野沢佳織のレビュー一覧
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ネタバレ主人公が生まれる前の話から始まり、モスクワでの政治的な思惑や、仲の良かった兄弟達がそれぞれ別の道に行くなど、物語が大きく動くまではとても良かった。が、継母と神父を連れて父が戻ってからは、日本の因習村みたいなドロドロジメジメした展開が続き退屈だった。特に、美形で美声で絵画も描けるハイスペ神父の視点が多く、こいつが改心してヒーローになるかと思ったらそうでもなく、最後まで読んで美形設定いらんかっただろと思った。
不思議な力で精霊達を見ることができるワーシャが、村人達から魔女と怖れられるなか、兄のアリョーシャと異母妹イリーナだけが、ワーシャを信じて味方するのが良かった。冬の王マロースカは、いまいちキャラがつかめず次巻に期待。ロシア民話のジェド・マロースがモデルのようだが、弟であるメドベードのモデルは見つけられなかった。
「あらすじ覚え書き」※ネタバレあり
人々の話によれば、ぼろをまとった少女が馬に乗り、クレムリンの門をくぐってきた。少女は動物を手なずけ、のちに起こることを夢で知り、雨を呼ぶことができたという。北部領主の娘ワーシャは、この祖母の力を受け継いでいた。北部の土地は良き精霊によって魔物から守られていたが、熊の魔物メドベードがコンスタンチン神父を惑わせ、村人から精霊への信仰を失わせる。生ける屍に村人が襲われてゆくなか、修道院へ入るよう言い渡されたワーシャは森に逃げ込み、冬の王マロースカにかくまわれる。不思議な力を持つ雄馬ソロヴェイを得たワーシャは、復活したメドベードと戦い、ワーシャを救うために父ピョートルが命を落とす。広い世界を見るためワーシャは村を出て旅立つ。 -
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ミヒャエル・エンデの『モモ』のような話?と思いながら読み始めた。
経済危機が悪化した現在から逃れようと、人々はタイムボックスに入る。ボックスから出てきたシグルンは、変わり果てた町でグレイスに出会う。グレイスは、シグルンら子どもたちに「オブシディアナ姫の物語」を聞かせて…。
動物に人間を襲わせ世界征服を果たしたパンゲア国の王、ディモンと、時間の箱に閉じ込められたオブシディアナ姫を中心に物語は進むが、一番おどろいたのはこの場面!
「こびとの首がころがった瞬間、刃の下で石の床が割れ、裂け目がひび割れ、谷間になり、深い峡谷になる。そこに水が流れこんで水路となり、ついには波だつ海となった。パンゲア国はまっぷたつになり、現在の南米大陸とアフリカ大陸に分裂したのだった——」
試しに二つの大陸を合わせてみると、確かにピッタリだ!
大西洋中央海嶺が島の中央を貫くアイスランドは著者の出身地。今も島では噴火を繰り返しているそうで、自然の脅威を知る著者だからこの作品を生み出すことができたのだと思う。
タイムボックスに入り、都合の悪い時間をやり過ごそうとした人々。
モモのように奪われた時間を取り戻すどころか、何もしないまま「時間に滅ぼされる」ことの怖さを感じる作品だった。
グレイスは何者なのか・・
終盤を二度読みして、シグルンのタイムボックスがなぜ開いたのか?その理由がわかった気がする。
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ルーマニアと聞いて、人々は何を思い浮かべるだろう?
