中野剛志のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
著者の主張している内容は、間違ったことはないとは思うが、すべて鵜呑みにするのは危険ではないか。
基本路線はアメリカの言いなりにならず、独立国家としての道をすすむべきだとの内容。
大手企業のグローバル化が進んでいるが、日本から多くのグローバル企業が出たからといって、日本の国益になるとは限らない。やはり平和ボケしている日本人の多くはアメリカは優しいと思っているのかもしれない。
この著者は多少過激な論調だが、やはり、日本の国益を真剣に考えるとこのような考え方になるのだろうか。北野さんあたりと同じような警告を発しているところは興味深いところもある。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ・欧州では長年,中東やアフリカからやってくる大量の移民を受け入れすぎた結果,負の側面が見えてきた.
・これはうちうちには懸念されていたことだが,移民の排斥は人種差別主義者や不寛容さの現れであると評される空気がば長く続き,真正面から向き合うことを避けてきた.そういう人はひどいレッテルを貼られ大きなバッシングを受けた.
・これが移民受け入れのさらなる緩和と対策検討の遅延を招いた.
・移民により社会の高齢化の抑止,労働力供給,多様性の実現など様々なメリットをもたらすという主張が絶えないが著者はいずれも否定している.
・その結果,欧州のアイデンティティ,文明が失われつつある.為政者含め欧州の人たち自ら招いたこの自体を筆者は「西洋の自死」と表現している.
====
本書の舞台は欧州であるが,最初の解説にある通り,これはいずれ日本にも起こりうることだと思う.
そういう意味でいうと未来の一パターンを見ていると思った方がいいかも,
目先の綺麗事は表面化しづらい緩慢な悪影響を置き去りにしてしまう.
民族,宗教,生活習慣の違うもの同士が相入れるというのは綺麗事であり衝突する部分が少なからずある.
移民側の視点はあまりないがそれでも壮絶なバックグラウンドがあると改めてわかる,
移民にならざるを得ない人,移民になることを選択した人に比べれば日本で時に不満を垂れながらぬくぬくやってい流自分は世間知らずだなあと感じる.
移民が大量に押し寄せた結果,その地域の雰囲気の激変,治安悪化,宗教的衝突があるのもすごい話.今の日本ではあまりないように思えるがいずれそういう町がでてくる?
ブレグジットに至ったのも移民問題が市民の感情を動かす一つの理由になっているんだろうなあ.
それにしても異教徒達の衝突はいつの時代も絶えない.宗教が救った人の数と葬った人の数,宗教によりもたらした幸福と失われた幸福どちらが多いんだろう?
主義主張背景が異なるもの同士が同じ空間にいると衝突が発生する.己を通すために様々な意見が表出され最終的には党派が生まれる.あると党の躍進には何かしらの利益が伴うため,ステークホルダーが纏わりつく.そうして利権を奪取したり守る動きが生まれる.
異なる人種・宗教・国家間の衝突はいつの時代も不可避,どちらも一長一短の押したり引いたりの状態が延々続く.欧州の移民問題もそうだけど日本での諸問題も同じことが言えそう.これらの問題の円満で最終的な解決というのは不可能かもしれない.〜〜の解決とかいう綺麗事には注意した方がいい.左右どちらの主張でも.もはや解決不能な政治エンタメと割り切って感情の煽られることもなく自分ごとに集中した方が良さそう.
宗教対立,流血不可避だ.
