の修正が迫られるなどの問題が起こりかねない状況にあるというのだから恐ろしいことだ。
特に国際貿易協定にあるISD条項では、一投資家であっても、外国の政府の政策によって不利益を被った場合訴えることができるというもの。
訴えが起こされた場合、世界銀行傘下の「投資紛争国際センター」という第三者機関で対象となる政府が審理される。
ハイパーグローバリゼーションの時代、自国の産業や権利、国内法よって保たれている自国の尊厳じたいが危機に瀕していることが理解できる内容となっている。
20世紀初頭のイギリスの経済学者ジョージロビンソンは、「経済学を学ぶ理由は、経済学者に騙されないためだ」と皮肉を込めて発言したそうだが、今まさに我々の胸に深く響いてくるひと言であると感じた。