15世紀、吸血鬼ドラキュラのモデルになったワラキアの梟雄ヴラド・ツェペシュが活躍した。第二次大戦後には”社会主義国家”となったものの、“独裁者”チャウシェスクが君臨し、彼もまた、吸血鬼と言われた。本編は二人目の吸血鬼の時代である。
1989年のルーマニア、ブカレスト。17歳のクリスティアンは、物おじせず自分の意見を言う祖父と、働く母と三人暮らしだ。ある時、秘密警察に目をつけられ、米大使館員の息子から家庭の情報を得るように迫られる。体調の悪い祖父の薬と交換条件に任務を引き受けるが、家族や親友にも話せず、誰も信じられず過酷な精神状態に追い込まれる。一方で、気になっていたリリアナと付き合い始めるが。
チャウシェスク政権の崩壊のニュースは覚えているが、あくまでも他国の出来事という感覚だった。常に監視され、自由に音楽を聴くことも、発言もできなかった。自由のない時代‐直近の香港が近いだろうか。青春時代など、色とりどりであるはずなのに、邦題タイトルでは、街の色はモノクロだ。自我に目覚め、将来に希望を持った若者たちにとって、政府からの抑圧が、どれだけ毎日を蝕んでいたのか、受けていた心の傷がいかほどのものだったのかが察せられる。言論等圧の波は、いつ起こるかわからない。
やはり本書における衝撃は、クリスティアンが疑っていた、自分をスパイしていた相手の正体だ。本当に、誰の事も信用できない。そうさせてしまったのは、国民を守るはずの国家である。 -
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親が亡くなり、身近な人の死を聞き、自らも平均寿命の最終コーナーに近づきつつあることを自覚するようになると、「死」について考えることが多くなってきた。これだけは絶対にしたいと思うようなことも特にないけれど、あと余命一年と言われたら、それはそれで大きなショックを感じると思う。ほかの人たちは「死」についてどんなことを考えているのだろう、そんな関心をもって本書を読み進めた。
下巻では、HIV感染者の何人かのインタビューが収録されていて、死の病と恐れられ、差別もされていた時代だったことを思い出させられたし、いかにもアメリカらしい、悲しい事件を経て信仰心に目覚めた人たちの声も取り上げられている。
そうした様々な人たち63人の肉声―生活的には自分とはかなり違う人たちが多いけれど―、心に鮮烈に突き刺さってくるものがあった。 -
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最近日本でも様々な人たちが自らの生活を語った内容をまとめて本として出したりすることが増えているが、本書の著者スタッズ・ターケルはアメリカでは高名なインタヴュアーらしい。どうしてこの本、「死」についての本を書こうと思ったのかについては、自ら「はじめに」で詳しく語ってくれている。死という体験、それは唯一、だれひとりとして味わったことはないが、いずれはだれもが味わう体験。
人生の第4コーナーに差し掛かった自分には、この言葉が心に沁みた。「ここに記された数々の死についての証言は、同時に生についての、生がいかにかけがえのないものについてかの証言でもあり、ときに混乱していたり不完全だったりするにせよ、この世でーもしかしたらあの世でもーより良く生きるための示唆に満ちているはずだ」(35頁) -
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ネタバレ第3部 〈完結編〉
堕ちた神父に煽動された暴徒たちによって愛馬を殺され、魔女として捕らえられて火刑に処される寸前でかろうじて異界へ逃れる…と、初っ端からまたしても満身創痍すぎるワーシャ。あまりにも強大で邪悪な敵に対し、17歳の少女がたった1人でどうやって立ち向かえばよいのか(やめておけばいいのに、なぜ何度もわざわざ危険な目に遭うのか…)。 孤立無援の苦しい旅の中で、初めて現れた小さな仲間(キノコの精)や馬たちとの交流が微笑ましい。そして、再会した冬の王とのロマンスも。。
クライマックスは、ルーシの諸公国が結束して敵国タタールの襲来を打ち破ったクリコヴォの戦いという史実に基づいているが、ワーシャはロシアの土着の精霊(チョルト)たちに呼びかけ共に戦うことで見事勝利に導く、というエンディング。 ふと、今のルーシ(ウクライナを含むロシア)で同じ民族で殺し合っているのを、チョルトたちはどんなに嘆いているだろうと思った。『神などいない —— あるのは信仰だけ』という悪霊の台詞に納得。
誤訳なのか原文のミスなのか、文中に語句の重複があったり、人名の入れ違いのために話の辻褄が合わない箇所がいくつか見受けられたのは残念だったが、トントン拍子に刊行してくれて有難かった。
壮大なファンタジーがあっという間に完結してしまって寂しくもあり、ワーシャと冬の王の後日譚や姪のマーシャを主人公にした続編が出たらいいな。実はバーバ•ヤガーと海の王(⁉︎)の血をひいてたというのも唐突だったので、そのあたりのルーツも気になるところ。 -
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ネタバレ第2部
生まれ育った村を追われる形で、首都モスクワへと辿り着くワーシャ。 途中、盗賊と戦って攫われた少女たちを救出したり、宮廷に渦巻く陰謀に巻き込まれたり、自らの出自にまつわる因縁の魔術師との対決、という怒涛の展開。
当時、ロシアの一定の身分の女性はテレムと呼ばれる小高い住居に篭って暮らし、自由に外を歩くことさえ許されなかった。 年頃になれば、結婚して夫のテレムに移りそこで子を産み育てるか、もしくは出家して修道院に行くか…自由奔放なワーシャにとってはどちらも監獄と同じである。 馬に乗って1人旅立ち、寒さや飢えや身の危険に晒されたとしても広い世界を見たい!というワーシャの望みは叶うのか。
ふと『ピーターパン』の中で、人間が「妖精なんかいない」と言うたびに妖精が1人死んでいく…という話があったのを思い出した。 ロシアの土着の精霊たちや、キリスト教の神でさえ、目に見えないものに対する信仰というのは人間の心に深く根ざしながら、一方で簡単に揺らいでしまう不確かなものだ。
それは、死を司る冬の王マロースカであっても同じで、不死の存在である自らをこの世につなぎ止めるために若い娘を利用してきたが、いつの間にかワーシャを愛してしまったことで力を失い…という切ない展開。 自分の感情に戸惑いながら、ワーシャにどう接したらよいか悩んだりする意外な人間臭さ(ツンデレ)が微笑ましい。 マロースカはまた冬が来たら力を取り戻すの? それとも完全に消滅してしまったの…? 第3部が楽しみ。 -
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第1部
精霊たちの姿を見、会話することができる娘ワーシャが、異端視され魔女と迫害されても自分の世界を信じて困難に立ち向かっていく。ロシア版 精霊の守り人…?