マイノリティの意見が徐々にマジョリティに浸透していく,という話がSkin in the gameにあると聞いた.そちらの話も面白そうだ. -
Posted by ブクログ
書き出しからして衝撃だ。
「欧州は自死を遂げつつある。少なくとも欧州の指導者たちは、自死することを決意した」
日本は、移民に対して閉ざされた国であると考えられてきた。しかし、OECD加盟国35カ国の外国人移住者統計(2015)によれば、日本は2015年に約39万人の移民を受け入れており、すでに世界第4位の地位を得ているのである。さらに、2018年6月、日本政府は、一定の業種で外国人の単純労働者を受け入れることを決定し2025年までに50万人超を想定しているという。そして、新たな在留資格を創設する出入国管理法改正案が閣議決定された。
ついに日本政府は、本格的な移民の受け入れへと舵をきった。はなはだ遺憾ではあるが、我々日本人は、本書を「日本の自死」として読みかえなければならなくなった。
(解説より)
欧州各国がどのように外国人労働者や移民を受け入れ始め、そこから抜け出せなくなったのか。
マスコミや評論家、政治家などのエリートの世界で、移民受け入れへの懸念の表明が、どのようにしてタブー視されるに至ったのか。
エリートたちは、どのような論法で(それが非論理的だとしても)、一般庶民から生じる大規模な移民政策への疑問や懸念を脇にそらしたのか。
今後日本が直面するであろう問題について書かれた本。 -
Posted by ブクログ
欧州で右派が台頭する状況の背景がこの本を読むとわかった。少なくとも欧州で極右政党が一定の支持を集めるのを一部の経済的に恵まれず、情報が限られた人たちが煽られた反動だと感じていたことが、それほど単純ではないことがわかった。この本が欧州を含めて世界中でも比較的売れていて、トンデモ本のような扱いではないことから、ここに書かれた数字や発生した事件などの事実についてはおおよそ正しいことが書かれているのだろう。おそらくは著者も強くそして感情的でもある反論にさらされる可能性を強く感じていたからであろうか、事実については非常によく調査をされているし、現地にも足を運び実情を捉えようとしている。日本を含む海外にも比較的広く報道された2015年大晦日のケルンでのイスラム系移民による集団性犯罪事件が実際に起きていることを考えると、多くの小規模だが類似する事件が起きていると想像するのは、スウェーデンなど実際にいくつか事件が報告されていることと併せても間違いではないだろう。
大衆の感覚もそれに合っているにも関わらず(67%の英国人が過去10年間の移民を「英国にとって悪いこと」だったとみている)、政治的には移民の流れを阻止する方向には動くことができなかった。なぜなら、それは現在の欧州の分化によって倫理的にはそうすべきではないということになっているからだ。そして、著者に言わせると「現状を維持して、それに不平を言っている方が、短期的な批判を甘受して社会の長期的な幸福を測るよりも楽なのである」ということだ。いずれにせよ、欧州の政治家は、自らを反移民とし、政治的に反動的であると見られたくないという思いが強かった。
それほど遠くはない昔は、人種は違うものであった。その上で、いかにその差を埋めるのかを考えた。今は人種の差はまずないことが前提となり、その差が表れているところは正しくない状態であるとして放置することは許されないようになった。それは、性差でも同じことであり、男女は同じであることが一切の前提となった。さらにはその性差にはLGBTも包含されるようになった。それが、正しいことであるとする前に、その考えを適用し、移民を同じ権利を持つものであるという前提に立って政治を行うことが、逆説的に欧州の社会で維持することが難しくなりつつあるということだ。少なくとも欧州の文化というものがそれによって大きく変わりつつあり、そのことに対して打つ手さえ失いつつあるというのが、本書に書かれていることだ。
欧州の移民問題は、2011年の「アラブの春」やシリア問題が深刻化し、周辺地域の政情が悪化してから大幅に深刻になった。地中海の小さな島に来たアフリカから難民が押し寄せる事態になった状況や、小型船の難破による死を避けるという人道的な理由により、船舶の救助のための監視が行われて、「難民」たちは欧州に連れていかれることになった状況などがつぶさに描かれる。難民申請の数はドイツでは2010年で約5万人だったものが、2015年には150万人にも急増した。この流れをとどめるための政治的言葉を人道主義のもとで持たず、一方でこの変化に対して実際的に打たなければなかった対策はほとんど打たれなかった。
