スタニスワフ・レムのレビュー一覧
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ネタバレ言わずと知れたSF名作古典。テーマ的には「コンタクト(未知との接触)」ということだけ前知識として入れて読み始めたが、なるほどなぁという感じ。未知の未知たる部分を「真意は分からないが人間の思考を読み取って1番痛々しい記憶の再現を送り込んでくる」と表現したのは単に演出的な効果を最大にするための合理的な選択だったのだろうが、そのせいで「かつて失った大切な人の姿形をした生物を前にあなたはどうするか」的なラブロマンス的な読みができてしまい、作者の意図しない形で広まってしまったのだろう。それこそ本作がSFの枠を超えて多数の人に受容されたのはそのラブロマンス的な読みの要素が多いのだろうが、そのせいで本来表現したかった「宇宙やそこにある生き物は人間の理解の尺度を超えた存在であるはずだ」というSF的ロマン部分が軽視されてしまったのは皮肉というかなんというか。ラブロマンス的な部分に着目するとある意味SFを読まない人向けにも勧められそう……に見せて、実の所そのラブロマンス的な部分を無視したSF的なセンス・オブ・ワンダーを楽しむ作品であり、なんだか罠のような作品である。それこそ翻訳者の方が末尾の解説で書いているように無限の解釈の余地がある作品で、まさしく作中の「海」のような、意図の読めない不思議な作品だった。
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特に印象に残った二作の感想。
『火星からの来訪者』
粗削りながらも、すでに後の『ソラリス』に通じるテーマ──人間にとって“他者”とは何か──が浮かび上がっていたのが印象的だった。作中、謎めいた異星生命体と人類の科学者たちが接触を試みるが、そこに成立したのは「対話」ではなく、どこまでも一方的な「観測」だったように思う。特に、教授が体験する“火星のヴィジョン”の場面は、人間側の希望的観測の象徴に感じられた。リオンが何かを伝えようとしたのではなく、教授自身が「意味を見出したい」という欲望から幻を見たのではないか。この作品を通じて、レムは早くも「知性とは、他者と本当に理解し合えるのか?」という問いを投げかけている。その問いは、今なお新しく、静かな余韻を残す。
『異質』
スタニスワフ・レムの短編『異質』は、少年が「永久機関を発明した」と物理学者の家を訪ねるという、ユーモラスな導入から始まる。しかし、物語は思いがけない方向へ進み、ラストは唖然とさせられる。
作中では「プランク定数」や「シュレーディンガー方程式」などが語られ、科学の理論がいかに不確実性と隣り合わせであるかが示唆される。確率的に“ありえない”はずの出来事が、ほんの僅かな可能性のもとで起こり得る——その問いかけが、後の『ソラリス』や『無敵』に通じる「人間には理解できない存在」や「科学の限界」というレムの核心的テーマに直結している。短くも鋭いこの作品は、知性への皮肉と想像力への畏怖が詰まった、まさに“プロト・レム”的一編。 -
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順調に刊行が続くレム・コレクション。誠に喜ばしい限りです。人間よりも人間らしいロボット二人の寓意に満ちた珍道中。とは言ってもそこはレム。歯応えありすぎるほどあるよ〜。簡単には噛み砕けないよ〜。言葉遊び部分も多く、原文が読めたらもっと楽しめるんだろうなぁと思うと同時に、日本語への落とし込みに翻訳者は悶絶ものだろうなと思いました。この文化間ギャップが興味深くもあります。
1965年の作品ですが現在の生成AIを先取りする記述があまりに現代的で驚愕する。主人公のロボットたちが建造師と言われているのもシビれます。英語ではなんて訳されているのだろう。builder?クリエイターも今やソフトよりの印象となってしまったし。建造師となるともっと重厚長大なハードウェアも作る感じがしていいね。物語中ではビルほどもあるAIを作っていてこの辺りもリアル。
作ったものが世界を消滅させかねないトラブルの元になったりもするけれど、やっぱり何か作り出せる人でありたいと思う。その方が楽しいし。
次回刊行の「地球の平和」も楽しみ。 -
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本編を読んでいないのだけど、そういう意味では導入になりそうな気も。