ヒロインのワーシャは美しくない、醜いと形容されるが、美しい緑の瞳と赤みを帯びて輝く黒髪を持ち、その強さと勇敢さで人の心を惹きつける。 これからどんな苛酷な運命が待ち受けているのだろう。
可愛い表紙イラストからしてライトなファンタジーかと思いきや、意外にも重厚なストーリーでかなり読み応えがある。 中世ロシアの陰鬱な農村の暮らし、厳しい寒さと飢え、そして民間信仰などが丁寧に描かれ、なかなかページは進まない…。華々しい冒険活劇というわけでもなく、クスッと笑えるようなユーモアもなく、決して読みやすい物語ではないのだが、登場人物それぞれの心の機微の描き方に深みがあるのは訳者が金原瑞人さんだから? (しかし、ロシア人名は愛称が何通りもあるので慣れていないと時々混乱する。)
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14世紀半ばロシアで、北の豊かな領主の娘として産まれたワーシャ(ワシリーサ)には祖母の精霊を見る力が受け継がれていた。しかし、時代はキリスト教に変わり、新しい美しい司祭によって精霊達の力は衰え、熊と呼称される、まがまがしい力が復活しそうになる。熊と冬の王マロースカ(死の神カラチェン)は兄弟で、マロースカは恐ろしい力を持つものの、人に害はなさない存在。後半、ワーシャは力を復活させたいメドベード(熊)に狙われるが…というところが、この本の概要。昔話の要素を多く取り込み、重厚なフォンタジーだった。そして、長い。三部作なのだけど、この本だけで本編474ページ!こういう民俗的要素取り込んだファンタジータイプの本が好みで、急いで読まなくてゆっくり楽しむ人にオススメします。私は嫌いじゃないけどね、眠くなりやすいのが難。金原瑞人訳だし、続きも読むよ~。しかし、女は健康な子どもを産むのと、家のことやるのが仕事の時代に生まれなくてよかったよ。あと、小夜鳴鳥(ナイチンゲール)なのに馬だったりとか、その辺りの読みなれてる人には多分当たり前の展開が、読みにくさ倍増させてるかもしれません。
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ネタバレ 購入済み
幻想
長いながいファンタジー。
幻想的で,残酷で,悲しくて,道徳的。
宗教的で,哲学的。
あまりにも悲惨な運命を辿ったオブシディアナ姫。
時間を征服することとは,天国に行くことなのかもしれない。 -
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前に読んだ『英米文学のわからない言葉』という本で、翻訳者である著者が紹介していた本。元消防士、警察官、医者、看護師、退役軍人、牧師といった人の死に向き合うことが相対的に多い職業の経験者と、自身が生死を彷徨った経験を持つ色んな職業の人たちと、上下巻合わせると63人ということらしいが、上巻は28人。このうち現在は看護師で、広島の被爆者である人の話を、翻訳者の先生が勧めていた。これらの証言を聞き取った著者のスタッズ・ターケルという人はラジオパーソナリティーや俳優の仕事もしつつ、作家としてオーラルヒストリーの収集で有名な人らしく、2008年に96歳で亡くなったらしい。この本はもともと2001年に書かれたもので、Will the Circle Be Unbroken?(つながりは壊れないのだろうか?)が原題。
死について考える、ということだけど、結局はこれまでどう生きてきたかを振り返り、どう生きるかについて考えた上で、どういう死を望むか、死後の世界や天国や地獄、神の裁きはあると信じるか、あればどのようなものか、といった話をそれぞれが語っている。