こと欧州において、本書で問題にされている移民に関しては、政治家やリベラルな経済学者は、最終的には経済的利益をもたらすものとして正当化しようとした。しかし、それはもはや現実的なものではないということが示される。端的に労働力の問題で言えば、スペイン、ポルトガル、イタリア、ギリシャの失業率を見れば、移民による労働力人口の増加は欧州全体で見るとおそらくは必要ではないことがわかる。
そもそも治安の問題は少なくとも控え目に言っても短期的には大きく悪化した。その上で、経済的利益を得られるのは移民のみで、以前から住んでいる欧州人にとっては移民は彼らの生活を豊かにするものではない、そう欧州の大衆は感じつつあり、そして行動にも表しつつある。
ここで根深く大きな問題となるのが宗教の問題だ。自らはたいして宗教など信じていないのに、相手の宗教は尊重しなくてはならない。その宗教はある意味では欧州の社会に対して敵対的ですらあるにも関わらず。欧州で宗教が再び政治的な問題となるとはしばらく前には思ってもいなかったのではなかったか。『シャルリー・エブド』の襲撃殺害事件の前、すでに『悪魔の詩』が出版されたとき、翻訳者も含めて関与した人々は暗殺の対象になり、そして複数の方が実際に殺害された。その後、パリで何度も死傷事件は起こり、コペンハーゲンを含めて欧州各所で同様の事件は起こった。リベラルな「正しき」人々は、彼らは真のイスラム教徒ではないのだという論理を用いる。本来、イスラム教は平和を希求し、暴力を否定すると。それは正しいかもしれないが、事件を起こした多くのものはイスラム教徒を自認し、イスラム教を主な宗教とする国から来たのだ。彼らはテロを信奉するものではないにしても、イスラム教徒ではあるのだ。そして、彼らを受け入れる側は宗教的な支えを失いつつあるコミュニティであり、そこが問題の核心となっている。欧州は、宗教を手放す代わりに多様性を受け入れることで穴埋めにしようとした。一方の側は、その多様性には価値を置かない。ここに埋め難い対立がある。
「戦後の文化となった人権思想は、まるで信仰のように自らを主張し、あるいは信奉者によって語られる。人権思想はそれ自体がキリスト教的良心の世俗版を根付かせようとする試みなのだ。それは部分的には成功しているかもしれない。だが必然的に自信を欠いた宗教にならざるをえない。なぜなら、そのよりどころに確信が持てないからだ。言葉は隠れた秘密を明かす。人権を語る言葉が立派になり、その主張が執拗になるにつれて、このシステムにその大志を果たす能力のないことが誰の目にも明らかになっていく」
彼らは人権思想がこのような形で脅かされるなどとは思わなかったのではないだろうか。
それでも欧州は難民を受け入れ続ける。そこには欧州人が犯した過去の原罪が影響しているのではないのかというのが著者の見解だ。東欧と西欧の難民施策に対するあからさまな違いは、その国の経済力の差だけで説明できるものではなく、過去の行動に対する罪悪感ともいうべきものが影響をしていると言ってよいだろう。世界を武力によって征服し、原住民を制圧し、奴隷制度を作り上げ、ホロコーストを実行した、様々な過去の欧州の歴史を原罪として西欧の大国は刻み込まれているのだ。そして、一方では自分自身ではない誰かが犯した罪に対する謝罪的行動が甘い自己陶酔となっているのではないかとも問われる -「つまらない人間が、いっぱしの人間になるわけだ」。日本でも一時期、自虐史観としてレッテルを貼られて批判もされたものと似ている。しかし、それは似てはいるが、決して同じではない。欧州のそれは、より深く、そして抗いがたい。
欧州が20世紀前半に自らの行動の結果から受けたものは、自分たちが想像するよりも深く広く染み至るものなのかもしれない。その態度は先進的であると見做され、自負されながらも、その特性のゆえに脆さを孕むものであったのだ。
「もしまだすべてに優先する思想というものが残っているとしたら、それは「思想は問題だ」という思想である。もし何らかの価値判断がいまだ共有されているとしたら、それは「価値判断は誤りである」という価値判断である。もし何らかの確信がいまだ残されているとしたら、それは「確信への不信」という確信である。これは哲学にはつながらないかもしれないが、間違いなく一つの態度にはつながっていく。浅薄で、執拗な攻撃を受けたら生き残れそうにないが、取り入れるのはたやすいという、そんな態度である」