読みかけの本をあれこれ読みおえたらチャレンジしてみようかなという気にさせられた。
SFセミナー(2025/5/4)の講演で、森泉さん、ハヤカワの編集の人に「うちのラインナップで何かコミカライズしたい作品はありませんか」と聞かれて「ソラリスやりたいです」と答えたら「ええっ?!」とのけぞられたという話をしてた(笑)。たしかにすごいチャレンジだけど、作画にとりかかるまえに物語全体をまとめて視覚的なメモをつくったときの作業を画像で紹介してくれていて、それを終えた段階で7割ぐらいは描きあがったも同然、というのがまたすごかった。 -
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下巻では、引き続き酉島伝法タッチのキャラクターが随所に出現する。3人の乗組員はそれぞれ秘密を隠しながら照射実験の打ち合わせを続ける。一方、形成物であるハリーは、人間と紛うことなき心を持つようになり絶望感で液体酸素自殺未遂まで起こすことで自分の正体を知ることになる。そしてスナウトによりハリーは消え去ってしまう。コミックスのラストシーンは少し中途半端。何かのメッセージを以って締め括って欲しかった。原作に忠実という意図は理解できるが、少しぐらい自由度を上げても良いのではなかろうか。p149~p153の空白、要りますか?
今回あらためて、1961年に書かれた「ソラリスの陽のもとに」、1972年に映画化された「惑星ソラリス」を思い起こし、質の高い作品は今後も読み継がれ語り継がれるものなのだろうと朧気に感じ取っている。今後50年、いや100年200年も生き続けるSF作品となることは疑う余地もない。この様な普遍的な作品を創り出してくれたレムにはいくら感謝しても感謝しきれない。ありがとうございました。 -
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SFマガジンに本作品の第1話(冒頭部分?)が掲載された時に、このコミックスが今後連載されるのかと思ったが、そうはならなかった。少々残念な気持ちのままその時は諦めたが、今回単行本2冊という形態をとって出版された。最初はネットでしか見られないという先入観もあったので、この快挙に(大げさかな)年甲斐もなく興奮してしまった。書店でも結構な冊数が出ていたので、販売元もかなり気合が入っているのではないだろうか。
ソラリスというと真っ先に思い浮かぶのは映画「惑星ソラリス」。タルコフスキー監督によるこの作品は今までに何回も観てきた。ストーリーが解っていても何回観ても飽きない。未来の交通網「首都高」、驚きのラストシーン、そして妻のハリー(ナタリヤ・ボンダルチュク)に当時かなり憧れていた。そのため、映画とコミックスとをどうしても比較しまいがちになる。まず、ソラリスの表面に時々生成する「形成物」は、いつもSFマガジンの最終ページを飾る酉島伝法の「幻視百景」の不気味なイラストに酷似している。ハリーのキャラクターも映画のナタリヤとはかなりイメージに開きがある。
ソラリス・ステーション(映画では宇宙ステーション「プロメテウス」)に出現する幻影についてはいろいろな解釈がなされている。ただ、全ての現象を人間が作り出す学問・説で説明することは不可能な様だ。まさに人知を超える生命体である。残念ながらまだこの世界ではシンギュラリティには至っていない。仮に至っていたとしても、そもそも解明できないものなのかもしれない。
ケルヴィンとハリーとの愛が静かに燃え上がったところで下巻に続く、 -
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p.189
「何事にたいしてももはや自然な反応をするものなどだれもいないのだー化学薬品の作用で学習し、人を愛し、反乱を起こし、ものを忘れるのだー薬物で操作された感覚と自然のそれとの間には違いがなくなっている。」
レムのSFを読んだのは、ソラリス以来かな?相変わらず一文一文奇妙な文章だらけなのに伏線が回収されなくずっと話が続いていく感じで捉えどころがない。でもとんでもない未来への想像力、予想もつかない展開、そしてちらりと見える社会問題への皮肉など読んでいて楽しい。
薬品がドラえもんの道具みたいで面白かった。
一層剥がれるたびに残酷な現実が、という瞬間が恐怖。