今の時代の日本人のおれが読むと、1つは時代の問題、もう1つは文化的背景や宗教観の問題があって、この2つのハードルを越えないと、なかなか共感したり、自分に引きつけて考えることがちょっとだけ難しい、かもしれない。2001年に書かれたので、例えば時代背景がベトナム戦争とか公民権運動とか、なかにはキング牧師のところで働いたという牧師もいて、国が違う上にそれだけ時代が変わると、もちろん医療や通信のテクノロジーも全然違うし、価値観は現代人と違うところもあるのかなと思ってしまう。もう一つは、特に後半の「臨死体験」のところで、いみじくも宗教に懐疑的な1人が言っているが、生死を彷徨う場面で、「結局、自分が期待しているもの、自分がみたいと思うものをみるんだから。」(p.398)というのは、本当にそういうことなんだじゃないかなと思う。ここに書かれているような個人の体験の正当性を主張している人は怒るだろうし、別にそれを否定するわけでもないし悪いことだとも全く思わないけど、やっぱり生死の間を彷徨う状態は、弱い麻酔の効いたような状態で、夢見ているのと一緒なんじゃないかな、ということを思った。つまり、キリスト教に馴染みのない日本人からすると、そこでの体験やイメージが、なんか想像しにくい感じなので、その部分の語りはもっと昇華させて読む必要があるのを感じた。だから、もし日本人を対象にこういう聞き取りをするとどうなるのだろう、というところに興味が湧く。
この2つの点を考慮すると、割と読みやすい部分、考えさせられる部分はとても多く、やっぱり誰かの「オーラル・ヒストリー」って、自分の人生を考える糧になるよなあと思った。以下は印象的だった部分のメモ。まず元消防士の話から。この人も1988年に消防士を辞めて事務職になった、というから、まさに91年に公開された「バックドラフト」の世界だなと思った。その中で、床が崩れて落ちそうになり、その腕をつかんだ2人の消防士に、「おれにかまうな。どうせ落ちる。道連れにはしたくない」(p.61)と言ったら、「落ちるときは、おれたちも一緒だ」(同)と言った、なんてまさに「バックドラフト」の1シーン。"You go, we go."のことなんじゃないかと思うと、あの映画はこの人の話から取ったのかとすら思った。この人の兄は元警官で、その人の話にも書いてあるが、消防士も警官も平均寿命が短い、というのは今の時代も、あるいは日本の場合もそうなのだろうか、と思った。次は医師の言葉。「われわれは年を取るにつれて、悲しみをより深く感じるようになり、より大きな罪悪感にとらわれるようになります。それは、自分自身がどんどん死に近づいているからです。」(p.85)ということで、英語の教員としてはここを英作文させたい、とか関係のないことを思いつつも、そういうものなのかなと思った。なんか歳を取るといろいろ慣れてきたり鈍くなってきたりして、逆にそういう感覚を持たなくなるものなのかとか思っていたけど、もっと深い段階に行く時があるということなのだろうか。別の医師の話では、「たとえば、何百万ドルっていう大金をつぎこんで、超未熟児で生まれた赤ちゃんの命を救ってるけど、そういう赤ちゃんは身体中にチューブを入れられて何か月も苦しめられた末に、脳に障害が残って一生施設に収容されたままつらい人生を送るか、死んでしまうケースが多いの。でも一方で、街で飢え死にする子供もたくさんいるわけ。もし超未熟児医療に費やすお金を、そういった子供のために使えば、そのうちの半数が健康に生きのびることができるのよ。」(p.97)という部分は、かと言って超未熟児を救わない選択をするというのはどうなのだろうか。命の選択とか、トロッコ問題に通じるところがある気がする。次にER現場の医師が、外科医の特徴、という話をしていて面白かった。「だいたいが行動的で、自己中心的で、自信過剰気味。とくに外傷センターに勤務する外科医は、最小限の情報をもとにすばやく行動しなくてはならないから、その傾向が強い。(略)たいていの外科医はひどい自信家だから、嫌われることが多く、ほかの人間をばかにする傾向もあります。しかし、これは死後の性質上しかたのないことでもあるんです。自分に自信がなければ、人の身体にためらわずにメスを入れるなんてこと、できやしませんから。(略)問題は技術的なことではなく、意思決定のプロセスなんです。」(pp.103-4)というのは、納得した。確かに職業によって、ある種の性格に偏りがある、っていうのはやっぱり、って感じだった。おれも昔やってた仕事は、結構瞬間瞬間に判断を迫られることが多い仕事だったけど、職場のベテランのおじさんが「血液型で人を分類するのは科学的じゃないって分かってるんだけど、だけどやっぱりこの職場B型多いんだよな。普通の割合から考えたら明らかに偏ってるよな」って話してた。