こうした価値観を持つ欧州の社会の中で、その文化には同化することのない移民が大量に入ってきた後に何が起きるのだろうか、というのがこの本を貫く問いとなる。
「結果として、現在欧州に住む人々の大半がまだ生きている間に欧州は欧州でなくなり、欧州人はホームと呼ぶべき世界で唯一の場所を失っているだろう」ー この本で語られたこの予言を、数十年後読んだときにわれわれはどう感じるのだろうか。
原題は、”The Strange Death of Europe”。「自死」は本書の内容からして意訳的に誤りではない。しかし、原題に現る”Strange”という形容に著者が込める意図には深い意味があるのである。
イスラム教とイスラム教社会は、最終的にはキリスト教がそうなったように、世俗化されることになるのだろうか。現状において、イスラム教の存在が彼らイスラム教徒のレゾン・ド・エートルとなり、対抗すべき非イスラム社会に対する心理上での絶対的優位を支えるものとなっているように思われる中では、その信教としての位置づけは過去のキリスト教社会におけるキリスト教の存在とは異なる意味を持っていると考えるべきなのかもしれない。そうだとすると、この根深き問題は欧州を、引いては世界をどのように行く先に導くものなのだろうか。その問いは、21世紀において目をそらさずに考えるべき問いのひとつであることは間違いない。本書は、この問いは語られるべき問いである、と語ることができる状況を作ることに貢献するという意味で重要性を持つと言ってよいかもしれない。
リベラルと自らを任じている人にこそ読まれるべき本である。
------
(以下、蛇足)
一方で、中野剛志氏が書いた序文の内容はおよそ望まれるものではないと感じる。中野氏のマレー氏への称賛については賛同するところである。また、移民問題が日本でも重要な問題であり、新しい入国管理法や移民政策が大きな議論がなく進められることに対して問題であるということには同意できる。しかし、この序文は、まず移民の恐怖をいたずらに煽るようなものであってはならないはずだ。
まずこの本は、いわゆる移民排斥を進めようとする右派が書いたものではなく、自身の主張はそうではないにも関わらず事実こうなっているという所作が非常に重要なものとなっている。著者は、いわゆる極右勢力に与するものではないことを再三表明している。本書を通して、この本が届けられるべきリベラルなエスタブリッシュメント層を意識し、彼らに対して受け入れられるようにとても繊細に筆を進めている。
なによりも、日本の状況は欧州とは類似よりも異なる点の方が目立つ。単純労働移民を受け入れる法案を通したことに対して先見の明なき愚かな策であると鬼の首を取ったかのように批判をするが、そもそも入管法の対照は移民労働者であって、難民ではない。これはおそらくは大きな違いで、移民労働者であれば問題を起こしたものに対しては強制退去を命じることができるが、難民はそうではない。もちろん制度の抜け穴となってしまうリスクもあろうが、実のところこの違いは大きい。欧州でも問題になっているのは(自称も大量に含むが)難民の話であることは読めばわかる。また、安倍政権が人道主義の立場から受け入れを決めたわけでも、拒否することが政治的に危険であるからやむなくそうしたわけでもない。さらには宗教の問題も欧州とは大きく異なる。
「そして日本もまた、欧州の後を追うかのように、自死への道を歩んでいる。もっとも、一人のマレーも出さぬままにだが…」と自らの筆に酔ったように書いて序文を締めくくる。それは当然だ。欧州ほど日本は状況がひどくないからだ。なんとなれば、中野氏がそう言うのであれば、中野氏が日本のマレーになればよいではないかと。
なお、本書の中では「日本は移民をせき止め、居残りを思いとどまらせ、外国人が日本国籍を取ることを難しくする政策を実行することで、大量移民を防止してきた。日本の政策に賛成するかどうかは別にして、この高度につながり合った時代においても、現代の経済国家が大量移民を防止することは可能であること、またそれが「不可避」なプロセスでないことを日本は示した」とその政策を紹介されている。冷静には、この問題に関しては、まず欧州と日本の類似ではなく、その相違に注目して論じるべき問題であるように思う。 -
Posted by ブクログ
