梨屋アリエのレビュー一覧
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Posted by ブクログ
自分の感覚や考え方だけだといろんなことが見えなくなるんだな。
生きにくさや、困りごと…。
一人ひとりが何かの困りごとがあるのかもしれない。
私自身も、この中の登場人物と重なる部分を持っている。
読みたい本がなかなか読めなくて、
気持ちや集中が散り散りになって、
漢字もなかなか覚えられないし、
時間をなかなか守れなくて…
そんな自分が好きになれなくて、一つ失敗をするたびに自分を心の中で責めていたあの頃。
その時の自分の気持ちも思い出しながら読み進めた。
発達障害、心の性、里子、過食。
こうして言葉にすると枠にはまってしまって、本書の魅力を伝えられないけれど、
この作品の登場人物の持っている困りごとは、そばにいる誰かの困りごとなのかも知れないと思えるくらいの微妙なもの。
「そんなことで悩んでいるの?」「努力が足りないんじゃない?」「もっとこうすればいいのに」
そんな周囲の考え方で苦しむ人の気持ちに立つことができた。
同じようにできない焦りが、伝わってきた。
そして決して綺麗事や理想で終わらせないところにも好感が持てた。
解決したからよかったというのではなく、自分がどれくらい困っていたかを知って欲しい、ということが本書にも書かれている。
きっと、作者の梨屋さんも、それぞれの立場からの困りごとを読者に伝えることを一番に考えているのだろう。
配慮したからいいだろうというのではなく、その一人ひとりの困りごとや生きにくさに目を向けること。
まさしく「君の存在を意識する」ことがテーマなのだろう。
みんないい方向に向かったというスッキリ感はないのかもしれないけれど、一人ひとりが自分に向き合う中で「気付いていく」過程がとても丁寧に描かれている。
大きな事件もなく淡々と日常生活が進んでいくのに、心情描写の機微に惹きつけられた。
たくさんの人に読んで欲しい作品。 -
Posted by ブクログ
君枝の周りでは不思議なことが起こる。トルソーがしゃべり、大人の傘で空を飛び、誰にも見えないものが見え、ありえないことを体験する。しかしそんな君枝のことを誰も理解してくれない。
不思議な体験に巻き込まれて七転八倒あらたいへん、でも面白かった! てな話かと思いきや、そうではなかったのです。
君枝にとって不思議は日常。小さな頃はそんなものだと思っていたが、成長するにつれ周りの人には不思議は感じられないと知る。不思議体験は楽しいことばかりでなく困ったことも多い。それなにの君枝の困っていることを、周りは怠けているふざけている嘘つき虚言と理解してくれない。
「変わった子」として「私たち」とは違うものにされる。しかも「私たち」の理解の及ぶ枠内の「変わった子」。それ以外の解釈はなし。
ああ、これは理解してもらえない気持ちを描いた物語なのだと気付いた時、君枝の寂しさがぶわりと覆い被さってきました。
幼なじみの陸は君枝の不思議体質を受け止めてくれる。共に体験したことをそのまま不思議と受け取ってくれた。そのことによって君枝は不思議をもひっくるめて君枝となる。
陸は君枝の不思議体質も君枝であることなのだから、君枝の魅力だととらえてくれる。でも君枝にとってそれは本当の理解だったのか。だって君枝は困っていたのだもの。不思議を共に笑える相手を求めていたのか。それとも。
そのズレがふたりの気持ちのズレとなり、ふたりの関係性のズレになったのだとしたら、やはり寂しい。
不思議体質を暗喩ととらえると、現実社会に於ける様々な事象に重なるでしょう。不思議体質も個性? そんな風にとらえることが、果たして本人が求めているものなのかどうか。でもそれでも、不思議を不思議と認めてくれる人の存在が嬉しい。 -
Posted by ブクログ
5人の中学2年生の目を通して描く連作短編集。
たぶんディスレクシアで、読むことがとても苦手な、でもそれを正面切って認めたり、周囲に配慮を求めたりするのはいやな、ひすい。そのひすいと同じクラスで、女子だけれど体が大きくさばさばしていて男子と間違えられがちな理幹(りき)。字を書くことが極端に苦手で、ひすいとは対照的に自分でその原因を調べ、周囲を説得して「合理的配慮」を求める心桜(こはる)。ひすいの弟――両親を事故で亡くしてひすいの親に養子としてひきとられた――で、高い知性と繊細な感性を持つ拓真。そして大人のいうことを聞く「いいこ」であろうとするあまり自縄自縛になり、過食症になってしまう小春。