いくら謙虚で気遣いをすべきだと思っていても、ある種の仕事に就くと、自分が普段だったらしないような行動をするような奴にならないとプロとして質の高い仕事ができない、ようなそういう仕事はありそうだ。結局、向き不向きの話になるのだろうけど。キャリア教育、というのは今の教育のトピックの1つだけど、いっそ現役の人たちにインタビューして、自身の性格とか、訓練や経験でどの程度容易に自身の性格とその仕事で求められる性格とのギャップを埋められるものなのかとか、そういうものを何かにまとめるというのが良いかもしれない。あと、同じ医師の発言で共感したのは、「命というのはとてももろいもので、いつ消えてもおかしくないんです。日々頭を悩ましていることなど(略)どれもささいなことです。それより、われわれに与えられた最もすばらしいものは時間だということ、つまり生きていることそのもののだと、心から気づくべきなんです。」(pp.106-7)という部分だった。別の、映画の撮影監督、という人も、「死を強く意識するようになって、時間のとらえ方が以前とまるで変わった。やりたいことはすぐにやるようになったんだ。(略)もうじき死ぬかもしれない、と思うと、解放感を感じる人もいるかもしれないが、自分の場合は少し緊張感が増した」(p.223)と言っている。なんか最近、おれ自身が中年の危機真っ最中で色々悩んでしまうが、こういう時だからこそ時間を大事に、自分にエネルギーがあるうちは行動しないと、後から色々思っても遅いし、そういうことが積み重なると後悔の人生ということになるんだろうか、と思っている今日この頃。そういうこともあって、この本を読んでみようと思ったのだけれど。自分が死ぬということに早く気づけば気づくほど、人生をうまくまとめられる確率は高くなるのではないか、とか思うが、それも短絡的なのかな。同じ医師の話で、リビングウィルということが言われて久しいけど、それがなかった場合、「医者が患者の家族に問うべきなのは、『どうしてほしいですか?』ということではないと思います。わたしはこうきくことにしています。『もし、ベッドの患者さんが話せる状態だとしたら、なんとおっしゃるでしょう?あなたなら彼の気持ちがわかるでしょう。親として(あるいは妻として)彼の生き方をご存じなのだから。どうでしょう?ご本人はなんとおっしゃると思いますか?』」(p.115)というのは、なるほどと思った。確かに家族の思いで無理に生かしておく、ということではなく、本人がどうしたいかに目を向けさせ、一生懸命考えさせる、というのは、本人に寄り添うという意味で、理に適っていると思う。ところで、上巻の28人の中で、おれが衝撃的だった何人かの一人は、「元死刑囚」の話。明らかに人種差別の南部で死刑になりそうになった黒人の話が、なんとも生々しく、こういうところにオーラル・ヒストリーの力があるのだろうなと思った。「判決が覆されたときの票数は四対三。四人の判事が無罪だといい、三人が有罪だといった。七人とも高い教育を受けた人たちだ。その七人が同じ証拠やデータをみて、なぜ正反対の結論に達したか?それは知性や理性じゃなく、何か別のものに基づいて判断したからだとしか思えない。おそらく、文化的な条件反射みたいなものだろう。ある特定の考え方をする人間にとっては、おれはどうみても有罪なんだ。なぜか?白人の女性がおれのことを犯人だといったから。そして、おれはでかい黒人だから。」(p.192)という言葉をもっと重く受け止めないといけないし、教育されなければならないと思う。結局人は感情で動く、という事実。それが些細なことならどうでもいいのだけど、人の生死を左右する事態を前にして、教育や理性が無効になる恐ろしさ。「文化的な条件反射」だとすれば、もっと集団心理的なものに関係あるかもしれない。こういうのは人間の仕方ないところなのだろうか。でもこれで人が死ぬのだから、仕方ないでは済まされないし、むしろ医療や産業の発達とかよりもこれを抑える何らかの技術や方策が開発された方がいいのではないかと思う。いや、医療や産業が発達することでもっと人の感情まで変わるような環境になるのだろうか、とか考えた。もう一つ衝撃的だったのは、ベトナム戦争の話をする人が何人かいて、そのうちの放射線医の話。戦争の話は、果てしなく残酷なのだけど、ここに登場する人も例外ではなかった。