日本でも徐々に移民受入の議論が本格化する中、人道的立場から移民を受け入れてきた欧州で何が起こりつつあるのかを生々しく描き出した論考。
本書の内容は「西洋の自死」というタイトルが、恐ろしいほど端的に示している。その多くがイスラム教徒である移民を欧州が受け入れることにより、欧州が自明視していた価値観とは、決して普遍的なものではないことに欧州は気づき始める。そして、次第に問題はメタフィジカルな領域からフィジカルな領域へと移行する。例えば、それは欧州で移民を受け入れた地域で小児犯罪やレイプ等の犯罪率が顕著に増加したことに示されている。そして本書で看破されるのは、左翼的イデオロギーに染まった既存メディアは、移民と犯罪の問題を結びつけることを拒否し、その真実を報道しなかったという恐ろしい点にある。
本書を読んで明らかに痛感したことがある。私が暮らす日本という国は紛れもなく、西欧的な価値観が染まった国だ。よって、私は西欧社会がその思想的伝統のベースに据えた普遍的な人道主義というものが存在するのだと思い込んでいた。しかし、相次ぐISISの暗躍や本書に示される問題提起を通じて、そんなものは存在しないということは明らかである。そして当然、そうした価値観が異なるということ自体は非難させられるものではない。
それでも女性やLGBTへの蔑視を彼らが持ち続けるのであれば、私は喜んで中指を立てなければならないのかもしれない。それをpolitical correctnessの観点から野蛮だとうのであれば、そんな社会にどれだけの意味があろうか。 -
Posted by ブクログ
自由貿易というドグマは、なぜかくも強い影響力をもつのか。なぜ、それを疑うことすら許されないのか。
この謎を解く鍵となるのが、ドイツの政治経済学者フリードリヒ・リストである。
本書の目的は、このリストという人物の理論と実践を、彼の生涯とともに解釈することによって、我々が自由貿易というドグマから自由になることができない根本的な原因を明らかにすることである。
自由貿易を正当化する「リカードの定理」の、現実とかけはなれた条件について、特に、収穫逓増を捨象した主流派経済学を批判した。ポール・ローマーが先鞭をつけた「新成長理論」についても、各産業部門間の分業と結合が引き起こす収穫逓増という一般的な現象を論じたヤングの理論とはかなり異なるもので、技術進歩が経済社会から内生するメカニズムを説明したことにはならないと説明し、主流派経済学の分析枠組みに則り、数理モデルによる定式化を容易にするために、さまざまな限定的な前提を置き、その結果、本来の内生的な経済成長のメカニズムの解明を犠牲にしてしまった。
マキャヴェリの世界観である、「世界とは、循々と変転してやむことのない動態である。社会、とりわけ国家というものは、隆興しつつあるか、衰亡しつつあるかのいずれかであって、均衡点で静止し続けるということはない」というもの、
また、マキャヴェリ、リストが重要視したのは、「見たことも聞いたこともない共和国や君主国を想像の中で描くことを戒め、人間いかに生きるべきか、よりも人の実際の生き方を追求しようとした」、ことが印象的だった。 -
Posted by ブクログ
フリードリヒ・リスト。ドイツの経済学者。フランス革命の1789年にドイツで生まれ、1846年に自ら命を絶つことになる。
理論よりも、実践と実証に重きをおき、マキャベリの政治観に感銘を受ける。当時、主流であった近代合流主義の一派から拒絶されることになる。ヨーロッパに、資本主義的な考え方が広まっていく時代。合理主義の元に拡張を続ける世界。リストは国家が闇雲に拡張するよりも、基礎的な体力を付けることが大事だと訴えてきた。そこに現代の行きすぎた自由貿易への処方箋があるのではとも思う。
今も昔も既得権益の壁を越えることは容易ではないのですね。見方が変われば、それぞれに正義はあるのだろうけど。
国家は衰退するか、繁栄するかのどちらかであり、現状維持はあり得ないと言う言葉が印象に残りました。やっぱり選挙権を行使することは大切だと実感。 -
Posted by ブクログ
「真説・企業論」中野剛志
1980年代以降の米国はベンチャー開業率が下がり続け、2009年以降では1997年の半分しかない。
アメリカの若者が起業する比率は下がり続け、2013年には1989年の三分の一に。
2015年の「Top100グローバルイノベーター」は日本企業は世界最多の40社。2年連続で米国を上回った。