だれもが問題をかかえていて、「中二病」という言葉でくくったらそれでおしまいになってしまうけれど、そんなものじゃない。だって、中二が終わったら終了するというようなものではなく、ほうっておけば大人になっても同じ問題を抱え続けることになるだろうから。実際、この作品に登場する大人たちもみな問題のある人ばかりで、児童文学にちょいちょい登場する、聡明な導き手はだれもいない。ひすいたちの担任の角野先生なんてひどいものだけど、“親には評価が高いが、世間体を保つのがうまいだけで、子どものことがさっぱりわかっていない”という先生って、実際いるからね。読んでいてむかむかするほどだった(^_^;;
周りの大人がちゃんと機能していない場合、子どもはなんとか生きのびて自分で知恵をつけて解決するしかない。だからこそ、心桜(こはる)が、苦手な書字で絞り出すように書いたメッセージ「生きてようね。みんな、死なないで、生きていてね」が、痛切にひびくのだろう。
でも、この作品にはもうひとつ大切なメッセージがあった。それは、ひとりで悩まないで「困ってる」と声をあげようということ。そうすれば、誰かしら手を差しのべてくれる人や助けてくれる人が出てくるかもしれない。
それが凝縮されているのが最後の1編。日本では往々にして、声をあげた人が、平和をかき乱すわがままな人と捉えられがちで、学校などはまさにその縮図なのだけど、それをどうやって必死に突き崩していくか。
そういう意味でも、大人子どもを問わず、今読まれてほしい本だと感じた。 -
Posted by ブクログ
夏期講習を抜け出した中学生の真名子は、洗濯物が干された庭へと入り込む。そこにはローニンセイがひとりでいたのだった。
ヒリヒリと焼け付くような心。圧迫感と閉塞感。自分が何者なのかわからない、自分が何をしたいのかわからない。何にいらだっているのかも、何を喜べばいいのかもわからない。
それは真名子にだけあるものではなく、大人も友達も年下の弟にもある心情だということに気付いていない。いや気付いているのかもしれないし、指摘されれば知っていると答えるだろう。でもそのことを受け止めてはいなかった。その事実を受け取った止めたことにより、真名子は自分自身を受け止めやすくなったのではなかろうか。
そんな真名子が見付けた場所が、あの庭だったのだろう。そしてローニンセイと過ごす時間だったのだろう。何故自分がいるのかわからない場所を抜け出して、自分の足で辿り着いた場所だったのだろう。今を抜け出すためだけに大人になりたいと思う真名子は、そうではない大人への道を見付けたのだろう。
そして作者は真名子だけでなく他の人々に対しても、少し腰を掛けられるものを用意する。安住の地ではないだろう。これでめでたしめでたしハッピーエンドということはなく、これからも悩み怒り悲しむだろう。それでも必死に踏ん張って立っている時に、次の一歩を進み出すために必要なものなのだろう。それがあるから読者も共に前を向ける。それがYA作品の持つ物語の力なのだろう。
20年前に書かれた中学生は、今の中学生にどう映るのだろう。そんなことを30年前の中学生は思いながら読んだのでした。 -
Posted by ブクログ
松葉が幼い頃心慰めてくれた隣家のピアノが譲られた先で出逢った紗英。華やかで自信家の紗英に松葉は惹かれていくのだった。
性格も家庭環境も違うふたりの少女が出逢うことで始まる物語。しかしそこから想定される展開は待っていませんでした。憧れが自己を昇華してくれる訳でもなく、他者を受け容れることで自己が変わっていく訳でもなく。なれ合いでも依存し合うのでもない友情。でも松葉と紗英は出逢うことで、それまでとは違う自分を見付けることになるのです。いや、それまで気付かなかった自分を見付けると言うべきでしょうか。
松葉は自分のことを平凡で良くも悪くも特化していないと思っています。周りに合わせて流される、そんな風にも思っています。しかしそれは松葉に嘘がないからかも知れません。他者に合わせてしまうのは他者への思いを真っ直ぐ見ているため。それは憧れだったり尊敬だったり幻滅だったり諦めだったり。相手への感情に嘘がないので、相手を見る目も容赦ないのかもしれません。それは親や先生への反抗ともなり、友達への想いに繋がる。その松葉の目がこの物語の核となり、松葉の周辺の人々を解体していきます。そして読者は松葉の目を通して、自らの親や友達への思いに気付くのかもしれません。
そんな目をもつ松葉だから、紗英によって変わっていくというよりも自己を確立していくように見えます。だから紗英が物語から逸れて行っても、松葉は自分の道を淡々と進んだのでしょう。そこに本人が気付いていなかったとしても。
何とも面白い読後感がありました。