「ひとりの兵士が、お母さん助けてとわめくと、軍曹が黙れとどなりました。われわれはまったく新米の兵士で、ただもうなすすべもなく敵の攻撃にさらされていたんです。わたしも心底震え上がった。しかし、ほとんどの兵士がいちばん恐れていたのは、仲間の前で勇敢に振舞えなくなることだったような気がします。仲間から臆病者だと思われたくない一心で、なんとか持ちこたえていた。星条旗のためでもなければ、お国のためでもなく、アメリカのためでもない。隣にいる仲間の兵士に軽蔑されたくないという気持ちだけが、支えだったんです。」(p.202)という話は、太平洋戦争の時の日本兵も同じだったんじゃないかと思う。最近、知覧に行って、特攻平和記念会館というところで、特攻兵やそれを送り出した銃後の人たちの証言にたくさん触れたが、もしかしたらアメリカ人以上に、日本人の同調圧力的な部分、軽蔑されるというより、何だったら制裁されるという恐怖の部分が大きいのではないか、とか思った。もう一人、退役軍人でPTSDに悩まされる人の話はもっと生々しかったが、最後の言葉、「失敗した回数ではなく、成功した回数でおれを評価してくれ。成功した回数は、失敗してもあきらめずにトライした回数に正比例しているから。」(pp.257-8)って、かっこいい。かっこいいけど、おれ全然成功した回数より失敗した回数の方を数えちゃうな、とか思って、言うほど成功したことあるかな?とか思ってしまった。あと、別の臨死体験を述べた人の言葉で、ちょうど一冊前に読んだ『絶望名言』の遠藤周作と同じようなことを言っている人がいたのは印象的だった。がんの化学療法で本当に辛い時に、「自分をかわいそうがってちゃだめなんです。自分は大丈夫だって思ったほうがいいし、実際にそのおかげでぼくはがんばり抜けた気がしますー笑い飛ばすことでね。ほんとに、ユーモアと笑いには何よりも助けられましたよ。そうやってばかみたいに笑い転げることが、ときどきあってね。」(p.364)という部分。別の人も(最初の消防士だっけ?)とにかくユーモアでバカみたいな話にしてしまうのがうまい奴が多い、という話があったけど、面白がる、って人間だからこそ出来るすごい能力なんだなと思うし、おれも大事にしたいと思う。最後に出てくる双極性障害の物理学者の話もすごい話だったけど、まず「ニューメキシコ州の砂漠の町ロスアラモスにある国立研究所で働いている。ロスアラモスは閉鎖的な小さな共同体、いわば科学者たちだけが住む小国ともいうべきところで、アメリカではすでに伝説の地となっている。一九四五年に原始爆弾が製造されたのは、外界から隔絶された、まさにこの場所でだった。」(p.415)って、言われてみれば聞いたことあるなと思ったけど、今もそんな場所があるんだろうか。自殺未遂もしたこの人は、自殺は「間違っている。なぜなら、自分の人生は自分だけのものではないからです。人生の一部は、ほかのみんなのもの、自分を愛し大切に思ってくれているみんなのものなんです。わたしは思いました。もし自分が自殺すれば、妻がわたしに注いでくれたもの、すなわち妻の一部までも殺すことにとになる。さらに、わたしを友人として、あるいは教師として知っている、ほかのみんなのそういう部分も殺すことになる。それは殺人だ。(略)自分が解放されることを求めるのはいいが、そのことでほかのだれかの一部を殺してはならない。」(pp.419-20)と思って、思いとどまったらしい。関心を自分に向けるだけでなく、その究極の状況でも関心を広げられたということがこの人を救ったのだろうと思う。「最も暗い闇のなかにいるときこそ、光が最もよくみえる。だから、闇のなかで過ごすといのは、天から与えられた特別な才能なのだ」(p.421)というのは、これも『絶望名言』のベートーヴェンの歓喜の歌と似てるなとか思ったけど、こうやって逆説的な解釈を可能にするのも人間の力だと思う。
結果として、死について考えることは、人間の弱さに向き合うだけでなく、今何が出来るのか、人間の強さはどういうところにあるのか、といったことについて考えさせられる本だった。下巻にも続くのだけど、ただちょっとお腹いっぱいになってしまったので、残りの夏休みはもう少し別の本を読みたい。(26/08/08)