米国の高卒以上比率は先進国中11位。25-34歳までの高卒以上率が55-64歳までのそれより低い唯一の国。
15歳を対象にした国際学力テストPISAでは、2012年の米国の順位は、読解力が24位、科学が28位、数学が36位。日本は、読解力が4位、科学が4位、数学が7位。
アメリカは過去40年、低い生産性を記録し続けている。
社会で全体ではベンチャー企業こそが非効率部門。
政府が支援すべきでない企業
・ライバル企業から市場を奪って成長しただけで、市場全体を大きくしたわけではない企業。
・海外ばかり工場を建て、国内に雇用を生み出さないで成長した企業。
・市場シェアや利益は世界トップクラスではあるが、一握りの経営層と高度な専門技術者だけで構成されており、雇用をたくさん創出しない企業。
1980年代のシリコンバレーはミサイル、衛星、軍事関連及び宇宙関連の電子技術に関わる企業が多数立地していた。彼らは収入の多くを防衛関連の政府契約に依存していた。
アメリカ初のVCは、その創設の目的は軍事的なものであった。
アメリカがITベンチャー大国でシリコンバレーにハイテクベンチャーが集積している理由は米国が世界最大の軍事大国だから。
ハイテクベンチャー企業の7割が最後に資金供給を受けてから2年以内に倒産している。
ハイテクベンチャー企業の半分以上が100万ドル以下の資金調達で倒産している。倒産したハイテクベンチャー企業が調達した資金額の中間値は130万ドル。
ベンチャーキャピタルはイノベーション全体ではなく、その後半であるハイテクの事業化に対して投資している。
技術が革新的なものである場合は、2年で結果を出すのは難しい。
イノベーションとは、事前にはその結果を知る事ができないような活動を言う。結果の見えない不確実な将来に向かって投資や開発といった行動を起こさなければイノベーションは実現しない。
イノベーションが直面する不確実性とは、本質的に「事前には結果を計算できないような将来」を意味する。
全ての成功は直観にかかっている。直観とはその時は分かっていなくても、事後的に正しいと判明することを見通す事のできる能力であり、原理を説明できないにも関わらず、本質的事実を掴み取り、本質的ではないものは捨て去る事のできる能力。
ベンチャーキャピタルのトップ5社が2011年〜2013年前半に出資したシリコンバレー88社のうち、70社の創業者は、「大手IT企業での幹部職経験者や、影響力を持つ人物と関係のある会社に勤めていた人か、すでに起業の経験がある人か、スタンフォード大、ハーバード大、MITのいずれかで学んだ人」であった。
荻生徂徠は、人をただ見ただけでその器量を見抜く事は誰にもできない、名将は一目で人材を見抜くなどと言うのは愚か者が信じている事であると言い、人材を評価するには実際に使ってみる事であり、あれこれ指示せずに好きになようにやらせてみるのがよいと言う。
イノベーションの推進者が、所属する組織内で共有された価値観を理由とする事ができれば、期待される利益の計算において多少劣っていたとしても社内を説得する事ができる。
「イノベーションの理由」が調査対象にしたイノベーションの事例は23件。商品、技術シーズの開発に着想してから事業化に成功するまでに要した期間は平均9.2年。5年以上かかった事例は17件、その中で10年以上かかった事例は9件、さらに15年以上かかった事例が5件であった。2年以内に成功したのは2件のみ。すぐに始めて3ヶ月で潰す意思決定をしていては事業化に成功するものは一つも出ない。
大企業では人的ネットワークをさらに広く、深く、長期間に渡るものにする事。
世界を一変させるような画期的なイノベーションのリスクを担う事ができる最大最強の組織は国家である。
同じ人員、同じ戦略上でビジネスを進めている限り、連続的な改良改善はできてもイノベーションは生まれない。
イノベーションは、単にばらばらのデータや情報をつなぎ合わせるだけではない。それは人間一人ひとりに深く関わる個人と組織の自己変革である。社員の会社とその目的への一体化とコミットメントが必要不可欠。この意味で、イノベーションとしての新たな知識の創造はアイデアと同じくらいアイデアル(理想)を創る事。
イノベーションの本質とは、ある理想やビジョンに従って世界を創り変える事。
新しい知を創る事は、社員一人一人と会社を絶え間ない個人的・組織的自己革新によって創り変える事。
日本に限らず、長期の競争力のある企業は長期雇用を重視する。
長期の競争力とは、持続的に改良改善あるいは革新を生み出し続ける能力の高さの事。
共同体的な企業とは、限定的で長期的な雇用関係や取引関係を持つ企業のこと。
イノベーションを生み出したければ、企業を本当の意味で共同体的な集団へと変えること。
イノベーションの理由は、単純な営利目的ではなく、むしろ利益計算では示すことのできない非経済的な価値観であった。営利中心の発想は、この価値観を殺す。
米国経済における、金融部門が保有する資産は1980年にはGDP比で55%だったのが、2000年には95%にまで膨らんでいる。金融機関の支配力が強くなった事で株価の最大化や短期的利益の追求への圧力が格段に強くなった。
20カ国30年のデータを分析すると、金融部門が成長すると、生産性は低下するという結果が出ている。株主主権論と効率市場仮説から導き出される金融化がイノベーションを促進するものになる事はありえない。
自社株買いこそが米国企業の短期主義を助長し、アメリカのイノベーションを削いできた元凶。コーポレートガバナンス改革の結果、2016年の1-9月までの上場企業による自社株買いの実施額は、4.35兆円と過去最高であり、これが本来ではイノベーションに向かうべき資金。
アメリカ出羽守(でわのかみ)、、、アメリカでは〜、シリコンバレーでは〜と、すぐに海外の手法を真似たがる途上国メンタリティ。
アメリカ出羽守が提唱する経営手法や制度は、日本には馴染まないだけでなく、アメリカでも上手くいっていない。
日本経済は米国を模倣した構造改革が足りないからではなく、構造改革をしたからダメになった。
アメリカはベンチャー企業天国ではない
・開業率はこの30年で半減している。
・1990年代は、IT革命にも関わらず30歳以下の起業家の比率は低下ないし停滞し、特に2010年以降は激減している。
・先進国より途上国の方が起業家率が高い。ペルー、ウガンダ、エクアドル、ヴェネズエラは米国の二倍以上。日本の開業率も高度成長期には現在よりもはるかに高かった。
・アメリカの典型的なベンチャーはイノベーティブなハイテクではなく、パフォーマンスも悪い。
日本は1990年代以降、アメリカを模範としたコーポレートガバナンス改革を続けた結果、米国経済と同様に長期停滞に陥っている。
・日本のコーポレートガバナンス改革は、アメリカのビジネススクールで洗脳された官僚達が主導している。
・日本のコーポレートガバナンス改革は、金融化やグローバル化を推進し、日本企業を短期主義的にする結果を招いている。
・コーポレートガバナンス改革によって、日本はイノベーションが起きない国へと転落する。 -
Posted by ブクログ
エマニュエル・ドット氏と日韓の論客がグローバル資本主義のの行方を語ります。バブルとその崩壊を繰り返し、大企業によるの寡占化、短期利益を求めての目先のパイの奪い合い、株主はクリックひとつでやめられるが従業員はそうはいかない、国家という枠内でのガバナンスの欠如などの問題を洗い出し、それでもネオリベラリズムを支持するのはエリートが内向きな小さなグループに閉じこもって統治を放棄していると糾弾。
一般人もそれで良しとしてしまうのは、子供の頃貧しかった高齢者が今を豊かだと感じていることに加えて、ハンナ・アーレントの「全体主義の起源」を挙げて論じている。
2014年6月発売の本書ですが、ドット氏の「新自由主義と結びついたことで保守は死んだ。米国人は自由貿易や市場を信用してない。」との発言は本来の保守復権のトランプ大統領を予言しているようです。もっとも、トランプ氏の側近は氏の発言とは裏腹に生粋のリバタリアンばかりとの話もあるようですが。。。 -
Posted by ブクログ
★論理に破たんがあるようには思えず★いまさらながらTPPが成立したので読んでみた。TPPで意味のある貿易相手は米国だけであり、この連携は米国の輸出拡大策でしかないと指摘。盲目的な米国追従の外交を批判する。確かにその通りでTPPの利点はいくら聞いても実際よく分からない。賛成派は「自由」という反論を許さない表現で押し切ろうとするが、勉強不足か本書にきちんと応える理屈を見たことがない。どうなるんだろうこの後。
ところで著者が京大准教授に出向したときの親分である藤井教授は、アベノミクスでの公共工事拡大の理論的支柱になった人だったはず(著者も同意見)。それがTPPでは全く反対というのは改めて面白いもんだな。